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情報:農業と環境 No.61 (2005.5)
独立行政法人農業環境技術研究所

本の紹介 165:安全と安心の科学、村上陽一郎著、集英社新書(2005)

リスクは、起こる確率を人間の手で減らすことができる危険、あるいは万一起こってしまったらその被害を減らすことができるような危険であるという。自然災害が起こる確率を減らすことはできないので、諦(あきら)めるほかなかった災厄(さいやく)を、私たちは天災と言い習わしてきた。しかし、諦めずに、起こったときの被害を減らす努力をしようとするとき、災厄はリスクの範疇(はんちゅう)に入ることになる。

本書は、交通、医療、原子力を題材にして、人間のもつ「リスクに立ち向かう営み」について考えたものである。「すべてを諦めるのではなく、できることは何かを探し出し、一歩でも前進しようとすること、そして時に人間の力の卑小さと自然の力の大きさの前に頭を垂れること」「人間のそうした存在の形を受け入れ、また信じたい」という著者の思いが、本書を通底して奏でられている。

「リスクの認知は、主観的な、あるいは心理的な要素を多分に含んでおり、それは個人や社会の価値と密接に繋がって」いる。しかも「絶対安全」はあり得ないという。リスク評価の科学的合理性と、一般の人々が抱く不安とのあいだの乖離(かいり)をどのように調停するかは、安全性を考える上できわめて重要な問題である。本書では予防原理と参加型技術評価法を紹介し、この「調整」の進むべき方向を示唆している。「安全と危険」、「安心と不安」、「満足と不足」という三つの軸を総合的に眺めることによってこの問題の解決を図ろうとする著者の試みが成就することを期待したい。

目次

まえがき

序論 「安全学」の試み

「安全」と「安心」への関心の高まり/自然の災害/人間が人間の安全を脅かす/人工物に脅かされる人間/社会構造の変化からくる不安/文明化の進展によって変わる疾病構造/戦後、死因の首位となった脳血管疾患/社会によって異なる不安/こころの病/「安全」でも得られない「安心」/「安全」と「安心」の違い

第1章 交通と安全 ― 事故の「責任追及」と「原因究明」

年間8千人の犠牲者を出す交通事故が共有化されないシステム/事故原因の究明が次の事故を防止する/航空機の「フール・プルーフ」/「ナチュラル・マッピング」/「ヒヤリ」体験を活かす/常在するリスクを軽減化する試み/リスクの恒常性/事故を回避するハードウェア、ソフトウェア/「安全」へ導くインセンティヴの欠如/「責任の追及」と「原因の究明」

第2章 医療と安全 ― インシデント情報の開示と事故情報

失敗(事故)から学ぶ/患者取り違え事件/医療現場に多い「取り違え」事件/ICタグを利用した患者の病歴・薬歴情報の管理/「人間は間違える」という前提/「フール・プルーフ」と「フェイル・セーフ」/医療の品質管理/医療の安全と薬害事件/「薬害事件」の背景/医療スタッフの安全の問題

第3章 原子力と安全 ― 過ちに学ぶ「安全文化」の確立

「科学者共同体」と専門知識/外部社会に利用され始めた専門知識/核分裂反応の利用/原子力発電所事故のカテゴリー分類/スリーマイル島原子力発電所事故/チェルノブイリ原子力発電所事故/東海村JCO臨界事故/爆発と臨界反応/起こり得ないはずの事故/技術の継承、知識の継承/「過ちに学ぶ」ということ/「安全文化」とは/多重防護システム/機械は故障し、人間は過ちを犯す/「絶対安全」はない

第4章 安全の設計 ― リスクの認知とリスク・マネジメント

リスク・マネジメントとリスク管理/人の意志とリスク/リスク認知の主観性/リスクと確率/予想と確率と心理的要素/リスクの定量化/リスクの定量化と損失・損害の定量化/リスク評価とはシミュレーション/起こり得ることの時系列上の連鎖/「人間不信」を前提とするサイバネティックスの考え方/絶え間ないリスク管理への配慮

第5章 安全の戦略 ― ヒューマン・エラーに対する安全戦略

ヒューマン・エラーにどのように備えるか/安全戦略としての「フール・プルーフ」と「フェイル・セーフ」/「安全」は達成された瞬間から崩壊が始まる/ホイッスル・ブロウの重要性/ヒューマン・エラーが起こるときの条件/アフォーダンスに合っていること/回復可能性/複合管理システム/簡潔・明瞭な表示法/コミュニケーションの円滑化/褒賞と制裁/失敗に学ぶことの重要性

結び

「安全学」の育成と定着の急務/「安全学」のカリキュラム/リスク評価と予防原理/参加型技術評価(PTA)の方法

あとがき

参考文献一覧

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