前の記事 | 目次 | 研究所 | 次の記事 2000年5月からの訪問者数(2013年5月末で約153万)
農業と環境 No.158 (2013年6月1日)
独立行政法人農業環境技術研究所

国立科学博物館企画展 「日本はこうして日本住血吸虫症を克服した−ミヤイリガイの発見から100年」 によせて

2013年5月15日から6月16日まで、企画展 「日本はこうして日本住血吸虫症を克服した−ミヤイリガイの発見から100年」 が、上野の国立科学博物館で開催されています。

日本住血吸虫症は日本住血吸虫の寄生によって引き起こされる病気で、かつて日本の一部の地域に流行し恐れられていました。関係者の多くの努力の結果、日本は世界で初めてこの病気を克服した国となりました。しかし、山梨県で終息宣言が出されたのは1996年、筑後川流域で撲滅宣言が出されたのが2000年のことで、じつはそう遠い昔のことではありません。

今回の企画展は日本館の一室を使った小規模なもので説明パネルや文献資料の展示といった地味なものですが、この問題は、わたしたちが水田の生物多様性の保全を考える上で重要な課題を提起していると思えることからご紹介します。

日本住血吸虫症は、山梨県甲府盆地、広島県旧神辺町周辺、福岡県と佐賀県にまたがる筑後川流域の3つの大きな流行地域と、小規模な感染が確認された地域数か所が知られていました。

日本住血吸虫の生活史は以下の通りです。糞便(ふんべん)とともに排出された卵が水中でふ化し、中間宿主であるミヤイリガイに寄生します。貝中で分裂増殖した後、ふたたび幼生が水中に泳ぎだし、終宿主であるヒトなどほ乳類の体内に皮膚を通して侵入し、腸と肝臓をつなぐ肝門脈中に寄生します。寄生した吸虫は成熟するとメスとオスが一緒に生活し、腸の内壁に産卵して腹痛を起こすほか、卵が血流に乗って移動し、とくに肝臓に肝硬変を引き起こしたり腹水がたまるようになり、やがて患者は死に至ります。日本住血吸虫の幼生は流れのあまりない水中にいるので、これらの地域で素足で水田や湿地を歩くと感染が起きました。山梨県の流行地では 「中の割にお嫁に行くなら、持たせてやるぞえ棺桶に経帷子」 といった悲しい謡(うた)が伝えられています。

住血吸虫症の撲滅の難しさの一つは、人獣共通感染症である点です。感染者を治療しても、イヌ、ネコ、ウシといった家畜のほか、ネズミなど野生の動物にも感染するため、感染環を絶つことが困難でした。そこで取られたのが流行地に生息する中間宿主であるミヤイリガイの撲滅でした。撲滅の方策としては、貝を手取りしたり焼き払ったりしたほか、ペンタクロロフェノール (PCP) などの殺貝剤(さつばいざい)が散布されました。また生息環境を破壊するために、用水路のコンクリート化などの農地基盤整備が徹底的に行われました。

余談ですが、殺貝剤として散布された PCP に、2,4-D では除草が困難であった水田雑草のノビエに対する生育抑制作用が見いだされ、その後の水田用除草剤としての PCP の開発・普及の契機ともなっています。

各地のミヤイリガイは根絶され、現在は甲府盆地の一部と小櫃川(おびつがわ)流域(千葉県)の個体群が残るのみです。これらの個体群は現在でも監視が続けられています。日本住血吸虫も日本の個体群は絶滅したと考えられます。

さて、現在の農薬は登録時に淡水の水生生物への影響が評価され、昭和30年代のような毒性の高いものは使用されなくなりました。甲府盆地などではミヤイリガイがまだ一部地域に残存しているので、コンクリートで固められた用水路や水田の環境を自然に戻せば、ふたたび分布を拡大すると考えられています。一方、世界保健機関の推定では、世界中で2億人が住血吸虫症に罹患(りかん)しており、毎年2万人が死亡しているとされています。国外で住血吸虫症に感染した人や動物が日本国内に入ってきた場合、ミヤイリガイの生息地が広がればふたたび流行の可能性が残っています。

現在、水田は生物多様性の “ホットスポット” などと称されることもあり注目されています。しかし、生物は人のために存在するわけではありません。水田やその周辺環境には、人にとって “不都合な生物” がかつて存在していて、住血吸虫以外にも根絶されたり個体数を大きく減らされたりした生物がいます。これらの生き物は忘れ去られてしまいましたが、本来、たしかにそこに生息していたものたちです。日本住血吸虫もミヤイリガイも、蝶(ちょう)であったなら天然記念物に指定され大事に保護されていたことでしょう。

生物多様性研究に携わる研究者のみなさんには、自分がその時代に生きていたらどのような対策を講じていたか、そして、現在、まだ多くの人が苦しんでいる国外の流行地においてどのような方策をとるべきかといったことを考えていただけたらと思います。

最後に、かつて制作された日本住血吸虫についての記録映像や教育映画がインターネットで公開されていますのでご紹介します。

科学映像館 ( http://www.kagakueizo.org/ ) − カテゴリー:医学・医療

(研究情報システム管理室 石坂眞澄)

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