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農業と環境 No.147 (2012年7月1日)
独立行政法人農業環境技術研究所

本の紹介 325: パンドラの種 ―農耕文明が開け放った災いの種―、 スペンサー・ウエルズ(SPENCER WELLS) 著、 斉藤隆央 訳、 化学同人 (2012年1月) ISBN978-4-7598-1489-9

今からおよそ1万年前、人類が編み出した農業は、自然との関わり方を大きく変え、食料の安定的な供給を可能とし、人口増加のビッグバンを引き起こした。現代文明の始まりであるが、そのことは同時に現代の人類が抱える多くの災厄の始まりでもあったとする。

農業をはじめることとなったきっかけは、最終氷河期以降の温暖の進行と、その後突然起こった寒の戻りである。1万6千年前から1万2,700年前まで、肥沃な三日月地帯は温暖化と湿潤化が進み、自生している小麦やライ麦、大麦の祖先が容易に手に入るようになった。こうしてカロリーの豊富な食品が容易に手に入るようになると扶養能力も高まって人口も増加し、その結果、そうした穀物を主として採集して生活する定住性の人々が出現した。そうしたときに、突然の寒冷化(ヤンガードリアス期)が襲い、陸地の乾燥化が進み、食料供給が大いに逼迫した。こうして追い詰められた人々が、より確かな食料を得るために始めたのが農業である。

農業の発明はその後の文明の発展へとつながったが、同時に多くのマイナスの変化も生み出すこととなった。著者は、農耕の開始以来ここ1万年の変化の時代に人類が直面するようになった問題の根源は、結局のところ、人類が1万年前に農業を開始することで生み出した文化と、ヒトとしてのわれわれ自身との齟齬(そご)にあるとし、このことを体の病、心の病、それに地球温暖化の問題などから解き明かす。

今日人類の主要な病気は、伝染性の病気から非伝染性の病気に移ってきている。たとえば糖尿病は、カロリーの取り過ぎと運動不足による肥満の影響が大きく、肥満は医療費増加の最大の理由である。もともと人類は、日々の消費するエネルギーを出来るだけ少なくて済むように適応してきた。それが、農耕により多くの高カロリー食品を手に入れることができるようになった結果生じたのが肥満であり、生物としてのヒトの生体と、農耕の誕生以来作り上げてきた文明社会とのずれに根差している。

心の病も深刻である。WHOは、2020年までに全世界で精神疾患が障害や死亡の原因の第二位になると予想している。向精神薬等の利用は増え続け、現代社会では、正常らしく生活するために薬を服用している。

残されている洞窟(どうくつ)の壁画に見られるように、狩猟採集民は文化的可能性を色々と実現できたと考えられる。獲物を求めて広大な土地を移動して自由な生活を送っていた人類は、新石器時代以降は限られた範囲に閉じ込められ、地理的にも関心を向ける先にも制約を受けることとなった。社会は、構成する個々人が複雑な調和を保ちながら協力することで、初めてその目標を達成することができるようになり、産業革命の時代になると、専門化、分業化がさらに進み、一般の工場労働者から個性や創造性をほぼ奪い去ってしまったのである。

こうして人間は、生まれて1万年ほどしか経っていないこの新しい文化の中で、病気と不安という2つの不安を暮らしの一部として持ってしまうこととなった。これは、文化と生体のミスマッチによるものであり、急速に発展した文化に人間の生体がまだ適応していないためと著者は説明する。

今日の多くの問題が、人間が変化に適応できていないためだとしたら、遺伝子工学を利用してヒトの適応速度をはやめることが考えられる。しかし遺伝子の相互作用やリスクに関するわれわれの知識はまだまだ不十分であり、長期的なリスクを生む可能性に対する十分な注意が必要である。

今日の問題の大半は強欲からきており、問題解決のためには拡大や獲得や完成度を重視する人類の文化を見直し、長期的に持続可能なライフスタイルを生み出す必要があり、温暖化のように現在訪れつつある変化は、テクノロジーと社会の骨格を作り直す好機ととらえるべきだという。

今世紀、20世紀までの文化から転換を図ることができるかどうかに人類の今後がかかっており、残された時間は長くはないであろう。

目次

第1章 地図にひそむ謎

第2章 新しい文化が育つ

第3章 体の病

第4章 心の病

第5章 遺伝子テクノロジー

第6章 熱い議論

第7章 新しいミトスへ向かって

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