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情報:農業と環境
No.7 2000.11.1

 
No.7

・農業環境技術研究所17年史刊行記念式典

・第17回農薬環境動態研究会終了

・世界の水資源:気候変動と人口増加による水不足の可能性

・新たな温室効果ガス:SF5CF3

・集約農業における温室効果ガス:各ガスの大気放射強制力への寄与

・侵入生物への反撃−侵入種の潮流をくい止める−

・特集 環境のサステイナビリティ:「環境情報科学,29−3(2000)」

・本の紹介 15:鎮守の森,宮脇 昭・板橋興宗著,新潮社(2000)

・本の紹介 16:大気環境学,真木太一著,朝倉書店(2000)

・本の紹介 17:Earth System Science, From Biogeochemical

・本の紹介 18:酸性雨研究と環境試料分析

・本の紹介 19:持続的農村システムの地域的条件,

・2000年9月28日にEU,日本等が,WTOの農業議論において


 

農業環境技術研究所17年史刊行記念式典
 


 
 
 昭和58年12月1日に農業環境技術研究所が発足してから,今年で17年の歳月が流れました。当研究所は,このたびの行政改革の一環として平成13年4月1日から「特定独立行政法人農業環境技術研究所」として新たな組織で再出発することになりました。そのため,17年間の研究業績などをまとめた「17年の歩み」を刊行することになりました。
この「17年の歩み」の刊行に合わせ,農業環境技術研究所17年史刊行記念式典を以下の要領で開催いたします。
 
 

第17回農薬環境動態研究会終了
 


 
 
 環境問題に対する関心が高まる中で、農業生産資材として使用される化学農薬の過剰投入による環境負荷が指摘されて久しい。また、主な排出源が焼却施設であるダイオキシン類が農業生産現場に移入して,農作物や農地土壌を汚染している。このため,食品の安全性や農業生態系の保全という観点から、化学物質による環境影響について緊急の対応が求められている。
 
 このような現状を背景に、農薬の環境に配慮した利用方法、農薬及びダイオキシン類による汚染環境を修復する技術開発研究を概観し、今後の研究推進方向について討議するため、当研究所では,農薬動態科が中心になって,去る9月21日に「農薬等化学物質のリスク削減技術の現状と展望」と題した研究会を開催した。化学物質を研究対象とする国公立試験研究機関を中心に、行政機関、民間会社などから156名の参加者があった。演者による講演の概略は次の通りである。
 
1)小野仁(農薬検査所):1992年の地球サミットで採択されたアジェンダ21の「有害化学物質の環境上の適正な管理」を受け、農薬の評価や登録に関する国際的調和に向けた,OECDを中心とする取組み状況が紹介された。わが国の農薬テストガイドラインのなかで、土壌吸着性、水中運命、動物への影響等の項目も、近日中に一部改訂される予定である。
 
2)磯野邦博(日本バイエルアグロケム(株)):農薬の効力と安全性の向上および農薬施用の省力化を目指した製剤の開発方向が示された。また,各製剤の比較をもとに,製剤の問題点が整理された。とくに、有効成分量を削減する製剤化が必要で、製剤と施用技術の両面から検討することが重要であるとの指摘があった。
 
3)園田正則(全農):省力、低コスト、環境影響軽減を目標とした防除技術の現状についての解説があり,今後解決すべき問題点が指摘された。わが国では,省力化に重点をおいた施用技術が発展しているが、外国と比較して液剤散布液量が多く、大幅低減を目指した施用技術が必要であることが示された。
 
4)小原裕三(農環研):臭化メチルの放出抑制技術として、各種の被覆資材による大気放出量の比較と臭化メチルの使用方法についての紹介があった。さらに、2005年の臭化メチル全廃に向けて、代替薬剤の環境動態を明確にしておくことが重要であるとの指摘があった。
 
5)西田篤實(森総研):ダイオキシン類の分解・無毒化に関与する微生物群と分解メカニズムおよび環境への適用技術についての説明があった。特に、分解微生物を環境に適用させる技術として、微生物のペレット化、分解促進にむけた有機物投入の試み等が示された。
 
6)高木和広(農環研):農薬分解菌を環境に適用させるための木質炭化素材の利用について、素材の特性、分解微生物の集積・単離方法、汚染土壌への微生物の接種方法が紹介された。なお、分解菌集積素材はダイオキシン類分解にも期待がもてることが示唆された。
 
7)高野博幸(太平洋セメント(株)):植物による汚染土壌の浄化について、Phytoremediation の概念や浄化可能な汚染物質と技術開発の動向が示された。また、ナス科植物ベラドンナの毛状根はPCB(2〜4塩化体の混合)の50%以上を分解するという実験データが紹介された。
 
 以上の講演をもとに総合討論が行われた。新規に開発される農薬製剤および施用法の環境影響、臭化メチルの代替薬剤・代替技術の可能性、汚染土壌に分解微生物を適用させる場合の処理方法や環境に対する安全性、植物を利用する場合の環境条件等について活発な論議が行われ、今後の化学物質のリスク軽減に向けた研究発展に有効な知見が得られた。
 
 

世界の水資源:気候変動と人口増加による水不足の可能性
 


 
Global water resources:Vulnerability from climate change and population growth
C.J. Vorosmarty, P. Green, J. Salisbury, R.B. Lammers
Science 289: 284-288 (2000))
 
 「情報:農業と環境 No.6」の「本の紹介 11:水不足が世界を脅かす」で紹介したように、また「地球白書2000−01(ダイヤモンド社)」の「第3章:灌漑農業の再構築」にみられるように、さらに「情報:農業と環境 No.3」に記載したレスター・ブラウンのホームページに紹介されているように、世界のいたるところで水不足が深刻化している。人口と水と気候変動に関する最近のサイエンス誌に掲載された論文を紹介する。
 
 陸水資源が将来足りるかどうかを予測することは、水の供給と使用形態が地理学的に複雑かつ急速に変化しているので難しい状況にある。デジタル化した河川ネットワークにそった気候モデル、水収支および社会経済情報を結びつけた数多くの研究が次のことを明らかにしている:1)世界の多くの人口が、現在水不足を経験している 2)2025年までの世界の水システムの状態に限ってみると,水の要求量が増せば温暖化にますます拍車がかかる。
 
 

新たな温室効果ガス:SFCF
 


 
A potent greenhouse gas identified in the atmosphere: SF5CF3
W.T. Sturges, T.J. Wallington, M.D. Hurley, K.P. Shine, K. Sihra, A. Engel,
D.E. Oram, S.A. Penkett, R. Mulvaney, C.A.M. Brenninkmeijer
Science 289: 611-613 (2000)
 
 われわれは、大気中にかつて報告されたことのないガス、trifluoromethyl sulfur pentafluoride (SFCF)を検出した。赤外吸収標識の測定から、SFCFの放射強制力は0.57 watt/m2/ppb である。この値は、大気ガスの中で1分子あたり現在まで最も大きな放射強制力である。南極での測定によると、1960年代前半はほとんど検出されなかったが、1999年には0.12 pptに増加している。現在のところ、年間0.008 pptの増加、6%の増加割合である。SFCFの成層圏の分布から、その大気での寿命は1000年単位と見なされる。
 
 

集約農業における温室効果ガス:各ガスの大気放射強制力への寄与
 


 
Greenhouse gases in intensive agriculture:
Contribution of individual gases to the radiative forcing of the atmosphere
G. Philip Robertson, Eldor A. Paul, Richard R. Harwood
Science 289: 1922-1925 (2000)
 
 農業は,大気の二酸化炭素,亜酸化窒素,メタンなどの温室効果ガスの全球的なフラックスに大きな役目を果たしている。農業のもたらす正味の温室効果はどのくらいなのか。この論文では,温室効果ガスの全体を考える計算方法の必要性を指摘し,農業による炭素貯蔵量による貸出分と亜酸化窒素やメタンなど他の温室効果ガスの発生量による支出を比較しなければならないことを示している。10年間に及ぶ研究から,従来の方法で栽培された作物,有機物施用で栽培された作物など,いくつかのシステムにおけるガスフラックスを追跡し,様々な知見を得ている。
 
 

侵入生物への反撃−侵入種の潮流をくい止める−
 


 
Biological Invaders : Fighting Back -Stemming the Tide of Invading Species-
J. Kaiser, Science 285: 1836-1841(1999)
 
 農業環境技術研究所は、農業生態系における生物群集の構造と機能を明らかにして生態系機能を十分に発揮させるとともに、侵入・導入生物の生態系への影響を解明することによって、生態系の攪乱防止、生物多様性の保全など生物環境の安全を図っていくことを重要な目的の1つとしている。このため、農業生態系における生物環境の安全に関係する最新の文献情報を収集しているが、その一部を紹介する。
 
 1999年3月に、オーストラリアのダーウィンのマリーナで中米産のムラサキイガイの仲間が発見された。5日の間にそのマリーナとその周辺、同じ貝が発見された別の2つのマリーナが閉鎖された。マリーナは塩素と銅で消毒され、水中の生物は全滅した。このきびしい対策によって、この貝は姿を消し、自然の生物相が回復した。ヨットに付着して来たと思われるこの侵入者の早期撃退の成功は、侵入種とたたかって勝つことができるということを示している。
 
 侵入の防止が最良で安上がりな方法だが、すでに侵入した種の管理の成功例も増えている。すでに侵入・定着した生物の除去は不可能だと従来は考えられていたが、間に合いさえすれば局地的侵入を止められる場合もある。しかし進行中の侵入を食いとめるのは大変な仕事であり、侵入を防止することも容易ではないため、侵入後のためにいろいろな制御手段を用意しておく必要もある。
 
国境の閉鎖
 1つの戦略は、侵入のおそれのある外国種の移動を単純に禁止することである。米国は政府組織が作成した「ブラックリスト」にある100種類以上の生物の輸入を禁止しているが、「ブラックリスト」は常に不完全で、他の有害な生物は素通りできてしまう。オーストラリアは「ホワイトリスト」を植物に採用しており、全ての植物はその種類が安全だと確認されるまで輸入できない。新しい植物については、どこか他の地域に侵入したことはないか、風で種が飛んで繁殖する種類ではないかなど49項目の質問票が渡される。これによって新しい種の流入がある程度抑えられている。米国の苗業者は法的規制に反対しているが、自ら対策も取り始めている。たとえばフロリダ種苗・栽培者協会は24の市販植物が有害外来植物委員会の作成したブラックリストにあることを認め、その一部については扱わないことを決めた。
 
 外来種の意図的な移動を制限しても、人間の不注意によって入り込む生物もいる。例えば,サンフランシスコ湾にやってきたアジアハマグリ、船荷に隠れてテキサスにやってきたヘビ類などである。また,米国は船のバラスト水に注目している。バラスト水はしばしば外来種の水族館のようになるが、通常は港内で捨てられる。沿岸警備隊は米国の水域に入る船にバラスト水を海洋上で交換することを要請している。こうすると海洋種だけが港内に持ち込まれることになる。ツヤハダゴマダラカミキリ(Asian longhorn beetle)は1996年頃に中国から木製の梱包材や荷台について入り、ニューヨークとシカゴの樹木害虫となった。木製の梱包材や荷台の使用をやめるか,積出港での消毒または熱処理を行う必要がある。
 
封じ込めと管理の方法
 侵入生物に対抗する大変な仕事のもう半分は、侵入生物の早期発見のための監視網を含め、すぐれた管理戦略を作りあげることである。オーストラリアでの外来のイガイの駆除は、ダイバーがボートや桟橋を検査するような新たなモニタリングの努力がきっかけとなって成功した。しかし現在のモニタリング計画の多くでは、生物種を分類学的に十分細かく監視することをしていない。
 
 侵入が発見された時、それを実行する意志が十分あれば、定着したばかりの侵入生物を根絶することが可能だろう。チチュウカイミバエは2度にわたってフロリダから根絶された。ノースカロライナではアフリカから侵入したトウモロコシの寄生植物(witchweed)を人手による引き抜きと薬剤防除、検疫によって制圧した。最も効果的で安上がりな方法は、侵入生物を見つけたらすぐに根絶することである。
 
 すでにしっかり定着して根絶できない侵入生物に対しては、各組織が連携して監視下に置くことができるが、適切な連携がないと逆に外来種の拡大を助けることもある。たとえば、農地の土壌侵食を防ごうとする政府組織が外来の雑草種を植えていた例がある。また、ある機関が雑草に殺虫剤を散布し、隣の畑では別の機関が生物的防除のために昆虫を放しているようなこともある。このような問題を起こさないため、連邦機関に対して侵入種を拡大させるような活動を停止させる大統領命令が2月に出され、同時に侵入種に対する「管理プラン」を作成する連邦審議会が設置された。
 
 

特集 環境のサステイナビリティ:
「環境情報科学,29−3(2000)」

 



 
 
 学術刊行物「環境情報科学」は,29巻3号(2000)に「特集 環境のサステイナビリティ」を組んでいる。その目次を以下に列挙する。
 
 ●巻頭言 環境のサステイナビリティ
 ●環境のサステイナビリティ概念の系譜と今後の展望
 ●環境のサステイナビリティと今後の展望 −食糧・農業の側面からの検証−
 ●持続可能な発展の指標に関する国内外の動向と課題
 ●私が考える持続可能な社会像
 持続可能な社会のための科学技術/持続可能性のための2つの目標/南北格差と持続可能な地球社会像−国際協力−/持続可能な社会と環境正義/持続可能な社会とジェンダ−/持続可能な社会への黄金のカギ−環境倫理と抑制−/われわれにとって「環境」とはなにか/持続可能社会−循環の視点から−/廃棄物・ライフスタイル/究極の省資源社会としての知値社会/環境問題と永続可能な開発/持続可能な社会と労働/盛り上がり協力隊の叢生/日本の近代的土木技術の問題点とこれからの土木技術のあり方/持続可能な地域づくり/あるべきものが、あるところに、あるようにあるという地域の形成/道州単位での社会システムの運営/都市計画/シビルミニマムからシティミニマムへ/都市交通における持続可能性に向けて/続かなかったことと続きそうなこと−幹線道路の例をもとに−/森林利用におけるサステイナビリティ/漁業と水産資源/持続可能な農業と環境のあり方/自給を可能にし、持続可能な農法を考える/「持続可能な」という形容詞がなくなる社会に−食のグロ−バリゼ−ションと遺伝子組み換え作物の視点から−/安全と安心の視点から/地球温暖化への備え/持続可能な福祉政策の条件/持続可能な社会のための市場と情報開示の役割/市民、行政、企業、NPOの協働の時代
 
 

本の紹介 15:鎮守の森,宮脇 昭・板橋興宗著,
新潮社
(2000) 1,300円 ISBN4-10-436801-6
 



 
 
 著者の宮脇氏はドイツ留学中に郷愁に誘われることが度々あった。そのとき必ず思い出すのは、ふるさとの鎮守の森の秋祭りであった。
 
 神戸の大地震の後、著者がヘリコプターで上空から地震の被害の跡を調べると、眼下に緑のかたまりが散見できた。小さな公園の周りの小さな樹林や神社の森がそれで、そのまま残っていた。地上の現地調査で神社の森にはいると、鳥居も社殿も崩壊しているのに、カシノキ、シイノキ、ヤブツバキ、さらにはモチノキもシロダモも一本も倒れていなかった。「大震災も耐え抜いた森」と題した第1部の第1節は、この神戸大地震を例にとり、ふるさとの木によるふるさとの森、つまり鎮守の森の生命力について考える。
 
 第1章の第9節では、「鎮守の森とは、さまざまな意味づけが科学的、あるいは精神的、宗教的、地理的、景観的な面から可能である。生態学的には地域の本来の素肌、素顔の緑、その濃縮した森のもっとも間違いのない原点であり、植生学的には潜在自然植生が顕在化いている。」と述べ、鎮守の森こそ、われわれが21世紀を生き延びるための命の基盤であると同時に,文化の母体であると強調する。すなわち、鎮守の森は科学的には自然の生物的な潜在能力を把握するために必要であるし、地域景観の主役であり、われわれの心のふるさとでもあるという。
 
 その他、鎮守の森の重要性をひとつのシステムとして解説し、製鉄所の植林、企業の森づくり、熱帯雨林再生プロジェクト、万里の長城の植林などの実例が紹介される。
 著者は、横浜国立大学教授を経て、現在は(財)国際生態学センタ−研究所長、長野県自然保護研究所長などを務めている。調査・研究活動を続ける−方で、鎮守の森をモデルにした「ふるさとの木によるふるさとの森づくり」を進めてきた。その数はすでに国内で600ヵ所、アマゾン、ボルネオ、チリ、万里の長城など海外も含めると1000ヵ所以上になるという。
 
 「ヨ−ロッパでは家畜の放牧によって森林が荒廃し、荒れ野に木がぽつんぽつんぽつんと立っているような景色がみられますが、これがドイツ語でいう゛公園景観゛です。日本では明治以来、ヨ−ロッパのものなら何でも良いということでこの芝生都市公園を造成してきましたが、鎮守の森には芝生を30倍に濃縮した緑がある。戦後の乱開発で鎮守の守は激減しましたが、エコロジ−の脚本に従って、主役と端役を取り違えることなく苗木を植えると、15年、20年後には新しい鎮守の森が誕生するのです」と、新たに森をつくることを主張する。
 
 自然との共生が21世紀のキ−ワ−ドなら、数多くの「鎮守の森」が日本中につくられることが必要であろう。

 第2部は、「日本人と千年の森」と題する対談で、相手は総持寺貫首、曹洞宗管長の板橋興宗氏である。「鎮守の森に不可欠なふるさとの木」、「日本人はなぜ森に惹かれるか」、「外来のものを寄せつけないシステム」、「最高条件と最適条件」、「エコロジーと宗教」、「千年の森から日本を再生する」が語られる。
 南方熊楠の「神社合紀問題関係書簡」と合わせ読むと,感慨も一入である。
 
 

本の紹介 16:大気環境学,真木太一著,朝倉書店
(2000) 3,900円 ISBN4-254-18006-3

 



 
 
 環境を抜きにして,研究も行政も経済も政治も生活も語れない時代になった。なかでも,地球環境の問題は,地球はひとつしかないという意味において,さらにこれを次世代へ健全に継承する義務があるという点できわめて重要である。
 
 なかでも,大気環境の問題は,温暖化,オゾン層破壊,エルニーニョおよび酸性雨などの環境問題とも密接に関わっているのでとくに重要である。しかしながら,これらの現象についての一般的かつ基礎的な大気環境科学の本は比較的少ない。本書は,その問題を解決すべく書かれた書である。この種の本は,何人かの専門家によって執筆されるのが常であるが,これを一人で書き上げて解説しているところにこの本の特色がある。
 
 著者は,愛媛大学農学部生物資源学科生物環境保全コース大気環境化学研究室教授で,1999年3月までは当所の気象管理科長であった。
 著者の「まえがき」が多くのことを語っているので,その一部を抜粋して以下に紹介する。
 
 大気については、水圏(水、水質など)や地圏(土壌、土質など)と比較して、気圏がより密接に環境に関連するはずであるが、気象(大気)と環境を併せ記述した書籍は少ない。そこで、本書では環境に密接に関連する気象学、特に大気についてある程度詳しく解説した後で、それを基盤として地球環境、特に大気の環境問題について解説することとした。各章には分量にいくぶん多寡があるが、ある程度合わせてある。
 
 基礎編、応用編のどちらから読まれても問題ないように配慮したが、できれば最初から読まれることをお勧めしたい。基礎編の中では、数式が若干多く出てくる章があるが、それらの数式がなくても、主要部は理解できるように取り扱ったつもりである。また、逆に数式や内容説明が不十分と思われる読者には、『新版 気象ハンドブック』『農業気象ハンドブック』(同編集委員会編、1974)などを参照されたい。特に各章の内容に関して、さらに詳しく知りたい読者には引用文献があるので参照されたい。
 
 次に、章立ての内容を簡単に記述する。
第1章 大気の特徴:対流圏・成層圏など大気の構造、大気大循環(大気象)の特性、気象スケ−ルと寿命、大気の動き・流れ(気圧傾度力、コリオリの力、地衡風)の特徴
第2章 大気中の放射・熱収支:太陽放射と放射法則、大気中の太陽放射の反射・透過・散乱と地球の反射・吸収・放射、温室・日傘効果、地球大気のエネルギ−収支
第3章 大気の熱力学:理想気体の状態方程式、静力学平衡、熱力学の法則、断熱減率、空気湿度、水の相変化、断熱図、乾燥・湿潤大気、静的安定性と対流不安定などの特徴
第4章 降水現象:降水現象と凝結・凝結核、雲の生成と暖かい雨・冷たい雨、氷晶の形成と氷晶核、氷晶と雪・雨の成長、雷雨と積乱雲の形成・活動、霧・靄と雲の区別
第5章 局地気象・気候と都市気候:小気候としての局地気象・気候の特徴、都市環境である局地気象・気候としての都市気候、ヒ−トアイランド・ク−ルアイランドの特性
第6章 接地気層中の微細環境;地表面に近い大気中の微細気象・気候としての放射特性、熱収支、風速分布、接地気層中の運動量・物質の輸送・拡散、地表面上の微気象
第7章 気候変化・変動と異常気象;過去・近年の気候変化と気候変動の背景およびその発生原因、深層海流と気候変動、歴史時代前後と観測時代の気候変化・変動、気候変動と異常気象、近年の異常気象と各種気象災害との関連性、異常気象と農業気象災害
第8章 地球温暖化;温暖化と二酸化炭素の動態、温室効果気体の温暖化への影響と最近の動態、人為起源の炭素の収支、温暖化による温度・降水量への影響、温暖化による海面水位・植生・農業への影響評価と今後の温暖化の予測、温室効果気体の国際的規制
第9章 大気汚染:大気汚染の影響範囲と継続時間、大気汚染物質の硫黄酸化物、窒素酸化物、浮遊粒子状物質、ガス状物質などの地域的・時間的変化および影響・挙動など
第10章 オゾン層の破壊:大気構造とオゾン層、中層大気とオゾンの大循環、オゾンの生成・消滅、オゾンホ−ルの発見、オゾンの動態、オゾン減少の影響と紫外線の動態
第11章 エルニ−ニョ:エルニ−ニョ・ラニ−ニャ・南方振動の特徴と変化特性、大気・海洋断面モデル、エルニ−ニョ・ラニ−ニャの気候的変化と日本・世界への影響
第12章 酸性雨:酸性雨による地球規模の酸性化、世界各国の酸性雨の変遷、日本の酸性雨の歴史的被害と汚染物質の変遷、アジアと日本の酸性雨の現状と発生メカニズム、大気の酸性化メカニズム、酸性雨の影響と複合被害の発生、酸性雨の防止・対策の現状
第13章 砂漠化:地球規模の砂漠化の分布と趨勢、人為的原因としての砂漠化の記述、中国の砂漠化の実態、防風施設など技術的軽減法、砂漠化対処条約などの政策的対策
第14章 森林破壊:森林破壊の現状とその原因、森林減少による気象への影響、砂漠とオアシスの気候差、熱帯林と寒帯林の伐採と半乾燥林での緑化による気候への影響
第15章 その他の環境問題:土壌侵食、土壌汚染、水質・海洋汚染、放射能汚染、環境ホルモン、生物多様性など大気環境とはいくぶん関連の薄いと思われる環境問題の現状
 
 なお、ここに一つだけエピソ−ドを記述する。第10章のオゾンホ−ルに関して南極での観測の話である。それは、次のとおりである。オゾンホ−ル発見の10年以上前の1969〜1971年に、第11次南極観測越冬隊の著者らのオゾン量観測で、オゾンホ−ルの前兆とも考えられるオゾン量の急激な減少が測定されていた。その急減現象を学会誌などに報告しておれば、もっと早くフロンガスなどの規制に漕ぎ着けるこができたと思われるとともに、研究者としての業績に関して、世界的に脚光を浴びる機会を逸したことは残念であった。
 
 最後に、本書は大学生はいうに及ばず、自然科学者から一般の方々、また行政・政治関係の方々にも、特に後半については、幅広く読まれる目的で記述したつもりである。多くの読者に役に立ち、参考になることを期待している。(以上,「まえがき」から一部抜粋)
 
 

本の紹介 17:Earth System Science, From Biogeochemical
Cycles to Global Change, Academic Press, pp.527
(2000)
 ISBN 0-12-379370-X

 




 
 
 本書では、地球システム科学のための基本的な概念が提示される。生きている地球という概念がそれぞれの章から感じられる。地球環境と農業の関係を研究する者には必読の書であろう。
 
第1章は、地球の歴史と地球科学の哲学が書かれ、地球システム科学の導入となる。この本を理解する最初の鍵は、地球が物質的には閉じられたダイナミックなシステムであることの認識である。地球は、エネルギー(太陽の放射線)に関しては閉じられたシステムでないから、惑星を通して絶え間なく元素の循環がおきている。炭素、窒素、硫黄、リンおよび微量金属の動態や転移が,生物地球化学的循環の概念に基づいてそれぞれ解説される。すなわち、大気圏、水圏、土壌圏、地殻圏などさまざまな圏の内外における物質のフラックスやそこでの物理・化学的な転移が解説される。
 
第2章は「地球の起源と誕生後の転変」で,ビッグバン説から始まり、45億年前の地球と他の惑星の話が続く。地球のコア、マントル、地殻の化学的な分化が説明される。
 
第3章は「進化と生命圏」で,地球の生命の始まりと進化と,同時に生化学システムが解説される。
 
第4章は「生物地球化学的循環とモデル化」で,生物地球化学的循環のモデル化が時間と転移のからみで解説される。
 
第5章は「平衡,変化速度,自然のシステム」で,熱力学,酸化と還元,反応速度論,非平衡の現象などが解説される。
 
第6章は「水と水圏」で,全球の水収支,水門量の変動特性動,水と気候,水と生物地球化学的循環,水と地殻物質の循環,人為影響などが解説される。
 
第7章は「大気圏」である。大気の鉛直構造,相対湿度,オゾン層と成層圏,大気組成,大気の水と雲,微量大気気体,大気成分が気候に及ぼす影響など盛りだくさんな項目がある。
 
第8章は「土壌,流域過程,海洋堆積物」が解説され,風化,土壌,河川流域過程,海洋堆積物,土壌・風化と地球規模の生物地球化学的循環が詳解される。
 
第9章は「地殻過程と侵食」で,侵食についての詳細な解説がある。
 
第10章:「海洋」,第11章:「地球規模の炭素循環」,第12章:「窒素循環」,第13章:「硫黄循環」,第14章:「リン循環」,第15章:「微量金属」,第16章:「地球における酸と塩基,酸化と還元」,第17章:「生物地球化学的循環と気候の結合:フォーシング・フィードバック・応答」,第18章:「氷床とそこに記録された気候変動」,第19章:「人類による地球システムの改変:地球変動」
 
 

本の紹介 18:酸性雨研究と環境試料分析
−環境試料の採取・前処理・分析の実際−
佐竹研一編,愛智出版

(2000) 5,000円 ISBN4-87256-201-1
 




 
 
 人間活動に伴って発生した酸性汚染物質の環境への影響はどうなっているのだろうか,大気や雨水の汚れ,森林や土壌や湖沼や河川の汚れ,そして文化財や人工物の劣化腐食はいつ頃からどのように進行したのだろうか。そしてこれらの問題を解明するには,どのような研究手法を用いればよいのだろうか。
 このような疑問に答えるために本書は刊行された。酸性雨研究の各分野で専門的に研究されている研究者の実際的な経験に基づいて書かれた書である。
 
 目次は,次の通りである。
1)酸性雨研究と環境分析化学
2)雨水のpH測定法
3)雨水・積雪試料の採取と分析
4)樹氷の調査と試料分析
5)酸性雨に関するガス成分の分析
6)陸水の酸緩衝能測定
7)陸水・生物試料中のアルミニウム分析
8)林内雨・樹幹流の測定法と問題点
9)樹木葉ワックスの役割と分析
10)樹木の生理活性測定
11)酸性雨研究と27 Al−NMR分光法
12)土壌・土壌溶液の分析
13)風化鉱物の表面分析
14)森林の窒素飽和と化学分析
15)イオウ化合物およびイオウ同位対比分析
16)ストロンチウム・鉛安定同位体分析
17)大気汚染の文化財・材料への影響
 
 

本の紹介 19:持続的農村システムの地域的条件
田林 明・菊地俊夫著,農林統計協会

(2000) 5,800円 ISBN4-541-02575-2

 




 
 
 本書は,地域調査をきわめて丹念に積み重ねてきた,実証的研究の成果である。現実の農業や農村の構造を理解して,真の持続的な農業や農村はいかなるものであるかを検討し,さらにそれに至る方策を模索している。目次を詳細に紹介することによって,この本の求めている内容が大筋理解できるであろう。
 
第1章 序論−持続的農村システムに関する研究の課題−
  1) 日本における農業と農村の変容
  2) 農業と農村の持続的発展
  3) 持続的農村システム研究の視点と研究対象地域
第2章 東京大都市圏における農業的土地利用の持続的性格−調布市下布田地区の事例−
  1) 都市周縁部の農業的土地利用変化の課題
  2) 東京都における農地の推移
  3) 調布市下布田地区における農業的土地利用とその地域的性格
  4) 下布田地区における農業的土地利用の変化とその性格
  5) まとめ
第3章 常総ニュ−タウンの農業における女性の役割−茨城県北相馬郡守谷町の事例−
  1) 都市化と農業
  2) 守谷町における農業の変化
  3) 守谷町における農業経営の地域差
  4) 守谷町女性農業クラブの役割
  5) 都市化地域の農業における女性の役割
第4章 下利根平野における農村の変容
  1) 日本稲作の特徴と地域差
  2) 低湿地の伝統的稲作農村
  3) 土地基盤の整備と水稲作の変化
  4) 近年における水稲作と就業構造の変化
  5) 低湿地稲作農村の変容と持続的性格
第5章 大間々扇状地における自立酪農地域の形成
  1) 自立酪農地域の研究視点
  2) 大間々扇状地における酪農の推移と分布
  3) 藪塚本町桔梗ヶ原地区における自立酪農経営の発展と農業経営の変化
  4) 藪塚本町桔梗ヶ原地区における自立酪農経営の存在形態とその成立基盤
  5) まとめ
第6章 甲府盆地東部における果樹農村の持続的性格
  1) 農業の発展地域と後退地域
  2) 甲府盆地における果樹生産の展開
  3) 御坂町大野寺地区における果樹生産の構造
  4) 御坂町大野寺地区における果樹生産の集落的基盤
  5) 持続的果樹農村の地域的条件
第7章 群馬県赤城山東麓東村における持続的農業の展開
  1) 縁辺地農村の地域的課題
  2) 東村における近年の農業動向
  3) 東村における農業経営の地域的差異
  4) 東村小夜戸地区における農業の地域的性格
  5) まとめ
第8章 三国山地南部における山村の持続的性格−群馬県水上町藤原郷の場合−
  1) 山村の諸類型と研究課題
  2) 水上町藤原郷における生業の変遷
  3) 水上町藤原郷における伝統的な生業システム
  4) 水上町藤原郷における近年の生業システム
  5) 水上町藤原郷における生業システムの遷移モデル
第9章 黒部川扇状地における持続的農村の生活組織−富山県入善町古黒部地区の事例−
  1) 持続的農村と生活組織
  2) 入善町古黒部地区の歴史的背景
  3) 入善町古黒部地区の生活組織
  4) 入善町古黒部地区の持続的性格−隣接集落との比較−
  5) 入善町古黒部地区の経済的基盤−隣接集落との比較−
  6) 入善町古黒部地区の総合計画
  7) まとめ
第10章 黒部川扇状地における農業労働力の高齢化・女性化と農村の持続性
  1) 農業労働力の高齢化・女性化
  2) 近年の黒部川扇状地における農業の変化
  3) 黒部川扇状地における農業就業者の地域的差
  4) 入善町浦山新地区における農業労働力の変化と農村の持続性
  5) まとめ
第11章 北海道日高地方における軽種馬生産地域の構造
  1) 遠隔地における持続性の模索
  2) 日高地方における軽種馬生産の発展
  3) 日高地方における軽種馬生産の性格
  4) 日高地方における軽種馬生産を核とした地域の構造
  5) 軽種馬生産地域における持続的発展の可能性
第12章 カナダ、南オンタリオにおける農業地域の変容と持続的農業 
  1) 南オンタリオ農業の地位
  2) 酪農農場における土地利用と農業経営の変化
  3) 肉牛肥育農場における土地利用と農業経営の変化
  4) 養豚農場における土地利用と農業経営の変化
  5) 南オンタリオ農業の変化とその持続的性格
  6) まとめ
第13章 ニュージーランドにおける農業地域の再編
  1) ニュージーランドの農業地域に関する課題
  2) ニュージーランドの農業開発における基礎的環境
  3) ニュージーランド農業の発展と再編
  4) 酪農地域からみたニュージーランド農業の再編とその持続的性格
  5) ニュージーランド農業の遷移システムとその持続的性格
第14章 ニュージーランドのオークランド都市周辺農村における農業的土地利用の持続的性格−マヌカウ市クレヴドン地区の場合−
  1) オークランド都市周辺農村に関する研究の課題とフレームワーク
  2) マヌカウ市における土地利用の立地環境
  3) マヌカウ市クレヴドン地区における土地利用
  4) マヌカウ市クレヴドン地区の土地利用変化とその遷移システム
  5) まとめ
第15章 結論−持続的農村システムの形成とその地域的条件
  1) 持続的農村システムの捉え方
  2) 持続的農村システムの形成
  3) 持続的農村システムの地域的条件
 
 

2000年9月28日にEU,日本等が,WTOの農業議論に
おいて環境及び農村開発問題を重視すべきであるとの意見書を提出

 



 
 
 WTO加盟のEU、日本等20を超える国が、現在進められている農業交渉において、環境及び農村開発等の多面的機能を含む非貿易的関心事項(non-trade concerns)を重視するよう、2000年9月28日にジュネーブのWTOに意見書を提出した。これは最近ノルウェーで開催された国際会議での論議を踏まえたものである。これによって「非貿易的関心事項」に関する議論がジュネーブでの交渉で開始されることになった。この意見書及び添付文書は、現在の農業と環境に関する国際的対立の概要を知るのに優れた資料なので、紹介する。
 文書は、http://www.regjeringen.no/en/archive/Stoltenbergs-1st-Government/ministry-of-agriculture/Veiledninger-og-brosjyrer/2000/papers_from_the_international_conference.html?id=232097から入手できる。
 
非貿易的関心事項に関する覚書
 
 バルバドス、ブルンジ、キプロス、チェコ共和国、エストニア、ヨーロッパ連合、フィジー、アイスランド、日本、韓国、ラトビア、リヒテンシュタイン、マルタ、モーリシャス、モンゴル、ノルウェー、ポーランド、ルーマニア、セントルシア、スロバキア共和国、スイス及びトリニダードトバゴから、WTO農業委員会の9月特別セッションに提出。
 
1.  農業協定の第20条は、改革プロセスの継続に際しては、非貿易的関心事項、途上国に対する特別のかつ異なる待遇や、開発の最も遅れた純食料輸入国となっている途上国に対して改革プログラム実施でもたらされると予想されるマイナス影響を考慮すべきであると規定している。この文脈において、40の国及び経済機構の参加の下に2000年7月1〜4日にノルウェーのUllensvangにおいて、非貿易的関心事項に関する会議が開催された。欧州委員会並びに日本、モーリシャス、ノルウェー、韓国及びスイスの各政府が会議を組織し、開発の最も遅れた国や島嶼国を含む途上国、経済移行国及び開発国が参加した。
 
2.  会議は、非貿易的関心事項について途上国と開発国とで論議する場を作ることを目的とした。当該会議において、農業の持つ特別な性格及び多面的性格、農村開発に対する農業の貢献、食料安全保障、環境及び文化的な多様性、非貿易的関心事項に対処する国の政策立案に際しての柔軟性の必要性が、開発国及び途上国の双方の視点から扱われた。会議の組織国及び機構は途上国及び開発国の双方に共通する多様な問題について文書を提出して、論議の進行に貢献した。各文書は、世界には実に多様かつ特異な農業システムが存在することを浮かび上がらせた。
 
3.  会議において、いずれの国も、相互に合意したルールに従って、農村地域の社会・経済的活力の強化と開発、食料安全保障、環境保護や、様々なタイプの農業を共存させるための助長を行う権利を有することが確認された。この文脈において、途上国及び開発の最も遅れた途上国に対しては特別のかつ異なる待遇を確保すべきであることが確認された。そして、市場の力だけではこうした非貿易的関心事項に対処できないことも確認された。
 
4.  我々は、農業委員会の特別セッションにおける第20条のパラグラフ(c)のフレームワークに関する作業に、本文書は役立つものと確信し、本委員会において実りある論議がなされることを期待する。
 
添付資料:
・  農業の持つ特異的性格とWTO内で農業を別個に扱う必要性(スイス)
・  農村開発に対する農業の貢献(欧州委員会)
・  食料安全保障と自国内農業生産の役割(日本及び韓国)
・  環境及び文化に関連した非貿易的関心事項に対する農業の貢献(欧州委員会)
・  途上国と非貿易的関心事項(モーリシャス)
・  非貿易的関心事項に対処する政策立案に際しての柔軟性の必要性(ノルウェー)
 
   このうち、初めの4つの文書を以下に紹介する。
 
 
農業の持つ特異的性格とWTO内で農業を別個に扱う必要性
Specific characteristics of agriculture
and the need to treat agriculture separately within WTO
Presented by Switzerland
 
要約と結論
1.  本文書は農業の持つ特異的な性格に焦点を当てる。まずWTOにおける農業に関する現在の交渉状況と主要グループの採っているいろいろなアプローチを吟味する。次いで、農業の持つ主要な特異的性格、即ち、土地利用機能、需給の特徴、プラスの外部経済及び公益の提供に対する農業セクターの貢献、ユニークかつ最も基本的な商品としての食料、特に途上国における他のセクターの発展のキー要素としての農業、を要約する。
 
2.  本文書は、WTOにおいて引き続き農業を特別に扱うことが必要なことを結論として強調するものである。これに関する記述は1994年のガット協定及びマラケシュ協定にもあり、ウルグアイ・ラウンド農業協定には、各WTO加盟国で状況(S&D:特別のかつ異なる待遇の必要性を含む)や農業政策が異なり、各国が農業セクターを維持する権利を有することを認識することが記載されている。従って、農業が特異的な性格を有するが故に、引き続きWTOにおいて別個に扱うことが必要である。ウルグアイ・ラウンド農業協定の実際の条文が、農業にその有する特異的な役割を十分発揮させ、かつ社会の期待する農業に課せられた多様な目的を充たさせるのに十分であるかは疑問であり、今後この問題に対処する必要がある。
 
1.全体のフレームワーク〜交渉の現在の状況
3.  今年、WTOのメンバーは、公正で市場指向型の農業貿易システムの確立に向けてステップを追加すべく、農業に関する交渉を開始した。ウルグアイ・ラウンド農業協定の序文及び第20条が交渉のベースとなっている。協定によって交渉を2000年に開始することが規定されている。
 
4.  WTOの全てのメンバーは、この交渉に参加することができる。加入手続き中の国はオブザーバーとして重要な役割を果たすことになる。個々の国とは別に、特定の利害を推進しているいくつかの国グループを識別することができる。即ち、純食料輸入途上国、純食料輸入開発国、(国際)貿易額の少ない途上国、開発の最も遅れた途上国、経済規模の小さな島嶼国、非貿易的関心事項に対応した農業を行っている国、一義的には輸出利益に関心のある国等々があり、これらのカテゴリーの複数に同時に属する国も一部にはある。
 
5.  世界には実に多様な一般政策目標や農業政策が存在することを反映して、様々な特定利害が生じている。全世界に共通する農業政策というものは存在しない。製造業やサービス産業では自由化が漸進しているものの、多くの国の農業政策にとってみれば、貿易政策目的はその一つの要素であるに過ぎない。従って、農業交渉では共通分母となるものはわずかである。このことによって農業セクターの交渉でバランスのとれた結果を得るのが難しいことが理解できよう。下記のアプローチが交渉の中で主要問題として識別できる。
 
6.  「市場唯一論アプローチ」(Market only-Approach):一義的に輸出利益を重視している国は、自らのアプローチを貿易問題に限定し、貿易政策の論理の範囲で論議している。こうした国々は貿易と同じ原則で支配される農業貿易システムのために戦っており、考慮するとしても、非貿易的関心事項についてはごく一部しか考慮しない。
 
7.  「第20条アプローチ」(Article 20 Approach):「食料安全保障及び環境保全の必要性」(ウルグアイ・ラウンド農業協定)のような非貿易的関心事項に対応する農業を行っている国にとっては、協定の序文及び第20条にある「公正」基準に加え、国及び世界の厚生を高めるために、多様な社会目的を充たすべく対応するには、市場指向だけでは十分でない。こうした国々の見解からすれば、公正な農業貿易システムとは、同時に、食料及び繊維に加えて、特別の生産物、即ち、プラスの外部経済を生産できる能力を持った農業を維持できることも意味している。
 
8.  様々なグループが相互に理解しあって、双方満足できる結果をうるのが困難なことは明らかである。「市場唯一論アプローチ」の見解及び彼らの農業の「完全統合化」に対する願望と、単なる貿易側面を超えたアプローチを推進しようとする別の見解とが対立するのは、農業の持つ特別の特徴に対する見解が異なることに起因している。第一のグループは、農業は他のセクターに比べて何ら特別な特徴を有していないと主張するのに対して、第二のグループは、環境や有限の資源の保護や、食料安全保障及び農村地域の社会経済的発展に対する貢献のような特別のプラスの外部経済や公益を農業が持つとしている。
 
9.  本文書では、農業の持つ特別な特徴と、農業側面をWTOにおいて別個に扱う必要性とを扱う。
 
注1)プラスの外部経済は、一定の需要を持っているものの、経済的補償がないか不十分であるという公益そのものであったり、公益に貢献している。そうした公益に対する需要があれば、その満足できるまでの提供を意図した政策目的を明確に設定することができる。そうした政策目的の既存の事例を付属書に示す(スイス憲法の第104条)。
 
2.農業の持つ特別な特徴
2.1.土地利用機能(Land use function)
10.  多くの国において農業は最大の土地利用者となっている。何世紀にもわたる農業活動によって、農業の継続に依存した豊かで多様な半自然生息地と種からなる独特の景観がもたらされた。農業景観の持つ高い文化的及び自然的価値は、農業の集約化と農地の限界外化(marginalization)や耕作放棄との双方によって損なわれる。
 
2.2.需要と供給の特徴
11.  大部分の農産物では、短期間に需要が高まったからといって直ぐに供給を対応させることができない。生産サイクルの多くは1年またはそれ以上もかかる。供給には短期間の弾性がないため、価格が大きく変動する。長期の生産サイクルの場合、肥沃度は短時間に達成できるのではないため、肥沃度の保全とそのノウハウが重要である。他方、食料は基本的商品であるため、通常、需要にも弾性がない。
 
12.  気候条件や土壌の質によってある地域の農産物生産や生産の効率性が決められたりしている。そして、別の気候条件や土壌の質だと、その農産物生産にあまり適さないことになる。世界的にみると農業生産に関する地球物理的潜在能力は、生産の基礎的要素である土壌の点で縮小してきている。他方、世界人口が急速に増加しているため(特に購買力の低い国や階層で)、需要は増加してきている。従って、世界の食料展望の観点からすれば、気候や土壌が最適条件でない地域であっても、その生産力を維持してゆくことが望まれている。全体条件を変えた上で農業生産を再出発させようとしても、次の世代が農業を行わなかったり、研究・開発が継続しなかったりすると、生産にタイムラグが生じ、特殊なノウハウが失われ、土壌の劣化や破壊(非農業利用を含む)が破壊され、ノウハウが不可逆的に失われてしまう。
 
2.3.プラスの外部経済及び公益の生産者としての農業
13.  多くの国において、自然資源保護、農村景観やレクリエーション地域といった農業の持つ市場に流通しない非商品性の生産物に対する様々な社会的需要が存在する。国間や国内部でも、非商品的生産物に対する需要を含め、自然的及び経済的条件が異なることは、多様な非貿易的関心事項に対して、全ての国や地域にとって最適な単一の解が存在しえないことを強く示唆するものである。
 
14.  農業は、環境サービス、自然資源保護、農村景観やレクリエーション地域の提供など、公益又はプラスの外部経済を提供している。また、農業は、農村地域の活力や発展、国土への分散定住、食料安全保障、文化遺産の保全など、社会目標の達成にも貢献している。さらに農業は、ツーリズムなど他の経済セクターに対してもプラスの副次的効果を及ぼしている。
 
15.  農業は食料生産以外の社会目標の充足に対して特別な仕方で貢献できるのだという事実は、認識の程度は様々であるが、認識されている。従って、農業の作り出している農村景観(レクリエーション価値、ツーリズムに対する利益)や生物多様性などのプラスの外部経済は、その特性として無意識に消費されていることが多い。こうしたものの生産者としての農業に対する公衆の認識は、公益が乏しくなるのに伴って、高まってきている。こうした希少化の理由は様々あり、その一つとして、急速に自由化された市場の中で短期的利益を得る戦略に基づいた農業生産の集約化によって無傷の環境が損なわれることもある。
 
2.4.最も基本的な商品としての食料
16.  食料は最も基本的な商品であり、この事実故に全ての人が食料に高い価値を与えている。こうした特別な特徴である人間の栄養に対する食料の意義故に、食料生産、従って、農業は社会の文化及び政策の固有の要素となっている。消費者は、食料生産を健康問題や食料安全保障並びに食料の質を含めた文化的又は倫理的関心事項と結びつけることを願望している。
 
17.  食料の不足又は過剰を経験すれば、必ず世界中で政府の政策や対応策に強い影響が生ずる。無論、その経験の程度は国によって異なるが、食料に対する基本的ニーズが経済的及び感性的な概念と結びついており、対応する政策目標も異なっている。
 
18.  食料供給に関してマイナスの経験をすると、十分な食料安全保障を確保するために、国内生産、備蓄、貿易及びその他の手段からなる食料安全保障政策を作ることになる(食料安全保障に関する会議資料を参照)。基本的栄養ニーズの充足に加え、生産物の安全性や質の側面が重視される。こうした事実に関する事例は容易に枚挙できる。
 
19.  マイナス経験は、土地資源や投入要素の乏しさや、気候的な不適条件などと結びついていることが多く、ほとんどの国で、農業に対しては、国内経済に占める実際のシェアをはるかに超えるまでの重視を行っている。従って、様々な国における多様な農業政策目標を良く理解するには、過去の経験や文化的背景を十分考慮することが不可欠である。
 
2.5.他セクターの発展のキー要素としての農業
20.  農業社会では、農業は常に基本的経済活動であり、その上に他の経済活動が構築されている(途上国と非貿易的関心事項に関する会議資料を参照)。従って、このキー要素を考慮することは、農産物輸出国のみならず、農業セクターが雇用や国内消費のための国内生産などで重要となっている全ての社会において特別に重要である。
 
3.WTO内で農業を特別に扱うことの必要性
21.  今日、一部の工業国では農業のシェアが非常に小さいのに対して、多くの開発途上国や最も開発の遅れた途上国などでそうであるように、必ずしも最も重要な経済セクターではないまでも、なお重要となっている国も多い。しかし、農業セクターのシェアの小さな国であっても、農業政策は政策上高い重要性を維持している。農業の持つ特別の特徴は経済でのみ記されるのでなく、政策立案プロセスに常に影響を与えている社会的文化の一部となっている歴史的経験を背景にしてみることが必要である。
 
3.1.ガット及びウルグアイ・ラウンド農業協定における特別扱い
22.  1947年及び1994年のガット協定は、政府調達(V条)、フィルム(W条)、通過(X条)など、いくつかの領域について特別の規則を設けている。これに加え、国家安全保障や「公的秩序」(ordre public)のような一部の最優先政策目標については、例外規定を設けることなしに、ガットの一般規則を適用しなかったし、説得ある紛争調停機関がない故に適用しなかった。ある種の基本的規則を一部の領域に適用することを不適切としたのは、世界の厚生を向上させるというWTOの全体目標を踏まえて、個々のケースについてその独自の利益の観点から扱うことが必要なことを示すものである。
 
23.  ウルグアイ・ラウンドの過程においては、こうした事実や、一般規則及び原則に対して例外をもうける必要性が、農業や他のWTO協定についてもみとめられ、最終的に成功することができ、農業に関する協定によって、WTO加盟国はWTOの規則及び原則の全体構造の中に体系的に農業を初めて位置づけることができたのである。これと同時に全体の均衡を保持するために、特に非貿易的関心事項については段階的自由化プロセスを考慮したり、途上国に対する特別な異なる措置を講じたりしなければならないことが認識された(マラケシュ議定書の序文及びウルグアイ・ラウンド農業協定の序文と第20条参照)。これを行うことによって、ウルグアイ・ラウンド農業協定は、各WTO加盟国がそれぞれの農業、農業政策並びに農業セクターを維持する権利を認めているのである。
 
24.  均衡を保つとの同じ動機から、多角的貿易システムの全ての領域について、途上国に対する特別の異なる措置に関して、特別な一致した行動を取ることが認められている。
 
3.2.WTOにおいて引き続き特別扱いを行う必要性
25.  農業が非貿易的関心事項に関連して特別な特徴や政策目標を持つ故に、WTOにおいて農業を別個に扱うことが必要になっている。公益に対する市場の失敗があるが故に、政府は最適な供給を確保するために行動することができる。これを行うために、政府はターゲットを絞った効果的かつ効率的で貿易を歪めることの少ない手段を講じられなければならない。
 
26.  基本的食料に対する市場アクセスを劇的かつ急速に増加させることを義務化することは、特殊な状況故に生産者の競争力の乏しい国や地域、又は生産構造が体質的弱いか、低い購買力と連動して所得の低い国や地域における生産に対するインセンティブを減らすことになる。
 
27.  社会目標充足のためにあるレベルの国内生産を保護する必要があるとするなら、農業者が条件不利地域や競争力の弱い状況に対する規則の下で、農業生産を継続できるようにするには特別の措置が必要になる。現在のウルグアイ・ラウンド農業協定における非貿易的関心事項及び特別な異なる措置条項は、そうした可能性をある程度認めている。
 
28.  従って、その特別な特徴故に、農業は引き続きWTO内(ウルグアイ・ラウンド農業協定)において別個に扱うことが必要である。
 
 
付属書
1999年4月18日付けスイス連邦憲法
第104条 農業
 
1.連邦は、農業が持続可能かつ市場指向型の生産を介して、下記に貢献するように確保しなければならない。
2.農業セクターから要請される相互支援に加えて、必要な場合、自由市場経済原則の例外として、連邦は農地での労働に従事している農場経営体を支援しなければならない。
3.連邦は、農業セクターがその多面的機能に係る任務の遂行を確保できるように手段を講じなければならない。なかでも連邦は下記について権限と義務を有するものとする。
4.これらの目的のために、連邦は、連邦の一般基金に加えて、とりわけ農業セクター向けのセットアサイド基金を使用しなければならない。
 
 
農村開発に対する農業の貢献
Agriculture's contribution to rural development
Presented by the European Commission
 
要約
1. 農業は農村社会の基盤であり、世界中の多くの国で主たる経済活動となっている。農業セクターにインパクトを与える急激かつ激烈な変化は、経済的途上にある国々の社会的及び政治的安定性に深刻な影響を及ぼしかねない。
 
2. 農業セクターの経済的意義が相対的に少ない国であっても、特に土地利用の点で農業は農村開発に重要な役割を果たしている。
 
3. 農業は、雇用、付随的ビジネス、環境サービスの推進の点で、農村開発に対して大きく貢献している。外縁地域においては、経済及び社会的なインフラを支えるために農業が不可欠である。
 
4. 農村開発政策において農村地域の持続可能な開発を確保するには、on-farmでの農業活動の向上とともに、付随的産業や環境サービスに対しても農業が貢献するようにしなければならない。
 
5. 農業改革に際して、WTO規則は、各国が農村開発を行って、特に社会的及び政治的安定性を維持できる十分な柔軟性を確保しなければならない、
 
1.緒言:農業の重要性
6.  世界のどこの農村地域においても、農業は主要な土地利用者であり、農村地域の主たる活力因子となっている。農業とその関連活動は農村生活の基盤をなしており、雇用、ビジネス機会、インフラ及び環境の質の点で農村地域全体の状態に大きく貢献している。
 
7.  農村経済に占める農業のシェア、つまり、経済セクターとしての農業の相対的重要性が、農村開発に対する農業の経済的貢献の度合いを決定している。国によっては、農業が農村地域における第1位の経済活動になっており、人口の大部分の雇用を支えているケースもある。そうした地域では、農業セクターの状態が社会及び政治の安定性全体に深くかかわっている。
 
8.  しかし、経済的に発展した国の多くでは、多様化した農村経済の中で農業は相対的にわずかな部分を占めるに過ぎず、大方の地域では、国の富や雇用に占める農業の意義が低下してきている。このことはこうした国々の農村開発における農業の役割を低下させるものではなく、雇用と経済発展という二つの側面を提供できる代替経済活動を確立することも含めるようにしなければならないことを示している。
 
9.  農村開発に対する農業の貢献度合いは国によって大きく異なるため、政策対応は、社会に対する利益を最大化することを目指し、それぞれ異なるものとする必要がある。
 
2.農村開発に対する貢献
10.  農村開発は、主に経済的意味では、農村地域の人々の経済的安定性の漸進的向上と理解されている。農村地域は最大人口密度で規定されており、社会構造に応じて異なるが、通常平方キロメートル当たり住民150から500人と規定されている。農村地域の経済活動は如何なるものであっても、農村開発に貢献する可能性を有しているが、農業の果たしている主たる役割は下記の4つのカテゴリーに分類できる。
注)この値はOECDのもの。EUでは通常平方キロメートル当たり100人としている。
 
雇用: 全体の雇用に対する農業のシェアが高レベル、例えば、農業者が労働力全体の50%を超える国では、通常、農業が農村開発の進捗状況を決定するキーの経済活動となっている。こうした高い比率の労働力が農業に従事している場合において、急速かつ人為的に雇用を削減する政策をとれば、当該労働力とそれに依存する者に悲劇的結果をもたらし、社会的及び経済的不安定を生ずることになりかねない。
関連経済: 全ての国において農業セクターは付随する広範な産業やサービスを支え、供給・流通チェーンに加えて加工産業における経済活動を生み出している。農業が主たる経済活動となっている場合には、健康ケア、教育、基本的インフラのようなサービスを含め、農村経済全体が農業セクターの収益に依存している。
遠隔及び外縁地域: 過疎化防止を法的に優先事項としている社会では、農業が当該地域の経済的活力を維持できる限られた経済活動の一つであることが多い。
・どこの農村地域であっても、農業は社会に対して環境及び文化的なサービスを提供し、農村開発に貢献している。
 
11.  農業の状態に対するこうしたon-farm及びnon-farmの活動の両者を如何に支援するかが、農村開発の成否の鍵を握っている。
 
3.on-farm活動
12.  雇用に占める農業セクターのシェアが他のセクターよりも高い国では、農業雇用を適切なレベルに保つことが重要な関心事項となっている。農業に突然のインパクトを与える経済活動変化が生ずれば、政治的及び社会的安定性が脅威にさらされかねない。その貿易が限られた範囲の農産物に依存しているような小規模で孤立した経済活動は、世界の貿易条件の変化に弱いことが多い。世界的にみて効率的と思える農業セクターを有する経済的に途上にある国々であっても、全体としては他の様々なセクターの活動に依存していても、農村社会が急激な変化を伴う深刻な激変の危機にさらされかねない。こうした地域では、投資や生産性向上を含め、農業セクターを強化する対策を講じて、それによって生ずる変化を農村雇用の増加に結びつけるように管理することが必要である。
 
13.  労働力がどの程度使えるかによって、なかでも機械化程度など、農業行為のタイプが決められる。農業に従事している者は、熟練技能を有しており、その技能は、雇用機会を与えられたとしても、他の活動に直ぐに適応させるものではない。社会の多くは、農村から都市への人口流出を高くするのを防止し、過度の崩壊の生じないように農村地域の構造変化を管理する必要性を有している。従って、仮にある農産物の生産性が他国とりも高いとしても、崩壊を最小に抑えて、農村経済に対する悲劇的な変化を抑制する手段を有していなければならない。
 
14.  原則として、農業雇用の増加は、短期的には生産増加によって達成できる、つまり、より多くの生産を上げるにはより多くの労働力が必要になると認識されている。しかし、長期的には、この傾向は生産性向上に取って代わられ、農業雇用を全体として不断に削減したいとする期待が生ずるようになる。特に開発国では農業雇用が低下する傾向にあるとはいえ、特殊なケースとして、農業セクターが失業に対するバッファーとなっている例外も存在する。一部の中部ヨーロッパの国では1990年代に急速な開発がなされ、農業従事人口の割合が明らかに増加した。これは、工業雇用の減少と対応しており、経済が市場原理に基づいた調整を受けて、人々が経済の安定を求めて農村地域に戻ったためである。しかし、こうした現象は極端な状況に対する一時的応答とみるべきである。
 
15.  一部の消費者は、労働集約技術を使って生産された食品を求めている。例えば、有機農業は、合成投入資材を使用せず、作物と牧草とを毎年輪作して行うが、より多くの人力労働を要するために雇用レベルを高める必要がある。有機農産物は一部の消費者からは慣行食品よりも魅力を持つとされており、小売業者も価格プレミアムを要求できる。
 
16.  外縁地域を含め、国土全体のバランスのとれた経済発展の確保に文化的重要性を置いている社会では、農業セクターの活力支援に特段の注意を払わなければならない。遠隔であることや困難な土地条件のような構造的不利を抱えた地域は、農業に代わる活動をほとんど有してなく、そうした地域の雇用を維持・増加させるには、農業セクターを中心に置かざるをえない。しかし、多様な農村経済が存在する農村地域では、どれが最も適切で永続性を有するかを評価して、雇用や農村開発のイニシアティブを決めなければならない。
 
17.  社会は、ある種の自然災害リスクを最小にしたり、農村の有する遺産の保全など、文化的サービスといった環境サービスをコミュニティに対して提供するように、自らの農業活動を管理すべきであると農業者に求めている。この点については、欧州委員会の「環境及び文化に関連した非貿易的関心事項」と題した別の文書で論議する。
 
18.  農業セクターの活力増進を図る政策では、投資、トレーニング、応用研究や適切技術の助長、さらには、土地制度改革や世代更新などの構造調整を管理する政策を行っている。農村開発イニシアティブでは、公的セクターと民間セクターとの適切なパートナーシップを含め、これらの全てを組み合わせて法律として提案しなければならない。
 
4.付随的産業とnon-farm活動
19.  農業セクターは生産活動を支え、サービスを行うために付随的産業を必要としている。これらの事業体の多くは農村地域に所在するわけではないが、雇用や経済発展の源となっている。
 
20.  外縁地域における健康ケアや教育などの基本的サービスの質は、経済活動のレベルや当該場所の人口の多さによって異なってくる。これらの程度は、特に農業に代わる雇用源のない地域では、農業セクターの相対的豊かさによって決められる。
 
21.  農場内または農村地域において消費者向け製品加工のような生産物に付加価値を加える活動を促進できれば、農業に基盤を置いた農村経済の安定性を高めることが可能となる。また、農業者も協同組合を介したり、農場の売店やマーケットによって消費者に直接販売できれば、経済的地位を自ら高めることができるようになる。
 
22.  農場の建物や農地は、農外収入を開発するために様々に利用できる農業者の資産といえる。経済的に開発された国では、農場訪問者に対して体験学習や農業ツアーを提供する教育イニシアティブなどがプロジェクトとして頻繁に行われている。
 
23.  特に通信ネットワークのようなインフラの向上は、農場や他の農村経済セクターの競争力を高める。インフラ整備への投資によって、農業依存のものではないが、農村に新しい企業を誘致するのが容易となる。
 
5.結論
24.  農業が鍵を握っている農村開発政策を追求する権利を各国が有していることを認識しなければならない。
 
25.  農村経済で農業が主要活動となっている世界中の国は、農業セクターの経済条件の急激な低下に伴う崩壊や社会的及び政治的な激変を回避させる裁量権を保持していなければならない。
 
26.  農業雇用が労働力市場でわずかな部分しか占めていない農村地域においては、収入源を多様化させる政策を含め、農村開発に対して加工を始め幅広いアプローチを行うことが必要である。
 
27.  外縁地域において農村地域の活力を維持し続けることは、農業セクターを維持する政策に大きく依存している。農業セクターに影響を与える農村開発政策は、貿易を歪めることを最小にして、構造変化を促すものとするという原則に従わなければならない。
 
28.  農業改革の文脈において、WTO規則は、各国が農村開発を促進し、社会的及び政治的安定性を確保できる柔軟性を十分持ったものとならなければならない。
 
 
食料安全保障と国内農業生産の役割
Food security and the role of domestic agricultural production
Presented by Japan and the Republic of Korea
 
要約と結論
1.  食料は、人間の生命と健康の維持に不可欠であるが故に、最も大切な生産物である。全ての者は食料を入手できなければならず、全ての政府は国民に十分な食料安全保障を確保する責任を有している。
 
2.  その多くは途上国だが、8億人を超える人々が現在栄養不良に陥っている。最も開発の遅れた途上国や食料不足国では外貨不足によって、第3世界における食料へのアクセスが妨害されている。
 
3.  生産量に占める貿易量のシェアの低さ、少数の国に支配された国際市場、在庫量レベルの低下など、多数の要因が存在するために、短期的な食料需給が不安定化しており、将来的には一層不安定化する恐れがある。
 
4.  世界人口の増加と食習慣の変化によって食料需要は増加しよう。他方、土地や水資源の制約、土壌劣化や砂漠化、様々な環境問題など、生産増加に対しては様々な制約要因が存在する。輸入国の消費者は食料供給の将来展望に強い不安を抱いているが、現在のWTO規則は輸出手段に対する適切な原則を欠いている。
 
5.  多様な国から輸入することによって、ある輸出国における不作に伴うリスクを減らすことができようが、輸送にかかわる輸入遮断のリスクが絶えずつきまとっている。国内生産は輸入に伴うこうしたリスクに対する保証として機能するが、それ自体も生産不安定というリスクを有している。備蓄は突然の食料不足に対して効果的な手段であるが、その効果は短期間に過ぎない。これらの3つの手段(輸入、国内生産、備蓄)を最適に組み合わせることが、最も低いコストで効果的に食料安全保障を確保するために不可欠である。
 
6.  各国にふさわしい最適な解決方法はその特殊状況故に異なり、市場メカニズムだけで解決できるものではない。最適な解決方策を見いだすには、リスク要素(供給の不確実性)に加えて、食料安全保障の外部効果や公益性をも十分考慮する必要がある。
 
7.  食料安全保障に対する国内生産の維持・強化のコスト効率を検討する際には、農業活動の持つその他の多面的機能(国土保全、水資源涵養、環境保全、社会・経済活力の強化、農村地域の開発、景観や伝統文化の保全など)も適切に考慮しなければならない。
 
8.  各国は、食料安全保障を確保するために、国内生産、輸入及び公的備蓄の最適組み合わせを図る権利を有している。望ましい国際的な枠組みとは、WTOでの首尾一貫した手段を適切に組み合わせて、各国がその特殊事情に基づいて独自の目標を追求できるものでなければならない。
 
9.  第20条に基づいて誓約されている改革プロセスの適用に際しては、持続可能な国内生産、安定化かつ予測可能化された国際市場へのアクセスや、食料輸入先の多様化を含め、全ての加盟国が食料安全保障を高められるように注意深く扱わなければならない。
 
10.  これと同時に途上国の問題やニーズを適切に考慮し、WTO交渉の成果に正しく反映させなければならない。
 
1.食料安全保障の定義と要素
1.1.世界食料サミットによる定義
11.  誰もが承知しているように、食料は人間の生命と健康の維持に不可欠であるため、最も重要な生産物である。誰もが食料にアクセスできねばならず、全ての政府は国民に十分な食料供給を確保する責任を有している。
 
12.  主要農産物(基本的食料)に対する需要は、経済用語でいえば、弾性を持たず、消費者は買える範囲内であるなら、ある量の食料をある程度は価格の如何にかかわりなく買うことになる。
 
13.  農業生産物の供給は、短期的には価格弾性を持たず、農業生産にはタイムラグが必要なため、生産は価格シグナルに直ぐには対応できない。これに加え、農業生産は自然条件や気候現象などの外的因子に依存するため、食料供給はかなりの程度変動する可能性を有している。
 
14.  基本的食料の場合、特に市場価格や農業者の所得が不安定となりやすい。食料安全保障では、農産物価格の激しい変動や食料供給の不確実性に対する不安が絶えず問題となっている。
 
15.  食料安全保障の重要性を認識し、FAOは持続可能な食料安全保障を確保するために、1996年にサミットを主催した。この世界食料サミットにおいて、国際協力を要請する行動計画が採択された。食料安全保障は行動計画において次のように定義されている。即ち、「全ての人が、活動的で健康な生活のために必要な食事ニーズや好みの食事を充たすのに十分な量の安全で栄養に富んだ食料にて、如何なるときにおいても、物理的かつ経済的にアクセスできるときに、食料安全保障が存在する」と定義している。
 
1.2.食料安全保障の要素
16.  食料の利用可能性: 上記の食料安全保障の定義に従えば、世界人口の増加や食習慣の変化に対応しつつ、十分な量の食料供給を持続可能な仕方で確保しなければならない。
 
17.  食料に対するアクセス可能性: 食料安全保障とは、食料に対して物理的並びに経済的にアクセスできるときにのみ達成できるものである。食料に対する物理的アクセスは、戦争、輸出の禁止/制限などの予期せぬ出来事によって影響を受けるのに対して、経済的アクセスは購買力の不足、つまり貧困のような因子によって妨げられる。食料に対する物理的アクセスに関する因子は途上国と開発国の双方でも起きるが、経済的アクセスを妨げる因子は特に途上国で深刻である。
 
18.  食料供給の安定性: 食料は妥当な価格で安定供給されなければならない。主要農産物は需要と供給の双方で価格弾性を有していないため、食料価格は不安定となりやすい。
 
19.  食料の安全性/品質と嗜好性: 食料安全保障に関する最後だが、最小ではない要素として、消費者の食事ニーズや嗜好性を満足できる安全で高い品質の食料を供給することがある。
 
2.1.食料に対するアクセスの欠如
20.  FAOの行った試算によると、現在、途上国の7億9000万人と開発国及び経済移行国の3400万人が栄養不足に陥っている。栄養不足の人々の4分の3は、アジア、太平洋地域及びサブサハラに住んでおり、これらの国々では栄養不良が深刻な一方、他の地域では豊かな生活が営まれている。世界全体の栄養不良人口は次の10年間に減少すると予想されているものの、サブサハラなどの地域ではなお増加すると予測されている。
 
21.  第3世界の開発の最も遅れた国や食料不足国では外貨不足のために、食料へのアクセスが妨げられている。こうした国々では、全輸入商品に占める輸入食料の比率が増加してきている。そして、自国内での農業生産システムを開発する財源も限られている、さらに、これらの国々に対する世界からの食料援助も最近では減少しており、1993年には1740万トンあった食料援助が1998年には800万トンに減少した。
 
2.2.食料需給の短期的不安定性
22.  一般に基本的食料の生産では、まず国内需要を満たした後で、余剰となった分だけを輸出するのが通常である。主要農産物では、国際市場への仕向量は国内での全生産量に比べてわずかに過ぎない。例えば、小麦では世界の全生産量の約18.5%が貿易されただけで、コメの場合は約4.5%に過ぎない。このことが、なぜ主要輸出国や大消費国での収量変動が国際価格に容易に影響するかの理由の一つとなっている。
 
23.  こうしたことはしばしば経験されており、1972年に主要農産物が急激に値上がりしたのは、その古典的な例である。この年、世界的な天候不順によって世界の農業生産が落ち込み、旧ソ連が世界市場から莫大な量の食料を買い付けたために、事態が一層悪化した。より最近の事例としては、アジア経済危機に際してインドネシアが多量の穀物を買い入れた例がある。財政危機は韓国の畜産セクターにも深刻な影響を与え、飼料用穀物価格の上昇と外貨不足のために、多くの畜産農家が破産した。
 
24.  農産物貿易には別の側面として、限られた数の輸出国が国際市場を支配していることがある(表1)。供給国が限定されているために、供給国で天候不順が生ずると、国際市場価格が大きく変動する。
 
表1 1998年における主要穀物輸出量に占める上位3か国/地域のシェア(重量ベース)
小麦  60.7 %
コメ 60.5 
大麦 71.1 
トウモロコシ 89.4 
大豆 89.7 
 
25.  さらに、主要輸出国における在庫レベルは将来的に減少し続けると指摘されている。短期的な食料不足リスクに対処するバッファーとなる在庫量が減少することは、国際農産物貿易における需給状況においてもう一つ変動要因を付け加えるものとなっている。
 
26.  また、主要農産物が少数の大規模多国籍「穀物メジャー」と輸出国の国家貿易企業(single desk sellers’)に牛耳られている現在の国際市場の状況は、価格と量の点で安定した食料供給を輸入国に保証するものとなっていない。
 
27.  上記で論議した要因を考慮すれば、短期的な食料供給の不安定性は高まるであろう。
 
2.3.食料需給の中・長期的動向
食料需要の増加
28.  世界人口は引き続き増加すると予想されている。国連の予測によると、世界人口は2025年に80億人、2050年に94億人に達するとされている。人口増加の大部分は途上国で生ずることに注意しておく必要がある。
 
29.  現在、途上国における人口1人当たりの肉消費量は開発国の30%に過ぎない。しかし、なかでも中国や一部の東アジアの国々など、多くの途上国では所得レベルの向上によって、肉類や乳製品に対する需要が高まり、飼料用穀物に対する需要が高まっていることが注目される。中国は古くから飼料用穀物の輸出国であったが、最近では大輸入国となっている。
 
生産増加に対する種々の制約
30.  世界の穀物生産はこの30年間に2倍となり、1961−63に9億2000万トンであったが、1992−94年に19億3000万トンとなった。しかし、同期間における穀物生産用の農地は、12億7000haから13億5000万haに6%増えたに過ぎない。人口増加によって、人口1人当たりの収穫面積は同期間において減少し続けている。穀物生産量の増加は、多収穫品種の導入、化学肥料使用量の増加、潅漑施設の改善など、ひとえに生産性の向上に起因している。しかし、生産性の伸びは最近ではそれほど顕著でなくなってきている(図2)。
 
 
31.  FAOは途上国の約18億haの土地が将来の潜在的農業利用可能地と試算している。しかし、同時にFAOは、この潜在的可能性を十分引き出せるかは下記の理由から全く不確実であると警告している。即ち、
・ 可能地は均等に分布してなく、主にサブサハラ及び南・中央アメリカに分布している。
・ 大部分は森林又は自然保護区であり、農業生産に利用できないであろう。
・ 3分の2は土壌や地形の点で問題を抱えている。
 
32.  特に持続可能な開発の観点から環境問題への関心が高まってきており、生産性を高めるための生産方法を選択する際には、このことを十分考慮する必要がある。
 
33.  生産向上を図る際にはその他にも、土壌劣化、過放牧や過度の森林伐採による砂漠化、水資源利用をめぐる他のセクターとの競合、地球温暖化やオゾン層破壊、酸性雨など、他の環境問題なども制約要因になる可能性がある。
 
34.  また、いったん放棄してしまうと、土壌劣化、潅漑排水システムの崩壊や特殊なノウハウの不可逆的喪失などによって、農業生産を短期間に戻すことが難しいことにも注意する必要がある。
 
35.  バイオテクノロジーの進展によって生産性が大幅に向上する可能性があるとの論議が一部にはあるものの、その展望はまだ不確実であり、上記の様々な制約要因が現代技術によって利益を得るのを妨げる可能性がある。
 
2.4.その他のクライシスシナリオの可能性
36.  食料の利用可能性を下げるいくつかの要因がその他にもある。戦争や紛争は地球規模及び地域規模で食料供給状況に大きく影響を与える。核事故の結果として、過度の放射性降下物が生ずる可能性もある。
 
37.  輸出国による輸出禁止や輸出制限などの措置は輸入国の食料安全保障を脅かすものである。その顕著な事例が1973年に大豆に対してなされた。
 
2.5.現在のWTO規則/原則
38.  現在のWTOの規則や原則は、全ての加盟国に対して、輸入関税及び関税割当に加え、予定に記したアクセス機会を守ることを求めている。そして、通常の通関義務(ガット1947年 XI: 2(c))以外の国境措置を禁止している(第4条:2)。
 
39.  しかし、食料輸出国は、自国内の市場状況次第で農産物を輸出したり止めたり自由に行えることになっている。輸出国は、予定に記すことが義務となっていない輸出関税を上げるのに加え、ある種の条件下では禁止されない輸出量の制限/禁止を行って、農産物輸出をコントロールできることになっている。
 
40.  輸出国による輸出制限や禁止に対して、農業協定は弱い原則しか規定していない(第12条)。即ち、輸出禁止又は制限を行なおうとする加盟国は、加盟輸入国の食料安全保障に対する影響を配慮し、要請があるときは、輸入国として実質的な利害関係を有する他の加盟国と協議するとなっている。
 
3.食料安全保障の確保方策と国内生産の持つ積極的な役割
3.1.食料安全保障の確保方策
41.  食料安全保障に関して、貿易自由化は国際市場価格を安定化させ、それが食料安全保障の達成に貢献するのだという意見がある。さらに自由貿易は、経済開発によって貿易益を生み出し、購買力を高めることによって食料安全保障を確実にするといわれている。
 
42.  しかし、食料輸入に大きく依存している国では、消費者は食料需給の将来展望を楽観視していないし、現在の国際農産物市場の状況に加えて、WTO規則や原則は、いわゆる「自由貿易」が当然の如く食料供給と価格の安定化をもたらすとの保証を与えていないことに強い関心を示している。しかも、戦争やその他の非常事態が生ずれば、食料に対して物理的及び経済的にアクセスするのが難しくなる。
 
43.  こうした論議に基づいて、1996年のFAOの行動計画では、「伝統的作物やその産物を含め、農業生産を増加させ、これと食料輸入、備蓄並びに国際貿易とを効率的に組み合わせることが、食料安全保障を強化し、地域間格差に対処するものとなる」と記された。
 
44.  そして、今年(2000年)5月のCSD8で参加国は、その報告書において、「全ての政府は、個別及び総括的な約束を速やかに再確認しつつ、国内食料生産の開発を図り、国内生産と輸入や必要な場合には食料備蓄とを組み合わせて食料安全保障の達成を図るとともに、世界食料サミットで合意された2015年までに栄養不良人口の数を半減させるとの目標の重要性を再確認する」ことが了解された。
 
45.  政府の行う食料安全保障確保方策は、国内生産、輸入及び公的備蓄である。輸入国の多様化はある輸出国における不作のリスクを減らすのに役立つものの、輸送に関しては輸入遮断のリスクが常に存在する。国内生産は輸入に伴うこうしたリスクに対する保証となるが、国内生産自体が生産不安定となるリスクも存在する。備蓄は突然の食料不足に対して効果的な方策ではあるが、その効果は短期間でしかない。これら3つの方策の組み合わせを最適化させることが、最も低いコストで効果的な食料安全保障を確保するのに不可欠である。
 
46.  最適解は各国の特殊な状況によって異なり、市場メカニズムだけで最適解が得られるものではない。最適解を見いだすためには、リスク要素(供給の不確実性)に加えて、食料安全保障の持つ外部経済効果や公益性の側面も十分考慮しなければならない(ボックス参照)。
 
ボックス:食料安全保障の概念図
 
 
 上記の図は、特にそのために要するコストと関連させて、食料安全保障の概念を図化したものである。図の横軸は食料自給レベルを示し、縦軸は食料安全保障確保に要するコストを示す。

DD’: 基本食料の国内生産に要した機会コストで、国内生産量に国内生産と輸入の価格差を乗じた値である。ただし、輸入量を増やしても国際市場価格は影響を受けないと仮定し、かつ、農業生産は国内であっても外国であっても同様に不安定であるとの前提の下に、リスク分散のメリットを無視して機会コストを計算してある(食料輸入に伴うリスクやコストも考慮していない。これらは下記に説明するRR’で扱う)。自給率が高まると、生産に不適な土地を含め、生産のためにより多くの資源を使わなければならないため、コストが急激に高まる。農業生産と同時に生み出される食料安全保障以外のネットのプラスの外部経済を考慮すれば、DD’はMM’に下がることになる。

RR’: 自給率が下がると、輸入遮断/中断による食料安全保障に対するリスクが急速に高まる。リスクを回避して食料安全保障を確保するために消費者/納税者の支払うコスト(保険料)は、このリスクカーブに対応するとみなすことができる。国際市場が不安定となり、輸入国の消費者がリスクを嫌うほど、RR’は上方に移動してR1R1’となる。

TT’: 食料安全保障確保に要する全コスト(国内生産に要する機会コストと輸入にかかわるリスク回避コスト;DD’+RR’)。
・ 食料安全保障は、TT’が最低レベルとなるSS*のときに、最低コストで達成できる。このポイントよりも自給率が高いか低いと、食料安全保障のコストは高くなる。
・ 次に指摘するように、食料安全保障コストを検討する際には、国内農業活動が同時に提供する他のプラスの外部経済も考慮しなければならない。このことは、国内生産の機会コスト曲線は、DD’よりも低いMM’であって(プラスの外部経済がマイナスの外部経済よりも大きいとして)、食料安全保障の全コストは2つの曲線の差の分だけ低いことを意味する。また、食料自給率の最適レベルもSS*から移動することになる。
・ もしも国民のリスク回避指向がより高いとすると、RR’はR1R1’に移動し、食料安全保障コストが増加することになる。この場合も、食料安全保障の最適レベルはSS*からずれることになる。
・ 上記のいろいろな曲線の特性や、それらが食料安全保障の最適レベルにどのように影響するかは、各国の条件や消費者/納税者のリスク嫌いの程度に依存する経験的性格のものである。
 
3.3.国内生産の持つプラスの役割
47.  農地の拡大は限られていると展望されている事実を考慮すると、それぞれの国で国内農業資源を持続可能な形で利用することが、食料安全保障確保にとって大切である。国内農業生産(実際の生産と潜在生産)の維持は、不測的事態における食料供給不足に対する国民の不安を和らげる。国内生産は、輸入遮断や輸出国における不作などにのリスクに対する保険の役割を果たしている。輸入と備蓄をも適切に組み合わせて、あるレベルの国内生産や持続可能な方法による潜在力を維持することは重要である。この文脈において、経済的には魅力がなくても環境面で安全な場所こそを農業生産のために引き続き使用すべきであろう。
 
48.  国内農業生産は食料安全保障に貢献するだけでなく、なかでも国土保全、水資源涵養、環境保護、社会経済的活力の強化、農村地域の開発、景観や伝統文化の保全など、他の多面的機能にも貢献している。特に農業に従事している労働力割合の高い途上国では、農業活動は、農村開発や雇用に加え、都市地域への人口集中を回避する点でも重要である。
 
49.  国内農業生産は農業の持つこうした多面的役割に関係しており、食料安全保障のための国内生産の維持/強化のコスト効率を吟味する際には、国内農業活動の果たしている他の貢献も適切に考慮しなければならない。
 
4.食料安全保障確保のために望ましい国際的枠組み
4.1.各国の状況に応じた対応の必要性
50.  前節に述べたように、それぞれの国は食料安全保障を確保するために、国内生産、輸入及び公的備蓄の最適組み合わせを行う権利を有している。望ましい国際的枠組みとは、それぞれの国がその特殊事情に応じて独自の目標を追求できるものでなければならない。
 
51.  開発国の場合、農産物の安定かつ多様な輸入を確保することに加えて、危機の場合に備えて生産のインフラを維持し、あるレベルの国内生産を保持することが、食料安全保障確保の上で必須である。公的備蓄や輸入政策手段も必要だが、短期的救済の効果しか有していない。
 
52.  途上国の場合、上記の点に加えて、持続可能な仕方で国内食料生産の向上を図るとともに、国民の購買力を高めることが不可欠である。食料輸出を行っている途上国の多くは、同時に基本的食料の輸入国であり、輸出品目が少数の農産物に集中していることが多いことにも注意しなければならない。
 
4.2.WTO農業交渉との関係
53.  上述した様々な状況を踏まえ、WTOの全ての加盟国に適用できるパナケイア(医神)の処方箋によっては食料安全保障を達成できないことを認識しなければならない。換言すれば、各国の特殊事情を考慮しつつ、国内農業支持、国境措置、輸出制限/禁止に対するより厳しい原則など、WTOで合意を得た方策と、食料不足国への適切なレベルの食料援助とを適切に組み合わせてのみ、食料安全保障を確保できるのである。
 
54.  WTO農業交渉は、全ての加盟国の合意した農業協定第20条に基づいて、本年(2000年)に開始された。この改革プロセスの枠組みの中で、全ての加盟国がその異なった背景の下に、それぞれの食料安全保障目標を達成するために政策手段を最も適切な形で組み合わせて実施できるよう、十分柔軟性を持った一連の規則を確立できるように努力しなければならない。改革は、持続可能な国内生産の確保、安定かつ予測可能な国際市場へのアクセス、食料輸入源の多様化を含め、全ての国の食料安全保障を向上できるように注意深く調整しなければならない。この文脈において、改革には下記を入れなければならない。
・ 適切な国内生産支持方策と国境方策とを上手に組み合わせて、あるレベルの国内生産と潜在生産力を維持できる柔軟性を入れること
・ 輸入国(特に純食料輸入国)と輸出国の利害をバランスのとれた形で反映させること
 
4.3.途上国の考慮
55.  これと同時に、途上国の問題やニーズを交渉の中で十分考慮し、交渉結果に適切に反映させなければならない。中でも下記が大切である。
・ その輸出への関心を十分考慮し、特に開発の最も遅れた途上国など、途上国が国際市場やWTOシステムに参加できるように支援すること
・ 国内農業生産の向上に対してマイナスインパクトを与えることを避けつつ、必要としている国(特に食料不足国)に対して適切な食料援助を行うこと
・ 途上国の国内食料生産向上に必要な十分な援助及び能力形成を行うこと
 
 
環境及び文化的な非貿易的関心事項に対する農業の貢献
Agriculture's contribution to environmentally and culturally related non-trade concerns
Presented by the European Commission
 
要約
1.  農業による環境及び文化的な便益の提供を確保するには、農業者がこれらの公益的サービスを提供するように、ターゲットを絞った特別の政策を国が実施する必要がある。
 
2.  農業と自然環境の保全とは、共進化を介して密接に結びついている過程である。農業は世界的に多くの国において第1位の土地利用者であり、景観や生物多様性は農業の発展とともに進化してきたものである。
 
3.  価値の高い景観の維持、生物多様性の保全や歴史的特色物の保護を行うことによって、今日の農業システムを環境価値を高めるものとすることができる。農業はある種の自然災害から国民を守る役割も果たしている。こうした環境サービスの提供が市場メカニズムだけで確保されるとは考えられない。
 
4.  主に技術開発や市場開放によって農業に対する圧力が生じ、それによって農業者は自らの生業を維持増進するために農業行為を変更させられてきている。高収益地域における集約化、専作化や集中化と、不利地域における限界化と耕作放棄とは共通した傾向を有している。これらによって環境及び文化的な公益性の提供が多分に低下し始めてきている。
 
5.  農業者に対して公益提供の確保を図るためには、慣行行為を超える行為を採用するための助長を含め、一連の政策手段を考慮しなければならない。貿易を最低限しか歪曲させないそうした政策を国が行えるべく、WTO規則に十分な柔軟性を持たせるべきである。
 
1.緒言
6.  本文書では下記の貿易的関心事項を扱う。
・ 生物多様性の保全:多数の動植物の種や個体の保全
・ 農業景観の維持:農業化された生息地や半自然生息地、テラスのような景観特性を含む
・ 文化的特色物の保全:農地内の遺跡や文化的意義を有する土地利用の保全を含む
・ 災害からの保護:洪水、野火、雪崩、風雨による甚大な侵食など、自然災害及び人災の両者を含む
 
7.  これら非貿易的関心事項の有する意義は、社会がこれらにどのような価値を置いているかによって異なる。その価値はある程度は明確で一般的に受け入れられている閾値を反映したものとなっている。しかし、同時に歴史や文化の関数ともなっている。従って、外部の者には何ら意味を持っていないと思われる野生の植物種が引き続き存在することに非常に高い価値を置く社会があるし、別の社会からはとても同じように価値を認められない文化的特色物を重視する社会も存在する。しかし、全ての非貿易的関心事項について、達成すべき目標を法的に明確にし、概念を乱用しないように留意する必要がある。
 
8.  ある国または地域の農業セクターが社会の抱いている非貿易的関心事項をどの程度満たせるかは、技術開発、農業構造、利用できる資本、土地、労働力などの生産要素、市場シグナル、競争的環境、政府の政策など、様々な要因によって異なってくる。環境便益などの公益の場合、望ましい成果を上げるのに必要なターゲットを合わせた支援が、技術や市場のメッセージから得られるとは考えにくく、政策面での負担が増えることになる。
 
2.農業の遺産
9.  世界的にみて、ごく一部の人のろくに住んでいない部分を除くと、農村景観の大部分は農業による形成作用を明らかに受けている。農業が発展することによって食料供給が高まり、文明の発展が可能となり、農業は主要な土地利用者となった。世界的にみて、アフリカ、アジアやヨーロッパに限ることではないが、現在の景観は、過去の農業遺産の形態や構成を引き継いでいる。この遺産は、圃場の配置や大きさ、草地の規模やタイプ、存在する景観特性のタイプ、テラスの利用、輪作体系、定住パターンなどで、様々な形となって現れている。また、農業社会は農業景観と一体となっている文化的特徴を残している。
 
10.  農村地域の生態学的安定性も過去の農業によって形作られており、様々な野生動植物種の進化に影響を与えてきている。だが、生物多様性の発達に果たした農業のプラスの影響は、比較的最近になってやっと理解され始めたばかりである。ヨーロッパでは、過去数千年にわたって、地中海からツンドラ地帯にまたがる原始林を徐々に伐採したことが主要プロセスであり、これに伴って動植物の種や個体の数で表した生物多様性が減少したと考えられてきた。しかし、ヨーロッパの動植物相のかなりの部分は、オープン景観に適応しており、未破壊の森林では進化したり生き残ったりはできなかったのであり、こうした見方は再検討しなければならなくなっている。つまり、景観は、林地、湿地、農業の発達で生じた広大なオープンな地域などを含め、たえずその多様性を豊かにしてきたのである。
 
11.  あるコメンテーターはこうしたプロセスを次のように述べている。即ち、「人間は生態系の一部であり、一般に理解されているように、生態系を開発する機会をうかがっている補食者的傍観者として生態系の外にいるのではない。人間は、生態系とともに発展し、気候変動、野生草食動物による摂食、落雷、極度の干ばつや洪水など、生態系の変化を引き起こし生物多様性を制約してきた諸要因と同様に、生態系の発展に影響を与えてきたのである。」と述べている。農村環境とそれを形成してきた農業システムとのこうした関係は、世界的に農村地域に共通しており、農業が古い歴史を有する地域では特に明白である。
 
12.  しかし、農業景観や生物多様性を形成してきた農業プロセスは、意図的又は意識的に後世の社会のために文化的価値を作り出すために行われてきたのではない。農業生産力を制約している技術課題を克服しようとする農業の努力、なかでも水や養分の利用に関連した努力が、環境に対するインパクトを生じ、意図しない結果をもたらしたのである。
 
13.  の供給をコントロールしたいとするニーズは、世界的に農業発展の中心的課題である。アジアの高地地帯では、肥沃な山岳地帯の農業者によって、水を収集して流出をコントロールするとともに、耕地化した傾斜地に降った豪雨による土壌侵食に伴う災害を防止するために、広大なテラスシステムが開発された。テラス化は副次効果として、そうしてなければ生ずる表面流去水の高レベルのピーク流出によって起きる洪水から下流域の土地を守る効果も有していた。低地地帯では、周期的な洪水に対処し、それから利益を得ることを意図して、氾濫原が農業者によって作られ維持され、共通する特徴的景観となっている。より一般的にいえば、水の利用可能性に加え、その他のニーズや農業生産力が、大陸ごとに定住パターンや景観特徴を規定してきているのである。
 
14.  養分投入量を増加させることは、農業者に共通したもう一つの課題であったし、最近では同じニーズから水源の汚染問題を起こしている。水管理と同様、土壌肥沃度を向上させようとする農業者の努力もたえず景観や生物多様性にインパクトを与えてきた。中部ヨーロッパでは約1000年前に農業が最大の土地利用者となって、急速に増え始めた人口を支えてきた。世界のどこででも同じだが、養分が生産力拡大の基盤的制限要因であったため、農業者は養分利用を向上させる方法を苦労して作り出してきた。ヒースや林地地帯での放牧システム、耕地・採草地域・休閑地の交互利用など、養分やエネルギーを増やす高度な方法が地方ごとに作られ、地方ごとに特徴的な景観をもたらしている。
 
15.  水の供給や養分の投入の克服に加え、病気発生リスクの低減、野火、干ばつ、風食、その他の自然災害からの防御、難しい地形の開発など、様々な問題に対処する技術を農業者は工夫してきた。こうして農業者は、土地を管理し、様々な環境に適した家畜や作物の品種を作り、農村地域の景観や文化的遺産にインパクトを与えてきた。世界の多くの部分で、こうしたプロセスによって、農業種と野生種双方の生物多様性が高まり、半自然生息地が創出され、今日の農業景観が作られた。
 
16.  しかし、農業課題を克服しようとする当初に行われた技術的努力は、後に社会によって価値を認められる文化的景観を向上させたものの、特に最近100年になされた技術進歩は有害インパクトを与えた。極端な場合、不適切な農業方法によって、土壌自体が風食や水食で失われた。技術の向上、使える資本の増加、競争的な市場によって、複合農業とそれがもたらした景観や動植物に代わって、モノカルチャー的システムが行われるようになった。特に深刻かつ普遍的な問題は、別の場所での生産効率の向上によって、ある農業システムの限界化(marginalisation)が生じていることである。このため、(経済的)途上国のにおける穀物や畜産物生産は、労働コストやローカル市場への近さの点で、途上国の農業者の方がかなり有利であるにもかかわらず、先進国での生産に比べて生産効率が低くなっている。経済開発国の国内においてすら、山岳地域や乾燥地域のような限界地帯では、景観や生物多様性の保全に農業システムが不可欠なのだが、その継続が同じ様な理由によって脅威にさらされている。
 
3.農業のもたらしている環境及び文化的所産
17.  農業システムは今日でも農村環境に引き続き影響を与えている。農業は、非貿易的関心事項の維持・向上につながるプラスのインパクトと、水源の汚染や景観特性の破壊などのマイナスインパクトとの双方を与えている。主たる関心領域は、生物多様性、農業景観、歴史的特色及び自然災害である。
 
3.1 生物多様性
18.  北ヨーロッパでの研究によると、自然に存在している維管束植物の大部分は農業の作ったオープン景観に依存している。仮に農業が停止されてしまうと、オープンな土地に直ちに藪が侵入し、森林化が進んで、種の多様性が失われてしまう。しかし、植物の多様性の依拠している農業システムは、低投入で、家畜生産量の少ない管理であって、かつ、年間のある期間は放牧し、冬期間は比較的効率の低い飼料作物で飼養する方式のものである。高レベルの養分投入を要する高インプット・高アウトプットの集約的生産システムでは、これまでのシステムの維持してきた放牧地の生物多様性を保全できないであろう。経済効率の点でいえば、効率とは、コスト及び収益にかかわる因子、特に農場の負債と資本のレベルに依存するのであり、低インプット・低アウトプットのシステムが内在的に集約システムよりも低効率と限らないことに注意する必要がある。
 
19.  同様な結果がヨーロッパの農地性鳥類に関する結果からも得られている。ある鳥の種の場合、そのライフサイクルは特定の昆虫の供給に依存し、その虫は粗放的管理の行われている牛放牧地でのみ繁殖する。農業が別の飼養方法を採用したり、例えば、牛にある種の医薬品を用いたりすると、昆虫は生き残れなくなり、ひいては鳥の餌供給が減ることになってしまう。
 
20.  こうした生物多様性の事例にどれだけの価値を付けるかは、社会の文化的判定問題である。しかし、世界的にも共通価値が存在することは、諸条約やその他の手段で規定された国際基準や目標からも明白である。
 
21.  生物多様性保全を図る農業システムを管理するために、農業者はコストのかかる活動を収益性の高い作業よりも優先させることが必要になる。多くの場合、こうしたことを行えば、投入物の使用量、従って食料や繊維の生産量が減るために、生産性が低下する。従って、保全活動は生産とリンクしているとはいえ、アウトプットは、そうでない場合に行われる農業システムでのレベルに比べて低くなる。
 
3.2.農業景観
22.  そのライフサイクルのかなりの部分にわたって、水稲はゆっくり移動する水の中で栽培する必要があり、平坦な圃場を必要とする。このため、例えば日本のように、丘陵及び山岳地帯では、必然的に棚田景観が創出されることになる。水稲は世界のどこででもより安いコストで栽培できようが、棚田での生産を止めれば、その維持修復がなされず、崩壊にもつながることになる。これによって景観が損なわれるのに加えて、棚田の下流に位置する集落の洪水リスクが高まることになる。
 
23.  複合農業景観は、輪作や作物・家畜の多様性の持つ肥沃度に対する効果を活用するために創出され、世界的に農村地域の特色となっている。しかし、技術の発達によって、景観を犠牲にしつつ、農業者は生産性を高めて生産量を増やせるようになった。一部の国では複合農業を止めたために、土壌が痩せ、土壌構造が破壊されて、土壌侵食が生じた。
 
24.  ある種の乾燥地帯では、農業景観を保全し、砂漠になって失われるのを防止する特別の役割を農業が負っている。このため、土壌を農業可能状態に維持し、大災害的な土壌侵食のリスクをもたらす活動を回避する特殊な管理技術を遵守する義務が、農業者に課せられている。
 
25.  生物多様性と同様に、ある種のタイプの景観は国際レベルで文化的価値を有することが認められており、従って、その保全を良しとする仮定が作られつつある。しかし、景観価値は社会の判定に依存しており、価値ある景観を特定する明確な基準を政府が設定する必要がある。特定の農業景観を保全するには、特殊な維持活動を行ったり、放棄する代わりに非経済的な農業行為を継続したり、農業者にコスト負担を課すことになる。
 
3.3.歴史的特色物
26.  農地の歴史的特色物としては、農地土壌に埋もれた又は圃場の縁にある考古学的遺跡、圃場パターン、残存している古い森などがある。特色物の中には、ヨーロッパや北アメリカの景観の多くを特徴付けている100年の古さを持つ圃場や農場の納屋など、比較的最近になって社会によって価値の認められたものもある。
 
27.  歴史的特色物を農業利用したり又はその農業利用を止めたり破壊したりして、農業効率を上げることが行われ、こうした歴史的要素に対して脅威を与えている。これらを保全するためには、農業者がある種の行為(深耕、植林、圃場境界の撤去など)を行うのを避け、非経済的で、維持に多大な作業を要して、コスト負担をかけることになっても、農業利用を続けられるようにすることが必要である。
 
28.  他の環境上及び文化的関心事項と同様に、社会が歴史的特色物にどのような価値を置いているかで、その保全の必要度合が決まってくる。
 
3.4.自然災害
29.  半自然景観では、自然災害のインパクトは農業活動の影響を多分に受けているといえる。低地地帯の洪水を防止する棚田や農地の砂漠化を防止する農業などは、その好例である。ヨーロッパでは作物生産用の段々畑を放棄すると、丘陵の中腹全体が失われることが示されている。
 
30.  農業方法は、その他いろいろなタイプの自然災害の防止にかかわっている。乾燥地帯では、やぶの形成など過度のバイオマスが生成されると、野火の危険が高まる。適切な農業が実践されていれば、やぶは家畜に食べられ、自然災害から農村地域を守ることができる。山岳地帯では家畜による草の摂食や採草によって、雪崩のリスクも軽減される。長い草の上に雪が積もると、雪崩の危険が大幅に高まる。
 
31.  しかし、農業が自然災害を惹起している側面もある。例えば、不適切な耕起や土地利用によって、災害的規模に達するまでの風や水による土壌侵食が起きることもある。こうした場合、社会は農業者が通常の農業行為としてある種の技術を採用することを期待するようになる。しかし、災害リスクを軽減するという公益を確保するために、農業者に特別な努力を上乗せすることを社会が要求した場合、市場で補償されないかなりの追加コストを農業者に強いることになりかねない。
 
3.5.両立生産
32.  上記の例に示すように、ある種の環境及び文化的な非貿易的関心事項は、ある農業活動によってのみしか満たすことができない。貿易に対する想定される歪曲を最小限にするためには、こうした活動で生じた生産物は廃棄し、如何なる市場にも乗せるべきでないとの意見も出されている。こうした意見はコストや廃棄物の点での非効率性から容認できるものではないが、市場に流通させる農産物生産と環境又は文化的なサービスとの両者を生産することを、歪曲的な経済的補助を隠すのに使用すべきでない。従って、社会が法律に則った環境又は文化的な目的を達成しようとする際に、農業者に公益を提供する努力を払うことを要求するのであれば、政府は農業者に対して、農業者の市場への農産物販売による所得を十分考慮に入れつつ、追加コストと失われた所得だけを補償すべきである。
 
4.非貿易的関心事項を危うくする農業に対する圧力
33.  農業行為に影響を与える様々な要因の中で、最も激しく変化する要因は利用できる技術の発展である。新しい投入資材、機械、作物や家畜の品種に加え、農産物の加工、貯蔵、ハンドリングの能率向上などを採用することによって、農業者は生産性を高めて、コストを削減できるようになる。市場状況を和らげる政策手段がないと、農業者は新しい技術を採用するか否かを考える際に、狭い経済的関心だけに目を奪われてしまう。慈善的な一部の人を除けば、公益の提供を同様に考慮する農業者は存在しえないのである。
 
34.  価格に対する圧力のために、農業者はコストを削減するか、収量を高めるかのいずれか、又は両者を追求することになる。このプロセスに対して公的政策で何らのチェックも加えないと、農業者は収量や産出額を増やすためにあらゆる手段を採用しようとする。この結果、農業者は、例えば、圃場区画を拡大するために景観特性を破壊し、投入資材の使用量を増やし、養分に弱い野生植物に大きなマイナスインパクトを与えたり、汚染リスクを高めたりすることになる。さらに多くの農業者は競争と技術のベルトコンベヤーに乗っているようなもので、ある地域の一人の農業者がある新しい技術を使って利益を得たとすると、自分らの競争力を維持するために、全ての農業者が後追いをすることになる。
 
35.  農業における大方の非貿易的関心事項を無視した狭い経済的視野だと、世界中、特に先進国では、農業において4つの傾向が生ずることが確認されている。
・ 集中化(concentration):同じ農産物を生産する農業者がある地域に集中すれば、例えば供給コストを引き下げて経済的なスケールメリットが高まる。
・ 専作化(specialization):複合農業が減少し、専門農場や単作農場が増える。
・ 集約化(intensification):投入資材の使用量や作業コストが高まり、コスト増をカバーするために収量向上が必要になる。
・ 限界化(marginalisation):構造的条件不利を負った農地の利用低下やある場所では放棄が生ずる。
 
36.  こうした傾向はいずれも、非貿易的関心事項に適切に対応しようとする要件に不利に作用し、価値の高い景観は失われ、生物多様性は危機に瀕し、水源の汚染が増え、生産方法は公衆の期待するものから離れてゆくことになる。
 
5.結論
37.  非貿易的関心事項の提供の確保を図る政策の立案に際して、政府は公益確保の政策目標を明確にしなければならない。このためには、政策は、そのターゲットを絞り、明確な目標を持ち、透明な仕方で管理され、貿易を最小にしか歪曲しない形で実施されるものであることが必要である。
 
38.  両立生産の場合、農業生産とそれに伴って生産される環境又はその他の公益とは相互に関連している。
 
39.  社会の抱いている環境及び文化的な非貿易的関心事項を満たすために、下記を含め、広範囲の政策手段を考慮しなければならない。
・ 奨励活動:普及サービス、広報、大衆キャンペーン(非政府機構主導を含む)
・ 義務的規制:必要な場合、禁止すべき農業関連活動を対象にしたもの。規制は汚染防止には適切な選択肢となりうる。
・ 自主参加プログラム:環境サービスなどの公益提供を農業者に求めるもの。公益提供について市場を創出することによって、農業者は、自らの経済決定に際して、作物や家畜生産に対して市場から出された商業圧力と同程度に環境や文化的要素を考慮することが可能になる。
 
40.  当該地域が農業者に対して優良農業行為又は通常の農業行為を超えるほどの非貿易的関心事項を社会に対して提供することを求める場合は、政府はそれによって生ずるコストや所得損失に補償を行うようにすべきである。
 
41.  WTO規則に基づいた改革プロセスであるからには、法的に定められた環境及び文化的な非貿易的関心事項を満たす政策を、政府が実施できるようにしなければならない。
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