蚕糸昆虫研ニュース No.40(1998.9)

<トピックス>
昆虫体液の効率的採取技術の開発
 

 近年,精密なシステム管理と大きなエネルギーを要する製薬プラントに代わり,動物の乳腺中で希少有用蛋白質を分泌させ,ミルクの中から目的蛋白質を抽出する試みがなされている。特に家畜類は1頭で大量のミルクを作り出す能力を有するため,物質生産の研究対象として大きな注目を浴びている。しかし現在の遺伝子組換え技術では,望み通りの蛋白質を生産する家畜が誕生する割合は極めて低く,クローン技術も実用化に至るまで多くの問題をかかえている。このため,多様な有用物質生産系の開発と実用化を可能にする技術の確立が望まれている。

 遺伝子組換え技術が確立されてから現在に至るまで,様々な遺伝子発現系の開発が行われてきた。このうち昆虫ウイルスを用いる発現系は,外来遺伝子の発現効率が極めて高く,カイコを宿主として用いた場合,組換え蛋白はカイコ体液等に発現される。しかし,昆虫は本来小さい動物であるため,1頭から得られる体液量は非常に少ない。このため昆虫を用いた物質生産を実用化させるためには,大量の昆虫(カイコ等)から効率的に体液を採取する技術が不可欠である。

 昆虫体内で発現された組換え蛋白質を効率的に抽出するためには,体液のメラニン化を抑制し,さらに目的蛋白が分解されないプロセスを確立させなければならない。一般に昆虫(主に鱗翅目の幼虫)は,一度凍結させた虫体を融解させると,その過程で収縮する現象を示す(図参照)。我々はこの現象を応用し,昆虫体液の効率的再手法を考案した(国際特許出願中)。現在,この方法を用いて500頭のカイコから370mlの体液を抽出することに成功している。本考案は専用の設備や装置を必要とせず,煩雑な操作を必要としない。また体液採取前に昆虫を完全に凍結させるため,試料の長期保存が可能になるとともに,組換えウイルスのカイコ体内における増殖および目的物質の生産・蓄積を任意の時間で停止させることができる。

 近年は精力的なゲノム研究により,多くの新しい遺伝子が単離されている。これらの機能を詳細に解明するためには,その遺伝子に基づいて設計される蛋白質を簡便に生産できる技術が必要である。特に昆虫ウイルスを用いた発現系は,リン酸や糖鎖で修飾された複雑な構造を有する蛋白質を発現することができる。このため,昆虫を用いた物質生産システムは,蛋白質工学やゲノム研究を支援する技術として特に有用と思われる。また、海外では薬剤開発のため,昆虫の抽出物質を提供するビジネスも行われている。本研究によって考案された方法は,様々な昆虫の体液抽出法として応用することが可能であり,新薬創製を目的とした昆虫産業に対しても広く活用されることを期待したい。