プレスリリース
農薬の効かない"いもち病菌"が九州全域に発生

- 薬剤耐性菌は複数の起源に由来と判明 -

情報公開日:2005年5月24日 (火曜日)

【概要】

水稲重要病害である“いもち病”の防除には、現在、育苗箱に処理するMBI-D剤という薬剤が広く普及している。しかし、近年この薬剤に対する耐性菌が 出現し、水稲へのいもち病被害が拡大するおそれがある。九州沖縄農業研究センターでは、新たに開発したDNA簡易個体識別技術を用いて、これらの耐性菌を 調べたところ、九州各地に分布していた耐性菌は遺伝的に異なる系統であることを明らかにした。つまり、耐性菌の起源は単一ではなく複数の起源に由来し、各 地で並行的に発生したことがわかった。現在、耐性菌が発生していない地域においても、同じ薬剤を使用し続ければ耐性菌が出現する危険がある。


詳細情報

【本文】

問題の背景

水稲では、省力的で環境負荷の少ない病害虫防除技術として長期持続型防除薬剤の育苗箱処理が普及しており、MBI-D剤は、その代表的な殺菌剤である。この薬剤に耐性を持つ”いもち病菌”の発生が2001年に初めて佐賀県で確認され、翌年には九州全県で発生し、昨年までに中四国地域を中心に東北地域まで拡大した。耐性菌が蔓延した圃場では、MBI-D剤の効果がまったく認められず、いもち病が大発生するおそれがある。この薬剤は、安全性が高く、化学構造的に耐性菌が発生しにくいものと考えられていたが、薬剤の市販を開始して数年で耐性菌が出現した。長期持続型薬剤としては初めての耐性菌発生であり、その発生メカニズムと原因の解明が急がれた。

研究の取り組み

九州沖縄農業研究センターでは、いもち病菌をDNA情報に基づいて簡易個体識別できる技術を新たに開発・改良し、この技術を用いて、九州各県の農業試験場や農薬メーカー研究所の協力で集めたいもち病菌の遺伝的な特徴(DNAフィンガープリントパターン)と地理的分布との関係を調査した。その結果、九州に分布する耐性菌を含むいもち病菌は、遺伝的に高い多様性を示し、その遺伝的特徴は県や地域ごとに異なっていることが分かった。例えば、佐賀県で蔓延した耐性菌のDNAフィンガープリントパターンはSa4であったの対し、大分と宮崎県ではSa18が優占していた。さらに、九州分布菌は遺伝的な類似性から大きく3つのグループに分けられ、グループ内に耐性菌と感性菌が混在していた。 これらのことから、MBI-D剤耐性菌の発生は、九州の各々の地域で薬剤処理が行われる中で、ごくわずかに存在した薬剤耐性の遺伝子変異を持つ菌が生き残り、これが特異的に増殖する現象が並行的に進行したものと推定された。つまり、耐性菌の起源は単一ではなく、複数の起源に由来すると考えられる。このことは、未発生地域でも、同じ薬剤の使用によって耐性菌が出現するリスクを抱えていることを意味する。さらに、ある地域で同じ由来の種子を使用した圃場から、同一の遺伝的特徴を示す耐性菌が高率に分離された事例があったことから、保菌種子の流通による耐性菌拡散ルートの存在が疑われた。

当面の対策と今後の課題

耐性菌が増えると防除効果が低下し、いもち病が大発生して大きな被害を受ける危険がある。このことから、以下のような対策を現場で取ることが重要と考えられる。

第1に、MBI-D剤耐性菌の拡散といもち病被害の拡大を防ぐために、作用機作の異なる別の種類の薬剤で防除する。

第2は、耐性菌の拡散を封じ込めるため、耐性菌発生地域からの種子移動を制限する。

第3に、耐性菌出現リスクを低下させるため、穂いもち防除や種子消毒の徹底により初期伝染源量を少なくする。

このように、過度に薬剤に依存することなく、様々な防除手段と組み合わせて薬剤を適切に使用していくことが大切である。今後は、耐性菌出現リスク低減を考慮した防除技術開発へ向けた研究を加速する必要がある。

用語解説

イネいもち病

1.糸状菌(イネいもち病菌)によるイネの最重要病害。
2.摂氏24度前後の温度と湿潤な気象条件で発生しやすく、冷害年に全国的に大発生し大幅な減収と品質低下をもたらす。
3.九州地域でも中山間地帯を中心に毎年恒常的に発生し、年によっては、平坦地帯でも多発生。
4.育苗から収穫期までの全生育期間にわたって発生。
5.九州地域の稲作では、

1)良食味ではあるがいもち病圃場抵抗性の弱い品種(ヒノヒカリ、コシヒカリ等)の作付が増加、
2)穂いもち防除や種子消毒の不徹底等により初期伝染源量が高いレベル、
3)農家の高齢化による防除態勢の弱体化、防除薬剤の高い効果に対する過信等の要因も加わり、いもち病の発生リスクが高まっている。

MBI-D剤

1.いもち病防除剤の主力薬剤(殺菌剤)。
2.メラニン生合成阻害剤の一種(シタロン脱水酵素阻害型メラニン合成阻害剤)。有効成分の一般名(化合物としての名称)としては、「カルプロパミド」「ジクロシメット」「フェノキサニル」の3剤があり、同一系統の薬剤として登録・市販されている。MBI-D剤耐性菌にはいずれの剤も防除効果が低下。
3.いもち病菌のイネへの侵入阻止効果(予防効果)が大きい。
4.病原菌代謝系の特定部位にのみ作用し、いもち病菌に特異性が高い。
5.イネや人畜への影響(毒性)は低い。
6.製剤技術を改良し高い防除効果が長期間持続する粒剤が1998年に市販。
7.主に育苗箱処理剤として全国的に急速に普及。

いもち病菌のDNA個体識別法

1.植物病原菌は微小で種内での形態的、培養的特徴に乏しいことから、個体を識別することは困難。

2.病害生態制御研究室では、

1)いもち病菌の解析にrep-PCR法を応用。

(1)ゲノム上に散在する反復配列の位置の差異をフィンガープリントパターン(図1、2)として検出。

(2)DNAレベルでの個体識別に利用。

2)フィンガープリントの再現性を高めた。

3)実験時間の短縮と低コスト化を同時に実現することに成功。

4)病原菌の生態研究に応用可能なレベルまで簡易化を実現。

3.今後、様々な研究場面での利用が可能。

1)いもち病抵抗性品種を導入した場合のいもち病菌レースの変化を捉える。

2)温暖化や栽培様式の変化がいもち病菌集団に与える影響の解析。等々

 

写真 いもち病発生程度の異なる圃場の様子

写真 いもち病発生程度の異なる圃場の様子

左上:いもち病極少発生圃場(出穂期)

右上:いもち病多発生圃場(出穂期)

右下:いもち病多発生圃場(出穂期・拡大)
葉いもち病斑が上位葉まで発生、既に下位葉は枯上がっている。穂にも病斑が認められる。

左下:発生程度の異なる圃場(登熟期・遠景)発生が激しい奥の圃場は、イネ全体が枯上がって褐変して見える。葉・穂いもちとも甚発生状態で大幅な減収が見込まれる。

写真 いもち病による甚大な被害の例

写真 いもち病による甚大な被害の例

左:生育初期に甚発生しズリ込み症状を示している様子。株全体が枯死してしまうこともある。
右:収穫期の葉・穂いもち甚発生圃場の様子。穂全体が枯死してしまい収穫皆無状態。

写真 いもち病菌の分生胞子

写真 いもち病菌の分生胞子

病斑上に生じた分生子柄の上に胞子が形成されている様子。
特徴的な3細胞の洋ナシ型の胞子。胞子の形状や大きさの数値には幅があるが、形態的特徴からの個体識別はできない。
この胞子が伝染源となって空中を飛散し、病気が拡大していく。梅雨期等の好適条件下では、葉いもち1病斑の上に数千~数万個の胞子が一晩で形成されることもある。

図1 新しく開発したDNA情報に基づいたいもち病菌の簡易個体識別法で検出される遺伝的多様性(フィンガープリントパターン)

図1 新しく開発したDNA情報に基づいたいもち病菌の簡易個体識別法で検出される遺伝的多様性(フィンガープリントパターン)
写真上の1~9の異なるいもち病菌の菌株を識別できる

図2 簡易個体識別法により検出されたフィンガープリントパターン(FP)と各FPの分離地点数(2002年佐賀県の解析例)

図2 簡易個体識別法により検出されたフィンガープリントパターン(FP)と各FPの分離地点数(2002年佐賀県の解析例)

佐賀県内に分布していたいもち病菌の遺伝的多様性は高いが、特にSa4と識別される耐性菌が優占していた。

図3 耐性菌にみられた主要なフィンガープリントパターンの九州における分布状況(2003年)

図3 耐性菌にみられた主要なフィンガープリントパターンの九州における分布状況(2003年)