[.蚕糸試験場(昭和12年)

1.製糸研究の拡充
(1)絹業試験所の設置
 製糸業者が生産した生糸がわが国海外貿易の中心として位置付けられ、その品質の向上のため、蚕種統一、生糸検査等の取り組みが精力的になされてきたことはこれまでに述べたとおりである。しかしながら、生糸の消費が専ら海外である以上、製品となった後に生じる欠点について絹製品生産業者からクレームがついたとしても、製糸業者のところまで伝わらず、貿易業者のところで止まるだけであるという問題が多く指摘されてきた。そこで政府は、横浜生糸検査所に試織部を設け、こうした点についての研究にあたらせることとした。大正7年4月1日には、勅令第46号によって絹業試験所官制を公布し、絹織物の製織、加工並びに精練、染色、整理に関する試験研究を行わせることとし、生糸検査所試織部の建物、諸設備をこれに引き継いだ。大正11年の第46回帝国議会において、絹業試験所の拡張予算が成立したが、大正12年の関東大震災によって一時中止となった。大正13年の第49回帝国議会において、本所の復旧・拡張予算が成立したことにより、敷地の購入および新築工事に着手したが、大正14年3月、農商務省が農林省と商工省に分離したことにより、絹業試験所は商工省の管轄に移ることとなり、昭和4年10月神奈川区澤渡に完成した新庁舎において業務を開始した。商工省の管轄に移ってからは、当初の申し合わせ事項であった生糸検査所と絹業試験所の両所長の兼任も実行されず、研究内容も人造絹糸やステープルファイバー等の人造繊維を原料とする機械加工方面に力が注がれるなど、生糸検査所との連携協力も次第に薄まっていった。その後、昭和12年8月13日に勅令第429号によって、その名称を繊維工業試験所と改めるに至り、製糸関係者の期待を大きく裏切るものに変化していった。

(2)蚕業試験場の蚕糸試験場への拡充
 このような状況の中で、農林省においても引き続き製糸研究期間の整備充実の要望が強く、昭和2年5月蚕糸委員会が設置され、農林大臣は委員会に対し「蠶絲業の発達及び改善に関する方策」について検討を諮問した。委員会は、昭和2年11月2日に、桑園改良、蚕種検査、製糸業実態調査と共に、“国立試験場において貯繭、煮繭、繰糸等の技術及び機械その他の設備並びに製糸能率等について、最新科学による学理的試験を行い、その結果は実験工場に移して実際的応用試験を行う”という趣旨の、製糸に関する試験機関の整備充実を内容とする答申を行った。政府はこの答申に即して、蚕糸試験場設置に関する予算要求を行ったが、第54帝国議会の解散、昭和5年浜口雄幸内閣成立に伴う緊縮財政政策等によって、なかなかその実現が図られなかった。昭和12(1937)年になり、1月22日やっと勅令第4号(蚕業試験場官制改正)によって、名称を蚕糸試験場とすると共に、所掌事務を次のように改めることとなった。

                                            (官報第3015号 昭和12年1月23日 土曜日)
朕蠶業試驗場官制中改正ノ件ヲ裁可シ茲ニ之ヲ公布セシム
 御名 御璽
    昭和十二年一月二十二日        内閣総理大臣   廣田弘毅
                            農林大臣      島田俊雄
勅令第四號
蠶業試驗場官制中左ノ通改正ス
「蠶業試驗場官制」ヲ「蠶絲試驗場官制」ニ、「蠶業試驗場」ヲ「蠶絲試驗場」ニ、「蠶業試驗場支場」ヲ「蠶絲試驗場支場」ニ改ム
第一條第一號ヲ左ノ如ク改ム
 一、裁桑、養蠶、蠶種製造、製絲其ノ他蠶絲業ニ關スル試驗及調査
同條第四號中「生絲」ヲ「絹繊維」ニ改ム
第二條中「技師 専任十八人」ヲ「技師 専任十九人」ニ、「技手 専任三十二人」ヲ「技手 専任三十三人」ニ改ム
 附 則
本令ハ昭和十二年二月一日ヨリ之ヲ施行ス
本令施行ノ際現ニ蠶業試驗場ノ技師、技手又は屬ノ職ニ在ル者別ニ辭令ヲ發セラレザルトキハ、夫々蠶絲試驗場ノ技師、技手又ハ屬ニ同官等等級俸給ヲ以テ任セラレタルモノトス但シ文官任用ノ資格ニ關スル規定ノ適用ヲ妨ゲズ
農林部内臨時職員設置制及大正九年勅令三十號中「蠶業試驗場」ヲ「蠶絲試驗場」ニ改ム


図23 蠶絲試験場の全景

 農林省では、この改称に伴い、昭和12(1937)年2月1日付の農林省訓令第1号によって「蚕糸試験場庶務規程」を次のように公布・施行した。

                                  (官報第3022号 昭和12年2月1日 月曜日)
農林省訓令第一號
                                 蠶絲試驗場
蠶絲試驗場處務規程左ノ通定ム
    昭和十二年二月一日              農林大臣  島田俊雄
 蠶絲試驗場處務規程
第一條 蠶絲試驗場ニ左ノ部課ヲ置ク
 一、桑樹部
 一、生理部
 一、病理部
 一、製絲部
 一、化學部
 一、蠶種部
 一、庶務課
第二條 桑樹部ニ於テハ桑樹ニ關スル試驗調査及講習講話ノ事務ヲ掌ル
第三條 生理部ニ於テハ蠶ノ種類竝ニ生理ニ關スル試驗調査及講習講話ノ事務ヲ掌ル
第四條 病理部ニ於テハ蠶ノ病理ニ開スル試験調査及講習講話ノ事務ヲ掌ル
第五條 製絲部ニ於テハ製絲竝ニ絹繊維ニ關スル試験調査及講習講話ノ事務ヲ掌ル
第六條 化學部ニ於テハ蠶絲ニ開スル化學的試験調査、分析及講習講話ノ事務ヲ掌ル
第七條 蠶種部ニ於テハ原蠶種ノ製造配付及原蠶種ニ開スル講習講話ノ事務ヲ掌ル
第八條 庶務課ニ於テハ左ノ事務ヲ掌ル
 一、官印ノ保管ニ關スル事項
 二、場員ノ進退身分ニ開スル事項
 三、場内取締ニ開スル事項
 四、文書ノ接受、發送及保管ニ關スル事項
 五、豫算及決算竝ニ會計ニ開スル事項
 六、國有財産及物品ニ關スル事項
 七、他部ノ主掌ニ屬セザル事項
第九條 蠶絲試驗場支場ニ支場長ヲ、出張所ニ出張所長ヲ置ク
 支揚長及出張所長ハ場長ノ指揮監督ヲ承ケ支場又ハ出張所全般ノ事務ヲ處理ス
第十條 場長處務細則、講習規程又ハ支場若ハ出張所ノ處務規程ヲ設クルトキハ農林大臣ニ報告スベシ
第十一條 場長分析成績書ヲ作成スルトキハ其ノ擔任者ト共ニ之ニ署名又ハ記名捺印スベシ
第十二條 場長ハ毎年事業ノ成績ヲ農林大臣ニ報告スベシ

 昭和12(1937)年5月には一宮桑園を、愛知県知多郡武豊町に移転させ、武豊支場と改称した。また、新庄出張所を新庄支場と改称した。このように拡充したことにより、昭和12年度には、職員数は、技師42、技手75、屬15の計132人、経費予算125万4042円となった。

                                                (官報第3111号 昭和12年5月20日 木曜日)
農林省告示第百七十三號
 昭和九年十二月農林省告示第四百五十號中左ノ通改正ス
    昭和十二年五月二十日         農林大臣  山崎達之輔
「蠶絲試驗場熊本支場 熊本縣飽託郡健軍村」ヲ「蠶絲試驗場熊本支場 熊本縣熊本市」ニ「蠶絲試驗場福島支場新庄出張所 山形縣最上郡新庄町」ヲ「蠶絲試驗場新庄支場 山形縣最上郡新庄町」
蠶絲試驗場武豊支場 愛知縣知多郡武豊町ニ改ム
                                                (官報第3111号 昭和12年5月20日 木曜日)
農林省告示第百七十四號
 昭和九年十二月農林省告示第四百五十一號中左ノ通改正ス
    昭和十二年五月二十日         農林大臣  山崎達之輔
「蠶絲試驗場一宮桑園 愛知縣一宮市」ヲ削ル


図24 蠶絲試験場武豊支場

 昭和16(1941)年5月には、飯坂出張所を飯坂支場と改称した。

                                           (官報第4302号 昭和16年5月14日 水曜日)
農林省告示第二百九十三號
蠶絲試驗場ノ位置並ニ支場ノ位置名稱左ノ通定ム
昭和九年十二月農林省告示第四百五十號(蠶絲試驗場ノ位置並ニ支場及出張所ノ位置及名稱ニ關スル件)ハ之ヲ廢止ス
    昭和十六年五月十四日         農林大臣  石黒忠篤
    名  稱         位  置
 蠶絲試驗場         東京市杉並區高圓寺二丁目
 蠶絲試驗場新庄支場   山形縣最上郡新庄町
 蠶絲試驗場福島支場   福島縣福島市
 蠶絲試驗場飯坂支場   福島縣信夫郡飯坂町及中野村地内
 蠶絲試驗場前橋支場   群馬縣前橋市
 蠶絲試驗場松本支場   長野縣松本市
 蠶絲試驗場武豊支場   愛知縣知多郡武豊町
 蠶絲試驗場綾部支場   京都府何鹿郡綾部町
 蠶絲試驗場明石支場   兵庫縣明石市
 蠶絲試驗場熊本支場   熊本縣熊本市
 蠶絲試驗場宮崎支場   宮崎縣宮崎市

2.第二次世界大戦前後の蚕糸を取り巻く情勢と蚕糸試験場の組織改正
(1)終戦前の農林省機構の変遷
 昭和12(1937)年の日華事変から昭和16(1941)年12月8日太平洋戦争突入という戦時の非常体制の中で、政府は同13年「国家総動員法」を公布し、経済活動に直接介入するいわゆる「官僚統制」を実施した。しかし、昭和14年、15年と米の統制が進む中で、米の生産・集荷や生産者価格の決定は農林省、米穀商の指導・監督や消費者価格の決定は商工省というのでは米の統制が円滑に行われない。そこで食糧行政の一元的統合と貿易行政の統一刷新をはかるために、昭和15年7月に農林・商工両省間で事務調整が行われ、業務の分担が合意された。これに基づいて、昭和16年1月に農林省官制の改正が行われ、大臣官房の他に、内局として総務局、農政局、山林局、水産局、蚕糸局、食品局の6局、外局として食糧管理局、馬政局の2局、臨時に資材部が設置された。これによって、戦時体制に即応して、食糧対策、資材対策、配給統制業務、総動員計画との調整事務等の執行体制が強化された。
 戦局が進み軍需生産の増強が強く叫ばれる昭和18(1943)年11月には、農林省、商工省の2省を農商省、軍需省の2省に再編し、農林省の事務と商工省の民生関係事務とを農商省に所管させた。この際に、内局としてあった蚕糸局、食品局の代わりに、繊維局、生活物資局、物価局の3局が置かれた。

  農商省設置ノ件               (昭和18年10月2日 閣議決定)
一、日満ヲ通ズル食糧ノ自給態勢ヲ確立スルト共ニ、国民生活物資ノ総合確保ヲ図リ、以テ戦時国民生活ノ安定ヲ期スル為、商工省所管ノ事項中軍需ニ関係薄キモノ(交易ニ関スルモノヲ除ク)ヲ農林省ニ移管ス
二、右ニ伴ヒ、農林省機構ニ所要ノ改正ヲ加へ、農商省卜改ム
三、交易ニ関スル事項ハ、大東亜省ニ移管ス
四、本改正ハ、十一月一日開庁ヲ目途トシ、関係庁ニ於テ、至急準備ヲ進ムルモノトス
  農商省設置ニ伴フ部局ノ統合調整ニ関スル件 (昭和18年10月8日 閣議決定)
一、商工省総務局及企業局所管事項中農商省ニ移管セラルベキ事項ハ農商省総務局ニ於テ所管ス
二、農林省蚕糸局ト商工省繊維局トヲ統合シ繊維局トナス
三、物価局ト農林省総務局価格課ヲ統合縮少シ新ニ農商省ニ内局トシテ物価局ヲ置ク
四、農林省食品局ハ之ヲ廃シ新ニ農商省ニ生活物資局(仮称)ヲ置ク
 前三項以外ノ商工省ヨリ移管セラルベキ事項ハ農商省総務局及生活物資局(仮称)ニ於テ分掌ス
                                               (官報號外(1) 昭和18年11月1日 月曜日)
朕樞密顧問ノ諮詢ヲ経テ農商省官制ヲ裁可シ茲ニ之ヲ公布セシム
 御名 御璽
    昭和十八年十一月一日         内閣総理大臣兼商工大臣 東條英機
                           農林大臣            山崎達之輔
勅令第八百二十一號
 農商省官制
  (省略)
  附 則
本令ハ公布ノ日ヨリ之ヲ施行ス
農林省官制ハ之ヲ廢止ス(以下省略) 

(2)戦時下統制の強化
 昭和16年3月には戦時体制として、統制の精緻化と罰則の強化を図るため総動員法が改正され、4月には生活必需物資統制令が制定された。戦時下においても依然重要な輸出産業であった蚕糸業に関しては、昭和16年3月に「蚕糸業統制法」が制定された。
 蚕糸業統制法制定の理由は、“現下ノ國際情勢ニ鑑ミ、蠶絲業ハ國内繊維資源ノ補給ニ重點ヲ置キ、事態ニ即應シタル需給計畫ノ下ニ、其ノ全般ニ亘リ統制スベキ機構ヲ樹立シ、斯業運營ノ適正ヲ圖リ、以テ其ノ安定及發達ヲ期スルト共ニ、國防經濟ノ完成ニ資スルコト緊要ナリ。是レ本案ヲ提出スル所以ナリ”(議会提出理由書)ということで、“第一條 本法ハ蠶絲ニ對スル内外ノ需要ニ應ジ、蠶絲業ノ統制ヲ行ヒ、以テ其ノ安定及發達ヲ圖ルト共ニ、蠶絲業ニ對スル國民經濟上ノ要求ヲ充足スルコトヲ目的トス”から始まる71条からなる膨大なものである。しかし、主要な点は、「日本蚕糸統制株式会社」を設立し、全日本の蚕糸業関係者をこの下に集結させ、計画的に生産や販売を行ったり、価格の安定を図ろうとする点にある。
 日本蚕糸統制株式会社の概要は次のようなものであった。@会社の資本金は8千万円で、半分を政府が出資し残り半分を蚕糸業関係者その他一般から公募する、A蚕糸業者は必ずしも株主や社員になる必要はないが、各自の業務については、すべて本社の方針、すなわち政府の方針に従わねばならない、Bこれについては農林大臣から蚕糸業者に対し直接命令される、C繭や生糸の当業者同士の売買は禁じられている、D生糸はすべて国の生糸検査所の検査を受けなければならないこと、などである。日本蚕糸統制株式会社は、昭和16年4月21日農林大臣石黒忠篤を委員長として設立委員会を開催し、5月7日今井五介(全国製糸業組合連合会長)を社長に、吉田清二(前農林省蚕糸局長)を副社長に任命し、事業を開始した。この会社は、本社を東京に、支店を横浜、神戸におき、全国各府県に出張所を設けると共に、山形、新潟(長岡)、長野(岡谷)、群馬(前橋)、山梨(甲府)、愛知(豊橋)、京都、福井、石川(金沢)に生糸検査所を設立した。

(3)農林省設置法の改正
 昭和20(1945)年8月15日終戦直後の8月26日、農林省と商工省とが再び分離することとなり、農商省から繊維局、生活物資局の2局が消え、新たに蚕糸局、食品局の2局が加わって農林省となった。

                                               (官報号外 昭和20年8月26日 日曜日)
朕樞密顧問ノ諮詢ヲ経テ農商省官制中改正ノ件ヲ裁可シ茲ニ之ヲ公布セシム
 御名 御璽
     昭和二十年八月二十六日        内閣総理大臣  稔 彦 王
                             農商大臣    千石興太郎
勅令第四百八十三號
農商省官制中左ノ通改正ス
題名ヲ左ノ如ク改ム
  農林省官制
第一條 農林大臣ハ農林畜水産物及飲食料品ノ生産、配給及消費ニ關スル事務、農林畜水産業専用物品ノ 配給及消費(化學肥料ニ付テハ其ノ生産數量、配給及消費)ニ關スル事務並ニ農山漁家ニ關スル事務ヲ 管理ス
第三條中「農商省」ヲ[農林省」ニ、「繊維局」ヲ「蠶絲局」ニ、「生活物資局」ヲ「食品局」ニ改ム
第八條 蠶絲局ニ於テハ蠶絲ニ關スル事務ヲ掌ル
 (省略)

 その後、戦後の経済の回復・発展につれ国家財政も充実し、農政諸制度が整備されたことを受けて、昭和24(1949)年6月に農林省の機構が改組された(法律第153号)。農林省設置法の第21条において、蚕糸試験場は次のように規定されている。

  農林省設置法          法律第百五十三号(昭二十四年五月三十一日)
(農林省の権限)
第四条 農林省は、この法律に規定する所掌事務を遂行するため、左に掲げる権限を有する。但し、その権限の行使は、法律(これに基く命令を含む。)に従つてなされなければならない。(一〜四十一は省略)
 四十二 生糸の検査を行うこと。
 四十三 蚕種製造業、製糸業、輸出生糸問屋業及び生糸販売業を許可すること。
 四十四 蚕病の予防駆除又は桑苗の検査のために必要な措置を命ずること。
  (四十五〜六十五は省略)
(蚕糸試験場)
第二十一条 蚕糸試験場は、蚕糸に関する試験、分析、鑑定、調査、講習並びに原蚕種、桑の接穂及び苗木の生産及び配布を行う機関とする。
2 蚕糸試験場は、東京都に置く。
3 農林大臣は、蚕糸試験場の事務を分掌させるため、所要の地に蚕糸試験場の支場を設けることができる。
4 蚕糸試験場の内部組織並びに支場の名称、位置及び内部組織については、農林省令で定める。(以下省略)
  附 則
1 この法律は、昭和二十四年六月一日から施行する。
2 左の法律、勅令及び政令は、廃止する。但し、法律(これに基く命令を含む。)に別段の定のある場合を除く外、従前の機関及び職員は、この法律に基く相当の機関及び職員となり、同一性をもつて存続するものとする。
  蚕糸試験場官制(大正三年勅令第百十三号)

(4)「蚕糸業復興緊急対策要綱」と技術指導体制の強化
 日本の蚕糸業は、明治当初以来海外輸出のための生糸の生産を主な目的としてきたため、第二次世界大戦によって、輸出とりわけ対米輸出の道が閉ざされたことによって、生糸の生産が無用となり、そのため、基盤である桑園、養蚕農家、製糸工場の相当部分を整理するほかなかった。しかし終戦直後、生糸は見返り物資の最重要品として、再びその生産の増加が要望されたが、戦争中生産基盤の大幅な整理を行ったこと、それに要する食料、肥料並びに労力が極度に不足していたことから、これらの必要資材の供給確保が急務とされた。
 昭和20年10月11日連合国軍覚書によって、@日本政府は絹生産のために桑を生長させるように振り向けた土地を減小させるような命令を撤回すること、ただし、食糧を作るほうが明らかに有利な土地は除外する、A生糸の糸格、繊度別生産量、生糸検査機関の復旧計画、B蚕糸業の各種分野の計画、特に技術的問題の調整、生糸の試験、検査と輸出向け生糸の質、規格の明確化、などの事項についての指令が出された。そこで政府は、「蚕糸業統制法」「原蚕種管理法」(昭和9年、法律第25号)、「輸出生糸取引法」(昭和9年、法律第43号)、蚕糸業組合法」(昭和6年、法律第24号)などを廃止して、「改正蚕糸業法」(昭和20年12月22日、法律第57号)、「同施行令」(勅令第722号)を公布し、昭和21年1月1日よりこれを施行した。
 このような中で、総司令部(GHQ)天然資源局は、昭和21年4月下旬農林省蚕糸局に対し非公式に、蚕糸5ヵ年計画の作成を促してきた。7月15日には天然資源局農業部長レオナードは、楠見義男農林次官、佐野憲次蚕糸局長を招致し、関係官同席の下に「食料事情は大体見通しを得たから、今後日本政府としては蚕糸の増産について大いに努力しなければならない。従って桑園面積の実態をつかむと共に、5ヵ年計画の裏付け措置について至急立案すること」を指示した。これによって、8月13日「蚕糸業復興緊急対策要綱」が閣議(第一次吉田内閣)決定された。

蚕糸業復興緊急対策要綱                 昭和21年8月13日 閣議決定
第一 方針
 蚕糸業は現に食糧輸入の見返である輸出生糸の生産確保のため、優良生糸の増産と設備の復興に全力を挙げているのであるが、現下の世界的食料機構は、決して永続するものでなく、全世界の食料需給は漸次緩和されるものと予想せられるのであって、その際に於ては、蚕糸業の地位は愈々重要性を加へるものと考えられる。即ち第一に、わが国経済再建の基礎資材は多くを輸入に待たなければならないが、その支払手続の大宗は言うまでもなく生糸である。
 第二に国土狭く且つ資源乏しく、而も人口過多の我国において、土地を最も高度に且つ能率的に利用する上からいって、桑園適地は桑園として活用するのが合理的であり、経済的である。
 第三に当面の異常なる食料危機と食料価格の昂騰が平静に帰し、我国農業が国際経済に密接に接触することとなった暁には、当然我国農業経営は多角化によって、その安定を期せねばならない。その場合、養蚕経営が最も有力なものであることを言を待たない。仍って政府は、昭和二十六年度における桑園面積二十七万町歩、生糸製造高二十七万三千俵を目途として、別表の如く五箇年計画を策定し、左の要領により本計画の完遂に必要な繋急の措置を講ぜんとするものである。
第二 要領
一 桑園の確保に関する措置
   桑園は昭和二十六年までに二十七万町歩に拡張するよう左の措置を講ずる。
 1.桑園の登録制の実施
   養蚕業者に対する助成、肥料及び食料の配給并びにその他の特典を与ふる基準を明かならしめるため、養蚕業者をしてその経営する桑園に関し、現在面積、将来の増減その他必要な事項を市町村農業団体に登録せしめること。
 2.桑園の整理転換の抑制
   凡べての政府の機関又は政府の監督下にある機関及び団体は、桑樹を抜取り、桑園を荒廃せしむることを支援奨励しないこと。新聞ラジオその他による教育的方法を以て、果樹を抜きとり、又は荒廃せしむることを抑制すること。
 3.桑園の復元促進
   主として昭和十八年度以降、他の目的に転換せられた桑園は、明かに食料作物の栽培を有利とするものを除き、逐次これを復元せしむるよう措置奨励する。
 4.開拓地における養蚕の奨励
   新開墾地における農業経営には、土地の状況に応じ、養蚕業を奨励すること。
二 桑苗の確保に関する措置
  桑苗の復元拡張に伴うて、必要とする桑苗の供給を確保するため、その割当生産を行う外左の施設を講ずる。
 1.地方蚕業試験場における優良桑品種の育成配布施設
 2.桑苗協同組合の桑苗生産共同施設の拡充
 3.養蚕実行組合の桑苗自給施設
三 蚕糸業用資材の確保に関する措置
 1.桑苗圃及び桑苗化学肥料は、その所有量の充足に努むることとし、国内の供給力で不足する分は、特に輸入に仰ぐこと。
 2.製糸設備の急速な復旧を促進するため、鉄鋼、非鉄金属、セメント、木材等設備資材を確保すること。
 3.製糸業の完全操業を保持するため、石炭、電力、その他の運転資材を確保すること。
四 食料に関する措置
   食料事情の安定を見るに至るまで、蚕糸業関係者に対し、左の措置を講ずる。
 1.養蚕農家に対しては、食料生産農家との均衡を得しめるよう食料の保有又は配給を認めることとし、来米穀年度よりこれを実施すること。
 2.桑苗生産労働者に対しては、繁忙期における農夫に準ずる食料加配を為すこととし、来米穀年度より実施すること。
 3.製糸業及び蚕業製造業(繭検定所、生糸検査所及び蚕業試験場を含む)関係労務者に対し、労務加配を行うこと。
五 価格に関する措置
   繭及び生糸の価格は、本要綱による輸出生糸の生産を確保するため、最近における生産事情及び他の農産物の価格との均衡を考慮の上これを決定する。
六 指導機構の強化に関する措置
   蚕糸業指導機構を整備強化して、本対象の完遂を期すると共に、優秀な蚕業技術の普及、低位水準技術の向上を図るため、技術指導網を充実する。
 1.蚕糸業関係職員の充実
   中央及び地方蚕糸業関係専任職員の著しく不足する現状に鑑みて、この際大幅の増員を行うこととし、有力な蚕糸県については、重点的に施策を集注するため、特に必要な人員を配置すること。
 2.地方蚕業試験場の強化
   地方蚕業試験場の指導部及び技術指導農場を設置すること。
 3.蚕業技術員の素質向上に関する施設蚕業技術員養成施設を強化し、既設技術員の再教育を行うと共に、技術員の資格の引上げ、免許制度を統一すること。
七 財政上の措置
   政府は本対策の完遂を期するため、財政の許す範囲内において必要な予算的措置を講ずる。

 蚕糸業復興5ヵ年計画の対策の一つとして“技術指導機構の強化”が打ち出されたことにより、昭和21年11月22日付で、蚕糸試験場の内部組織として指導部が設置され(21蚕局第1473号)、2級官5名、3級官10名の専任職員をおいて、@全国の技術指導機関と連絡して、毎蚕期別に基準となるべき養蚕法を研究し、地域別基準養蚕法を立案する、A地方の機関と連絡して、地域的に適当な基準養蚕法の立案に協力する、B技術指導に必要な試験研究を行い、基準養蚕法の適切な運営を図るとともに、気象異変その他養蚕事情の変動に対応する措置につき、指導上遺憾のないようにする、C全国よりの養蚕情報を収集し、これを総合して必要な通報を地方に発し、適宜の措置をとるのに便する、C養蚕技術相談を編集し、関係者に頒布して、蚕桑技術上の知識の向上と実地応用上の便に資するとともに技術相談の一機関とする、という要領によって事業を実施することとなった。また、各支場(新庄、福島、前橋、松本、武豊、綾部、明石、熊本、宮崎)には指導部の支部が置かれ、支部は、都府県蚕業試験場その他技術指導機関と連携して、地方における業者ならびに指導員の技術普及にあたった。
 昭和23年7月に、農業に関する試験研究を高度に推進すると同時に、その成果を急速に普及することを目的にした、農業改良助長法(法律第165号)が第2国会を通過したが、この法律は蚕糸業に関する試験研究および普及事業にはこれを適用しないと規定した。したがって、同法の実施機関として設置された農業技術研究所および本省内の農業改良局の所管から蚕糸関係が除外された。その理由としては、@桑樹の栽培、蚕兒の飼育は農業に属するが、それにより生産する繭は輸出生糸又は輸出織物の原料であるため、研究目標が変動しやすく、かつその改良は、蚕種、裁桑、養蚕、製糸、製織を一貫する試験研究の結果によらなければ完全を期し得ない、A土壌肥料等の面にあっては、他の農業部門と重複するが、それは単に桑園を対象とする場合に限られ、その調製は容易であるし、また重複しても無駄はほとんどない、B蚕糸関係の民間研究機関は著しく発達しているから、これと連絡調整を図ることによって効果をあげることができる。それには、蚕糸の生産を直接指導監督する部局がその任にあたることが最も適当である、C蚕糸は常に海外消費の需要に応じて技術の改良を図る必要があるから、海外情報を速やかに入手し、かつ実行に移しうる独立の研究機関の方が適切である、といったことがあげられた。この意見はGHQによって支持され、蚕糸に関する試験研究とその技術普及事業は、農業関係試験研究機関のそれとは切り離して運用されることとなった。
※その後、昭和31年6月に農林水産技術会議が会長1名、委員6名の合議体として発足し、農業基本法制定と  同じころ「農林水産業に関する今後のおもな研究目標」を公表し、この方向づけに沿う形でそれまで農林省  各局にわたっていた研究関係事務が技術会議に一元化されるまで(養蚕が農家経営の一環であるにも拘わらず)蚕糸試験研究は、農業研究とは別の独自の体制をとることになる。
 このため、蚕糸関係技術改良事務を分掌するために、昭和24年5月蚕糸局内に、技術改良課が設置された(横山忠雄課長)。当時の農林省組織規程によると、その担当事務は、@蚕糸業に関する自然科学的試験機関の行う当該試験研究の助長および連絡調整を行うこと、A蚕糸業に関する経済的研究の企画及び実施並びに関係研究機関の行う当該研究の助成及び連絡調整を行うこと、B蚕糸業に関する知識の普及交換の企画及び実施を行うこと、C蚕糸業に関する知識の普及に関する事務に従事する者の養成及び試験に関すること、D蚕糸業に関する試験研究を行う者及び蚕糸業に関する知識の普及に関する事務に従事する者の能力の向上を図ること、E蚕糸業に関する試験研究及び知識の普及交換に関する調査並びに資料の収集及び整理を行うこと、F蚕糸試験場に関すること、とされ、普及指導に関する事務は、すべて蚕糸局技術改良課が所掌することとなった。これにあわせて昭和25年4月、蚕糸試験場指導部は指導試験部と改められ(農林省令第55号「第二百四十四條 指導試験部においては、養蚕の技術指導に関する研究及び調査を行う。」)、養蚕の技術指導に必要な試験研究および調査を行うこととなった(その後、昭和33年蚕糸試験場の機構改革に伴って発展的に解消し、養蚕部が新設された)。これらのことにより、概要つぎのような蚕業技術普及体制が確立したことになる。

  蚕業技術普及体制(概要)
1.農林省蚕糸局技術改良課
  蚕糸業に関する知識の普及支援、企画及び実施、従事する者の養成及び能力の向上に関することを掌る
2.農林省蚕糸試験場
  蚕糸の技術普及に必要な技術的調査、研究を行う
3.都府県庁(蚕糸主務課)
  蚕業技術指導所に関し、農林省と連絡の上、その設置する企画、運営、予算的措置、職員の任命を所管する。また都府県農業委員会との連絡、都府県蚕業技術審議会の事務、蚕業技術員の再教育、嘱託普及員の任命及び予算措置、農村青年の蚕糸技術研修、その他広報事務を掌る
4.都府県農業試験場
  管内地域に普及すべき技術的調査研究を行い、得たる成果を蚕業技術指導所に提供する。それがため定期的に指導所の職員を招集し、かつ現地についてこれを修得せしめ、普及の資料とする
5.蚕業技術委員会
  都府県に属し、蚕業技術指導の大綱及び研究の基本的な方針に関し、知事の諮問に応ずる
6.蚕業技術指導所
  その職員は記述の如く、要は都府県蚕業試験場の得た調査研究成果を直接に養蚕者に普及せしめる。従って、技術の展示と巡回指導を主要な事業とする
7.蚕業技術指導協議会
  蚕業技術指導所所在地毎に設置され、指導所の運営について協議するを目的とする

(5)岡谷製糸試験所の設置
 昭和20年8月15日の終戦に伴い、新たに制定された蚕糸業法(昭和20年12月22日法律第57号)付則第7項の規定により、日本蚕糸統制株式会社は昭和21年3月1日を以て解散となった。
 一方、岡谷市においては、日本蚕糸統制株式会社の解散を受けて、21年秋に岡谷蚕糸試験場建設協力委員会を設け“岡谷市に設置を希望する蚕糸関係試験場建設に協力してその実現を図る”と共に、日本蚕糸統制株式会社岡谷生糸検査所を蚕糸関係機関として存続させるよう蚕糸局に強く要請した。その結果、昭和22年7月農林省告示第97号をもって、製糸業振興のため岡谷製糸試験所が設置されることとなった。

農林省告示第九十七號                        (昭和二十二年七月五日官報掲載)
 昭和十六年五月農林省告示第二百九十三號の一部を次のように改正する
    昭和二十二年七月五日        農林大臣 平野力三
「蚕糸試験場宮崎支場 宮崎縣宮崎市」の次に「蚕糸試験場岡谷製糸試験所 長野縣岡谷市」を加える。

当時の記録によると、改正理由は次のようなことであった。

改 正 理 由
 輸出向優良生絲増産を緊要とするに鑑み蚕絲復興五箇年計畫(閣議決定事項)により製絲に関する試驗研究の拡大強化と、品質改善のための生絲と織、織物との関係に関する研究、製絲器械の改良、ボイラーの電化及副産物の高度利用等を急速に行ふため製絲の中心地たる長野縣岡谷市に蚕絲試驗場製絲試驗所を設置して経済的工業化の促進を計り優良生絲製造の刺激の源泉たらしめんとする。
 依って昭和二十一年度本事業に必要なる施設の一部完成したるにより既定計畫により岡谷製絲試驗所を設置するの要がある。

 しかし、経常費は認められたものの設備費が認められなかったことから、地元では「蚕糸試験場岡谷製糸試験所建設実行委員会」を設置し、“農林省蚕糸試験場岡谷製糸試験所設置のため、農林省の計画に賛助強力して、寄付行為による建設関係事項を協議し、実行の促進を図る”こととした。その結果、建物および設備の一部は、日本蚕糸統制株式会社岡谷生糸検査所が使用していたものの寄付を受け、その他の建物、設備は、日本蚕糸統制株式会社(300万円)、日本蚕糸業会(430万円)、長野県蚕糸業会(30万円)、長野県(120万円)、岡谷市(50万円)等からの寄付を受けて建設を進め、ほぼ完成をみた昭和23年4月30日これを国に寄付し、同日より事業が開始された。


図25 蚕糸試験場岡谷製糸試験所

(6)その他の組織改正
 終戦直後の時期に行われた、その他の組織改正の動きを次に記す。
○昭和22年2月、四国飼育所が徳島県美馬郡岩倉村に設置された。徳島県蚕業試験場岩倉支場の施設の一部を借り受けて発足。
○昭和23年5月、沖縄および台湾に代わって原原蚕種の早春および初冬飼育を行う分場として山川飼育所が鹿児島県揖宿郡山川町に設置された。
○昭和23年5月、福島支場の事業拡充のため飯坂支場が福島支場に合併された。
○昭和24年2月、新潟県桑樹試験場を国に移管し、蚕糸試験場附属小千谷桑園とした(この試験場は、国の委託事業「降雪と桑樹病傷害の関係試験」を実施するため、桑樹雪害試験場として、大正9年4月に北魚沼郡小千谷町に創立され、大正11年新潟県桑樹試験場と改称されていたものである)。
○昭和25年3月、山川飼育所の附属屋久島飼育分場が、鹿児島県熊毛郡下屋久村に設置された。
○昭和29年4月、福島支場が福島県信夫郡飯坂町および中野村に移転された。



図26 蚕糸試験場小千谷桑園(上)と山川飼育所附属屋久島飼育分場(下)

 こうした整備の結果、昭和33年までの蚕糸試験場の組織は下記のとおりであった。

    蚕糸試験場
     ├─ 総務部(庶務課、会計課、用度課、図書室、日野分室庶務係)
     ├─ 桑樹部(桑形態、桑生理、桑繁殖、桑生態、桑遺伝、桑育種1、裁桑第1、裁桑第2、凍霜害
     │   └─ 小千谷桑園(庶務係、多雪地裁桑、桑育種)
     ├─ 生理部(蚕生理第1、蚕生理第2、蚕生理第3、蚕生理第4、蚕生理第5、蚕生理第6、蚕生理第7)
     ├─ 育種部(蚕育種第1、蚕育種第2、蚕育種第3、蚕育種第4、蚕育種第5、蚕種、蚕種調査室
     ├─ 病理部(桑病第1、桑病第2、蚕病第1、蚕病第2、蚕病第3、蚕病第4、害虫)
     ├─ 製糸部(繭質保全、生糸品質管理、玉糸、繭検定、製糸物理、製糸機械、自動製糸機械、製糸能率、
     │      絹製品、繭糸質、蚕品種製糸試験室)
     ├─ 化学部(土壌第1、土壌第2、肥料、桑化学、蚕化学、絹糸化学、絹糸物理化学、副産物利用、
     │      アイソトープ応用、分析)
     ├─ 指導試験部(養蚕微気象、養蚕生態、養蚕基準、養蚕技術指導)
     ├─ 新庄支場(庶務課、中雪地裁桑、養蚕、蚕育種、蚕品種適性検定)
     ├─ 福島支場(庶務課、寒地裁桑、桑育種、養蚕、蚕育種、蚕品種特性、蚕品種適性検定、蚕種)
     ├─ 前橋支場(庶務課、裁桑、養蚕、蚕品種特性、蚕品種適性検定)
     ├─ 松本支場(庶務課、夏秋蚕裁桑、養蚕、蚕育種、蚕品種特性、蚕品種適性検定、蚕種)
     ├─ 武豊支場(庶務課、裁桑、養蚕、蚕品種適性検定、蚕品種特性)
     ├─ 綾部支場(庶務課、少雪地裁桑、養蚕、蚕育種、蚕品種特性、蚕種)
     ├─ 明石支場(庶務課、旱魃地裁桑、養蚕、蚕育種、蚕種)
     ├─ 熊本支場(庶務課、暖地裁桑第1、養蚕、蚕育種、蚕品種特性)
     ├─ 宮崎支場(庶務課、暖地裁桑第2、養蚕、蚕育種、蚕種)
     ├─ 岡谷製糸試験所(庶務課、製糸原料、煮繭、繰糸、生糸品質、機織、染色、製糸機械工作室)
     ├─ 小淵沢飼育所(庶務係、高冷地裁桑、養蚕、蚕種)
     ├─ 四国飼育所(庶務係、裁桑、養蚕)
     └─ 山川飼育所(庶務係、しま桑、養蚕、蚕種第1、屋久島分場蚕種第2)

3.社会情勢の変化に対応した研究室等内部組織の改正
(1)昭和33年の組織改正

 化繊・合繊の急速な開発・普及に伴って、海外での生糸消費は減少したが、戦後復興によって順調に発展した経済状況に支えられ、生糸消費は国内需要を中心とする状況に変化していた。一方、蚕糸業は、「なべ底不況」といわれた経済不振の直撃を受け、糸価の暴落に見舞われ、この事態に対応するため、政府は生糸買い上げによる市場隔離を行った。その結果、国内在庫量が急増することとなり、繭増産政策は、一転、桑園の大幅な減反(3割減反)へと変更を余儀なくされた。このような情勢を受けて蚕糸試験場は、絹の新規用途開拓を目玉とする組織の再編整備を行うこととなり、昭和33(1958)年度予算で、本支場を通じての効率的な試験研究の推進を図ることを目的とした「蚕糸試験場整備強化計画」を作成し、概算新規要求として大蔵省に提出した。
その概要は次のとおりである。

1.本場関係
(1)企画室をおく。企画室に3係をおき、試験研究の企画立案、連絡および調整、支場との技術的事務の連絡、資料の整備、図書標本の整理および管理を行う。
(2)現在の指導試験部を養蚕部に改組し、試験研究体制を整備強化し、前橋市におく。養蚕部の施設は、現在の前橋支場の施設を整備強化して利用する。
(3)絹繊維部を新しくおく。
(4)桑樹部、生理部、育種部、病理部、製糸部については、桑樹部を裁桑部に改称すると共に、裁桑第2研究室を前橋市におき、研究室を再検討し強化をはかる。
(5)現在の小千谷桑園は、本場附属の試験地とし、庶務係の外、桑育種研究室をおき、積雪寒冷地向桑品種の選出育成のの研究を行う。
(6)現在の武豊支場は、規模を縮小して本場附属の試験地とし、庶務係の外、裁桑および養蚕研究室をおき、所在地の特性をいかし、桑に対する乾ばつ試験、特性土壌の土壌改良試験および潮風害対策試験等 の研究を行う。
(7)本場および日野桑園の施設の強化改修を行うと共に事業用器械器具の強化をはかる。
2.支場関係
(1)地域的な事情に適する蚕桑技術を確立するため、地域的性格を有する試験研究を行う支場をおく。
  この地域のうち関東および東海地区については本場が分担する。
(2)この試験研究を行う場所は、現在の福島、松本、綾部および熊本の4支場の施設を利用すると共に、更に試験研究の充実をはかるため施設および機械器具を強化する。
(3)これらの支場の名称を次のように改める。
   福島支場 → 東北支場
   松本支場 → 中部支場
   綾部支場 → 関西支場
   熊本支場 → 九州支場
(4)これらの支場には庶務課の外、裁桑、養蚕、土壌肥料、病理、蚕育種の5研究室をおき、蚕種研究室は適当な場所におく。
(5)関西支場には、現在の四国飼育所の施設を利用して四国分場をおき、庶務係の外、裁桑および養蚕の2研究室をおく。
(6)九州支場には、現在の山川飼育所の規模を縮小して試験地とし、桑の萎縮病に関する試験を行う。
3.原蚕種製造所関係
(1)蚕種製造の適地には、原蚕種製造所をおき、蚕種製造を行うと共に、蚕種に関する研究および蚕品種の保存利用に関する研究を行う。
(2)原蚕種製造所は現在の新庄および宮崎支場ならびに小淵沢飼育所の施設を利用しておく。
(3)宮崎原蚕種製造所に蚕品種増殖のため屋久島分場をおく。屋久島分場は現在の山川飼育所屋久島分場の施設を利用する。
4.製糸試験所関係
 現在の岡谷製糸試験所の整備強化をはかる。
5.支場および飼育所の廃止
 新庄、前橋、武豊、明石、宮崎の各支場および四国、山川、小淵沢の各飼育所は廃止する。
  ただし、新庄支場は、新庄原蚕種製造所、前橋支場は養蚕部、武豊支場は本場附属武豊試験地、宮崎支場は宮崎原蚕種製造所、四国飼育所は関西支場四国分場、山川飼育所は九州支場山川試験地、小淵沢飼育所は小淵沢原蚕種製造所として全部又は一部の施設を利用する。
6.施設の整理
 明石支場の施設の全部、武豊支場および山川飼育所の施設の大部分は整理する。
7.定員の配置換え
 定員は現状のままとし、この範囲内で人員の配置換えを行う。
8.実施時期
 昭和33年10月1日とする。


図27 蚕糸試験場の日野庁舎

   以上の結果、昭和33(1958)年10月時点の組織は下記のとおりであった。

     蚕糸試験場
      ├─ 技術連絡室(図書標本科、連絡第1科、連絡第2科)
      ├─ 総務部(庶務課、会計課、用度課、日野分室、前橋分室)
      ├─ 裁桑部(桑生理生態(日野)、桑遺伝、桑繁殖、栽培第1(日野)、栽培第2(前橋)、
      │       栽培第3(武豊試験地)、桑育種第1、桑育種第2(小千谷)、桑災害(日野)
      ├─ 生理部(蚕形態、蚕生態、栄養生理、絹分泌生理、蚕遺伝、蚕卵第1、蚕卵第2)
      ├─ 育種部(蚕品種特性(日野)、蚕育種法第1(日野)、蚕育種法第2(日野)、
      │      蚕品種改良(日野)、原蚕種)
      ├─ 養蚕部(飼育法第1、飼育法第2、飼育法第3、飼育環境、養蚕経営)
      │  (前橋)
      ├─ 病理部(桑病、微粒子病、軟化病、硬化病、蚕ビールス病、害虫)
      ├─ 製糸部(原料繭、煮繭、繰糸、特殊生糸、製糸用水、製糸機械、繭検定)
      ├─ 絹繊維部(機織、精練、染色、加工、絹糸物理、製品)
      ├─ 化学部(土壌、肥料、桑化学、蚕化学、絹糸化学、副産物利用、アイソトープ)
      ├─ 東北支場(庶務課、裁桑、養蚕、蚕品種改良、土壌肥料、病理)
      │  (飯坂)
      ├─ 中部支場(庶務課、裁桑、養蚕、蚕品種改良、土壌肥料、病理)
      │  (松本)
      ├─ 関西支場(庶務課、裁桑第1、裁桑第2(四国試験地)、養蚕、蚕品種改良、土壌肥料、病理)
      │  (綾部)
      ├─ 九州支場(庶務課、裁桑、養蚕、蚕品種改良、土壌肥料、病理)
      │  (熊本)                       └─ 山川試験地
      ├─ 新庄原蚕種製造所(庶務課、蚕種、蚕品種特性、原蚕種)
      ├─ 小淵沢原蚕種製造所(庶務課、蚕種、蚕品種特性、原蚕種)
      ├─ 宮崎原蚕種製造所(庶務課、蚕種、蚕品種特性、原蚕種)
      │                         └─ 屋久島
      └─ 岡谷製糸試験所(庶務課、原料繭、煮繭、繰糸
、仕上) 

(2)昭和35年の組織改正
 昭和35(1960)年度に行われた「蚕糸試験場整備強化」によって、昭和33年新設の技術連絡室、養蚕部、絹繊維部を強化する、33年度整備した支場、場所を強化する、武豊試験地を日野に移す、四国試験地、山川試験地を廃止することとなった。その結果、武豊支場(蚕糸試験場裁桑部栽培第3研究室)の業務は、すべて日野桑園に移され、土地、建物その他の大部分は東海近畿農業試験場栽培第二部に移管された。また、九州支場病理研究室山川分室(山川試験地)は九州支場病理研究室に統合された。これらの整備は36年3月末までに完了した。


図28 蚕糸試験場九州支場(昭和40年に市内から植木町に移転:農林省告示第570号による)

(3)昭和43年の組織改正
 昭和43(1968)年4月16日付農林省告示第20号で、昭和36年12月1日農林省告示第1357号(農林省の本省の試験研究機関の支場又は支所の名称及び位置を定める件)の一部改正が認められたことから、同日付けで原蚕種製造所の名称変更をはじめとする「蚕糸試験場の事務分掌及び組織の細目の一部改正」が行われた。
 主要な改正点を次に記す。

○技術連絡室を企画連絡室に改める
○栽桑部栽培第2研究室(前橋)を廃止し、栽培第1研究室(日野)を栽培研究室とする
○育種部蚕品種特性研究室(日野)を蚕育種法第1研究室とし、蚕育種法第1研究室を蚕育種法第2研究室に、蚕育種法第2研究室を蚕育種法第3研究室とする
○養蚕部(前橋)飼育法第3研究室を機械化第1研究室および機械化第2研究室とする
○製糸部原料繭研究室を繭質研究室に、煮繭研究室を工程制御研究室に、繰糸研究室を品質管理研究室とする
○新庄原蚕種製造所を新庄原蚕種試験所に改める
○小淵沢原蚕種製造所を小淵沢原蚕種試験所と改め、同所の蚕種研究室を蚕品種特性第1研究所に、蚕品種特性研究室を蚕品種特性第2研究室に、原蚕種研究室を蚕品種特性第3研究室とする
○宮崎原蚕種製造所を宮崎原蚕種試験所と改め、同所の蚕種研究室を原蚕飼育研究室に、蚕品種特性研究室を蚕種製造研究室とする
○岡谷製糸試験所の煮繭研究室を廃止し、仕上研究室を仕上研究室と製糸総合技術研究室とする

 この時の主な改正理由について、蚕糸試験場が提出した理由書には次のように記されている。

  改正理由書                   43.4.1  蚕糸試験場
1.原蚕種製造所関係
 現在蚕糸試験場は原蚕種製造の適地3カ所に原蚕種製造所を置き、それぞれ蚕種の保護取扱い、蚕品種の保存利用、原蚕の飼育に関する研究および調査並びに原蚕種の製造および配布を行っているが、こんご業務の効率的推進をはかるためには、現状をもってはこれに即しない面が生じてきたので、この際研究体制の整備強化をはかり、任務遂行に万全を期したい。
 なおこれらの試験研究は、以前は都府県蚕業試験場および会社等民間研究所においても実施されていたが、最近はほとんど国の試験研究に依存している情況であり、当場が強力に推進する以外に方途がない。
 その理由と強化の方針を具体的に記せばおおむね次のとおりである。
(1)試験研究の推進すべき方向を考慮し、重点的に目標を定め、現在の3原蚕種製造所で分担実施している試験研究を再編成し、研究効率の向上を期待したい。
  そのため蚕種の保護取扱いの研究については新庄において行ない、原蚕の飼育技術および蚕種製造技術に関する機械化を主体とした省力技術の開発研究については宮崎において行なうこととし、両原蚕種製造所の名称を実態に即して改める。
  これに関連して、育種部においては、蚕の品種改良をいっそう推進するため、蚕品種特性研究室の業務を新庄に移管するほか、機械化等による育種方法の能率化、交雑組合せ効果の拡大方法等についての研究を強化するとともに、基礎品種の改良の研究を新たに加えることとする。
(2)原蚕種の製造および配布については、農林省の指定している品種約80種を取り扱うが、それらは飼育特性がそれぞれ異なるのみならず蚕種の製造時期、蚕種の越年形式、配布時期等が異なるので、寒冷地および暖地の2カ所において実施することが絶対に必要であるので、新庄および宮崎において、効率的に分担実施することとする。
  なおこの業務は、蚕糸業に対する責任が大きいので、蚕病および災害の発生に対する危険分散上の見地においても2カ所に分けて運営することが必要である。
  また、原蚕種製造にあたっては、微粒子病およびカイコノウジバエ等の病虫害について厳重な防除が必要であり、そのため桑園は隔離されているか、河川に近い通風の良好な場所にあることを要し、新庄および宮崎の当場桑園はこの条件に適合するものである。
(3)当場創立以来世界各地から収集し、蚕の品種改良および蚕糸科学の進歩発展に大きな貢献のあった約600種の保存蚕品種は現在では当場以外に求めることはできず、3原蚕種製造所の蚕品種特性研究室でそれぞれ系統保持を行なっているほか、事実上一部は本、支場においても保存にあたっている現状にかんがみ、今回系統保持およびその特性についての調査研究を1カ所に集中し適正かつ円滑に運営するよう にしたい。
  よって蚕品種の系統保持と特性利用に関する研究を小淵沢1カ所に集中実施し、その成果を効果的に品種改良へ反映させるものとし小淵沢原蚕種製造所の名称を実態に即して改める。

2.養蚕部関係
 今後の農業動向に対応して、養蚕経営においては、桑園の集団化、養蚕の協業化が積極的に推進される等規模拡大の情勢にあるので、これに伴う生産効率を高めるために栽桑、育蚕およびこれらの前提となる病虫害の防除法をあわせ経営的視点からの総合的技術体系を早急に確立することが必要である。そのため当場においては養蚕部を中心に昭和36年から養蚕機械化の研究を実施してきたが、さらに研究室相互の連携を深めて効率的に推進するため、栽桑の機械化研究については栽桑部の栽培第2研究室を機械化第1研究室に改めて養蚕部に移管し、育蚕の機械化研究については飼育法第3研究室を機械化第2研究室に改め、もって研究体制の整備強化をはかる。

3.製糸部及び岡谷製糸試験所
 製糸技術の発展をみると、座繰機から多条繰糸機を経て、自動繰糸機中心の現在に至るまで、順次機械化の度合が高くなり、これに伴って生産設備が大型化してきた。こんごはさらに生産工程の各段階における機械の自動化を進めるため、機械の性能が精密になることが要請される。
 他方、作業技術は個人によって工程の全部が一貫して行われることはなくなったため、作業従事者各個人の熟練に依存する程度は減少し、集団としての作業体系が主体になっている。したがって各工程の技術が相互に影響し合うので、総合した技術は工場単位に一貫した体系となるであろう。
 製糸に関する研究の基本的方向は、上記の技術発展の動向に対応したものでなければならない。したがって研究をその手法によって細分して行なう分析的研究と、その成果をもとにして技術の組立を行なう総合的研究の2つの群に大別して実施することが適切である。
 分析的研究は組織機能の観点から製糸部に担当させ、総合的研究は大量の繰糸を必要とするので、岡谷製糸試験所の立地条件の有利性に着目し、同所に必要な施設を整備して実施させる。
 以上の理由により、事務分掌及び組織の細目を改める。

 その結果、昭和43(1968)年時点の研究所体制は下記の通りとなった。

     蚕糸試験場
      ├─ 企画連絡室(企画科、連絡第1科、連絡第2科、資料課)
      ├─ 総務部(庶務課、会計課、用度課、日野分室、前橋分室、小千谷分室)
      ├─ 裁桑部(桑生理、桑生態(日野)、桑遺伝、桑繁殖、栽培(日野)、桑育種第1
      │      桑育種第2(小千谷)桑災害(日野)
      ├─ 生理部(蚕形態、蚕生態、栄養生理、絹分泌生理、蚕遺伝、蚕卵第1、蚕卵第2)
      ├─ 育種部(蚕育種法第1(日野)、蚕育種法第2(日野)蚕育種法第3(日野)、蚕品種改良(日野)
      │      原蚕種)
      ├─ 養蚕部(飼育法第1、飼育法第2、機械化第1、機械化第2、飼育環境、養蚕経営)
      │  (前橋)
      ├─ 病理部(桑病、微粒子病、軟化病、硬化病、蚕ビールス病、害虫)
      ├─ 製糸部(繭質、工程制御、品質管理、特殊生糸、製糸用水、製糸機械、繭検定)
      ├─ 絹繊維部(機織、精練、染色、加工、絹糸物理、製品)
      ├─ 化学部(土壌、肥料、桑化学、蚕化学、絹糸化学、副産物利用、アイソトープ)
      ├─ 東北支場(庶務課、裁桑、養蚕、蚕品種改良、土壌肥料、病理)
      │  (飯坂)
      ├─ 中部支場(庶務課、裁桑、養蚕、蚕品種改良、土壌肥料、病理)
      │  (松本)
      ├─ 関西支場(庶務課、裁桑、養蚕、蚕品種改良、土壌肥料、病理)
      │  (綾部)
      ├─ 九州支場(庶務課、裁桑、養蚕、蚕品種改良、土壌肥料、病理)
      │  (熊本)
      ├─ 新庄原蚕種試験所(庶務課、蚕種、蚕品種特性、原蚕種)
      ├─ 小淵沢原蚕種試験所(庶務課、蚕品種特性第1、蚕品種特性第2、蚕品種特性第3)
      ├─ 宮崎原蚕種試験所(庶務課、原蚕飼育、蚕種製造、原蚕種)
      └─ 岡谷製糸試験所(庶務課、原料繭、繰糸、仕上、製糸総合技術)

(4)昭和47年の組織改正
 昭和47(1972)年4月付で、病理部に農薬残留研究室が、東北支場に人工飼料育研究室が設置されると共に、小淵沢原蚕種試験所を廃止して、育種部蚕品種保存研究室とすることとなった(下図)。

      ├─ 育種部(蚕育種法第1(日野)、蚕育種法第2(日野)蚕育種法第3(日野)、蚕品種改良(日野)
      │      原蚕種、蚕品種保存
      ├─ 病理部(桑病、微粒子病、軟化病、硬化病、蚕ビールス病、害虫、農薬残留
      ├─ 東北支場(庶務課、裁桑、養蚕、蚕品種改良、土壌肥料、病理、人工飼料育

 組織改正の要求理由書には次のように書かれている。

病理部に農薬残留研究室を設置する理由
 一般に農薬は各種作物の病害虫防除に用いられるが、養蚕部門においては、蚕の安全性を確保するなかで、それを適切に使用しなければならない。また、桑および繭の安定多収を常に維持するために蚕桑の各種病害虫防除に関する研究はきわめて重要であり、当場においても、この分野の試験研究を病理部が分担実施している。
 しかしながら、蚕桑病害虫防除に用いる各種農薬、すなわち、殺虫剤、殺菌剤、除草剤、蚕体および蚕座消毒剤等が、桑−蚕生態系の中で、どのように循環し、これが如何なる形において残留、移動、蓄積して蚕へ影響をおよぼすかについて知られていない。しかし、これらの点を明確にすることは、農薬の蚕への安全使用を確立するためにきわめて重要である。
 さらに最近問題になりつつある農薬汚染、田畑の桑園への転換についても、土壌残留農薬が桑樹を経て蚕体へ入ることは容易に想定される問題で、桑園造成上ここにおいても残留農薬の毒性解析が必要である。
 したがって、当場において従来から脱落しており、他の部門における研究では、補強されないこの分野の研究を推進するために、農薬残留研究室を設置したい。

東北支場に人工飼料育研究室を設置する理由
 蚕糸試験場において人工飼料に関する研究を開始して10年以上を経過したが、この間主として生理部および化学部を中心に人工飼料に関する基礎的研究が実施され、蚕の栄養に関する知見が一段と深められ、同時に人工飼料の組成改善が進み、桑葉粉末を含むあるいは含まない人工飼料による小規模な飼育では桑葉育に比べほとんど遜色のない飼育成績を収めうるまでに至った。
 しかしながら人工飼料による蚕の飼育において規模を拡大しようとする場合に飼料調製と蚕飼育の両面における機械化が不可欠であり、大量育におけるいくつかの技術的隘路を解決することを目的に昭和44年度より3ヵ年に亘り、農林水産技術会議の振興費による新技術開発特別課題として人工飼料による蚕の大量飼育に関する研究が生理部、化学部および東北支場において実施された。
 この研究の進展に伴い、45年度予算で東北支場の第5蚕室の改修を行い、桑葉乾燥室兼飼料粉砕室、飼料調整室、飼料貯蔵室、稚蚕飼育室、壮蚕飼育室、上蔟室および機械室を完成した。
 東北支場においては、46年度中において数回にわたり、大量育(稚蚕期10万頭、壮蚕期2万頭)を実施し、飼育環境の解明、作業能率の向上、作柄の安定などに関する試験を実施してきた。
 人工飼料に関する研究の進展に伴い、今後人工飼料育を大量に実施し、その作業体系の組み立てを効率的に推進するため東北支場に新たに人工飼料育研究室を設置したい。


図29 蚕糸試験場(杉並区高円寺)

4.筑波研究学園都市への移転
(1)筑波研究学園都市建設構想
 筑波研究学園都市建設構想の発端は、昭和30年代以降における経済の高度成長により都市への人口の過度集中、特に首都への人口の過度集中回避のための官庁集団移転の検討から始まっている。即ち、昭和36年9月の閣議において「首都への人口の過度集中の防止に資するため各種防止対策の強化を図るべきであるが、まず、機能上必ずしも東京都の既成市街地に置くことを要しない官庁(付属機関および国立の学校を含む)の集団移転について速やかに具体的方策を検討する」旨の決定が行われ、移転官庁として試験研究機関を主とした検討が始められた。
 また、科学技術会議も、総理大臣の諮問「国立試験研究機関を刷新充実するための方策について」に対する答申の中で「国の試験研究機関の過半数は東京及びその周辺に分散配置されているが、これら研究機関の敷地は狭く、また東京の過密化が進むに従って騒音、振動、大気汚染、水不足、交通難等研究環境の悪化が著しく研究に大きな障害を来しており、従って、研究環境の改善、施設整備の共同利用、共同研究の円滑化、人的交流の活発化等により試験研究を効率的に推進するため、過大都市を離れた地域に国立試験研究機関を集中的に移転させる必要がある」と述べている。
 こうした背景のもとに、昭和38年9月10日の閣議において、新官庁都市として研究学園都市を建設することとし、@建設地を筑波とする、A計画規模は概ね4,000haを予定する、B用地の取得造成は日本住宅公団に行わせること、が了承された。その後約1年間の各省、地元との折衝、協議を受けて、昭和39年12月25日の閣議において、首都圏整備委員会委員長を本部長とし、関係各省事務次官を委員とする「研究・学園都市建設推進本部」の設置が決定された。推進本部の各部会の検討をふまえ、昭和42年9月5日の閣議において、農林省関係13機関を含む36機関の移転予定機関が了解された。

(2)農林省における検討
 農林省は、東京都に所在する農業技術研究所、蚕糸試験場、林業試験場の試験研究環境が年々悪化していること、これら試験研究機関の一部が東京都下および近県に分散していること等から、昭和35年に、これらの機関を適地に移転し、分散している試験研究施設を集中して農林研究センターを建設する構想をたて、上記の筑波研究・学園都市建設構想とは別に検討を始めていた。同様に別途移転計画を検討していた通産省と、農林省とに対して首都圏整備委員会から、移転計画の統合の申し入れがあったことを受けて、昭和38年4月、農林省は、@先述の3機関に限らず総合的農林研究センターの建設が可能であること、A研究環境、生活環境が十分に整備されること、B政府の総合的事業として強力に推進されることが可能であるとの判断から、この申し入れに応じることを回答した。
 農林省では、昭和39年8月16日付で技術会議事務局に「農林研究センター建設準備室」を設置して検討を開始した。技術会議では、14機関の移転という重要な事業を遺漏なく推進できるよう、昭和40年11月25日付で、技術会議会長、委員、専門委員の外18名の学識経験者をもって「農林研究センター建設専門委員会」を設置し、農林研究センターにおける試験研究機関の配置、整備すべき共同施設、試験研究機関の管理体制等について調査審議することとした。その後の検討の中で、農林研究センターという名称より「農林研究団地」という呼称が適切であるとされた。昭和42年6月1日には、「農林研究センター建設準備室」を発展的に解消し、「施設計画室」が省令上の組織として設置された。
 昭和43年に農林研究団地の位置が決定されると、昭和44年12月2日にその建設予定地の7号団地に農林省関係13機関の現地窓口として圃場管理所(職員2名駐在)が設置され、46年から防風林の造成管理を行うなど、建設が開始された。技術会議事務局では、建設計画の基本的事項をとりまとめ、昭和46年7月10日に移転機関場所長会議を開催し、移転機関11機関に提示し各機関からの同意の回答を得た。
 最終的に移転機関は、農業技術研究所、農事試験場、畜産試験場、園芸試験場、農業土木試験場、蚕糸試験場、家畜衛生試験場、食糧研究所、植物ウイルス研究所、熱帯農業研究センター、林業試験場の11機関となった(当初、計画していた東海区水産研究所、淡水区水産研究所、水産庁漁船研究室は除外し、昭和45年新設された熱帯農業研究センターを新たに追加したため)。

(3)蚕糸試験場における検討
 蚕糸試験場においては、これらの動きの中で、昭和45年11月に場長の諮問機関として場内に「蚕糸試験場基本問題検討委員会」を設置し、以下のような趣旨で検討を行い、検討結果を取りまとめ昭和47年11月に次のような内容の「蚕糸試験場の将来構想」として公表された。

作成の趣旨
生糸は横浜開港以来、わが国の輸出貿易の最重要物資として近代日本の国勢伸長に大きな役割を果たし、また、その試験研究部門を担当する当場も都府県蚕試および民間試験研究機関とともによくその使命を果たしてきたといえよう。しかし近年において、わが国の産業構造は著しく変容を遂げ、輸出の伸張は、その大半が重化学工業によるものとなっている。一方、国内の生糸需要は伸びつつあるにもかかわらず、繭生産は停滞し減少の懸念さえあり、生糸輸出は零に等しく、昭和41年以来、生糸・絹織物の輸入は激増している現状である。そのため、、わが国の蚕糸業の使命は終わったとし、その試験研究を担当する当場に対してもその機構組織を過大視する批判が少なくない。また、農林水産技術会議においても激動するわが国の農業事情に対応するため、傘下の試験研究機関全般を対象とした組織体制の再検討が開始されている。
 蚕糸試験場の現状は政府の国家公務員定員削減措置のしわ寄せを受け、この5年間に定員は約100名減じており、また人員配置は必ずしも円滑とはいえず、研究室機能を十分果たしない研究室も散見されるにいたり、また、戦後の昭和20年代において毎年大幅な採用が行なわれた結果の影響が、その後の級別定数の設定とも関連し、今日職変問題および研3・研2昇格問題として、深刻化している。さらに準行中の筑波における研究学園都市の建設に伴う問題点も少なくない。
 このような背景のもとに、将来における当場のあり方を試験研究推進の立場から十分検討しておくことは今後の場の組織確立、試験研究の遂行および運営にきわめて重要である。
 場は将来計画を作成するため昭和45年11月場長の諮問機関として場内に基本問題検討委員会を設け場の基本にかかわる事項について諮問を行ない得られた答申に対し全職員の意見を求めた。この「答申」と「意見」をもとにして将来構想(案)を作成し、これを全場員に配付し修正意見を求めた。また、この間、第2次基本問題検討委員会を発足させ、新たに8項目について諮問を行ない答申を得た。この構想は将来構想(案)に上記「答申」と「修正意見」を加えて定稿としたものである。
 場は本構想に基づき部支場所長会議、部長会議、室長会議等場組織により将来計画を樹立するものとする。

目次
作成の趣旨
T.日本農業の展望
 1.日本農業の動向
 2.日本農業の将来
U.日本蚕糸業の展望
 1.絹の将来性
 2.世界における生糸の生産および消費
  (1)中国
  (2)韓国
  (3)ヨーロッパ5か国
  (4)アメリカ
  (5)その他の国
 3.日本の蚕糸業の現状と将来
  (1)蚕種製造業
  (2)養蚕業
  (3)製糸業
  (4)絹加工業
  付.開発途上国に対する技術援助
V.研究の進め方
 1.蚕糸技術研究の方向
  (1)技術と科学
  (2)蚕糸技術と研究の推移
  (3)蚕糸技術研究に対する行政、業界からの
    要望
  (4)蚕糸技術研究の反省と今後のあり方
  (5)今後の蚕系技術および研究
 2.国立研究機関としての当場が果たすべき役割        
  (1)研究領域
  (2)研究以外の業務
  (3)本支場制
  (4)地域農試、蚕糸関係公立研究機関との関係
  (5)その他の研究機関との関係
 3.当場における技術研究の進め方
 4.当場の研究推進方向
  (1)当場の研究目標

  (2)重点指向すべき研究分野
  付.蚕糸に関する技術および研究の国際交流および協力
 5.今後当場が実施すべき試験研究問題と他試験研究機関との連けい
W.当場における組織体制の現状と問題点
 1.研究体制に関する現状と問題点
 2.職員構成における現状と問題点
 3.その他の問題点
X.当場の運営のあり方
 1.運営の方針
 2.研究室制度と共同研究
  (1)研究室の役割と機能
  (2)研究領域の分担と共同
  (3)共同研究について
 3.運営上の具体的な問題点
  (1)職員の教育
  (2)評価のあり方
  (3)討議の場
  (4)研究費の配分
  (5)研究支援部門と研究部門との関連性
  (6)その他
Y.当場における職員の待遇問題
 1.国家公務員の賃金
 2.職階給与体系における問題点
 3.処遇における差別の問題
 4.その他の問題
Z.当場における研究環境ならびに生活環境
 1.研究の場における間題点
 2.立地条件における問題点
 3.施設の現状と問題点
  (1)施設の現状
  (2)施設改善の考え方
 4.住宅についての問題点
  (1)住宅の現状と問題点
  (2)今後の対策

 このような検討を行っている最中の昭和46年8月10日に、昭和47年度予算要求にあたっての蚕糸試験場の筑波移転の意志決定を迫られたことから、試験場としては移転に伴う諸条件の明確化を要望しながらも、筑波移転を了承した。
 昭和49年10月8日に場長の諮問機関として圃場委員会を設置し、@圃場管理の望ましいあり方とその実現のための方策、A当面する圃場の共同管理を円滑に進めるために必要な事項を諮問し。昭和50年4月17日には筑波委員会を設置し、@農林研究団地における蚕糸試験場の建設計画の基本に関する事項、A農林研究団地における蚕糸試験場の建設計画を検討するために必要な方策などを諮問した。両委員会の検討の結果、両委員会名で「筑波問題をめぐる当面の情勢と公聴会について」が建議され、昭和50年8月4日に公聴会が開催された。
 蚕糸試験場では、昭和51年5月企画連絡室内に「筑波準備室」を設置し、各種の連絡調整に当たらせることとした。移転に伴う試験研究の中断を避けるため、圃場造成を先行させることとし、昭和51年4月筑波現地で4名を採用し、昭和52年10月1日先発移転者2名とで「筑波分室」を開設し、桑の植え付け作業を実施した。
 桑の圃場も成長し始めた昭和54年4月1日桑の研究者を中心に先発移転し、施設がほぼ完成した昭和55年1月1日、杉並の残務整理を担当する職員を除く全体の移転を行い、蚕糸試験場の筑波移転が概ね完了した。
※蚕糸試験場の筑波への移転は、本場の他に、養蚕部(前橋市)と日野桑園(日野市)を対象として行われた。
  養蚕部の所在地は、群馬県前橋市昭和町3丁目36−41で、群馬大学付属病院に隣接したところにあった。敷 地は庁舎と第3桑園(関根)、第4桑園(敷島)の3ヵ所に分かれており総面積約9.2haであった。養蚕部の 本館は、明治44年12月22日に前橋市岩神町(現、昭和町3丁目)に、国立原蚕種製造所前橋支所の本館(事務 棟)として建てられたもので、筑波移転に伴い、前橋市が昭和56年に国から払い下げを受け、「糸の町」前橋 のシンボルとして後生に遺すため、「前橋市蚕糸記念館」として敷島公園バラ園内に移築し保存されている。 玄関のエンタシス状の柱、レンガ積みの基礎、上下開閉式の窓、出入口のドアの低い位置の取っ手、避雷針の 設置、高い天井、大壁造、横箱目地板張、などの特長をもつ、明治末期の代表的な洋風木造建築物であり、昭 和56年7月10日に群馬県の指定重要文化財(記号番号 県重152号)に指定されている。
  日野桑園の所在地は、東京都日野市大字日野1852で、中央線日野駅より徒歩約15分、多摩川ぞいにあった。 敷地は庁舎および第1桑園、第2桑園(石田)、第3桑園(谷戸上)の3ヵ所にわかれており総面積約11.2ha であった。


図30 建設中の蚕糸試験場

5.農業関係試験研究機関の見直しに伴う組織の大幅縮小(58体制整備)
(1)行政監察結果に基づく勧告(昭和55年12月)

 行政管理庁は昭和54(1979)年10月〜12月、この間の農業を取り巻く情勢の変化、筑波研究学園都市の研究団地が概成し国の農業関係試験研究機関の半数がここで試験研究を行うこととなったという情勢を踏まえて行政監察を行い、昭和55年12月に「農業技術の開発と普及に関する行政監察結果に基づく勧告」を出し、その中で次のような勧告を行った。

(1)筑波農林研究団地の概成に伴う実施体制の見直し
@筑波移転機関のうち、農業技術研究所の経営土地利用部と農事試験場の農業経営部とについては、その統合計画を早急に具体化すること。
A筑波農林研究団地内の畑作研究用共同利用研究施設については、その運営主体を明確にするとともに、関係各場・所の共同利用推進体制を確立すること。
  また、農事試験場については、筑波移転機関と農業試験場との仲介役的な機能を付与する等、その役割について見直しを行うこと。
B筑波移転機関の管理業務のうち、各場・所が個別に処理している給与、営繕等の業務についても、これを集約化するよう検討し、事務の簡素合理化及び要員の効率的な運用を図ること。
(2)農業動向の変化に対応した試験研究体制の再編成
ア 専門試験研究機関の試験研究体制の合理化
 (中略)今回、これらの専門場所について、試験研究の実施体制及び実施状況を調査した結果、蚕糸試験場等一部の専門場所については、最近における農業動向の変化と対比して次のような問題が見られた。
(ア)蚕糸試験場
 @我が国養蚕の動向をみると、昭和54年の養蚕戸数及び桑園面積は最盛期に比べ著しく減少しているが、蚕糸試験場は、このような情勢の変化に対応して試験研究体制の縮小に努めてはいるものの、なおその人員(昭和54年度末定員574人、うち研究員352人)及び支場(所)数(支場4箇所、原蚕種試験所2箇所、合計6箇所)において、農業関係試験研究機関中最大の規模を保持している。
   また、最近における外国産生糸との競争の激化、農村からの労働力の流出等の諸情勢を背景として、桑の栽培時期に拘束されない周年養蚕技術(桑の貯蔵技術等)の確立、蚕の人工飼料育技術体系の確立、革新的な育種法による繭増産技術の開発等蚕糸試験場に対する新技術開発の要請が強まっているが、蚕糸試験場本場のこれらの要請への対応は必ずしも十分とはいえない状況にある。
 A蚕糸試験場の4支場(東北、中部、関西及び九州の各支場)は、その所掌業務のうち、蚕の品種改良に関する試験研究に最も重点を置いているが、一方、養蚕農家が使用する普通蚕種について、昭和53年における蚕種製造業者の製造状況をみると、年間総製造数量の大半が製糸業者等民間業者の育成した蚕品種の製造数量によって占められており、これらの支場が育成した蚕品種の製造数量は極めて少ない。
 B蚕糸試験場の2原蚕種試験所(新庄及び宮崎の各試験所)は、その所掌業務のうち、養蚕農家が使用する普通蚕種の原原蚕種の製造に2箇所合計で最も多くの人員を配置しているが、蚕糸試験場が育成した蚕品種は養蚕農家段階であまり使用されていないこともあって、昭和53年度におけるこれら2箇所合計の製造数量は、最盛期の約3分1に減少している。しかも、これら2箇所合計製造数量を蚕品種別に分けてみると、その半分以上が製糸業者等民間業者の育成した蚕品種(製糸業者等民間業者も  原原蚕種を製造しているもの)によって占められており、蚕糸業法(昭和20年法律第57号)上、蚕糸試験場でしか製造することができない蚕品種(場内で育成したもの)は比較的少ない。(中略)
 専門場所が行う試験研究を効率的に推進するためには、農業動向の変化に即応して試験研究体制の見直しを行い、相対的に必要度が低下した研究部門を整理統合し、新しい研究需要に対応するための試験研究体制に再編整備することが重要であるので、農林水産省は、次の措置を講ずる必要がある。
@蚕糸試験場については、最近における養蚕の動向に即応して、その支場(所)を整理統合するとともに、新技術開発の要請に対応するため試験研究の重点を明確化し、本場、支場(所)を通じてその試験研究 体制を一層縮小するよう検討すること。(後略) 

(2)農業研究センターの設置
 このような状況の中で、農林水産技術会議は昭和55(1980)年1月22日に、農林研究団地を中心に農業関係の試験研究体制についての見直しを行い、その再編整備について検討することを決定した。その主な検討事項は、@筑波農林研究団地において、地域農業の再編成に必要な土地利用型農業についての技術の体系化および総合化を行うとともに、各地域における農業試験場と筑波団地における試験研究機関との結節点的な役割を持つ新研究センターの設立、A農業経営研究を強化するため、筑波団地の試験研究機関等にある農業経営研究勢力を新研究センターに集中整備するとともに、各地域の農業試験場の農業経営研究部門を強化する、B最近の科学技術の進展状況に対応して共通基礎研究を強化するため、農業技術研究所等の組織について検討する、というものであった。
 この方針に従って検討が加えられた結果、「農業研究センター」の設置が行われたが、農林水産技術会議は、昭和56年9月8日、先行的・基盤的試験研究体制の整備について、農業技術研究所のあり方だけにとどまらず、植物ウイルス研究所等を含む関連試験研究体制全体を見直し、今後のあり方を検討することを決定した。検討すべき事項は、@農業生産に係わる生物資源に関し、新資源の探索・作出、物質生産の効率的制御等によるその生産機能の飛躍的向上を図るための先行的・基盤的試験研究を行う体制について、A農業に係わる環境に関し、物質・エネルギーの循環と収支、農業の持つ環境保全的機能等の解明によりその制御・保全等を図るための先行的・基盤的試験研究を行う体制について、とされた。

(3)農業生物資源研究所および農業環境技術研究所の設置と蚕糸試験場の大幅縮小
 農林水産技術会議事務局に設置された農業関係試験研究体制検討会の検討結果を受けて、農林水産技術会議事務局は、昭和58年度組織定員要求案を作成し、関係方面との折衝の結果、昭和58(1983)年1月に「画期的新形質を備えた新作物の作出等に関する基礎的調査研究を行う農業生物資源研究所及び土壌、水等農作物等の生育環境の総合的な管理保全技術の開発等に関する基礎的調査研究を行う農業環境技術研究所を設置する」「新研究機関の設置に伴い、農業技術研究所及び植物ウイルス研究所を廃止するとともに、蚕糸業をめぐる諸情勢の変化に対応して、蚕糸試験場を組織、定員ともに大幅に縮小改組(9部1室6支場523人→5部1室1支場261人)する」ことを決定した。
 農林水産省設置法の一部を改正する法律案は、農業技術研究所および植物ウイルス研究所の廃止と二つの新研究所を設立することを内容として、昭和58年1月28日閣議決定ののち、第98回国会に上程され、衆参両院において賛成多数で可決成立し(法律第27号)、5月4日公布された(施行日昭和58年12月1日)。

(4)蚕糸試験場の新体制
 省令第49号で農林水産省組織規程改正が行われた結果、東北支場は東北農業試験場に統合されて東北農試畑作利用部となり、関西支場は中国農業試験場に統合されて中国農試畑地利用部となり、九州支場は九州農業試験場に統合されて作物第二部裁桑研究室、同養蚕研究室、環境第一部病害第3研究室、環境第二部作物栄養研究室、草地部機械作業研究室にそれぞれ振り替えられた。新庄原蚕種試験所は廃止され、蚕糸試験場蚕育種部原蚕種第一研究室および農業生物資源研究所遺伝資源部保存法第二研究室に改組され、宮崎原蚕種試験所は廃止され、蚕糸試験場蚕育種部原蚕種第2研究室および農業生物資源研究所遺伝資源部分類評価研究室に改組された。
 以上の結果、昭和58年12月以降の蚕糸試験場の組織は下記のとおりとなった。

   蚕糸試験場
    ├─ 企画連絡室(企画科、連絡科、資料課、業務科)
    ├─ 総務部(庶務課、会計課、小千谷総務分室、小淵沢総務分室、新庄総務分室、宮崎総務分室)
    ├─ 栽培部(桑育種法、桑育種第1、桑育種第2(小千谷)、土壌、桑栄養、桑生理、栽培、桑病害、桑虫害)
    ├─ 蚕育種部(蚕遺伝、蚕育種第1、蚕育種第2、蚕種第1、蚕種第2、蚕種製造、蚕品種保存(小淵沢)
    │       原蚕種第1(新庄)、原蚕種第2(宮崎))
    ├─ 養蚕部(蚕生理第1、蚕生理第2、養蚕第1、養蚕第2、人工飼料第1、人工飼料第2
    │       蚕病第1、蚕病第2)
    ├─ 加工利用部(繭質評価法、製糸自動化、製糸生産管理、絹糸特性、衣料素材、化学加工、利用開発)
    └─ 松本支場(庶務課、裁桑、養蚕、蚕品種改良第1、蚕品種改良第2)
        └─ 製糸試験部(庶務係、会計係、原料繭、新形質生糸、製糸技術)

 昭和59(1984)年に国家行政組織法が改正になり(昭和58年法律第77号)、施設等機関は政令で定めることとされたため、蚕糸試験場の設置規定を設置法から削除し、農林水産省組織令で規定することとされた(政令第207号農林水産省組織令改正)。
 その結果、蚕糸試験場の組織規程は次のようになった。
 第99条 蚕糸試験場は、蚕糸に関する試験、分析、鑑定、調査、講習並びに原蚕種、桑の接穂及び苗木の
     生産及び配布を行う機関とする


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