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農業と環境 No.188 (2015年12月1日)
国立研究開発法人農業環境技術研究所

本の紹介 352: ヒトはこうして増えてきた ―20万年の人口変遷史―、 大塚柳太郎 著、新潮社(2015年7月) ISBN978-4-10-603773-3

72億人を超えた世界の人口は、予測では2050年には90億人を超える。今後大幅に増える人口を養い、さらに途上国や新興国の食の改善による需要の増大に応えるためには、世界の食料生産は今世紀半ばまでに倍増が必要であるとされ、食料問題に対する世界の危機感は大きい。食料・農業問題と人口問題、それに地球規模環境問題は、お互い密接に関係しており、「緑の革命」を主導し、歴史上最も多くの人命を救ったとしてノーベル平和賞を受賞したノーマン・ボーローグも、緑の革命は人口問題が解決するまでの時間を稼いでいるに過ぎないと述べている。

本書の目的は、ヒトが誕生してからの歴史の中の人口の変化をヒトの生き方と関連付けて解き明かし、将来の生き方へのヒントを探し出すことといい、ヒトが増えてきた歴史を4つのフェーズに分けて考える。第1フェーズは、約20万年前にアフリカで誕生したヒトがアフリカの中で緩やかに人口を増やしていった時期。第2フェーズはアフリカを出た(出アフリカ)ヒトが西アジア、さらには世界各地へと広がっていった時期。第3フェーズはヒトが定住生活し、農耕と家畜飼育を開始して以降の時期。第4フェーズはヨーロッパの産業革命から始まり、現在まで続く時期である。地球環境や資源の持続性から人口が過剰と考えられ始めたのも、第4フェーズ、それも20世紀後半からである。

ヒトが世界に広がった1万2000〜1万年ほど前の地球の総人口は、当時の食糧資源をもとに、500万〜800万人と推定される。狩猟採集生活だけでは人口支持力は限界に近づいていた。定住生活の開始と農耕の開始の順番については、定住生活の始まりが早かったと考えられている。農耕の起源と人口増加に関しては農耕の開始が人口増加を引き起こしたとする説が強かったが、人口の増加が農耕と家畜飼育の引き金になったとする説が有力となっている。気候変化と農耕の開始の関係については、気候が温暖な時期に栽培化が始まったとする説と、寒冷な時期に食料不足を補うために始まったとする説があり、単純ではなさそうだ。

農耕が始まり、技術革新が進むと生産量が増え、その結果、人口密度を高め、また農耕以外に多くの時間を使うことを可能にした。文明の成立とともに都市が生まれ、人口が集中した。ヒトが定住し、さらに家畜飼育を始めることで感染症のリスクは増大し、天然痘の流行などで多数の人々が死亡した。社会が発展し、人口の増加とともに生活の質が向上すると様々な資源が必要になり、資源を巡って交易や戦争が引き起こされるようになった。

中世も後半になると、鉄製の斧(おの)や牛馬に引かせる犂(からすき)などが広く普及。またヨーロッパでは11世紀から12世紀にかけて、冬ムギ、夏ムギ、休耕地に3分する三圃式(さんぽしき)農法が開発され、生産量が増大した。東南ユーラシアでも二期作などによりイネの生産性が高まり、人口増加率が上昇した。しかし同時に、東南ユーラシアではモンゴル帝国の勢力拡大により、ヨーロッパではペストの流行により、急激な人口減少も起こっている。

15世紀に入るとすべての地域で人口が増大したが、17世紀前半には中東、ヨーロッパ、中国で戦争と混乱が起こった。18世紀には南北アメリカ大陸へのヨーロッパ人の移住と奴隷としてのアフリカ人の移住が本格化し、新大陸は、増加したヨーロッパの人口を養うための農地拡張の場となった。また、アメリカ原産のトウモロコシ、ジャガイモなどの農作物は世界の各地に伝播し、生産性の向上とその結果として人口支持力の上昇をもたらしている。

18世紀半ば以降、ヨーロッパアルプスより北の地域が隆興し世界をリードするようになる。中央集権的な国家体制を強化し、農業と工場制手工業、商業が発達。18世紀イギリスでは4輪作への転換、品種改良、農具の改良、畑作と畜産との連携など、農業改革も進行した。この時期ヨーロッパの国々で、死亡率と出生率を劇的に変化させた「人口転換」が始まる。人口転換とは、出生率も死亡率も高い「多産多死」から、死亡率だけが低下する「多産少子」を経て、最終的に出生率も低下する「少産少死」に移行するプロセスをいう。

人口転換期における多産少子の段階の死亡率の低下には、農業生産性の向上による食物供給量の増大が大きな役割を果たした。ヨーロッパの人口増加は大きく、その結果農村部から都市部への移住、海外への移住も増加した。アメリカ合衆国は19世紀の100年間で約3300万人を受け入れたが、それにもかかわらずヨーロッパの人口密度が急上昇した。1750年から1950年の200年間に、世界人口は7.2億人から25.3億人と3.5倍に増加している。

1950年に25.3億だった世界人口は、2000年には61.2億と2.4倍に増加したが、その前の1900年からヨーロッパで減速、ほかの多くの地域で加速という傾向がさらに顕著になった。平均寿命も1950‐55年から50年の間に、途上国は大きく伸びている。それ以前に起こったヨーロッパでの人口増加のときとは異なり、途上国では先進国からの技術や生活様式の移入が大きく作用している。中でも人口を支えるのに役立ったのは、「緑の革命」である。農業を含む産業の発展も、医療・公衆衛生活動の普及も、先進国で開発された技術を受容し、国内で活用させることで実現している。

1960年代後半、人口増加がヒトの生存を脅かすとの危機意識が世界中に広がり始めた。1972年に出版されたローマクラブの「成長の限界」では、途上国における人口増加への警鐘が強調された。1974年、初の国連主催の「世界人口会議」において「世界人口行動計画」が採択され、多くの途上国が家族計画に取り組む契機となる。さらに1994年の「世界人口開発会議」では、国家主導型の人口抑制的なアプローチから、女性の性と妊娠・出産に関する自己決定権の尊重と、女性の地位向上を重視するリプロダクティブ・ヘルス/ライツへと、パラダイムが変化した。

地球は何人の人間を支えられるのだろうか。地球上における食糧や植物エネルギーの最大可能収量から推定されるその数は、おおよそ120億人という。一方で、人間活動をおもな原因とする地球環境の劣化は急速に進んでいる。「エコロジカル・フットプリント」は、地球の陸地と水域がもつ生物生産力に着目し、それぞれの地域で進行中のヒトの生き方を持続させるのに必要な陸地・水域の面積として表される。世界の人口が現在のほぼ半分であった1970年、エコロジカル・フットプリントは環境容量より少なかったが、2008年には地球の環境容量をはるかに超えている。超えた分、持続性を損なっていることになる。

将来の人口予測によると、世界人口は、2060年代には100億人を突破し、2100年には108億5000万人を超える。人口増加率の変化は地域によって異なり、先進国は人口増加率の変化が小さい。それに対して、アフリカでは高い増加率が続き、アジアやラテンアメリカでは人口増加率の正から負への変化が大きく、その結果、どちらも社会経済的に困難な状況に直面する可能性が高い。

ヒトは長い歴史の中で、人口増加による生存の危機を幾度となく経験してきたが、「文化に裏打ちされた技術や社会の仕組みをはたらかせて人口支持力を向上させ、あるいは居住域を拡張することで危機を打開してきた」と著者はいう。科学技術による人口支持力の向上はこれからも期待できそうだが、環境への負荷を増大させ、自然界の生物生産力を低下させることになり、地球システムを損なわせ、結局はヒトの生存リスクを高めることになると警鐘を鳴らす。

未曽有(みぞう)の変化を続ける世界人口。120億人もの人口が、地球環境を持続的に利用しながら生存できるのか。「これらの課題の克服は、ヒトが「賢さ」を発揮し、「地球人口」という共通認識をもって人口の推移を理解し、地球環境と調和する生き方を見出せるかにかかっている」と結んでいる。

目次

第1章 賢いヒト ―― 20万年前=5000人?

第2章 移住 ―― 7万年前=50万人

第3章 定住と農耕 ―― 1万2000年前=500万人

第4章 文明 ―― 5500年前=1000万人

第5章 人口転換 ―― 265年前=7億2000万人

最終章 現在 ―― 2015年=72億人

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