蚕糸昆虫研ニュース No.42(1999.3)


<トピックス>
昆虫を利用した有用物質生産の安全なウイルス接種技術

 ホルモンやある種の酵素のような機能性タンパク質は、生まれつきそれらを欠損した患者さんたちにとっては治療効果の期待できる貴重な薬効成分となる。バキュロウイルスという昆虫の病原ウイルスを利用した遺伝子組換え技術によって、入手が極めて困難なこのようなタンパク質でも生産することができるようになった。外来遺伝子を組換えたバキュロウイルスの感染した培養細胞でつくられる組換えタンパク質には糖鎖の付加などが適切になされる。これは大腸菌や酵母などで生産された組換えタンパク質にはみられない特徴であり、出来上がったタンパク質は、ヒトなどのほ乳類のオリジナルと全く同一の構造になるわけではないものの、薬としての効力を持つことが多い。

 わたしたちはバキュロウイルスの一種であるカイコ核多角体病ウイルス(BmNPV)を利用して遺伝子組換えによる有用物質生産技術の開発を行っている。このウイルスは培養細胞のほかに、カイコにも感染するのが特徴である。高度な養蚕技術が蓄積されている我が国ではカイコ幼虫や蛹を周年で大量に飼育することができる。そのようにして供給されるカイコと遺伝子組換えBmNPVを組み合わせることによって、培養細胞を用いるよりもはるかに大量の有用物質をより安価に生産することが見込まれる。カイコの体内を天然の培養器として活用するというこのアイデアは、実験室のレベルでは、既に数百頭のカイコによって遺伝子組換え産物を生産することに成功した。「昆虫工場」はこれを一回あたり二万頭のカイコ幼虫で実現しようとするプロジェクトだが、規模の拡大にあたっては、養蚕業にとっては依然として重要防除病原であるBmNPVを十分に封じ込め、取扱いの安全性を確保することが重要になってきた。

 そこでこのウイルスのDNAをカイコへの感染源として使用することで、大量のカイコを一度にウイルス感染させるという接種作業中に発生しがちな不慮のウイルス汚染事故の回避を図った。ウイルスから抽出したDNAそれ自体にはウイルスの感染性も増殖力もない。このDNAをカチオン性脂質と混合して経皮接種することで、カイコ終齢幼虫に核多角体病を発症させることができた。発病したカイコにはこの病気特有の節高病徴が観察され、その体液中にはウイルス封入体が確認されるなど、通常のウイルス感染となんら変わらない。接種したウイルスDNA量からの概算では、カイコにウイルスを感染させるには、108個程度のウイルスに相当するDNAを接種すれば十分であることがわかった。またウイルスDNA単独での経皮接種及び経口投与、あるいはウイルスDNAをカチオン性脂質と混合して経口投与した場合には、いずれも核多角体病の発症がみられないことも確認された。

 経皮接種は一定量の感染源をカイコに投与することができ、ウイルス封入体の経口投与にみられるような発病時期のばらつきがない。これは組換え産物の回収に大きなメリットとしてはたらく。カチオン性脂質と混合し経皮接種した場合にだけ感染が成立するウイルスDNAを感染源として用いることで、経皮接種の安全性を一層高めることができた。今後は、経皮接種工程の機械化と安価なカチオン性脂質の開発によって、「昆虫工場」での実用化が期待される。
 

 
 

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