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情報:農業と環境 No.79 (2006.11)
独立行政法人農業環境技術研究所

本の紹介 213: 100億人への食糧 −人口増加と食糧生産への知恵−、
(Feeding the Ten Billion - Plants and Population Growth -)、
L. T. Evans 著、日向康吉訳、 学会出版センター (2006) ISBN4-7622-3015-4

農業生産と人口問題に関する国連の世界人口推計(1997年)によれば、中位推計では2050年までに94億人に達し、高位推計では2040年までに100億人に達する(2006年現在で65億人余と推定)。しかもそれは現在発展途上にある国に偏っている。はたして世界の農業生産は、今後急激に増加する人口を養うことができるのだろうか。

マルサスが「人口の原理に関するエッセイ」を出版したのは1798年である。農業生産が地球上の人口を決めるのか、それとも人口増加が農業の発展を決めているのか。前者の立場で「農業が効果的に人口を決める」としていたマルサスは、後者の可能性をも考えており、「農業生産と人口は相互に影響し合い、相互の指示を必要としている」と述べている。著者はさらに、人口の増加傾向は、農業に対して最強の恒常的な刺激を与えるものの一つであるが、近年では人類の創造力と英知が研究に基づいて得られることが多くなっており、必ずしも人口圧によっては左右されないし、この人類の創造力と英知が農業進歩のための主要な加速器となっている、とする。マルサスの時代との違いである。

著者 L. T. Evans は、オーストラリアCSIRO(豪州連邦科学産業研究機構)の所長を務めた農業科学者である。ニュージーランド生まれ、オクスフォード大学で、土壌科学で博士号を取得、その後米国でファイトトロンを用いて作物の気候への適応性について研究した。主な研究テーマは、作物の日長反応と生理の問題である。訳者は「書店で偶然見かけて一読し、近代社会、人口、食糧、農業の諸問題に対する包括力の広さと鋭い切れ味に魅了された」と言う。このような古今東西の膨大な情報を駆使し、論を進めることは、訳者の言うように日本人には困難なことのように思える。

ところで、問題は今後である。いったい地球はどれだけの人口まで養えるのだろうか。これには、生活水準の置き方、食べる食べ物の種類、分配に関する較差、環境へのコスト等々の諸条件をどのように考えるかによって異なってくる。耕地を拡大しないで100億人を養うためには、世界全体の禾穀(かこく)類の生産をヘクタール当たり5トンにしなければならない。これは、先進国もいまだ達成していないレベルだが、著者はそれは可能と考える。しかしそれは、先進国、開発途上国の両者において、農業研究が強力に支援されるという前提においてである。100億人を養うことは、「人類最大の挑戦すべき課題」である。

本書は有史以前も含めた世界の農業史、農業技術史としても興味深い。とくに近代以降の世界の農業生産、農業技術の発展をとらえなおし、100億人を見こした今後の農業研究の果たすべき役割、方向を考えるうえで、ぜひ一読をおすすめする。

目次

第1章 はじめに: 時限爆弾か回転ドラムか?

第2章 500万人に近づく (紀元前8000年まで)

静かな数千年/オーストラリアのアボリジニ/ド−べのクング・サン族/テル・アブ・ハレイラ

第3章 500万人に向かって (紀元前8000年〜紀元前2000年)

採集から耕作へ/移動耕作/新石器革命/コムギ,複合した作物/中国における農耕/イネ,適応的な作物/アメリカ大陸/トウモロコシ,奇妙な栽培化/アフリカ:多数のセンターか,センターとはいえないか?

第4章 最初の5億人 (紀元前2000〜紀元1500年)

拡大,革新,不安定/ヨーロッパへの農耕の伝播/インドへの移行/遊牧と馬/犂/シュメールの穀物収量/傾斜地の段丘化/チナンパとマヤの崩壊/お話し豊富なナイル/地力の維持/中世ヨーロッパの農耕

第5章 10億人に近づく (紀元1500〜紀元1825年)

なりわいから商業的農業へ/コロンブスのインパクト/ヨーロッパにおけるジャガイモ/北海沿岸低地帯における革新的農業/ノーフォーク農業の「革命」/マルサスと人口に関するエッセイ/アイルランドのジャガイモ飢饉

第6章 20億人 (紀元1825年〜紀元1927年)

科学の登場/ユスタス・フォン・リービッヒと植物栄養/無機肥料と微生物の接種/ブドウと緑青:植物の病気の化学的防除/メンデル前後の作物品種改良/昼の長さとダイズ/微量要素のゴールドラッシュ/害虫と雑草の生物的防除/植物園と植物導入

第7章 30億人 (紀元1927年〜紀元1960年)

資源投入と相互作用/人馬に取って代わった機械化/安価になった窒素肥料/ハイブリット・コーン:恋愛結婚か仲人結婚か?/土壌侵食の遺産,保全の希望/除草剤としてのホルモン:2,4−Dの発見/DDT:殺虫剤の革命/組織培養:来るべきことへのトロイの木馬

第8章 40億人 (紀元1960年〜紀元1975年)

成長の焦点/コムギとイネの矮性化/収穫指数の上昇/沈黙の春:つのりだす嵐/タンパク質ギャップと高リジントウモロコシ/緯度と緑の革命/農業研究の国際化

第9章 50億人 (紀元1975年〜紀元1986年)

資源とその潤沢さ/農業におけるエネルギー利用/最小耕起システム/遺伝資源/総合害虫防除:パラダイムの変化/植物の遺伝工学

第10章 60億人 (紀元1986年〜紀元1998/9年)

限界の認識/農業革新/光合成改良への挑戦/潅漑のジレンマ/持続性,新しいスロー

第11章 今,世界では何を食べているか

食糧について考えるための糧/世界の食糧生産とわれわれの食べもの/食糧供給における地域的違い/飢餓,栄養不良,貧困/家畜の飼養と飼料/食糧貿易,援助,在庫量/若干の将来予測

第12章 100億人への食糧

食糧生産を高める道筋/耕地は十分にあるだろうか?/集約化/さらなる収量増の要請/将来の食糧生産の資源/古い作物と新しい作物/地球の気候変化と食糧供給/茶色の革命のチャンスか?/もう一つの農業/老若農業研究者のジレンマ/食糧、健康,教育,職はどれほどの人口のため?

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