前の記事 | 目次 | 研究所 | 次の記事 2000年5月からの訪問者数(画像)
農業と環境 No.139 (2011年11月1日)
独立行政法人農業環境技術研究所

農業環境技術研究所リサーチプロジェクト(RP)の紹介(6): 生物多様性評価RP

農業は、自然界における生物を介在する物質の循環(光合成、有機物の分解、水資源のかん養と供給など)に依存して食料その他の有用生物を生産する人間活動です。そのため農業は、生物の多様性や生態系によってもたらされる恩恵(生態系サービス)を直接的に享受しています。また逆に、農業は生物多様性にさまざまな影響を与えています。毎年同じ農作業がくり返される場所では、水田に広がる浅い水辺のように特有の生態系が形成・維持され、多くの野生生物に貴重な生息・生育環境を提供しています。しかしその一方で、急激な農地の拡大や、不適切な農薬・肥料の使用、経済性や効率性を優先した農地・水路の整備により、農業が生物多様性に負の影響を及ぼしていることも否定できません。このように、農業と生物多様性は相互に密接な関係を持っています(図1)。このため、生物多様性や生態系の保全と調和した持続的な農作物の生産または農村環境の管理を確立することが必要です。

農業から生物多様性へ:適切かつ持続的な維持管理(+),化学資材の投入(-),過度の農地整備(-),「生物多様性の危機(+の低下,-の増大)」; 生物多様性から農業へ:病害虫・鳥獣害(-),作物・有機物・循環(+),「農業技術(+の最大化,-の除去)」 (連関図)

図1 農業と生物多様性は、相互に密接な正負の関係を及ぼし合っている

そこで、生物多様性評価リサーチプロジェクトでは、農業生態系における生物多様性の保全と農業生産との両立を図るため、次の4つのサブテーマを掲げて、農業活動が変化した時の生態系の構造や代表的な生物群集の応答反応を解明し、生物多様性の変化を予測する手法の開発に取り組んでいます。

・ 農業生態系における生物多様性の統合的評価と広域的予測の手法開発

・ 農地周辺の景観構造が生物多様性に及ぼす影響の解明とその指標の開発

・ 耕作放棄地の拡大等による生物多様性の変動メカニズムの解明

・ 農法が土壌小動物群集に及ぼす影響の解明

(1) 農業生態系の生物多様性の変化を広域的に評価する

2010年10月の生物多様性条約(CBD)第10回締約国会議(COP10)を受けて、人間活動と生物多様性保全とを調和させるための取り組みを評価する国際的な枠組み作りが進められています。生物多様性ともっとも密接に関係している人間活動は農業ですが、これまで、農業生態系の評価はあまり進んできませんでした。農業生態系の生物多様性が貴重だと認識されてこなかったことや、農業からみて野生生物の存在が歓迎されなかったため、生物多様性に関する観測データが蓄積されていないことが大きなネックになっています。そこで、農業生態系における生物多様性情報の効率的な集積を目的に 農業景観・調査情報システム RuLIS(ルリス) を開発し、蓄積したデータを用いて日本全体を対象とした広域評価手法を開発しています。また、日本以上にデータが少ないモンスーンアジア地域を見据えて、農業が変化したことによる生物多様性への影響を広域的に予測する手法の開発に取り組んでいます。

(2) 農地周辺の環境を評価する

谷津田を取り囲む斜面(図2)、棚田ののり面、茶園周辺の草地などでは、農業生産を行うための管理が長い間継続されています。そのような農地周辺では、農村環境全体として高い生物多様性が維持されています。逆に、減農薬や有機栽培などの環境保全型農業が生物多様性に及ぼす効果が、森林との隣接やため池の有無などの周辺環境によって異なること(図3)が明らかになってきました。このような、農業生産、周辺環境、生物多様性という三者の関係を評価するための指標の開発に取り組んでいます。

谷津田とすそ刈り草地(イネが日陰になるのを防ぐため、水田に隣接する斜面林の下部の草を刈る)(写真)

図2 谷津田周辺の草刈りが小さな草原と生物の生息場所を維持する

6つの地域で複数の有機・減農薬水田と慣行水田を調査。周辺のため池の数(横軸X)と水生昆虫の種数(縦軸Y)。有機・減農薬水田で種数が多い傾向があったが、どちらの水田タイプでも、周辺のため池の数の影響が大きい。(グラフ)

図3 水田における水生昆虫の種数は農法と周辺のため池の数により異なる

(3) 耕作放棄が生物多様性に及ぼす影響を解明する

今日、人口減少や生産意欲の衰退など、さまざまな社会的要因により農地の耕作放棄が増加しています。耕作放棄地は 「何もせずに放っておく」 ことから 「後は野となり山となる」 という言葉のように 「自然に戻る」 ように思われがちです。しかし、水田を放棄すれば水辺の環境は失われてしまいますし、畑地を放棄しても良好な自然環境が再生するわけではありません(図4、5)。そこで、耕作放棄地がどのように変化するのか、またそれが生物多様性にどのような影響を及ぼすのかを調査・解析しています。

(写真)

図4 無管理状態で15年経過しても森林化しない畑跡地

4通りの条件(A 刈取り+網(被食防止)、B 刈取り、C 刈取り無し+網、D 無処理)で生き残ったシラカシ実生の数を調査。1年後、Aでは9個体(全個体)が残ったが、Bは約半数、CとDではほぼ全滅した(グラフ)

図5 アズマネザサが優占した畑放棄地では自然林構成種(シラカシ)も育たない

(4) 土の中の生物と農業との関係を定量化する

農地の土壌中には、微生物や線虫類からミミズまで、さまざまな生物が生息しています。これらの生物は、養分循環や団粒形成など土壌生成に関わる農業上の重要な役割を果たしていると同時に、農法の変更による影響を強く受けています。しかし土壌中の生物は直接観測することは困難なため、その実態は必ずしも明らかにされていません。そこで、土壌中の生物の多様性を定量的に評価するための手法開発に取り組んでいます。

以上のように、生物多様性評価RPでは、農業生産に関わる人間の活動とそこに生育・生息する生物または生物群集との関係を、ほ場の中から、ほ場を取り巻く農村環境、日本全体やアジアといった広域までのさまざまな空間スケールで調査・解析を進めています。これらの成果から、COP10 で採択された 「愛知ターゲット」 に掲げられた 「2020年までに、農(林水産)業が行われる地域が、生物多様性の保全を確保するよう持続的に管理される。」 との目標を達成するための、よりよい農業のあり方を提案していきたいと考えています。

(生物多様性評価RP リーダー 山本勝利)

(2012年4月より 生物多様性評価RPリーダー 池田浩明)

前の記事 ページの先頭へ 次の記事