農業環境技術研究所プレスリリース

プレスリリース
NIAES
平成24年3月7日
独立行政法人 農業環境技術研究所

カドミウムをほとんど含まないコシヒカリ、イオンビーム照射で作出に成功
−安全なお米を生産現場から食卓へ−

ポイント

・ コシヒカリの種子にイオンビームを照射することで、カドミウムをほとんど蓄積しない突然変異体の作出に成功しました。

・ この変異体の玄米カドミウム濃度は、カドミウムが多く含まれる土壌で栽培しても 0.03 mg/kg 以下であるため、食品衛生法に基づく米の基準値 「 0.4 mg/kg 以下」 を大幅に下回ります。

・ 生育、玄米収量、食味値等はコシヒカリと同等です。

・ 新たに開発した DNA マーカーを利用して、他の栽培品種に低カドミウムの性質を導入することが可能です。

概要

1. 独立行政法人農業環境技術研究所(農環研)は、東京大学、独立行政法人日本原子力研究開発機構と共同で、日本の基幹イネ品種であるコシヒカリにイオンビーム *1 を照射することで、カドミウムをほとんど蓄積しない突然変異体 *2 (以下、低 Cd コシヒカリという) を開発しました。

2. 低 Cd コシヒカリの玄米カドミウム濃度は、カドミウム濃度の高い土壌で栽培しても、定量限界値( 0.01 mg/kg )未満か、その付近( 0.02〜0.03 mg/kg )であり、食品衛生法に基づく米の基準値 0.4 mg/kg を大幅に下回ります。

3. 10 アール当たりの玄米収量は栽培品種のコシヒカリ (以下、コシヒカリという) と同等( 540 kg/10 a )で、米粒食味計による食味値もコシヒカリと同等の 「良」 という判定を得ています。その他の形質 (出穂時期、全長、稈長、穂数等の生育全般) も、同等です。

4. また、コシヒカリと低 Cd コシヒカリを識別できる DNA マーカー *3 を開発しました。低 Cd コシヒカリで変異が起こった DNA 部分を通常の交配育種によって別の品種に導入する際に、この DNA マーカーを使うことで、効率的な育種ができます。

5. 土壌中のカドミウム濃度が高く、湛水管理によるカドミウム低減措置を行っている地域においても、通常の栽培によりカドミウム含量の極めて低い米を作れるようになると期待されます。

6. この成果は3月16日から京都産業大学で開催される日本植物生理学会で発表する予定です。

予算: 生物系特定産業技術研究支援センター「新技術・新分野創出のための基礎研究推進事業」「食の安全を目指した作物のカドミウム低減の分子機構解明」(2007-2011)

特許: カドミウム吸収制御遺伝子、タンパク質及びカドミウム吸収抑制イネ(特願2011-242041)

問い合わせ先など

研究推進責任者:

(独)農業環境技術研究所 茨城県つくば市観音台3-1-3

理事長   宮下 C貴

研究担当者:

(独)農業環境技術研究所 土壌環境研究領域

主任研究員  石川   覚

農環研特別研究員  井倉 将人

農環研特別研究員  安部   匡

農環研特別研究員  倉俣 正人

上席研究員  荒尾 知人

(現 農林水産技術会議事務局 研究調整官)

TEL 029-838-8270

(独)日本原子力研究開発機構 量子ビーム応用研究部門
イオンビーム変異誘発研究グループ

研究副主幹  長谷 純宏

東京大学大学院農学生命研究科農学国際専攻

特任准教授  中西 啓仁

特任研究員  石丸 泰寛

(現 東北大学大学院理学研究科化学専攻 助教)

東京大学大学院農学生命研究科農学国際専攻

石川県立大学生物資源工学研究科

教授  西澤 直子

広報担当者:

(独)農業環境技術研究所 広報情報室 広報グループリーダー

小野寺達也

TEL 029-838-8191 FAX 029-838-8299

電子メール kouhou@niaes.affrc.go.jp

研究の社会的背景

食品などを通じて一定の量を超えるカドミウムを長年にわたり摂取し続けると、人体に有害な影響を引き起こす可能性があります。特に日本人がコメから摂取するカドミウムの量は食品全体から摂取する量の約4割を占めます。

米に含まれるカドミウムについては食品衛生法に基づく基準値が設定されており、2011年2月には、同基準値が「 1.0 mg/kg 未満(玄米)」から「 0.4 mg/kg 以下(玄米・精米)」に改正されました。

また、国内においては、農地土壌中のカドミウム濃度が高い地域もあり、これら地域のほ場では、米中のカドミウム濃度低減対策が実施されています。主な対策方法は、 1)ほ場の土壌を入れ替える客土、 2)湛水管理やアルカリ資材の投入などによる水稲のカドミウム吸収抑制 の2つですが、コストや効果の面から適用範囲が限定されるという問題点があります。

そのため、従来の稲作栽培を変更せずに広範囲の地域に適用できる、低カドミウム品種の開発が求められています。

研究の経緯

イネのカドミウム吸収は品種によって大きく異なります。以前、120品種以上の玄米に含まれるカドミウム濃度を調査し、コシヒカリ等の日本の主要品種の半分程度の外国品種を見つけました。これを育種の素材に利用しましたが、これまでのところコシヒカリ並みの食味や栽培適性を持つ品種の開発には至っていません。そこで、農環研を中心とする研究グループは、花などの品種改良によく利用されているイオンビーム育種に着目し、日本でもっとも普及しているコシヒカリ品種を素材とする、良食味の低カドミウム米の作出を試みました。

研究の内容・意義

1. (独)日本原子力研究開発機構 高崎量子応用研究所のイオン照射研究施設(TIARA)において、AVF サイクロトロンで加速した炭素イオンをコシヒカリ種子に照射しました。

2. 照射後の種子(M1)を栽培して得られた第2世代の種子(M2)(約3千粒)をカドミウム濃度が高い土壌で栽培し、個体ごとに玄米カドミウム濃度を測定後、その中からカドミウム濃度が極めて低い個体を見いだし、「 lcd-kmt1 (low cadmium-koshihikari mutant 1)」 と名付けました。

3. lcd-kmt1 とコシヒカリを、土壌中のカドミウム濃度が高い3箇所のほ場(土壌中のカドミウム濃度: 0.35〜1.4 mg/kg )において、間断灌漑もしくは出穂期前後に落水するといったカドミウムが吸収されやすい条件で栽培し、玄米と稲わらのカドミウム濃度を測定しました。コシヒカリの玄米中のカドミウム濃度は、どのほ場でも基準値を大幅に超過しましたが、lcd-kmt1 では最大でも 0.03 mg/kg であり、極めて低い値でした (図1)。lcd-kmt1 の稲わらでの濃度も同様に著しく低いことがわかりました(図2)。

4. なお、生育や草姿 (草丈や稈長など) はコシヒカリと全く違いがなく(図3)、玄米の外観品質も同等でした(図4)。

5. 10 アール当たりの玄米収量(精玄米重)はコシヒカリと同等であり(図5)、米粒食味計(サタケ、RCTA )による食味値(点)はどちらも 「良( 80 点以上)」 と判定されました(図6)。

6.また、lcd-kmt1 において変異が挿入された部位の塩基情報を基に、lcd-kmt1 とコシヒカリを識別できる DNA マーカーを開発しました。変異が挿入された部位の DNA 断片を PCR で増幅し、電気泳動することで lcd-kmt1 とコシヒカリとを識別でき(図7のAとB)、さらに lcd-kmt1 とコシヒカリが交雑した個体も判定できます(図7C)。この DNA マーカーを利用することで、新たな低カドミウムイネを短期間で開発できます。

今後の予定・期待

低 Cd コシヒカリの lcd-kmt1 は、通常コシヒカリと同一の栽培条件で導入できます。また、各地域のブランド品種と交配して、新たな低カドミウムイネの開発が可能です。稲わらのカドミウム濃度も低いため、飼料用の低カドミウムイネ品種の開発も期待できます。

湛水管理による水稲のカドミウム吸収抑制を行っているほ場では、この lcd-kmt1 を導入することで、出穂期前後の湛水管理が不要となるだけでなく、落水管理を実施することでコメ中のヒ素濃度の低減 *4 や、温室効果ガスであるメタンの水田からの発生削減 *5 も可能になると思われます。

用語の解説

*1 イオンビーム: 水素イオンや炭素イオンなどをサイクロトロンやシンクロトロンなどの加速器を使って高速に加速したものです。植物の種子や培養組織に照射することにより、DNA に作用して人為的に遺伝子の変異を起こすことができます。イオンビームを用いた育種は花などの品種改良に従来から広く利用されている技術であり、本技術により得られる突然変異体は遺伝子組換え植物ではありません。

*2 突然変異体: 遺伝子に変異が生じ、表現型が変化した個体を言います。自然界の放射線や遺伝子複製エラー等の自然要因で起こる自然突然変異だけでなく、人為的な操作(イオンビーム照射、ガンマ線照射、薬剤処理等)によっても作ることができます。例えば、水稲のミルキークイーンはコシヒカリを薬剤(メチルニトロソウレア)処理して半糯性を持たせた突然変異体です。

*3 DNA マーカー: 品種や系統、個体間では DNA の塩基配列に違い(多型)があります。その配列の違いは個体を識別する際の目印(マーカー)となるため、それを DNA マーカーと呼びます。

*4 米に含まれるヒ素濃度: 米中のカドミウムの低減対策として出穂前後各3週間の湛水管理が奨励されていますが、この管理は米に含まれるヒ素濃度を増加させます。逆に落水管理はヒ素濃度を減少させますが、米に含まれるカドミウム濃度を増加させます。このように米中のヒ素濃度とカドミウム濃度はトレードオフの関係にあります。低Cdコシヒカリの lcd-kmt1 は落水してもカドミウムをほとんど吸収しないため、玄米中のヒ素濃度とカドミウム濃度を同時に減らすことが可能です。

*5 メタンの水田からの発生: 水田からのメタンの発生とカドミウム吸収もトレードオフの関係にあります。lcd-kmt1 の落水管理は、カドミウム吸収とメタン発生を同時に抑制すると思われます。

玄米Cd濃度(mg/kg)/コシヒカリ:約 0.6 (ほ場A)、約 1.9 (ほ場B)、約 1.0 (ほ場C)/低Cdコシヒカリ(lcd-kmt1):LOQ(定量限界値(0.01 mg/kg)未満)(ほ場A)、0.02 (ほ場B)、0.03 (ほ場C)/ML(基準値)= 0.4 (グラフ)

図1 高カドミウム土壌で栽培した時の玄米中のカドミウム(Cd)濃度
LOQ: 定量限界値(0.01 mg/kg)未満
ML: 食品衛生法で定められた米のカドミウム濃度基準値

稲わらCd濃度(mg/kg)/コシヒカリ:約 3.5 (ほ場A)、約 9.0 (ほ場B)、約 6.0 (ほ場C)/低Cdコシヒカリ(lcd-kmt1):0.04(ほ場A)、0.04 (ほ場B)、0.09 (ほ場C) (グラフ)

図2 高カドミウム土壌で栽培した時の稲わら中の Cd 濃度

コシヒカリと低Cdコシヒカリ(lcd-kmt1)の植物の姿の比較(ほとんど差がない)(写真)

図3 草姿の比較

コシヒカリと低Cdコシヒカリ(lcd-kmt1)の玄米の外観の比較(ほとんど差がない)(写真)

図4 玄米の外観形質

収量(精玄米重)(kg/10a)/コシヒカリ:約 560 /低Cdコシヒカリ(lcd-kmt1):約 540 (有意な差はない)(グラフ)

図5 収量(精玄米重)の比較

食味値/コシヒカリ:約 80 点 /低Cdコシヒカリ(lcd-kmt1):約 80 点 (ほとんど差がない)(グラフ)

図6 食味(食味計による食味値)

低Cdコシヒカリ(lcd-kmt1)は700bp付近、コシヒカリは250bp付近にそれぞれ特有のマーカーが出現。両者の交雑個体では両方のマーカーが現れる(写真)

図7 DNA マーカーによる識別
M: サイズマーカー
A: 低 Cd コシヒカリ(lcd-kmt1)
B: コシヒカリ
C: lcd-kmt1 x コシヒカリ の F1

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