ヘンドラウイルス感染症(equine morbillivirus pneumonia)
1.原因
ヘンドラウイルス(パラミクソウイルス科、ヘニパウイルス属:Paramixoviridae, Henipavirus)。1本鎖RNAウイルス。粒子の直径は約40〜600nmと多形性を示し、エンベローブを持つ。当初モルビリウイルスに近似した性状からEquine morbillivirusと命名された。モルビリウイルスよりゲノム長は長く、現在ではヘニパウイルス属に分類されている。ヘンドラウイルスの名前は最初に発生が報告されたオーストラリア、ブリスベン郊外の地名(Hendra)に由来する。本症は現在国際的にはヘンドラウイルス感染症(Hendra virus infection)と呼ばれている。
2.疫学
1994年にオーストラリアで初めて発生した新興人獣共通感染症。馬での発生は2006年以降毎年報告され、2011年までに計32農場、66頭の馬で感染が確認されている。その後馬用のワクチン開発と使用によって、年々発生は減少しているものの、現在までに約40農場、75頭の馬で感染が確認されている。1農場で3頭以上の発生がみられたのは、農場内で感染馬の解剖を行った1例と内視鏡を使用した1例の計2件のみで、同居馬への罹患率は低い。ヒトではこれまで7人が感染し、4人が死亡している。ヒトでは個人防御具を使用せずに馬の解剖や治療に携わった濃厚接触者において感染が確認されている。自然宿主はオオコウモリ(フルーツバット:Flying fox)である。オオコウモリはヘンドラウイルスが感染しても発病することはなく、主に尿中にウイルスを排泄する。ウイルスはオオコウモリから馬、馬から馬、馬からヒトへと感染する。オオコウモリからヒトへの直接的な感染、またはヒトから馬、ヒトからヒトへの感染の証拠はこれまで得られていない。これまで本症の発生はすべてオーストラリアのクイーンズランド州沿岸部とニューサウスウェールズ州沿岸部北部の地域にのみ限局性にみられている。これはウイルスを保持するオオコウモリの生息域と馬の飼育地域がこの地域で重複しているためと考えられている。
3.臨床症状
41℃以上の高熱、心拍数上昇、急性呼吸器病もしくは神経症状を示した後の急速な状態悪化を特徴とする。前日まで兆候に気がつかずに朝斃死を確認することが多い。致死率は高く(約75%)、ほとんどの馬は急性経過の後に死亡するが、稀に発症後回復する症例もある。呼吸器症状は、呼吸困難、呼吸速拍、鼻汁等、神経症状は歩様異常、視覚障害、斜頚、旋回運動、異常興奮等が記録されている。
馬への感染実験の結果、鼻腔スワブからのRNA検出は感染48時間後に、発熱の症状より2、3日早くから認められている。 発熱の症状後、ウイルスRNAは血液、口腔スワブ、直腸スワブ、糞尿から検出されている。
4.病理学的変化
剖検所見は顕著な肺水腫を特徴とする。胸水、心嚢水の増量、リンパ節の水腫、腎臓や肺の漿膜面の点状出血も観察される。死亡馬では泡沫状の鼻汁が顕著にみられ、気管内に泡沫状滲出物が充満していることが多い。脳脊髄に肉眼病変は認めない。
組織学的に、肺では重度の肺水腫、リンパ管の拡張が観察される。肺胞の壊死を伴う間質性肺炎もみられる。また、血管内皮細胞の合胞体巨細胞形性を特徴とする血管炎が顕著に観察される。血管内皮細胞性合胞体巨細胞は腎糸球体、リンパ節、脾臓、消化管、髄膜等の全身諸臓器で観察される。感染初期では肺やリンパ節、腎糸球体の合胞体巨細胞に好酸性細胞質内封入体が観察される。リンパ節や脾臓、副腎、卵巣では多発巣状壊死がみられる。壊死病変、血管病変、合胞体巨細胞に一致して、免疫組織化学的にヘンドラウイルスのウイルス抗原が観察される。急性症例では病変は主に肺を中心にみられ、非化膿性脳炎は観察されない。非化膿性脳炎は臨床経過の長い症例においてこれまで確認されている。
5.病原学的検査
培養細胞(Vero細胞等)、鶏胚に臓器乳剤(肺、リンパ節、脾、腎)を接種してウイルス分離を行う。培養細胞でのCPEは合胞体形成を特徴とする。確定にはヘンドラウイルスに対する抗血清を用いた蛍光抗体法による抗原の検出を行う。RT-PCR法によるウイルス遺伝子の検出も有効。ヘンドラウイルスはバイオセーフティーレベル4(BSL4)の病原体であるため、生ウイルスの取り扱いはBSL4施設内に限られる。未知の材料から病原学的検査を行う場合、少なくともBSL2施設の安全キャビネット内でマスクや手袋、ガウン、ゴーグル等で完全に感染防御措置を施して実施し、ウイルスが分離された後の作業は全てBSL4施設内で行わなければならない。
6.抗体検査
間接ELISA法でスクリーニングを行い、陽性・偽陽性を示した個体については最終判定を中和試験で行う。中和試験は生ウイルスを使用するので、BSL4施設内で行わなければならない。
7.予防・治療
わが国にワクチンはなく、特別な治療法もない。ヘンドラウイルスの抗ウイルス薬と考えられていたクロロキン(Chroloquine)やリバビリン(Ribavirin)は培養細胞を用いた試験系では感染を抑制するものの、実験動物を用いた試験では抗ウイルス効果を有しないことが明らかにされている。本病に感染した馬は確定診断後マスクや手袋、タイベック、ゴーグル等で完全に感染防御措置を施して殺処分を行う。
8.発生情報
日本での発生はない。
9.参考情報
獣医感染症カラーアトラス第2版(文永堂)、動物の感染症第4版(近代出版)、家畜伝染病ハンドブック(朝倉書店)
編集:動物衛生研究部門
(令和3年12月 更新)