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30.加賀・礪波(石川・富山)

低コスト稲作が期待される北陸穀倉地帯

 <1984年8月14日観測画像>

画像は,碁盤の目のように整然と区画されている加賀平野と,散居村の礪波平野と,著しく景観の異なる二つの平野を撮し出している。この地域は典型的な日本海岸気候で,冬季はしばしば豪雪となる。したがって,農業は早場米の水稲単作地帯で,水田率,兼業化率とも極めて高い。そして,コシヒカリなどの良質米はじめ,山,海の幸に恵まれている地域である。

富山県の西部に位置する礪波平野は,飛騨山脈から北流する庄川と小矢部川によってつくられた扇状地である。この平野には,旧河道を利用した潅漑水路が縦横に走る豊かな水田農村が発達し,100〜200m間隔で垣入(かいにょう)と呼ばれる屋敷林に囲まれた農家が散在している。収穫期に,水田一面に束ねた稲が地干しされ,一か所に積み上げられてニューがつくられるのも,礪波の特色となっている。

昭和30年代に入り礪波平野の全体にわたって水田のほ場整備や浅耕土部分(5,707ヘクタール)の流水客土が実施されたことと稲作技術の進歩により,収量は増大の傾向にある。また,礪波平野では大規模稲作請負経営が集中しているが,これには動力田植機及びそれに関連した諸技術の開発が大きく寄与した。

富山県の農業は,従来から米作を主体に発展してきた。これからも米作を土台に,消費の多様化に対応し,需要があり,かつチューリップや栽培適作物を特産物的に振興してゆく必要があり,大方の期待しているところである。

一方,加賀平野は石川県中南部に位置する沖積平野で,県下の穀倉地帯となっている。画像中で紫色に広がる金沢市を中心にして南部の手取川扇状地,伏見川低地と北部の河北潟低地に2分される。前者は灰色低地土の乾田地帯,後者はグライ土の湿田地帯である。

加賀平野の碁盤状に整理された耕地や土地改良は高田久兵衛にはじまる現地の先駆者により明治末年までにほぼ終わっていた。近年には用排水の整備や施肥改善等が行われた。こうした努力が稔って,用水不足,秋落ち現象もしだいに克服されてきた。

金沢市の北部に見える河北潟干拓地は,周囲23キロメートル,2,248ヘクタールの河北潟の内1,359ヘクタールを昭和38年から9ヶ年の歳月をかけて,干陸化させたものである。当初は水田造成計画であったが,終了時期には畑地造成に変更された。画像で干拓地の畑が白っぽく見える。

手取扇状地のうち,右岸の松任市など約6,000ヘクタール(昭和53年)を潅漑している七ヶ用水の幹線水路は東から富樫・郷・中村・山島・大慶寺・中島・新砂川の7つの用水からなっている。この七ケ用水の水源は手取川で,白山山系の積雪と潅漑期(4〜8月)に降る雨を利用している。高度経済成長に伴って,七ヶ用水地域においても都市化の傾向が昭和40年頃から急速に高まり,同時に農業の兼業化と機械化が急激に進んだ。

近年,米をめぐる情勢は非常に厳しいものがある。水稲の単作地帯である石川県が,良質米の生産地としての声価を高め,今後とも米の供給地として生き残るには,米作りの新しい技術開発が必要である。中でも,良質米の安定多収のための稲作の栽培管理技術と湛水土中直播栽培など低コスト稲作技術の早期の確立が研究機関に期待されている。

福原道一(農業環境技術研究所)

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