(群馬県中之条町)

国指定重要文化財
冨沢家住宅

住所:群馬県吾妻郡中之条町大字大道1274番地

開館時間/休館日:「係員がいない場合でも、建物内を自由にご観覧下さい」とあります。入口横の電気のスイッチを入れると15分間電灯がつきます。

入場料:文化財「維持・管理・補修」等のための浄財にご協力下さい、ということで、大人 100円、小人 50円を入れる箱が用意されています。

案 内:中之条町教育委員会発行の解説資料から引用:この建物は、様式などから江戸時代末期のものとみられる。建築の手法は、養蚕農家としての出し梁作り等、当時の特徴が見られ、茅葺入母屋造りで、屋根の正面が「かぶと造り」の大型民家である。昭和51・52年度にわたり半解体修理を行い、昭和61年3月、25代当主冨沢清氏から中之条町に寄付されたものです。

 本住宅のある中之条町も、中世には、越後・信濃への交通の要所の一つとして栄え、近世に入り幕府が江戸の防衛上重要とみて真田領から天領となった。また大道は標高800m近い高所で大道峠があり、三国街道の脇道として中世より重要視されてきた。この地は天正の頃(1575年前後)拓かれた新田村で、高冷地のため養蚕に適し、農耕地が少ないにもかかわらず大型農家が多いのはそのためである。

 冨沢家は、利根郡新治村須川の出身で、天正の頃大道に新田を拓いた小池三郎右衛門を祖とする。寛文12年(1672)の検地書では一寒村にすぎなかったが、十数年後の貞亨検地のときは、水田1町4反に増加、その3分の2を冨沢家が所有〈高冷地で耕作面積は少ないが〉峠部落の地の利を生かして、米作、養蚕をはじめ、麦雑穀・繭等の取引、駄馬による運送業、金貸しまで行って財をなし、亨保から宝暦(18世紀第2四半期)頃にかけてその地位を不動なものとした。

その他の情報:問い合わせ先:中之条町教育委員会(Tel 0279-75-2111 内線 261)

 県道から大道部落へあがっていく道は、とても細いので、運転に自信のない人や、大きな車の場合は下の駐車場に車を止めて徒歩で行かれた方がよいと思います。


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