ニパウイルス感染症(Nipah virus infection)
1.原因
ニパウイルス(パラミクソウイルス科、ヘニパウイルス属:Paramixoviridae, Henipavirus)。1本鎖RNAウイルス。粒子の直径は約40〜600nmと多形性を示し、エンベローブを持つ。同じヘニパウイルス属のヘンドラウイルスと非常に近似した性状を持つ。ニパウイルスの名前はウイルスが最初に分離された脳炎患者の出身地の地名(マレーシア、スンガイ、ニパ)に由来する。
2.疫学
ニパウイルス感染症は1998年から1999年にかけてマレーシア、シンガポールで初めて発生した新興人獣共通感染症である。豚において肺炎、脳炎を主徴とした致死性感染症の大流行をもたらし、ヒトでは脳炎を主徴として、この期間に養豚場や食肉検査所関係者を中心に265名の感染者、105名の死亡者(致死率40%)が報告された。マレーシアでは感染拡大を防ぐために100万頭を越える豚の殺処分(全国の豚の約45%)、2,000カ所近くの養豚場の閉鎖(全国の養豚場の約50%)を行い、同国の養豚産業に壊滅的な打撃を与えた。マレーシアでの発生では馬、犬、猫の感染も確認されている。バングラデシュとインド(西ベンガル)においても2001年から継続的に発生が相次ぎ、2018年までに確認されているだけで585名の感染者、334名の死亡者(致死率57%)が報告されている。2018年にはインド南部においても23名の感染者、21名の死亡者(致死率91%)の発生が報告されている。フィリピンでは2014年に脳炎症状の感染馬の解体・処理の関係者とその濃厚接触者、計17名の感染者、9名の死亡者(致死率53%)が報告されている。感染者17名のうち11名が脳炎症状を示し、そのうち9名が死亡している(脳炎発症後の致死率82%)。フィリピンでの発生では、斃死した馬の肉を食べたネコとイヌの感染、発症、斃死も確認されている。これまでの調査でオオコウモリ(フルーツバット:Flying fox)がニパウイルスの自然宿主であることが明らかにされている。ウイルスはオオコウモリから豚、豚から豚、豚からヒトへと感染する。バングラデシュにおける発生ではオオコウモリからヒトへの豚を介さない感染や、ヒトからヒトへの感染も確認されている。
3.臨床症状
潜伏期は4〜14日で感染豚はこの間ウイルスを排泄する。感染豚は多くの場合不顕性で哺乳豚以外では致死率は低い(5%未満)。臨床症状は41℃以上の高熱、努力呼吸等の呼吸器症状、振戦、痙攣、後躯麻痺等の神経症状を主徴とするが、豚の週齢によって異なる傾向がある。成豚では神経症状を主徴とするが、症状を示すことなく急死する場合もある。妊娠母豚では死流産が認められる。離乳豚や育成子豚では呼吸器症状を主徴とし、荒い咳き込み音の激しい発咳を伴うことが多い。4週齢未満の哺乳豚では腹式呼吸、起立・歩行不能が認められる。哺乳豚では一見致死率は高いが(約40%)、それは母豚が感染発病することにより子豚が哺乳出来なくなるという間接的な理由が大きいと考えられている。馬では、不顕性であった例と神経症状を伴い高熱を呈して斃死する例が報告されている。2014年のフィリピンでの発生では10例の感染馬の斃死例、そのうち1例の神経症状発現が報告されている。ネコでは高い致死率を示し、イヌではジステンパーに似た症状を示す。
4.病理学的変化
感染豚と感染馬の剖検所見は肺のモザイク状の多発性赤色肝変化病巣を特徴とする(間質性肺炎の肉眼像)。肺の小葉間水腫も認められる。腎臓や肺の漿膜面の点状出血も観察される。死亡豚では血液を含んだ泡沫状の鼻汁が顕著にみられ、気管内に泡沫状滲出物が充満していることが多い。脳脊髄に肉眼病変は認めない。
組織学的に、感染豚の肺では気管支上皮細胞や肺胞上皮細胞の合胞体巨細胞形成を特徴とした気管支間質性肺炎がみられる。合胞体巨細胞には好酸性細胞質内封入体が多数観察される。気管支上皮や肺胞の壊死も伴う。また、血管内皮細胞の合胞体巨細胞形性を特徴とする血管炎も観察される。血管内皮細胞性合胞体巨細胞は腎糸球体、リンパ節、脾臓、消化管、髄膜等の全身諸臓器で観察される。神経症状を示した豚の脳では囲管性細胞浸潤を特徴とした非化膿性脳炎が観察される。壊死病変、血管病変、合胞体巨細胞に一致して、免疫組織化学的にニパウイルスのウイルス抗原が観察される。馬やネコ、イヌにおいても、同様の組織学的所見、ウイルス抗原が確認される。
5.病原学的検査
培養細胞(Vero細胞等)、鶏胚に臓器乳剤(肺、リンパ節、脾、腎)を接種してウイルス分離を行う。培養細胞でのCPEは合胞体形成を特徴とする。確定にはニパウイルスに対する抗血清を用いた蛍光抗体法による抗原の検出を行う。RT-PCR、リアルタイムRT-PCR法法によるウイルス遺伝子の検出も有効である。ニパウイルスはバイオセーフティーレベル4(BSL4)の病原体であるため、生ウイルスの取り扱いはBSL4施設内に限られる。未知の材料から病原学的検査を行う場合、少なくともBSL2施設の安全キャビネット内でマスクや手袋、ガウン、ゴーグル等で完全に感染防御措置を施して実施し、ウイルスが分離された後の作業は全てBSL4施設内で行わなければならない。
6.抗体検査
間接ELISA法でスクリーニングを行い、陽性・偽陽性を示した個体については最終判定を中和試験で行う。中和試験は生ウイルスを使用するので、BSL4施設内で行わなければならない。
7.予防・治療
わが国にワクチンはなく、特別な治療法もない。ニパウイルスの抗ウイルス薬と考えられていたクロロキン(Chroloquine)やリバビリン(Ribavirin)は培養細胞を用いた試験系では感染を抑制するものの、実験動物を用いた試験では抗ウイルス効果を有しないことが明らかにされている。本病に感染した豚は確定診断後マスクや手袋、タイベック、ゴーグル等で完全に感染防御措置を施して殺処分を行う。
8.発生情報
日本国内での自然発生もしくは海外からの輸入症例は報告されていない。
9.参考情報
獣医感染症カラーアトラス第2版(文永堂)、動物の感染症第4版(近代出版)、動物病理カラーアトラス第2版(文永堂)、家畜伝染病ハンドブック(朝倉書店)
写真1:ニパウイルスの自然宿主とされているマラヤオオコウモリの飛行。毎日午後7時頃餌を求めて、営巣地のマングローブジャングルから集団で飛行する。 | 写真2:ニパウイルスの自然宿主とされているマラヤオオコウモリの営巣場所。河口付近のマングローブジャングルに営巣する。木の根本まで河の水が覆っており、人間は簡単には近づけない。 | 写真3:豚、ニパウイルス感染症、肺。細気管支上皮細胞の合胞体巨細胞形成(矢印)。HE染色標本。「第45回獣医病理学研修会提出標本、標本番号880 豚の肺、動衛研・つくば」 |
編集:動物衛生研究部門
(令和3年12月 更新)