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情報:農業と環境 No.72 (2006.4)
独立行政法人農業環境技術研究所

本の紹介 198: 科学技術社会論の技法、藤垣 祐子 編、東京大学出版会 (2005) ISBN 4-13-003204-6

現代社会は、環境、食料、医療、災害などさまざまな分野で「科学に問うことはできても科学には答えられない」グレーゾーンにおいて発生し、しかも何らかの公共的意思決定を行わなければならない問題にあふれている。遺伝子組換え食品やBSEの危険のある牛の規制の問題、医療技術の発達に伴う倫理の問題などはこうした問題の一例である。

それらの問題は、気がかりではあるが、各専門領域のメインタスクからは少々ずれているために、いままで体系的に扱われてこなかった領域、あるいは各分野の人々が個別に論じ、相互に枠組みを共有してこなかったがゆえに、いまだ見通しの悪い領域に存在する問題である。これらは、換言するならば、これまで文科系と理科系の双方から等閑視されてきた境界領域の問題であり、科学技術社会論 (Science and Technology Studies:STS) はそうした境界領域の問題を扱う学問分野であるという。1976年にこの学問分野の国際学会 (Society of Social Studies of Science) が創立されたことからも分かるように、この学問分野は新しく、現在発展途上にある。

これまで長いこと、「固い」科学観(科学技術は「いつでも」「厳密な」答えを出してくれるという科学観)のもとに、厳密な科学的知見が社会的判断の根拠として用いられてきた。しかし、グレーゾーンにおいて発生する問題群は、「不確かさ」のかかわる領域を扱っているので、従来のような「固い」科学観ではなく、「柔軟な」科学観(科学も技術研究もつねに未知の部分をはらみながら、その未知の解明を続けていく過程である、科学には「未知のリスク」も含めた不確実性がつねにあるという科学観)に基づいた判断が必要になる。

本書は、「技法」を表題に掲げているように、遺伝子組換え食品規制、BSEにみる食品問題など、具体的な日本の事例9つの「分析を読みすすんでいくことによって、科学技術社会論固有のものの見方」(「固い」科学観を修正し「柔軟な」科学観に基づいた判断)、「概念、術語、理論を習得できるように構成」している。

科学技術と社会との接点にある境界領域の問題群に論理のメスを入れ、解きほぐし、理解し、判断することを習得させる本書は、「知の技法」(小林康夫/船曳建夫編、1994)と「知の論理」(小林康夫/船曳建夫編、1995)に加えた三部作の一冊として位置づけることができるが、批判的思考を身につける上で好個の書である。

目次

まえがき

I 事例分析

第1章 水俣病事例における行政と科学者とメディアの相互作用 (杉山滋郎)

1 はじめに:事実の記述

2 論点の提示

3 事態の再考

3.1 中和作用

3.2 「二転三転」という論難をめぐって

3.3 行政と科学者の「共鳴」

第2章 イタイイタイ病問題解決に見る専門家と市民の役割 (梶 雅範)

1 はじめに―――イタイイタイ病と神岡鉱山

2 神岡鉱山と鉱害問題

3 イタイイタイ病の発生と鉱毒説の確立

4 住民運動とイタイイタイ病裁判第一審

5 控訴審と判決後に締結された三井金属との公害防止協定

6 裁判後の発生源対策―――専門家と市民参加

7 患者の不認定とイタイイタイ病カドミウム説の否定―――専門家」の負の役割

8 イタイイタイ病での「成功」と水俣病との比較

9 専門家と市民の協働―――科学技術と社会の問題群解決のために(結論)

第3章 もんじゅ訴訟からみた日本の原子力問題 (小林傳司)

1 はじめに

2 「もんじゅ裁判」の経緯

3 メディアの反応―――新聞における論点化

4 被告側の反応

4.1 国の反応

4.2 原子力安全委員会の反応

5 法律家の反応

5.1 伊方原発および福島第二原発訴訟最高裁判決

5.2 行政訴訟の論理

5.3 行政訴訟の限界

6 まとめ

第4章 薬害エイズ問題の科学技術社会論的分析にむけて (廣野喜幸)

1 はじめに―――安倍被告人の無罪確定

2 薬害エイズ

3 薬害エイズ裁判

3.1 K氏の被害

3.2 起訴

3.3 裁判経緯および結果

3.4 裁判の趨勢

4 薬害エイズ対策史

4.1 「2年4ヵ月の遅れ」説

4.2 「10ヵ月の遅れ」説

4.3 1983年1月―――デフォルジェの提案・全米血友病財団の治療勧告

4.4 1983年6月―――世界血友病会議の勧告

4.5 1984年 10−11月

5 国際比較

5.1 約1年の遅れの意味

5.2 全般的状況

5.3 日本および各国の応答

6 安倍被告人の無罪がもつ科学技術社会論的な意味

第5章 BSE/牛海綿状脳症/狂牛病にみる日本の食品問題 (神里達博)

1 はじめに

2 「伝達性海綿状脳症」ないし「プリオン病」なるものの歴史

2.1 スクレイピー(Scrapie)

2.2 クロイツフェルト・ヤコブ病(Creutzfeld-Jacob Disease:CJD), Kuru

2.3 プリオン(Prion)

2.4 プリオン仮説の弱点

3 英国のBSEへの対応

3.1 BSEの発見

3.2 サウスウッド委員会

4 日本政府の対応

4.1 1990−1996年

4.2 GBRの拒絶

4.3 BSE確認「前夜」

5 BSE発生以降

5.1 BSE確認の混乱と衝撃

5.2 急速な政策転換

5.3 社会的関心は他の食品問題へ

6 「全頭検査問題」について

7 むすび

第6章 遺伝子組換え食品規制のリスクガバナンス (平川秀幸)

1 はじめに

2 GMリスクガバナンスをめぐる国際論争の経緯

2.1 規制緩和から規制強化への路線転換

2.2 欧州の規制強化の動き

2.3 事前警戒原則をめぐる米欧対立

2.4 途上国も交えたグローバルな国際調整:カルタヘナ議定書交渉

2.5 GM作物の社会的リスクをめぐるスコーピング対立

3 GM論争におけるフレーミング対立

3.1 GM論争のフレーミング前提

3.2 GMO論争のフレーミング前提の問題点

4 おわりに:フレーミング分析の重要性と日本のGM論争への視角

第7章 医療廃棄物をめぐる攻防 (松原克志)

1 はじめに

2 経緯

3 土地の安全と住民の安全・安心をめぐる議論

3.1 土壌汚染か医療廃棄物か

3.2 当事者のフレーミング、妥当性境界

3.3 現場の専門家としての地域住民

4 まとめ

第8章 地球温暖化と不確実性 (宗像慎太郎・塚原東吾)

1 地球温暖化科学のツール化とその社会的ガバナンス

1.1 地球温暖化科学前期―――CO2増加による気候変化の研究と予防原則の成立

1.2 地球温暖化科学後期―――IPCCの誕生と気候変動枠組条約

1.3 地球温暖化科学のこれから―――仮想世界への引きこもりから地域回帰へ

2 不確実性をめぐる議論の概観

2.1 リスク論との対比にみる不確実性の言説空間

2.2 科学史:時間という不確実性の認識

2.3 システムの不確実性とポスト・ノーマル・サイエンス

3 温暖化パラダイムの歴史的特徴

3.1 フンボルト主義パラダイムからテクノ博物学へ

3.2 「サンプル」の変容:掌の上にいるはどちらだ

3.3 時間解像度の粗密と未来志向の陥穽

4 跋にかえて

第9章 最先端技術と法:Winny事件から (調麻佐志)

1 問題の所在

2 Winny裁判に至るまで

2.1 Winnyとは何か:その技術的特徴と問題

2.2 Winny事件の経緯

2.3 Winny事件への反応

3 Winny裁判

4 まとめ

II 解題:Advanced-Studies のために (藤垣裕子)

1 事例分析の方法論

2 科学の特性に関する認識ギャップから生じる問題

2.1 作動中の科学

2.2 妥当性境界

3 問題解決の仕組み

3.1 第2種の過誤

3.2 不確実性下の責任

4 さらなる分析

III アプローチの流れ

1 科学の知への批判的見直しの萌芽期

2 イノベーション論

3 ストロング・プログラム

4 社会構成主義

5 技術の社会的構成

6 実験室研究

7 資源配分的アプローチ

8 認知的文化

9 現代の科学論

IV 用語解説

エスノ・サイエンス/科学技術基本法/科学教育、技術教育/科学計量学/科学の公衆理解/科学の不確実性/科学の目的内在化/科学論争/拡散モデルと翻訳モデル/ガバナンス/技術官僚モデル/技術倫理、技術者倫理/境界作業/巨大科学/欠如モデル/交易圏/公共空間/作動中の科学/参加型観察、運上観察/市民参加/社会運動/社会調査/状況依存性/専門家論/第2種の過誤/妥当性境界/知的財産/知の責任論、科学者の社会的責任/調査的面接法/テクノロジーアセスメント/内容分析/反射性/不確実性下の責任/フレーミング/モード論/予防原則(事前警戒原則)/リスクアナリシス/ローカルノレッジ

基本文献

あとがき

索引

執筆者紹介

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