ダイバーシティ推進 Diversity and Inclusion

大水 豊司 本部企画調整部つくば技術支援センター 谷和原業務第1科

昭和59年農業環境研究所に採用。平成6年から九州農業試験場、平成10年から農業生物資源研究所を経て、平成29年より現職。

いろんな人と出会ったこと大きい。出会いが大事。

若手時代の経験

高校を卒業して農業環境研究所(農環研。現農研機構農業環境変動研究センター)の業務科に採用になりました。農環研のときは大気や水、土壌のような環境の研究に関する業務を担当していました。ここでは本当にいろいろなことを経験しました。例えば、総勢4人で青森県の六カ所村まで車で往復2,000km走って、放射線のグランドレベルを測定する出張に行きました。気球を上げて空から撮影する調査をしたり。この頃は、決まった作業をするのではなく、研究者から「こういう実験がしたい」と相談されたことを、どうやれば上手くできるかイメ ージしながら仕事をする感じです。平成元年くらいから、生態を調査するための「池」を作る業務が加わりました。守山弘さんという研究員の方が主導していました。冬場に2~3人くらいで池を掘って、廻りに木を植える。笹の根があって普通の機械では地面を掘ることができない。最初の頃は人力で掘ったので大変でした。途中で海外から機械を導入して作業が効率的に進められるようになりましたが、毎年、池を作っていました。全部で6個か7個作ったと思う。これが農環研の第1期ビオトープ、ミニ農村*の一部になりました。ミニ農村はお宮があるのですが、池から参道までの部分も作りました。賽銭箱も手作り。お宮は地域でいらなくなった社をいただいてきたもの。今考えると、若かったし、みんなでミニ農村を作ったのが、これまでで一番楽しかった仕事かな。

異動先での経験

違う職場に行ってみたい、と思ったのと、実家が長崎県で、実家に近いところがいいかな、と思い、希望して異動しました。九州農業試験場(現農研機構九州沖縄農業研究センター)の筑後に配属となりました。ここでは、研究室付きでの業務です。水田利用の研究室に3年、大麦育種の研究室に1年居ました。稲の播種の深さを1cm、2cm、5cmと変えたり、稲の根を洗って調査したりと農環研での業務とは違い、細かい仕事。みんなでお酒も沢山飲んだよ。

いろいろ作りました

その後、つくばの農業生物資源研究所(生物研。現農研機構生物機能利用研究部門)に異動しました。ここでは遺伝資源に関する業務。籾や玄米の長幅を測り、形質を見るための細かい作業をします。研究室からの相談を受けて、いろいろな作業用具を作ったりもしたよ。たとえば、ダイズを育てた2,000個のポットを秤にのせて重さを量ると聞き、それは大変だから重量測定の道具を作って、作業を効率的にできるようにしたり。てこの原理を利用してはかりをぶら下げるんです。頼まれたら時間があれば断ることは少ないよ。絵を描いてもってきてもらい、研究者と話をしながら材料、形が分かって、大体のイメージが湧けば作っちゃう。自分の勉強にも One frame of the workなるしね。

仕事と生活の切り替え

趣味は、野球とテニスをやっています。子どもが小4のときに野球をやり始めたので、少年野球の指導者の認定をとって、コーチをしていました。子どもは大学生になったけど、今も野球をやっています。今でも一緒にキャッチボールはするよ。そのほかでは、農環研時代に一緒に仕事をした研究者に誘われて地域活動にも参加していました。田んぼアート作りに協力したり、交流で他の地域の子供が泊まりにきて花火大会や灯籠流しをしたり。仕事とはきっぱり切り替えてやるようにしていました。

人とのつながり

野球にテニス、若いときはバドミントン、サッカーと誘われるものみんな行って、いろんな出会いに繋がった。若くて順応性があるうちに、いくつかの場所に異動したことと、研究者と相談しながら仕事をしてきたため、技術専門職もそうですが、一般職や研究職にも知り合いが増えて仕事がやりやすくなったと思います。今年、谷和原圃場に異動して、今まで経験の無い大規模の水田での業務を担当することになりました。覚えることが沢山で大変ですが、今の職場にも知っている研究者がいて気分的にも少しラクになるし、助かっています。

*ミニ農村
当時、農環研の敷地に谷津田(やつだ)、用水路、二次林、屋敷林、社寺林、ため池を設置して造成した「小さな農村」。ここからは水辺環境とトンボ、カエルの生息の関係、鳥の種類のデータ等が得られました。