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農業と環境 No.131 (2011年3月1日)
独立行政法人農業環境技術研究所

本の紹介 302: 職業としての科学、 佐藤文隆著、 岩波書店(2011年1月)(岩波新書) ISBN978-4-00-431290-1

日本では1995年の 「科学技術基本法」 成立以来、科学技術創造立国という国の政策のもと、科学に巨額の税金が投入されるようになった。しかし、経常的な研究費(交付金)は減少し、競争的資金という時限的な研究費が増えた結果、博士課程を修了した若手研究者は大量に短期雇用(ポスドク)となり、科学者は職業の選択肢としてはリスキーとみられるようになった。また、2009年の「事業仕分け」では、聖域であった科学技術予算もまな板にのせられ、科学研究のコストが議論された。

社会における科学の役割やあり方も含めて、科学にとって激動の転換期である。この危機は、「500年の歩みをもつ近代という価値観の変容を意味する」 かもしれず、生活様態の急激な変化による個人と公共の関係の希薄化により、知識の拡大・継承、進歩といった、近代の精神の価値観が魅力を失う可能性をも指摘する。そして、制度としての科学だけでなく、科学の精神そのものが転換期に立たされているいま、この問題を考えていく上で、「科学とは何か」というメタ理論的な議論ではなく、「社会に寄り添って構想する想像力」が重要であるという。

すなわち、「国民が営々として築きあげてきた先進的科学と、蓄えた資産を有効に活かす」 ためには、「まったく別の活用法につながるような意識改革」、新たな構想が必要であるとし、「眼前の現実を超えて想像力を養う」 ためには、歴史に関心を持つことが有効であることから、「職業としての科学にまつわる歴史ばなし」として本書を著したと述べている。

科学は、「放っておいてもさまざまな職業の中で科学の知識が生み出され、さまざまなかたちで受け継がれてきた」 第一段階から、「(英国王立協会のような、)同好の士が集まって知識を会報などで共有し、相互批判で質を高めあう自主組織ができて、進歩が加速された」 第二段階を経て、「社会がこの科学の知識を能動的に活用するために、知識産出の効率化を図り、その職場や教育制度をつくった」 第三段階へと進んできた。科学とは、さまざまな職業のなかで自由に生み出される知識を、伝え合い、鍛え合い、活用し合い、高め合い、知的自由を積極的に引き出し、このような人間の知的自由を開花させる、社会的仕組みであり、その仕組みは今後とも社会の新しい姿に応じて変容していくものという。

わずか150年前の時代には、「政府から金をもらった科学の精神はだめになる」 と考えられていた。(30数年前の日本では、産学協同は科学の堕落のようにいわれていたことを思い出す。) 第二次世界大戦では、制度科学が国家との関係で大きな役割を果たした。戦後、国が科学技術の支援者としてそれを大々的に振興する制度につなげ、冷戦下、米国では国防が基礎科学を大きく振興した。しかし、ベトナム反戦などを契機に米国の科学技術の世界は脱軍事化の方向に動き始め、冷戦崩壊後は科学技術研究の成果は投資対象としての知的財産となった。そして、知的財産の創造を目指す産学協同が活発化し、産官学連携が合い言葉となる。

冷戦下、東西対立の中でも普遍性によって結ばれているという 「科学者同士の同業者意識の高揚」 があり、民衆もそうした科学の姿に熱い思いを感じていた。しかし冷戦の崩壊により、政治的対立の中での普遍性に自国に科学があることの意義を見いだす時代は終焉(しゅうえん)した。こうなると国民の目は内向きになり、国民とのつながりは科学が生み出す「金の卵」だけとなり、金の卵から遠い研究分野は、いっせいに国民に研究内容を説明することに熱心になったという。

科学が新たな時代に対応していくのは容易ではない。(研究は、)後遺症が出るほどに没頭しないと何事も成就できないために、研究者気質(かたぎ)としては 「臨機応変」 よりも 「一徹・堅持」 の美学がもてはやされる。しかし、「一徹・堅持」 の美学は、役目を終え、改編されるべき組織や研究課題の温存の隠れ蓑(みの)として使われる場合が多く、その弊害を避けるためにはバランスのとれた研究者像への改編とともに、名誉ある退場の仕組みも織り込んだ、最前線の研究現場の新鮮さを堅持する仕組みも必要という。

大学教師は、教育義務で雇用し研究は自由という制度であり、基礎研究のもつ本来的に不確定な性格と生活基盤確保を両立させることができる。すなわち、この制度は、人材養成としての学校という教育システムに研究を包み込んでおり、時代の要請との接点が組み込まれているという点で、安定した制度という。それ対し、本来不確実な側面をもつ研究に特化した組織(研究所)は、研究課題としての時限性と長期雇用の矛盾の逃げ場がなくなる危険があり、制度設計の難しさはそこにある。

日本の科学技術の実績、人的・物的資源、国民性等からいって、生活水準を維持して、次世代が前向きに生きていくために、著者は 「科学技術エンタープライズ」 を提唱する。「科学技術エンタープライズ」 というのは従来の科学技術とは違うということを強調するため新語である。たとえば医療の世界で医師と看護婦という2つの職種だけでなく薬剤師や検査技師、大病院から開業医、臨床、基礎、保険事務、財務、製薬、医療機器メーカー等、多様な職種の人を雇用しているのがイメージであり、科学技術というブランドに、日本国民がよってたかって食べている姿であるという。

著者はあとがきで、本書が「囚(とら)われている思考を解放する」ことの一助となることを期待し、解放されたあとの空きはぜひ自分で埋めてほしいと述べている。科学にまつわる歴史や哲学的テーマに多くを割いており、歴史や哲学にあまりなじみのない者としては正直読みやすいとはいえないが、「目からウロコ」 的に納得するところは多い。それは、読む者の思考が囚われていることを示しているのであろうか。科学と社会の新たな関係を考えていく上で、有益な一冊だと思う。

目次

第1章 転換期にある科学という制度

第2章 知的自由としての科学 ― 啓蒙・ロマン・専門

第3章 科学者精神とは ― マッハ対プランク

第4章 制度科学のエートス ― ポパー対クーン

第5章 理の系譜 ― 日本文化の中の科学

第6章 知的爽快 ― 国家・教育・アカウンタビリティ

第7章 科学制度の規模 ― 食っていけるのは何人か

第8章 科学技術エンタープライズで雇用拡大を

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