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情報:農業と環境 No.107 (2009年3月1日)
独立行政法人農業環境技術研究所

本の紹介 267: 安全。でも、安心できない・・・ ―信頼をめぐる心理学 (ちくま新書)、 中谷内一也 著、 筑摩書房(2008年10月) ISBN 978-4-480-06449-3

科学技術や食品の安全がそのまま安心につながらないのはなぜなのかを、社会心理学の観点から解き明かそうとする本である。

人間は自然のリスク(脅威)に対抗したり、生活の利便性や快適性を得るため、さまざまな技術を開発し利用してきた。自然のリスクは現在でも大きいのだが、自然そのものよりも、人間が作りだした科学技術のほうが安全を脅かす大きな要因として捉えられている。

そこでは、安全は安心のための重要な要素ではあっても、安全だけで安心は得られない。100%の安全(ゼロリスク)は現実的には困難なため、リスクの管理が行われているが、それを知れば知るほど安心は得られないだろう。逆に不安や心配がなければ、リスク管理など将来の安全性を確保する行為は軽視されることになるだろう。

では「安心」はどこから来るのだろうか。ある技術についての安心感は、そのリスクを管理する専門家が信頼できれば高まり、信頼できなければ低下するだろう。これは技術の有効性に対する安心である。自然のリスクに対抗するための技術について、その副作用が心配される場合があり、これはリスク間のトレードオフの問題である。利便性や快適性のための技術にも、その管理に不安感を持たれることが多くある。技術を利用する企業や監督する組織への信頼が、安心の決め手となると、この本の著者は言う。

人がある考えを受け入れるかどうかを決める方法が大きく分けて2つあるという、社会心理学における「二重過程理論」がくわしく紹介されている。

第1のルートは、問題の対象となっているものの内容をしっかり理解し、よく考えた上で判断するという負荷の重い過程である。第2のルートは、問題とは関連があるが周辺的な要素の情報を使って、手早く判断を下すという負荷の軽い方法である。個人がある意見や情報を受けとったとき、それをじっくり考えようとする動機付けと、詳細に検討するための能力の両方をあわせ持っていれば、1つ目の方法(中心ルート)をとることができるが、どちらかが不足する場合は、2つ目の方法(周辺ルート)をとらざるを得ない。中心ルートによる処理では情報の中身による判断がされるが、周辺ルートによる処理では相手に対する信頼や外見、肩書など周辺的な手がかりで判断が行われる。

現代社会は専門化が進んでおり、さまざまな専門家に依存して社会が成立している。このような社会では、たとえ関心があっても、自分の専門以外の領域について、しっかり情報の本質を理解して判断を下すことは難しい。したがって、情報を発信する人への信頼や、業務を管理する組織に対する信頼が主要な判断基準となる。人々は日常のさまざまな局面で、信頼を手がかりとした判断を行い、それによって安心したり不安になったりしているのである。

専門家が信頼に値するかどうかは、専門的能力で判断されるべきだが、安全にかかわる専門能力の高さをじっくり考えて判断すること自体が、専門外の人には難しい。著者は、信頼感と価値観の間には密接な関連があること、信頼感はどのように変化するかなどについても解説している。リスク管理にたずさわる専門家は、人々の感情と向き合い、相手の立場を理解することが重要であるという、当然といえば当然のことが、この本の結論と思われる。

本書では、一般の人々の食品添加物に対する心配や遺伝子組換え食品への不安についても、具体的に例示して解説している。リスクの評価や管理にかかわる研究者、あるいは技術や研究成果の普及にかかわる人だけでなく、科学技術の安全や安心に関心のある一般の方にもぜひ読んでいただきたい本である。

目次

第1章 「安全」だけでは足りない!

安全と安心の違い/安全の被害はないのに……/事件についての学生との会話/極悪非道でなくても/人はパターンで認識する/見抜けなくても仕方ない/万全の監視は困難/完全な安心も無理/リスク管理は安心を与えるか/安全をとるか、安心をとるか

第2章 信頼の心理学

分業社会における安全/外部依存は止められない/分業社会における安心/二種類の情報処理/「遺伝子組み換え」の評価/自分で判断はムリ?/信頼に「値する」と信頼できるように「みえる」/信頼の非対称性原理/信頼が悪化しにくい状態

第3章 信頼のマネジメント

信頼できる人の条件/「正直さ」? 「思いやり」? 「一貫性」?/信頼は二要因で決まる/誠実さの「演出」/ブラックジャックは繁盛するか?/「外部の査察」が有効な場合

第4章 価値観と信頼感

信頼理論の新たな展開/主要価値類似性モデル/信頼するのは「第三者」か「仲間」か/花粉症の人、そうでない人/結果を重視する人、プロセスを重視する人/赤土流出をめぐる信頼調査/信頼の文脈/「関心の低い人」が重要な理由

第5章 感情というシステム

信頼だけではない/一般人のあり方/望ましくないことの過大評価/さまざまな犯罪の発生頻度推定/不安感情という要因/感情ヒューリスティック/感情が力を持つとき/感情のシステムと理性のシステム/感情システムの合理性/「恐ろしさ」と「未知性」/理性も受け入れられる

終章  「使える」リスク心理学へ

安全と安心との関係再考/他者への信頼/信頼の要素/自らをさらすという方法/価値類似性の認知/何が重要か、は状況が決める/他人事の場合、当事者の場合/人びとの感情と向き合うこと

おわりに

引用文献

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