九州沖縄農業研究センター

スクミリンゴガイ

稲に被害を与えなかった南米のスクミリンゴガイ

軽飛行機で播種するブラジルの湛水直播(Water seeding)
軽飛行機で播種するブラジルの湛水直播(Water seeding)

スクミリンゴガイは1980年代前半に南米アルゼンチンからアジア各国に食用として導入されました。しかし販路が拓けず、結局、捨てられた貝が野生化して水稲の重要加害種になりました。アジアばかりでなく同じようにこの貝が導入されたハワイやドミニカ共和国でも水田作物を加害する貝になっています。

しかし、不思議なことに原産地であるアルゼンチンやブラジルでは、長い間、この貝が水稲に被害を与えることが知られていませんでした。もちろん、アルゼンチンやブラジルでは水稲が古くから栽培されています。特にブラジルでは米が主食で、稲はもっとも重要な穀物です。ではなぜ被害の報告がなかったのでしょうか。私は南米の稲作は乾田直播だからだろうと、なんとなく考えていました。乾田直播では乾いた田んぼに種を播き、苗が大きくなるまでの約1ヶ月ぐらいは田んぼに水を入れません。水がないと貝は動けないし、苗が大きくなって茎や葉が硬化してしまうと貝は稲を食べません。貝の被害が出ないのも道理です。でも、よく調べると、ブラジルには古くから水を満たした状態で種子を播く、いわゆる湛水直播水稲も存在していたのです。

1998年に私は幸運にもにアルゼンチンとブラジルの稲作地帯を訪れる機会がありました。ブラジル南部のリオ・グランデ・ド・スル州の水田では、近年、赤米と呼ばれる雑草(栽培稲と野生稲とが交雑したものといわれている)が蔓延しており、その防除のために湛水直播が増加しています。目の前に満々と水を湛えた数ヘクタールの広大な水田を前にして、私は考え込んでしまいました。スクミリンゴガイの被害が全くみられないのです。水田は播種数日後で、直播特有の弱々しい稲苗が林立していました。こんな稲はスクミリンゴガイが最も好むものです。こんな方法で播種をしたら、九州や東南アジアの水田では出芽直後の幼苗が貝にすべて食べられてしまい、1本の稲も苗立しないこと請け合いです。

すぐに被害がみられない訳がわかりました。不思議なことに、スクミリンゴガイが水田に全くいなかったのです。近くの用水路にはスクミリンゴガイの赤い卵塊が発見できたので、このあたりにスクミリンゴガイが分布していることは間違いありません。なぜ水田に貝がいないのですか。何人かの人に同じ質問を繰り返しましたが、納得のゆく回答は戻ってきませんでした。その後も、いくつもの播種直後の水田を観察しましたが、結局、貝の姿はほとんど見られませんでした。南米で貝の被害がみられなかったのは、栽培形態のこともありますが、どうやら、播種のシーズンに水田の中に貝が全くいないか著しく密度が低いためらしいことがわかりました。

スクミリンゴガイの強力な捕食者スネイルカイト(Snail kite; 左)と、捕食された貝 (右)
スクミリンゴガイの強力な捕食者
スネイルカイト(Snail kite; 左)と、捕食された貝 (右)

原産地ではたいした害を与えていなかった生物が、外国に侵入したとたんに作物などに大きな被害を与えるようになった例はいくらもあります。クリタマバチ、ミナミキイロアザミウマ、マツノザイセンチョウなど、たくさんの例が知られています。原産地では天敵が有効に働いていたり、植物(ホスト)の側に抵抗性が発達していて、それらの生物の個体数が抑制されているのです。侵入地では天敵の少ない環境で、侵略者は爆発的に増殖してしまいます。スクミリンゴガイもその例ではないかと簡単にかたずけることもできます。

実際、南米にはこの貝の有力な天敵が存在します。スネイルカイト(直訳すると貝鷹)と呼ばれる小さな鷹です。この鷹はスクミリンゴガイなど大型のリンゴガイ専門の捕食者で、南米の水田にはこの鷹などを含め多くの水鳥が生息しています。そして、その中のいくつかの種類はスクミリンゴガイを食べることが報告されています。でも天敵だけでほんとうに水田の中の貝が全くいなくなるのでしょうか。私には、貝が用水路では越冬できても水田では越冬できない、なにかその他のしくみがあるような気がしてなりません。

実は、南米でスクミリンゴガイが稲を加害しなかったのはもはや過去の話になってしまいました。1993年にリオ・グランデ・ド・スル州のカマクアという地域でスクミリンゴガイが初めて大発生して、水稲に大きな被害を与えました。その後、現在まで、スクミリンゴガイの被害は、毎年、州全体で散発するようになりました。でも前述したように、大部分の水田では今でも貝の被害がほとんど発生していないのです。

乾田直播しか行っていないアルゼンチンでもスクミリンゴガイの被害が発生していました。私はある情報をもとに、アルゼンチン北部チャコ県の一軒の農家を訪問しました。1300ヘクタールの水田を経営するその農家は、3、4年前から水稲不耕起栽培をはじめましたが、その後、毎年、スクミリンゴガイの被害に遭って大変困っていました。彼の水田では田面の低い部分にパッチ状に被害が拡大する典型的なスクミリンゴガイの加害様相をみることができました。

この貝の原産地のブラジルやアルゼンチンでは、この貝をとりまく環境に何か変化が起こっているようです。ある生物が人類にとって害になるか"ただの生き物"になるかは実は微妙な生態系のバランスに依っているのです。稲に被害を与えなかった原産地のスクミリンゴガイの秘密を解明することは、侵入地でのこの貝の管理に役立つと思われます。

(W)