Btトウモロコシの栽培による非標的生物や生態系への影響を懸念した論文として、「トウモロコシ花粉飛散によるオオカバマダラへの影響」 (Losey ら 1999 )、「食物連鎖を介した天敵昆虫、とくにクサカゲロウへの影響」 (Hilbeck ら 1998 )、「難分解性トキシンの土壌中での残存による土壌生物相への影響」( Saxena ら 1999 ) の3論文がよく知られている。
いずれについても多くの追跡研究が行われ、オオカバマダラとクサカゲロウに対しては、野外で悪影響を与えないことが立証された。土壌生物相への影響については、試験方法や調査対象種の選定など評価そのものが難しい分野であるが、現時点で明らかな有害影響を実証した報告は出されていない。
Btトウモロコシ花粉がトビケラ経由で河川生態系に悪影響をもたらす可能性
全米科学アカデミー紀要 (PNAS) の最近の号 (2007年10月9日) に、「トウモロコシ畑から河川に流れ込んだ花粉や収穫物残渣(ざんさ)に含まれるBtトキシンによって、水生昆虫のトビケラ (caddisfly) に悪影響が生ずる可能性がある」とする論文が載った。
Rosi-Marshall らによるこの報告には、野外調査と室内給餌試験の結果が示されている。野外調査から (1) Btトウモロコシの花粉や残渣 (葉や穂軸) が河川に流入し、トビケラの腸内でも花粉が存在することが確認され、 (2) 花粉堆積量は平均で 0.055 g / m2、最大で約 1 g / m2 (12地点から採取) と推定された。室内試験では (1) Btトウモロコシの花粉を藻(そう)類とともにトビケラの1種 (algal-scraping caddisfly) に与えると、0.055 g / m2 (野外平均量) では摂食率と生存率に影響はなかったが、2.75g/m2 (野外最大値の2〜3倍) では悪影響が見られ、(2) 別のトビケラ種 (leaf-shredding caddisfly) を用いてトウモロコシの葉を摂食させた試験でも、発育速度や生存率に悪影響が認められた。
これらの結果から、今回調査したインディアナ州よりトウモロコシの栽培面積の多いアイオワ州などでは、室内試験で悪影響が示された花粉量 ( 2.75 g / m2 ) が野外でも実際に生じている可能性があるとして、「Btトウモロコシの大面積での栽培は、トビケラをエサとする両生類や魚類を含む河川生態系に予測外の影響を及ぼしている可能性がある」 と考察している。
だが、この論文にはいくつかの疑問や検討すべき課題がある。たとえば、(1) 野外のトビケラの腸内で見つかったトウモロコシ花粉に毒性が残っているのか? (2) Cry1Ab トキシンに殺虫効果がないはずのトビケラ目に毒性を示したメカニズムはなにか? (3) 河川に流入した花粉や収穫残渣中のBtトキシンはどの程度の毒性を保っているのか? (4) トウモロコシ栽培が盛んで河川への流入量が多いとされるアイオワ州などで、ほんとうに大量の河川流入があるのか? −−など、今後検証すべき点は多い。
また、Rosi-Marshall らは、Btトウモロコシによる河川生態系への影響はほとんど研究されていないと述べているが、最近、カナダの Douville ら (2005, 2007) が、水域の沈殿物や表面水中の Cry1Ab の濃度を測定している。これによると、Btトウモロコシに由来すると考えられる Cry1Ab トキシンが、表面水より粘土質や砂質の沈殿物で多く検出されたが、その量はごく微量であった。 Douville らは生物種を用いた生存率は調査していないので、トビケラの生存や発育にどの程度のトキシン量で悪影響が出るのか、悪影響があるとしたら、そのようなトキシン量 (暴露量) が野外で実際に生じるかの検証が必要であろう。
今回の論文は、Btトウモロコシの中でも、鱗翅 (りんし) 目害虫に殺虫効果のある Cry1Ab のみを対象としているが、現在は Cry1Ab 系統だけでなく、Cry1F を導入した系統や土壌害虫 (ネクイハムシ) に殺虫効果を持つ系統がいくつか認可されている (下表を参照)。これらの系統を従来の交雑育種法で交配したスタック (stack) 品種の栽培が主流となっている。また4つの Cry トキシンを持つ系統や、結晶性タンパクである Cry トキシンではなく非結晶性の溶解性トキシン (Vip3A)を発現する系統など、新タイプのBtトウモロコシの登場も近い。
Rosi-Marshall らは、「米国環境保護庁 (EPA) はミジンコの調査だけでなく、トビケラなど、より適切な昆虫を使って河川生態系への環境影響評価を行うべき」 と主張し、「米国中西部のコーンベルト地帯の河川生態系はすでに過剰な窒素(ちっそ)肥料などの環境ストレスにさらされている。Btトウモロコシがさらなるストレスの原因になる可能性がある」と懸念している。バイオ燃料ブームによるトウモロコシ栽培面積の急増など、今後の米国の農耕地生態系への影響を懸念するならば、スタック品種や新規系統も含めたBtトウモロコシの検証が必要であろう。河川の水生昆虫やこれらをえさとする両生類や魚類への悪影響が本当にあるのか、納得のいく追跡調査を期待したい。
表 北米で現在栽培されているBtトウモロコシ (申請中を含む) (2007年10月現在)
| 系統名 | 導入遺伝子 | 殺虫対象害虫 | 栽培認可年 |
| Bt11 | Cry1Ab | 鱗翅目 (チョウ目) | 1996 |
| MON810 | Cry1Ab | 鱗翅目 | 1996 |
| TC1507 | Cry1F | 鱗翅目 | 2001 |
| MON863 | Cry3Bb | 鞘翅目 (コウチュウ目) | 2003 |
| DAS59122 | Cry34Ab + Cry35Ab | 鞘翅目 | 2005 |
| TC6275 | Cry1F | 鱗翅目 | 2005 |
| MIR604 | Cry3Aa | 鞘翅目 | 2007 |
| MON89034 * | Cry1A.105 + Cry2Ab | 鱗翅目 | 申請中 |
| MIR162 | Vip3A | 鱗翅目 | 申請中 |
| * Cry1A.105 は、3タイプのトキシン(Cry1Ab, Cry1Ac, Cry1F)を融合した人工トキシン。 | |||
アワノメイガに代わってメジャー化したWBC
米国コーンベルト地帯の各地でトウモロコシの害虫相が大きく変化している。Bt作物の導入当初から懸念されていたのは、おもに、(1) セイヨウアワノメイガ (European Corn Borer, ECB) など殺虫対象害虫の抵抗性発達と (2) 化学農薬散布量の減少により、Btトキシンの効果が及ばない害虫種 (アブラムシやカメムシ類など) の被害が顕在化することだった。だが、問題となったのはそのいずれでもなかった。トウモロコシのマイナー害虫であったヤガ科の1種 ( Striacosta albicosta ) が、Cry1Ab を導入したBtトウモロコシでECBに代わって増加し、主要な害虫となった。本種は、日本には分布しないため適当な和名はないが、英名では Western Bean Cutworm (WBC) と呼ばれている。インゲン豆やライ豆の害虫として知られるが、トウモロコシへの被害は一部地域で散発的に報告される程度だった。
WBCによるトウモロコシの被害は、2000年ころからウィスコンシン州やイリノイ州など各地のコーンベルト地帯で報告されるようになった。殺虫剤散布が減少したため、あるいは、不耕起栽培の拡大により土中で越冬しているWBCの蛹(さなぎ)の死亡率が低下したためなど、いくつかの説があげられたが、真の原因は不明だった。
サウス・ダコタ州立大学の Catangui と Berg は、1996年にBtトウモロコシが導入されて以来、定期調査を続けている。彼らの調査地でもそれまでトウモロコシではほとんど見られなかったWBCの被害を、2000年から確認するようになった。彼らの詳細な調査によって、Cry1Ab を導入したBtトウモロコシでは、標的害虫であるECBの被害が大幅に減少したが、もともと Cry1Ab に対する感受性の低い (殺虫効果が低い) WBCがトウモロコシの穂軸や実部で優占種になったことが確認された。組換えでないトウモロコシではECBの被害が圧倒的に多く、WBCの幼虫はほとんど見られない。また両種の幼虫が同時に発見される株もごく少ない。両種の幼虫は同じ生息場所を巡る競争関係にあり、Btトウモロコシ (Cry1Ab) の導入でECBが激減したため、空いた隙間 (ニッチ) にWBCが進出したのである。
幸いなことに、WBCは Cry1F トキシンを導入したBtトウモロコシによって防除できるため、米国では鱗翅目害虫防除用として Cry1F 系統や、Cry1F とCry1Abを掛け合わせたスタック品種への転換が進んでいる。
Bt作物で用いられるトキシンのうち、Cry1 系は鱗翅目害虫に、Cry3 系は鞘翅(しょうし)目害虫に効果があると一般的に説明されているが、それぞれのトキシンの殺虫対象範囲は従来の化学農薬よりずっと狭い。Cry1 系トキシンでもほとんど殺虫効果のない鱗翅目害虫種が多数存在する。殺虫対象範囲の狭さは標的以外の生物種に悪影響を及ぼさない利点を持つが、害虫防除手段としては大きな弱点でもある。鞘翅目害虫に効果のあるBtトウモロコシでも、標的のネクイハムシ( Diabrotica 属)による被害が大幅に減少することによって、標的外のマイナー害虫による根部の被害が顕在化する可能性がある。Catangui と Berg は 「Bt作物のように単一の防除手段を広い範囲で使用した例は今までなかったことであり、抵抗性発達の監視とともに、マイナー害虫の予測できない挙動を注意深く監視する必要がある」と警告している。
おもな参考情報
Catangui and Berg (2006) Western Bean Cutworm, Striacosta albicosta (Smith) (Lepidoptera: Noctuidae), as a potential pest of transgenic Cry1Ab Bacillus thuringiensis corn hybrids in South Dakota. Environmental Entomology 35:1439-1452.
Douville et al. (2007) Occurrence and persistence of Bacillus thuringiensis (Bt) and transgenic Bt corn cry1Ab gene from an aquatic environment. Ecotoxicology and Environmental Safety 66:195-203.
Rosi-Marshall et al. (2007) Toxins in transgenic crop byproducts may affect headwater stream ecosystems. Proceeding of National Academy of Sciences USA 104(41):16204-16208.
http://www.pnas.org/cgi/content/full/104/41/16204