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「油脂とは」

 動植物の油脂は、グリセロール1分子に3分子の脂肪酸が結合したトリアシルグリセロールを主成分とする脂質です(図1)。この脂肪酸の長さや立体構造によって、融点などの油脂の物理化学的特性が変化します。

図1

「飽和脂肪酸と不飽和脂肪酸」

 脂肪酸部分は、炭素と隣り合う炭素がひとつの結合の手で結びついた「飽和結合」と、炭素同士がふたつの結合の手で結びついた「不飽和結合(二重結合)」のものがあります。炭素鎖がすべて飽和結合で構成されているものを「飽和脂肪酸」といい、ひとつ以上の不飽和結合が存在する脂肪酸を「不飽和脂肪酸」といいます。炭素数が18でひとつの不飽和結合が9位にシス型配置する場合には、その構造は、C18:1(9-cis)と表します。飽和脂肪酸としては、カプリン酸C10:0、ラウリン酸C12:0、ミリスチン酸C14:0、パルミチン酸C16:0、ステアリン酸C18:0などがあります。不飽和脂肪酸としては、オレイン酸C18:1(9-cis)、リノール酸C18:2(9,12-cis)、リノレン酸C18:3(9,12,15-cis)、エイコサペンタエン酸(EPA) C20:5(5,8,11,14,17-cis)、ドコサヘキサエン酸(DHA) C22:6(4,7,10,13,16,19-cis)などが知られています。

「不飽和結合の配向:シスとトランス」

 脂肪酸の不飽和結合(二重結合)を構成する炭素に結合する水素の向きは、不飽和結合のまわりで、2種類考えられます。炭素同士の不飽和結合の同じ側にふたつの水素があるものが、シス(こちら側の、という意味)型の不飽和結合です(図2左上)。一方、不飽和結合に対して、ふたつの水素が反対側にあるものをトランス(向こう側の、という意味)型と言います(図2右上)。不飽和結合は、強く結びついているため、シス型とトランス型との入れ替わりは容易に生じません。また、トランス型は、シス型より構造的に安定です。

図2

「トランス脂肪酸とは」

 トランス型の不飽和結合を有する脂肪酸を、「トランス脂肪酸」といいます。脂肪酸の不飽和結合がシス型の場合、脂肪酸の立体構造は、不飽和結合の位置で屈折します(図2左下)。不飽和結合がトランス型の場合(図2中下)は、脂肪酸全体の構造は直線的で、飽和脂肪酸の立体構造(図2右下)に似てきます。脂肪酸の立体構造は、その物理化学的特性にも影響を与えます。例えば、エライジン酸C18:1(9-trans)の融点は、オレイン酸C18:1(9-cis)の融点と、ステアリン酸C18:0の融点の中間値になります(図2下)。

「トランス脂肪酸の種類」

 脂肪酸のひとつの不飽和結合において、シス型とトランス型の2種類の結合がありますが、それらを幾何異性体として区別します。例えば、9位に不飽和結合のあるC18:1の脂肪酸は、シス型がオレイン酸C18:1(9-cis)、トランス型がエライジン酸C18:1(9-trans)です。脂肪酸の不飽和結合数が増加すると、その異性体も2の累乗で増えます。不飽和結合の3つあるリノレン酸C18:3は、8種類の異性体があります(図3)。2003年米国食品医薬局の報告書や2006年のコーデッスク委員会において、「トランス脂肪酸とは、少なくとも1つ以上のメチレン基によって離された共役型(飽和結合で連結された不飽和結合の組み)ではなく、トランス配位の炭素−炭素二重結合をもつ、単価不飽和脂肪酸と多価不飽和脂肪酸のすべての幾何異性体」と定義されています。

図3
 また、脂肪酸の中の不飽和結合の位置が異なる二重結合位置異性体も存在します。例えば、9位にシス型不飽和結合のある脂肪酸はオレイン酸C18:1(9-cis)で、11位にシス型不飽和結合があるのはシス-バクセン酸C18:1(11-cis)です。(図4)。また、エライジン酸C18:1(9-trans)とバクセン酸C18:1(11-trans)は、どちらもトランス脂肪酸ですが、お互いは位置異性体です(図4)。
脂肪酸の幾何異性体や位置異性体を完全に分離して分析するためには、高度な技術が必要です。

図4

「食品に含まれるトランス脂肪酸」

 ヒトを含めた大部分の生物(一部例外については、後述)に含まれている不飽和脂肪酸は、ほとんどシス型です。これは、多くの生物が、特異的にシス型の不飽和脂肪酸をつくり出す酵素を持っているからです。このため動植物由来の食品に含まれる不飽和脂肪酸の多くは、シス型をしています。 食品に含まれるトランス脂肪酸は、主として以下の食材に由来します。
食品に含まれるトランス脂肪酸は、主として以下の食材に由来します。
1) 硬化油
2) 肉類や乳製品
3) 精製油
 1999年の報告では計算上、日本人のトランス脂肪酸摂取は、約60%を硬化油から、約25%を肉類、乳製品から、約15%を精製油から摂取していると述べています。一方、1999年の米国の報告では、米国人は、トランス脂肪酸の75-80%を硬化油から、残り20-25%を肉類、乳製品から摂取していた、とあります。食品からのトランス脂肪酸摂取の割合は、各国の食事情、調査年代によって、多少変化します。食品には、素材や製造方法に依存して、様々な構造のトランス脂肪酸が含まれています。

「硬化油とは」

 現在、世界各国で実施されている食用油脂の改質、加工技術のひとつに「水素添加による硬化油の製造」法が挙げられます。油脂の水素添加というのは、油脂を構成する脂肪酸の不飽和結合部分に水素を付加させることをいいます。その結果、油脂の不飽和度が減少し、融点の上昇、流動性の低下、可塑性の変化、固化などの油脂の物性が変化します。このとき、副反応として、不飽和脂肪酸の二重結合の位置が移動、共役化、シス-トランスの異性化が起こります。この油脂の水素添加反応(hydrogenation)を硬化反応(hardening)といい、水素添加された油脂を硬化油と呼ぶことがあります。部分的に水素添加された液状油についても、硬化油と呼ばれます。

「硬化油の製造」

 油脂の水素添加反応は、液状の油脂中にニッケルなどの金属触媒を懸濁し、よく撹拌しながら、気体の水素ガスを接触させて、不飽和結合に水素分子を付加させます。触媒に吸着、活性化された不飽和結合が、水素原子と結合することなく、再び触媒表面から脱着する際に、不飽和結合の位置移動や共役化、シス-トランスの異性化反応が進行します。油脂の水素添加反応において、水素分圧、反応温度等の設定条件に依存して、油脂の水素添加反応と異性化反応の割合が変化します。

「硬化油製造の目的」

 硬化油を製造する目的は、使用目的に適合する物性を持つ食用油脂を製造することです。例えば、油脂に水素添加反応を施すことにより、魚油や綿実油のような液状油を材料にして、動物性油脂に近い物性を持つ固形油をつくり出したり、酸化安定性の高い液状油を創出したりすることができます。また、動物性油脂と比較すると、硬化油はより安価です。食用に供する硬化油は、硬化の程度により以下のような目的で製造されています。
1) 高度硬化油:牛脂、綿実油などを極度に硬化し、フレーク状の融点の高い製品をつくる。マーガリンやショートニングに少量添加して可塑性を改良する。
2) 中程度硬化油:大豆油、綿実油、ナタネ油、魚油を原料として中程度に硬化する。マーガリンなどに配合し、口どけのよい、安定性に富む製品をつくる。
3) 軽度硬化油:植物油脂を軽度に硬化して、自動酸化や加熱による劣化を受けにくい、酸化安定性の高い液状油をつくる。

「肉類や乳製品のトランス脂肪酸」

 牛などの反芻動物の胃内に共生するバクテリアは、シス型の不飽和脂肪酸をトランス型に変換する特殊な酵素を持っています。このバクテリアが産生するトランス脂肪酸は主にバクセン酸C18:1(11-trans)(図5左)です。一方、硬化油等には、エライジン酸C18:1(9-trans)(図5右)など、多種類のトランス脂肪酸が含まれています。牛肉や乳製品には、2-5%程度のトランス脂肪酸が含まれていますが、その大部分はバクセン酸です。バクセン酸は、エライジン酸とは不飽和結合の位置が異なる位置異性体です。

図5
 摂取されたバクセン酸は、生体内にある酵素の働きで、共役不飽和脂肪酸の一種に変換されることがわかっています。硬化油には、バクセン酸以外のトランス脂肪酸が多く、硬化油に含まれるトランス脂肪酸の大部分は、生体内でも共役不飽和脂肪酸に変換されません。このように乳製品に含まれるトランス脂肪酸の組成や生体内に吸収されてからの動態が、硬化油のトランス脂肪酸とは異なることから、乳製品に含まれるトランス脂肪酸が健康に与える影響も、硬化油中のトランス脂肪酸とは異なると考えられています。

「精製油に含まれるトランス脂肪酸」

 様々な植物油や動物油を原材料として食用油脂が製造されています。植物や動物から抽出した粗油は、各種の精製工程をへて食用油脂として利用できるようになります。油脂精製工程のひとつの脱臭工程は、油脂に混在する遊離酸、色素、不けん化物、有臭成分、残留農薬などを取り除く工程ですが、このときに、ごく微量のトランス脂肪酸が生成します。
食総研で十数種類の市販の植物性食用油脂を調べたところ、0.1-1.2%のトランス脂肪酸が含まれていることがわかりました。

「トランス脂肪酸の分析」

 トランス脂肪酸含有量については、アメリカ油化学会等が確立した各種の公定法に従って分析するのが一般的です。食品に含まれるトランス脂肪酸の分析は、食品から脂質を抽出し、その構成脂肪酸をメチルエステル化した後、ガスクロマトグラフィーで分析します。しかしながら、多様なトランス脂肪酸を含む脂質の場合や、複雑な脂肪酸の混合物からなる脂質の場合は、ガスクロマトグラフィーだけではトランス脂肪酸の測定が十分にできません。その場合、ガスクロマトグラフィーで脂肪酸を分析する前に、硝酸銀含浸薄層クロマトグラフィーや硝酸銀含浸カートリッジカラム法で、予め脂肪酸メチルエステルをある程度まで分離しておく必要があります。

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