走査型プローブ顕微鏡による食品素材と生体のナノレベル解析
0.走査型プローブ顕微鏡
走査プローブ顕微鏡(SPM, scanning probe microscope)は、電子顕微鏡などとは異なり、染色や金属被覆を必要とせず試料を大気中や液中でナノメートルレベルの分解能で計測できることを特徴としている。SPMは、開発当初は主に材料系の研究に用いられてきたが、最近になって光学顕微鏡と組み合わせた機種や操作が簡易になった機種が登場したことから、生体試料の「生」のままでの観察に応用され始めている。我々の研究室では、シリコン製の鋭い探針で試料表面を走査して形状像を得る原子間力顕微鏡(AFM, atomic force microscope;図左)と、先鋭化した光ファイバーを探針に用いて形状像と同時に光像を通常の顕微鏡を超える分解能で取得できる走査型近接場光学原子間力顕微鏡(SNOM/AFM, scanning near-field optical/atomic force microscope;図右)の2種類のSPMを使用して、食品素材を始め、DNA、染色体、タンパク質など様々な生体物質、組織のナノレベル解析を進めている。
1.食品素材の解析
食品素材を直接AFMで観察する研究例は、現在のところ報告が少ない。ここでは、我々が行なったデンプン粒子内構造のナノレベル計測の例を示す。下図は、大気中でのデンプン粒子表面構造のAFM像である。図左は通常の凹凸像、図中央は偏差像である。粒径が数十nm程度の超微粒子構造がデンプン粒子内に多数存在していることが計測できている。また、これらの超微粒子が直鎖状に繋がっている構造(図右)やレンガ状の構造も計測されていており、デンプン粒子内のシングルクラスター構造を直接計測できたものと考えている。
文献
(1-1) T. Yoshino, I. Sotome, T. Ohtani, S. Isobe, S. Oshita and T. Maekawa; Observations of Xenon-Gas-Treated Barley Cells in Solution by Atomic Force Microscopy, J. Electron Microscopy, 49 (3), 483-486 (2000).
(1-2) T. Ohtani, T. Yoshino, T. Ushiki, S. Hagiwara and T. Maekawa;Atomic force microscopic imaging of rice starch granule structure in nanometer scale, J. Electron Microscopy, 49(3), 487-489(2000).
(1-3) T. Ohtani, T. Yoshino, S. Hagiwara and T. Maekawa;High-resolution imaging of starch granule structure using atomic force microscopy. Starch /Stärke, 52(5), 150-153(2000).
2.DNAの解析
2.1 DNA上の遺伝子位置の検出(DNAナノFISH)
従来からDNAや染色体上の遺伝子の位置を蛍光色素で標識し、光学顕微鏡を使ってその位置を観察するFISH(Fluorescence in situ hybridization)法が用いられている。遺伝子の存在と大まかな位置を観察する方法として利用されているが、光学顕微鏡を使用するため分解能が制限されていた。それに対して、筆者らのグループは、特定塩基配列をFISH法により蛍光標識したDNAを基板上に直線的に固定し、SNOM/AFMを用いてナノスケールで、直接的かつ効率的に計測する技術を開発した。ここでは、λファージDNA上にの特定遺伝子の頭部の配列(15塩基)を高感度に計測した例を図に示す。λファージDNAのほぼ中央部にターゲット配列からの蛍光が300nm以下の分解能で計測されている。したがって、わずか15塩基の領域を通常の光学顕微鏡の限界を超える分解能で計測することが可能となり、特定遺伝子マッピングの可視化の可能性が示された。我々のグループでは、この光学限界を超えるFISH法をnanoFISHと命名し、DNAと染色体を対象にさらに検討を進めている。
文献
(2-1) J.M. Kim, T. Ohtani, S. Sugiyama, T. Hirose, and H. Muramatsu: Simaltaneous Topography and Fluorescence Imaging of Single DNA for a Novel DNA Analysis by a Scanning Near-filed Optical/Atomic Force Microscope. Anal. Chem. 73, 5984-5991 (2001).
(2-2) Visualizing a hybridized PNA probe on a DNA molecule with near-field optical microscopy;J.M. Kim, T. Hirose, S. Sugiyama, T. Ohtani, H. Muramastu, Nano Lett. 4, 2091-2097 (2004).
2.2 DNAの基板上への固定と配向制御
また、このような研究の過程では、任意の基板上にDNAを直線状に固定することが必要であるが、我々は、特殊な条件でシラン処理した基板や特殊ポリマーコート基板や簡便なDNA伸長固定法を開発することでこれを実現することができた(図)。さらに、直線固定したDNA上に適当な間隔で金属超微粒子を固定する方法など、DNAをナノレベルの新素材ないしデバイスとして使用するための技術の検討も行なっている。
文献
(2-3) H. Nakao, H. Hayashi, T. Yoshino, S. Sugiyama, K. Otobe, and T. Ohtani: Development of Novel Polymer-Coated Substrates for Straightening and Fixing DNA. Nano Lett. 2, 475-479 (2002).
(2-4) Transfer-printing of highly aligned DNA nanowires.;H. Nakao, M. Gad, S. Sugiyama, K. Otobe, T. Ohtani, J. Am. Chem. Soc. 125, 7162-7163 (2003).
(2-5) Molecular flat mica surface silanized with methyltrimethoxysilane for fixing and straightening DNA.;M. Sasou, T. Yoshino, S. Sugiyama, T. Ohtani, Langmuir 19, 9845-9849 (2003).
3.染色体の解析
3.1 オオムギ染色体の可視化
染色体は古くから光学顕微鏡で観察されてきたので、構造はすでに良く分かっているように思われているが、詳細な構造はほとんど明らかにされていない。そこで、AFMを使って染色体の表面構造全体を計測したところ、中央部や腕部のくびれ構造(セントロメア、二次狭窄)を高分解能で観察できた(図左)。さらに、高倍率での計測では40-50 nm程度の超微粒子構造や超微粒子が連なった繊維状構造を直接可視化することができた(図右)。この繊維状構造の直径は、DNAがコアヒストンに巻き付いたヌクレオソームがさらにらせん状に凝集して構築されるソレノイド構造(30 nmファイバー)に相当すると思われる。
AFMは探針により表面を走査するという特性上、高分解能のデータを得るためには、夾雑物を極力排除し、清浄な表面をもつ試料を作成しなくてはならない。そのため前記の染色体計測の場合には、酢酸による洗浄等の工程を導入した新しい試料調製法を開発し、染色体表面の高分解能観察に成功した。いずれにしてもAFMによる生体試料の計測では、試料の調整調製法と探針の精密な制御がポイントになる。
文献
(3-1) Atomic Force Microscopy Study of Chromosome Surface Structure Changed by Protein Extraction;X. Liu, S. Sugiyama, Q.Y. Xu, T. Kobori, S. Hagiwara, T. Otani, Ultramicroscopy 94, 217-223 (2003).
(3-2) Analysis of morphological changes of barley chromosome during FISH treatments by atomic force microscopy;M. Shichiri, D. Fukushi, S. Sugiyama, T. Yoshino, S. Hagiwara, T. Ohtani, Chromosome Res. 11, 65-71 (2003).
(3-3) Effects of acetic acid treatment on plant chromosome structures analyzed by atomic force microscopy;S. Sugiyama, T. Yoshino, H. Kanahara, M. Shichiri, D. Fukushi, T. Ohtani, Anal. Biochem. 324, 39-44 (2004).
3.2 オオムギ染色体上の特異的塩基配列の検出
DNAの場合と同様、染色体上の遺伝子や特定塩基配列領域をSNOM/AFMによりナノレベル分解能で検出することも可能である。下図は、オオムギ染色体のテロメア領域を検出した例である。通常、蛍光顕微鏡観察では、テロメアFISHシグナルは、1つの輝点としてしか観察されないが、SNOM/AFM計測で得られた蛍光像では、FISHシグナルが大きく2点に分かれていることが明らかになった。また、特定のクロマチンファーバー上の蛍光信号を検出できる可能性も示唆された。
文献
(3-4) Imaging of Chromosomes at Nano-Meter Scale Resolution using Scanning Near-Field Optical/Atomic Force Microscopy;T. Ohtani, M. Shichiri, D. Fukushi, S. Sugiyama, T. Yoshino, T. Kobori, S. Hagiwara, T. Ushik Arch. Histol. Cytol. 65, 425-434 (2002).
(3-5) Fluorescent Imaging of Stained Barley Chromosomes by Scanning Near-field Optical/Atomic Force Microscopy;T. Yoshino, S. Sugiyama, T. Ushiki, T. Ohtani, J. Elec. Micr. 51, 199-203 (2002).
(3-6) Scanning near-field optical/atomic force microscopy detection of FISH signals beyond the optical limit.;D. Fukushi, M. Shichiri, T. Yoshino, S. Sugiyama, S. Hagiwara, T. Ohtani, Exp. Cell Res. 289, 237-244 (2003).
3.3 酵母染色体の高次構造解析
ゲノムDNAはコアヒストンと結合してヌクレオソームを形成し、リンカーヒストンと協同して30 nmクロマチンファイバーや、さらに高次な構造をとることによって、効率よく細胞核内に格納される。コアヒストンは高度に保存されている一方、酵母やカビではリンカーヒストンを持たない種も存在する。そこで、本研究では原子間力顕微鏡によって酵母染色体構造を可視化し、リンカーヒストンがなくとも高次構造を形成することを明らかにした。
文献
(3-7)
Kobori T, Yoshino T, Sugiyama S, and Ohtani T
Hierarchical chromatin structure of Schizosaccharomyces pombe revealed by atomic force microscopy
Curr. Microbiol. 47(5), 404-407, 2003
4.ゲノム解析への適用
我々のグループでは、前記のように、SNOM/AFMやAFMを用いたDNAや染色体のナノスケールの観察(可視化)を行ない成果をあげている。しかし、SPMは単なる観察用の顕微鏡にとどまらず、探針(プローブ)により対象試料をナノスケールで移動、切断、採取するといった「操作」を行なうことも可能である。そこで、我々は、これまでの研究の展開として、SPM技術を分子生物学的手法と組み合わせた新たなゲノム解析技術の開発を目標とする研究開発に取り組んでいる。具体的には、染色体からAFMによりナノサイズの断片を採取する技術の開発を進め、現在までに、染色体の特定領域をナノスケール断片として再現性良く回収することを可能としている。図左はAFMにより切断した後の染色体の形状像である。切断跡がはっきりと観察される。回収後に探針先端を蛍光顕微鏡で観察すると、DNAに由来する蛍光が検出され、確かに染色体断片が回収されていることがわかる(図右)。また、SNOM/AFMによる染色体上のFISH(fluorescence in situ hybridization)シグナル位置をナノ分解能で検出する技術の開発も並行して進めている。
文献
(4-1) 原子間力顕微鏡(AFM)による染色体の切断および回収;塚本和己・桑崎誠剛・山本公子・七里元晴・吉野智之・大谷敏郎・杉山滋、表面科学Vol. 26, No. 7, pp. 404—409 (2005).
5.食品微量成分の検出技術の開発
SPMは、また、探針と観察対象の間に働く微弱な力を計測することも可能である。そこで、この機能を利用した、微量の食品成分や生体分子を検出する技術の開発を進めている。このような計測では、少ない数の分子同士の間に働く特異的相互作用力は非常に微弱なため、従来の手法では、物理吸着などの非特異的吸着力の影響が大きく、正確な計測が困難であったが、本ユニットでは、非特異的吸着を抑えるために計測溶液条件や探針の制御法を工夫により、抗体を結合させた探針を用いて基板上の抗原の有無を明確に検出することに成功している。このような技術は、将来的に食品中のアレルゲン迅速検出などへの応用が考えられる。
特許
(5-1) 杉山滋、若山純一、関口博史、佐宗めぐみ、大谷敏郎:抗原抗体反応の検出方法と抗原抗体反応検出用キット、2005-336594、2005年11月22日出願