戦後日本の科学技術の路線は、アメリカなど世界の列強が原子力、航空宇宙の二本柱を中心に進めていたものとは異なるものであった。日本は、「占領下にアメリカから移植された品質管理技術(QC)」の上に「特殊日本的なQCサークルを発展させる」という市場向けの平和路線に乗った科学技術に徹した。その主役は通産省であった。しかし、通産省には「科学技術政策なるものはなかった」という。「あえていえば、外資をコントロールして、自分たちが考える路線の企業・業種を育成」した。高度成長に必要な科学技術を達成するための研究開発は、私企業の努力に待つ民間主導型であり、欧米の政府主導型と顕著な対照を成している。1960年代に民間支出が研究開発費全体の60%以上を占め、1990年代のバブル経済崩壊までその割合は拡大を続け、ついには80%を超えるに至っている。
1980年代に日本の科学技術は世界に冠たる名声を博し、エズラ・ヴォーゲルが著した「ジャパン・アズ・ナンバーワン」はその意図に反し日本で多くの読者を得た。1980年代における日本のこの隆盛は、通産省のもとで取られた1960年代の産業振興策に依拠していると著者は喝破(かっぱ)する。日本に追い越されたアメリカは、アメリカの基礎研究の上に日本は「ただ乗り」しているという「基礎科学ただ乗り」論を唱えるなど、日本の科学技術に対するバッシングを行うとともに、「競争力」のイデオロギーを掲げて日本に対抗した。そして日本は今、1995年制定の科学技術基本法を基に、国策として基礎研究支援に乗り出し、アメリカをまねて「競争力」を唱えている。
戦後アメリカは、ブッシュ・パラダイムに則って科学技術研究開発政策を推進した。それは、基礎研究から出発し新産業創出に至る、基礎研究 --> 新概念・新原理 --> 新製品・新製法 --> 新産業創出という一連の流れをたどるものであり、科学技術政策のリニアー・プログラムである。本書は、基礎研究が経済成長とどう関係するかという問題意識を伏線として、「基礎科学から新産業の創出へ」という戦後アメリカの科学政策を縦軸に、上に管見したように、違った道をたどった日本のそれを横軸に置いている。そして、日本は今後基礎科学政策とどのように関わり、これからどうするべきなのかを中心テーマとして、戦後科学史上の現象に深く切り込んでいる。
世界の科学技術の先端であるアメリカのそれと対比して論じた本書は、「公式文書では読みとれない何かを時代の雰囲気として伝えるために」、著者が生きてきた戦後という時代の、一科学史家としての著者の個人的な体験や見解も交えて記述している。文章の運びも明快かつ心地よい。研究となにがしかの関わりのある人には必読の書である。
目次
まえがき
アメリカとの競争/戦後日米比較科学技術史/世界から日本への時代区分/イデオロギーと科学技術/日米時代区分の対照
第一期 科学 果てしなきフロンティア――ブッシュ・パラダイムと戦後の再出発
1945〜1957
1 ブッシュ・パラダイム――基礎科学と経済成長の間
科学政策と産業政策を結ぶもの/基礎科学の牙城――全米科学財団
2 冷戦と研究
熱戦から冷戦へ/軍産複合体/冷戦科学の西漸/財団と社会科学/行動科学
3 占領下の日本
冷戦科学から隔離/ニューディーラーと日本学術会議/経済復興のための研究の実例/工業技術庁/非冷戦的科学技術構造
4 科学者だけのもう一つの路線
戦後の精神/ラッセル・アインシュタイン宣言と湯川京都会議/戦後民主主義における科学者運動/民主主義VS競争主義 /巨大科学と民主主義/左翼路線の衰退
5 ポスト占領期
軍事研究禁止の解除/戦後の主役――通産省
第二期 ポストスプートニク――科学技術ブームと高度成長
1957〜1968
1 <基礎科学のイデオロギー>
スプートニクショック/時代精神/シーボルグ報告/科学史の例/理科教育改革/ケネディ政権の下で/出資・使用構造の変化/MIT・企業の研究所/巨大科学/原子力委員会とNASAを比較して/<基礎科学のイデオロギー>の実態
2 大学か研究所か
19世紀以来の大学での研究/カイザー・ヴィルヘルム協会/ソ連科学アカデミー・中国科学院方式/テーマ選択の自由
3 日本の<科学技術のイデオロギー>
戦後日本の科学技術予算/頭脳流出
4 国費支出なき高度成長
民間主導型の定着/中央研究所ばやり/研究開発政策プロフェッションの誕生と日本
第三期 科学批判の時代と<エコロジーのイデオロギー>
1968〜1970年代
1 1968年革命
同時多発の「革命」/学問の問い直し/科学史とSTS――欲求不満者のテーマ/大学紛争/政府の対応/企業の研究開発
2 <エコロジーのイデオロギー>
<エコロジーのイデオロギー>の始まり/科学VSエコロジー/過去と現代の対話
第四期 日本科学技術の名声と日米の技術摩擦
1980年代
1 日本の国際的評価
80年代の日本/チャーマーズ・ジョンソンの『通産省』/戦後の科学技術の発展は本当に奇跡か
2 アメリカ・リーハイ大学にて
80年代は日本がモデル/研究組合/日本語科学論文翻訳問題/商工会議所での講演
3 レーガン政権の科学政策
<競争力のイデオロギー>
4 特許小史
19世紀の特許/明治期日本の特許/20世紀の特許・防衛特許/情報化時代の特徴/レーガン政権の特許重視政策/特許重視――先進国が唯一生き残る道
5 日本バッシング
テクノナショナリストの攻撃/シンメトリカル・アクセス/基礎科学ただ乗り論の影響と効果/日本の企業研究所のアメリカへの進出/ブッシュ・パラダイムの破綻?
6 アメリカは科学の中心であり続けるか
科学の中心は常に移動する/科学における中心・周辺仮説/ドイツからアメリカへ/アメリカに中心はとどまるか
7 日本・東アジア生産技術移転
技術導入から技術移転へ/日本からの技術移転/技術移転の諸相――その方法/アジア的生産技術方式の成立/研究開発のアジアへの移転/民営化に向けて
第五期 ポスト冷戦と<民営化のイデオロギー>
1990〜2000年代
1 冷戦構造崩壊の影響
混乱の中で
2 冷戦科学から地球環境科学へ
地球環境科学/ISOによる企業の試み/ISOと環境保護/京都議定書
3 科学技術の民営化
日本の進むべき道/日本の民営化比較/クリントン政権の方向転換/バイオテクノロジー支持/特許反対の役割/生命の独占化に抗して
4 科学技術基本計画
90年代日本の課題/日本の科学技術の民営化・大学の法人化/大学側の反論/大学と市場/大学資本主義/ベンチャーキャピタル/大学の技術移転室、TLO/日本の特許重視政策
5 日米の研究開発費の国際比較
科学研究費/研究費の基本的矛盾/軍事予算というもの/研究費の出資構造と使用構造
結び 世紀転換期から未来に向けて
1 ブッシュ・パラダイムの日米比較史
ブッシュ・パラダイムは実現したか
2 科学技術の国際競争力
基礎科学の国際競争力/産業技術の国際評価/人材の移動と多国籍化/日本の研究人材計画/21世紀に入って――ブッシュ・ネオコン政権の超保守主義イデオロギー
3 グローバリゼーション
「グローバリゼーション」の意味するところ/楽観論で語られる科学技術のグローバリゼーション
4 社会主義倒れて、それでも科学技術を
社会主義体制の崩壊がもたらしたもの/市民の欲する科学技術とは
あとがき
注
索引