社会における科学の役割は、過去20年間に大きく変化した。温暖化ガスの排出抑制、環境と調和する農業の振興などの例を挙げるまでもなく、種々の政策を立案することにおいて科学的知見は不可欠な要素となった。他方、科学技術は急速な革新と発展を遂げ、生活の隅々にまで浸透するようになるとともに、人々は技術のリスクや「未知のリスク」も含めた科学の不確実性に気づくようになった。こうした背景のもとに、ICSU (International Council for Science)に代表される科学者コミュニティーは、科学技術と社会との関係を問い直す作業に取り組んだ(Science and Society:Rights and Responsibilities−a Strategic Review, ICSU, 2005)。
科学には、知識を深める科学(科学のための科学)と、社会が直面する課題を理解し解決策を提示する科学(政策のための科学)の2つがある。20世紀の科学は前者の科学において大きな発展を見たが、21世紀の今日、前者のみならず後者の科学の発展が望まれる状況にあり、科学者の社会に対する責務としてこの両者に寄与することが強く求められている。英国サセックス大学のギボンズらが提示する「知識の創造」概念は2つの「モード」を要素に持つ。すなわち、ディシィプリンを基礎とした少数の権威的拠点が蛸壺的専門主義に基づいて知識生産を行うと同時に、当該ディシィプリンの知識体系に如何に寄与したかという観点からその生産物が同僚によって評価される「モード1」と、多数のディシィプリンからの分野横断的な参画と社会的に分散した複数の拠点で行われる知識生産で、評価基準も如何に問題解決に寄与したかで測られる「モード2」である(藤垣裕子編「科学技術社会論の技法」、東京大学出版会、2005年)。知識の創造においては、「モード2」のみで知識生産のすべてが可能となるわけではなく、「モード1」の存在が必要不可欠である。農業生産の対象となる生物の生育環境の保全および改善に関する技術の向上に寄与することを目的とする私たちの研究所においても、科学者の社会に対する責務は他者と異なるものではなく、ギボンズらのいう「モード1」と「モード2」の営みは必須である。
周知のように私たちの研究所は、第一期中期計画において、1)農業生態系の持つ自然循環機能に基づいた食料と環境の安全性の確保、2)地球規模での環境変化と農業生態系との相互作用の解明、3)生態学・環境科学研究に関わる基礎的・基盤的研究、に関する研究を重点に掲げている。平成17年度は第一期中期計画の最終年度に当たるが、これまで毎年度、本書同様、成果情報を刊行してきた。したがって、本書は、過去5年間の研究成果をまとめるのではなく、平成17年度に実施した研究の中から主要な成果を、学術の成果と技術の成果に分けて選定し、まとめたものである。本書の刊行が、「離見の見」をわれわれ自身に与える機会として、また読者諸賢からの忌憚のない批判を得る機会となり、それらを通じて研究の更なる深化が図られるとともに、本書が皆様にとって有意義な情報になることを願っている。
平成18年3月
独立行政法人 農業環境技術研究所
理事長 佐藤 洋平