農薬は病害虫、雑草の防除資材として、安定的で高品質な農産物の生産と農作業の省力化などに大きな役割を果たしてきている。しかし、農薬は本来、生理活性物質であることから、人の健康や環境中の生物に好ましくない影響を及ぼすことが懸念されている。1960年代に出版されたレーチェル・カーソン著「沈黙の春」で有機塩素系殺虫剤DDTが生態系で濃縮されることが指摘された。それ以来、農薬は農業生産現場からの環境負荷物質として危険な存在であると認識されるようになった。
その後、科学技術の発展にともなって農薬にもさまざまな改良が加えられた。現在使用されている農薬は大きく変貌しているが、正しい理解がされていないという現実もある。このたび、科学ライターで、農業環境技術研究所の評議員である松永氏により、農薬がもつ問題点と農業生産資材としての有用性、さらに、現在の農薬と農薬行政などをまとめた本書 『踊る 「食の安全」 』 が出版された。著者は農家や消費者の立場から冷静に農薬の存在を見直し、そして、農薬を科学的に理解し農業生産に役立ててほしいとの思いで本書は執筆された。
序章 「国産のわさびが消える?」 で、生産量の少ないわさび、ユリノネ、クワイなどマイナー作物に対して使用できる農薬がほとんどないため栽培が難しく、このような状況が続くと日本の食文化が守れなくなるという懸念を示している。なぜ農薬を使用しなければいけないのか、また、簡単に農薬は使用できないのかなどの疑問に対し、消費者が見栄えのよい農産物を求めていること、きびしい安全性評価が実施され登録制度に基づいて農薬使用が規制されていることを、わかりやすく説明している。
農薬による人への健康や環境への影響を未然に防止するため、毒性や残留性の面から、より安全性の高い農薬をめざした研究開発が行われていること、さらに、環境影響評価や農産物における残留性を規制するポジティブリスト制度の導入など新しい農薬制度についても解説している。また、病害虫、雑草防除には化学合成農薬に依存するのみならず、他の方法を組み合わせた総合的管理も必要であるとしている。
全体を通して、農薬による事故や生態系への影響など農薬の問題点を指摘しながら、一方で、農薬は農業生産の重要な資材であり 「農薬は悪者」 と決めつけないでほしいとの気持ちが伝わってくる。「農家に農薬を科学的に理解し正しく使う」、「消費者にもその努力を知っていただき農業を支えてほしい」 と締めくくっている。
目次
序章国産のわさびが消える?
第一章 農薬とは何か?
1 あれも農薬、これも農薬
2 農薬はなぜ存在するのか
3 農薬はいつ頃生まれたのか
4 日本における農薬事始め
5 農薬は農家の労力を減らし、生産量を上げた
6 農薬の事故が相次いだ戦後
7 『沈黙の春』による告発の衝撃
8 安全重視の農薬改革が始まる
9 現在の農薬規制の仕組み
10 無農薬では、大規模栽培は難しい
第二章 農薬は食べると危険?
1 毒性の種類はさまざま
2 危険か安全かの二分法はナンセンス
3 農薬はどれだけなら食べてもよいのか
4 市販されている食品は、残留基準内に収まっているのか
5 水洗いや調理で残留農薬は減るのか
6 気になる農薬の発ガン性は本当?
7 有機農産物にも農薬は使われる
8 植物は、天然の農薬を作り身を守る
9 残留農薬と食中毒のどちらが心配?
第三章 農薬は使うと危険?
1 注意すべきは、食べる人より使う人
2 なぜ新しい農薬を開発し続けるのか
3 「農薬=白い粉」はもう古い
4 農家の責任が問われた無登録農薬問題
5 緑茶、焼酎を農薬代わりに使うワケ
6 「生物農薬」やフェロモン剤の利用
7 病害虫を防ぐのは農薬だけではない
8 天敵農薬を駆使した新しい農家の取り組み
第四章 農薬は環境破壊なのか?
1 ドリン剤 ──── この負の遺産
2 ダイオキシンは農薬由来だった
3 自然と共存できる農薬へ
4 環境ホルモン騒動とは何だったのか
5 メダカがいなくなったのは農薬のせい?
6 暮らしの中にある農薬≠フ影響
7 『沈黙の春』への批判
第五章 新しい農薬制度、ポジティブリスト制とは?
1 ポジティブリスト制とは何か
2 心配なドリフト問題
3 農家のとるべき対策は?
4 海外諸国との軋轢も生じる
5 検査狂騒曲≠ノ踊らされてはいけない
6 「複合汚染」への不安が再来する?
第六章 農薬の未来はどうなるのか?
1 イネに抵抗力をつける新しい農薬
2 平取トマトは農薬に依存せず、否定せず
3 宮崎方式は、検査を農家の技量向上に役立てる
4 嬬恋キャベツは変わった
5 自給率向上へ、農薬の果たす役割
6 マイナー作物の行方
7 国産わさびを守るために
謝辞
参考文献