イオンビームを利用した低カドミウムコシヒカリの開発
ポイント
- ・ コシヒカリの種子にイオンビームを照射することで、カドミウムをほとんど吸収・蓄積しない突然変異体を開発しました。
- ・ この変異体を栽培することで、米におけるカドミウム濃度は 97 %以上削減されます。
- ・ この変異体の生育や収量、食味はコシヒカリと同等です。
- ・ 本変異体が持つ低カドミウム遺伝子を他のイネ品種に導入し、新たな低カドミウム品種を作ることも可能です。
概要
- 1.独立行政法人農業環境技術研究所は、東京大学、独立行政法人日本原子力研究開発機構と共同で、わが国の基幹イネ品種であるコシヒカリの種子にイオンビーム *1 を照射することで、カドミウム(Cd)をほとんど蓄積しない突然変異体 *2 (以下、低 Cd コシヒカリという)を開発しました。
- 2.低 Cd コシヒカリの米における Cd 濃度は、Cd 濃度の高い土壌で栽培しても、食品衛生法の基準値(0.4 mg/kg)を大幅に下回り、従来から広く流通しているコシヒカリに比べて 3 %以下になります。
- 3.低 Cd コシヒカリの収量や食味、その他の農業生産上重要な形質 (出穂時期、全長、稈長、穂数等の生育全般) は従来のコシヒカリとほぼ同等です。
- 4.コシヒカリ突然変異体が持つ低 Cd 遺伝子を簡単に検出できる DNA マーカー *3 を開発しました。このマーカーは、通常の交配育種によって他のイネ品種に低 Cd 遺伝子を導入する際に活用できます。
研究(開発)の社会的背景
食品などを通じて一定の量を超える Cd を長年にわたり摂取し続けると、人体に有害な影響を引き起こすことが懸念されます。特に日本人が食品全体から摂取する Cd の約 40 %は米に由来するため、米における Cd 濃度を低減することは重要です。
2011年 2月、米に含まれる Cd の食品衛生法に基づく基準値は、「 1.0 mg/kg 未満(玄米)」から「 0.4 mg/kg 以下(玄米・精米)」に改正されました。
また、わが国では農地土壌中の Cd 濃度が高い地域が今も存在します。従来も米における Cd 濃度を低減するための様々な取り組み (*) が行われてきましたが、低 Cd イネを作出できれば、Cd 汚染地域における土壌を含むどのような条件下においても、特別な措置を施すことなく、安全な米を作ることができます。
*:土壌を入れ替える客土法や、湛水管理やアルカリ資材施用等の Cd 吸収抑制対策が実施されています。また、農環研では、塩化鉄による土壌洗浄法、高吸収イネを用いた土壌のファイトレメディエーション技術を開発しました (平成 23 年度主要研究成果)。
研究の内容・意義
- 1) (独)日本原子力研究開発機構高崎量子応用研究所のイオン照射研究施設(TIARA)のサイクロトロンで加速した炭素イオンを従来から広く流通しているコシヒカリ種子に照射し、変異を与えました。その第2世代(M2)の変異体(約 3,000 個体)を Cd 汚染土壌で栽培したところ、米における Cd 濃度が著しく低いコシヒカリ突然変異体(低 Cd コシヒカリ)を見つけ、各変異体を lcd-kmt1 と lcd-kmt2(lcd-kmtは low cadmium-koshihikarimutant の略)と命名しました。
- 2) 土壌中の Cd 濃度が異なる3カ所の農地 (土壌中の Cd 濃度、A: 1.4 mg/kg、 B: 1.2mg/kg、 C: 0.35 mg/kg) において、Cd が吸収されやすい早期落水条件で栽培しても、低 Cd コシヒカリである lcd-kmt1 と lcd-kmt2 の玄米における Cd 濃度は基準値を有意に下回ります (コシヒカリの 3%以下)(図1a)。稲わらにおける Cd 濃度も有意に低減されます (図1b)。
- 3) 低 Cd コシヒカリの圃場での生育 (図2a と 2b) や 1 株の草姿 (図2c と 2d)、籾や玄米の外観品質 (図2e) 等、見た目の形質は従来のコシヒカリと同等です。出穂期、稈長、穂長、穂数、玄米収量、千粒重等の農業生産上重要な形質もコシヒカリと大きな違いがありません(表1)。 20 名のパネラーによる食味官能検定試験(日本穀物検定協会で実施)でも従来のコシヒカリとの有意な差はありませんでした(表2)。
- 4) 低 Cd コシヒカリは、重金属トランスポーター *4 遺伝子であるOsNRAMP5 *5 の塩基配列に変異が挿入されたため、根の Cd 吸収が少なくなりました。lcd-kmt1 と lcd-kmt2 では同じ遺伝子に異なる変異が挿入されていました。変異が挿入された塩基配列部分を基に、lcd-kmt1 または lcd-kmt2 が持つ低 Cd 遺伝子を各々検出できる DNA マーカーを開発しました (図3)。DNA マーカーは、低 Cd 性を示す変異遺伝子を通常の交配育種によって、他のイネ品種への導入の判定に活用できます。これにより、新たな低 Cd 品種の開発も可能になります。
活用実績・今後の予定
低 Cd コシヒカリは、農林水産省の消費・安全対策交付金におけるカドミウム汚染土壌対策技術の一つとしても位置づけられています。また、低 Cd コシヒカリを素材に、DNA マーカーを活用して、日本の他のイネ品種への低 Cd 遺伝子の導入が進行中です。
Cd による水田土壌汚染は、アジアを中心とした海外でも大きな問題となっており、今後は、それらの国々での利用も期待されます。
問い合わせ先など
研究担当者:(独)農業環境技術研究所 土壌環境研究領域
主任研究員 石川 覚
TEL 029-838-8270
用語の解説
- *1 イオンビーム: 水素イオンや炭素イオンなどをサイクロトロンやシンクロトロンなどの加速器を使って高速に加速したもの。植物の種子や培養組織に照射することにより、DNA に作用して人為的に遺伝子の変異を起こすことができる。
- *2 突然変異体: 遺伝子に変異が生じ、表現型が変化した個体をいう。自然界の放射線や遺伝子複製エラー等の自然要因で起こる自然突然変異と、イオンビーム照射、ガンマ線照射、薬剤処理等の操作による人為突然変異がある。
- *3 DNA マーカー: 品種や系統、個体間では DNA の塩基配列に違い(多型)がある。その配列の違いは個体を識別する際の目印(マーカー)となるため、それを DNA マーカーと呼ぶ。
- *4 重金属トランスポーター: 生体膜を横切って重金属イオンを輸送するために存在する膜輸送タンパク質。
- *5 OsNRAMP5: 鉄、マンガン、カドミウムを輸送する膜輸送タンパク質をコードする遺伝子
その他
特許: 「カドミウム吸収制御遺伝子、タンパク質及びカドミウム吸収抑制イネ」(PCT/JP2012/77300)
論文: Ishikawa S. et al. (2012): Ion-beam irradiation, gene identification, and marker-assisted breeding in the development of low-cadmium rice. Proc. Natl. Acad. Sci. USA 109(47) 19166-19171.
予算: 生物系特定産業技術研究支援センターのイノベーション創出基礎的研究推進事業 「食の安全を目指した作物のカドミウム低減の分子機構解明」(2007-2011)