社会の改革に燃え、社会運動に身を投じていた著者は、挫折感の中に悶々(もんもん)とした日々を過ごしていたある日、農薬公害を知り、水戸で有機無農薬農業を営む農民たちの中にいた。その野菜のすばらしさ。とにかくおいしい。しかし、「既存の生産・流通の枠からはみ出た代物」だった。「虫食いのほうを喜んで買ってくれる消費者」はいなかった。が、この野菜を売りたいと直感的に思った著者は、「買い手は必ずいますよ。私に任せてくれませんか」と自信たっぷりに申し出た。1975年のことであった。その販路を生協に求めたが拒絶され、やむなく東京の団地で青空市をひらき自ら販路を切りひらく過程で、「大地を守る会」の前身となる「大地を守る市民の会」を設立する。以来、有機農業運動に深くかかわって、それから30年。本書は、その30年の歩みの中で供にした苦楽、喜怒哀楽、時々折々の時代状況を重ね合わせながら、「大地を守る会」の成長、発展過程をつづっている。
この成長、発展の過程は「農薬の危険性を100万回叫ぶよりも、一本のダイコンをつくり、運び、食べることから始めよう」の言葉に集約される考え方が一貫して反映されている。それは、挫折感の中から立ち上がった一人の青年の「生き方」の基軸ともなっている。その意味で自分史でもある本書は、著者の価値観をも読み取ることができ、「生きる」ということへの示唆にも富む書である。
目次
はじめに 「大地を守る会」30周年目のできごと
◎ 生産者会員と消費者会員こぞっての応援
◎ 「みんないい顔してるなー」の青空市
第1章 「100万人のキャンドルナイト」のうねり
1 700万人を巻きこんだ「ゆるやかな連帯」
◎ でんきを消してスローな夜を
◎ 糾弾型の運動からクリエイティブな運動へ
◎ 理想は高く、間口は広く
◎ 次の一歩――フードマイレージ運動
2 事業と運動を両輪にして進む
◎ 社会に新しい受け皿を用意する
◎ 小さくても経済システムを確立させる
◎ 「ありたい社会」のモデルをつくる
3 第一次産業と地域のつながりを大事にする社会
◎ 北イタリアのスローフード運動
◎ 伝統と「今を生きる感動」が両立する生き方
第2章 無農薬野菜を売りたい一心で「大地を守る会」を立ち上げる
1 立ち上げ前夜
◎ こんな社会はおかしいじゃないか! 1960年代
◎ 悶々とした日々 1970年
◎ 高度経済成長とそのかげり 1973年
◎ 二冊のベストセラーの衝撃 1973〜75年
◎ 毒ガス研究から無農薬農法へ――高倉医師との出会い 1974年
◎ 水戸の無農薬野菜を売りたい! 1975年
◎ 生協からの拒絶 1975年
2 有機農業運動開始
◎ 大島四丁目団地の青空市 1975年
◎ 大地を守る市民の会設立――藤本敏夫氏現わる 1975年
◎ 金曜の会 1976年
◎ 「有機農産物は考える素材です」 1976年
◎ 西武百貨店で無農薬農産物フェア 1977年
第3章 きたるべき社会を実現するための株式会社
1 運動の自立をめざして進む
◎ ストーブが買えない! 1977年
◎ 生協にしない理由 1977年
◎ 批判覚悟で株式会社にする 1977年
◎ 生産者と消費者が株主に 1977年
◎ 羅針盤なき航海へ 1977年
2 社会のまっただ中に有機農業の種子を植える
◎ 問題山積の学校給食に挑む 1979年
◎ 学校給食を通じて労働の質を考える 1980年代前半
◎ 卸し部門の会社設立――他のグループや企業にもノウハウ提供 1980年
◎ スーパーマーケットに有機農業の種子を植える 1980年代後半
◎ 藤本敏夫会長辞任 1983年
◎ ステーションに小さな変化が起きた 1983年〜
◎ 宅配制――大量物流ではなく極端に小さくなってみる 1985年
◎ 拡大、そして分解で全体勢力を増す 1980年代後半〜90年代
第4章 地域に根ざしながら国を超える
1 一つの経済システムとして成り立つモデルづくり
◎ ロングライフミルク反対運動 1981年〜
◎ 「ばななぼうと」で南の島へ――赤字を払拭する人間関係 1986年
◎ 「いのちの祭り」――農協(現JA)にもクサビを打つ 1987年
◎ アジアとの交流――国際局始動 1990年代
◎ 韓国の「生命共同体運動」 1990年代
◎ 日本人が知らなさすぎたタイ 1990年代
◎ 「あっ!おもしろいセット」でタイの文化を買う 1990年代
◎ 自主大学「アホカレ」でおおらかに学びあう 1993年
2 「DEVANDA」と「THAT'S国産」運動
◎ 21世紀は第一次産業の出番だ! 1994年
◎ 可能性としての「180万人」 1994年
◎ 韓国のウリミル運動に学ぶ 1995年
◎ あなたの食卓の自給率はどうなっていますか? 1995年
◎ 「価格破壊」とは何ごとだ! 1995年
◎ 「THAT'S国産」運動の基本理念 1995年
第5章 楽しい生活の場づくりをめざして
1 「大地を守る会」こだわりのものさし
◎ 何でもとことん議論! 多数決はとらない
◎ 大地の基準――押しつけのガイドラインは要らない
◎ 批判と悪口はやめよう――忘れられない痛恨の事件で考えたこと
◎ 生産技術公開――エリート主義でなく全体の水準を上げる
◎ 組織や運動は螺旋階段状に上昇する
2 異質なものを排除しない豊かな精神
◎ 純粋は危険! 「異質」「遊び」を容認するおおらかさ
◎ 農業を見直し、素直な心で宝探しをしよう
◎ 「100万人ふるさと回帰運動」――足もとの資源を信頼してみる
◎ 感動と希望が明日へのエネルギー――農村の暗い歴史観を見直す
終章 「食」から未来を変えよう
◎ 徐耀華さんとの出会いとレストラン部門の展開
◎ ap bank との出会い
◎ 「ほっとけない、世界のまずしさ」キャンペーン
あとがき