われわれの身のまわりには多種多様の化学物質が存在し、生活の利便性の向上に大きく貢献している。科学技術の進歩にともなって10万を超える化学物質が合成されるようになり、地球的な規模で移動するこれらの化学物質を管理するためには、国際的な枠組みの中での協調が不可欠となっている。一方、過去には非意図的に生成されたダイオキシン類、硫黄酸化物、有機水銀、カドミウムなどを原因とする環境(公害)問題も発生しており、環境と化学物質との苦いかかわりを忘れることはできない。
近年、化学物質による「環境リスク」を科学的に解析し、リスクの低減を図ることが重要な課題になっている。化学物質の環境リスクに取り組む場合、環境としての大気、土壌、水系、底質、生物など、各種の媒体を経由した化学物質を対象としなければならず、これらによる人の健康や生態系に対する影響をあらゆる角度から考察する必要が生じる。きわめて強い急性毒性や発ガン性などを有する化学物質であっても、環境や生体内で速やかに分解されれば、その物質の有害性は小さいと判断することがある。すなわち、化学物質そのものの各種生物に対する毒性に加えて、水溶解性、蒸散性、吸脱着性などの物理化学的特性や異なる環境媒体における反応性の違いなどを総合的に評価しなければならない。リスク評価には、化学物質についての膨大な科学的基盤データと、変動する環境媒体の特性についての十分な知識の蓄積が必須である。
本書は、その対象を、環境中に存在する「有機化学物質」に限定し、とくに環境中の挙動に重点をおいて書かれた良書である。環境有機化学物質論という研究分野の定義については、「有機化学物質(有機化合物)が何らかの起源から何らかの経路および駆動力を通じて環境中に排出された後に遭遇し、環境中で有機化学物質に生じるさまざまな物理化学的および生物学的過程を記述し、総合化する体系」と位置づけており、いわゆる運命、動態(Fate)をさすと明示している。そして、有機化学物質の環境中における挙動を解析するために必要な、物質に関する基礎データや環境中での分解反応などについて、多くの図表を用いて整理しており説得性の高い内容となっている。
さらに、現在、環境動態予測モデルの開発がリスク評価・管理に緊要になっている。地球規模のモデル開発に必要な概念とともに、大気、水、土壌、底質コンパートメントの特性も分かりやすく記載されている。また、本書では、リスク評価・管理についても考え方が示されており、環境中の有機化学物質問題の解決に必要な物質の特性、物質の測定法、環境中での反応性、リスク評価の方法などを、体系的に理解することができる。有機化学物質の全体像を知る上で有効な知見を豊富に提供しており、参考書として活用したい。
目次
まえがき
第1章 環境有機化学物質と環境汚染概論
1.1 環境有機化学物質論の視点
1.2 化学物質の使用と環境汚染のかかわり
1.3 最近のトピック
ダイオキシン類/内分泌攪乱化学物質/残留性有機汚染物質/揮発性有機化合物
1.4 環境への化学物質の排出
排出源および排出量の推定/PRTR制度/PRTRデータの実際
演習/問題提起
参考文献
第2章 環境有機化学物質理解のための基礎物理学
2.1 原子・分子と物質の基礎
原子と分子/化学結合/物質の三態
2.2 化学平衡
科学熱力学と自由エネルギー/相平衡と分配
2.3 反応速度
速度式への手引き/1次、2次およびその他の速度式/速度の温度依存性
演習/問題提起
参考文献
第3章 環境有機化学物質の挙動
3.1 蒸気圧と水への溶解度
蒸気圧/水への溶解度
3.2 大気−水間および大気−有機相間の分配
熱力学的基礎/大気−水間の分配/大気−有機相間分配
3.3 有機相−水間の分配
熱力学的取り扱い/n-オクタノール−水分配定数
3.4 有機酸および塩基性有機化合物の分配
3.5 分配現象としての吸着(収着)
概要/吸着等温線/水中での個体相への吸着/生物への分配と生物濃縮
3.6 返還および分解過程
物理化学的過程/生物学的過程−生分解
演習/問題提起
参考文献
第4章 主要な環境有機化学物質
4.1 石油系炭化水素
物質特性と環境科学パラメーター/環境汚染
4.2 脂肪族有機ハロゲン化合物
物質特性と環境化学パラメーター/環境汚染
4.3 ポリ塩化ビフェニルおよびダイオキシン類
物質特性と環境化学パラメータ/環境汚染
4.4 多環芳香族化合物
4.5 フタル酸エステル
4.6 界面活性剤
4.7 農薬
4.8 新規に注目される環境有機化学物質
演習/問題提起
参考文献
第5章 環境有機化学物質の測定
5.1 環境有機化学物質測定の特質
5.2 試料のサンプリングと前処理
大気/水/土壌/底質
5.3 無機化合物の測定
5.4 有機化合物の測定
クロマトグラフィー/揮発性・半揮発性化合物の分析/高沸点・高疎水性化合物の分析/農薬・多環芳香族化合物の分析
5.5 バイオアッセイ
演習/問題提起
参考文献
第6章 環境中運命とモデル予測
6.1 物質収支とボックスモデル
閉じた糸での定常状態/開放系での定常状態/1−ボックスモデル
6.2 モデル化要素としての輸送過程
拡散/大気−水間の物質交換/移流
6.3 環境コンパートメントの特性
大気コンパートメントおよびそのサブコンパートメント/水コンパートメントおよびそのサブコンパートメント/土壌コンパートメント/底質コンパートメント/モデルの適用とパラメーターの設定例
6.4 マルチメディアモデル
フガシティモデル/SimpleBox /その他のモデル/モデル予測の適用例
演習/問題提起
参考文献
第7章 環境毒性学とリスク評価
7.1 化学物質のリスク評価
7.2 化学物質の毒性
7.3 暴露の把握と解析
7.4 定量的毒性評価
閾値がある場合の用量−反応関係/閾値がない場合の取り扱い
7.5 リスク評価の実施
7.6 生態系へのリスク
7.7 構造活性相関
演習/問題提起
参考文献
第8章 環境有機化学物質によるリスクの低減技術
8.1 リスク低減技術の特性
8.2 物理化学的技術
分離技術/分解技術
8.3 生物学的技術
難分解性物質分解への生物機能の応用/バイオレメディエーションおよびフィトレメディエーション
8.4 リスク低減技術の適用と化学物質の挙動
焼却排ガス処理とダイオキシン類の挙動/高度浄水プロセスの効果/土壌汚染の修復と低沸点有機塩素化合物の挙動/廃棄物不法投棄からの浸出水処理各種汚染物質の挙動/PCB廃棄物の削減とリスク評価
演習/問題提起
参考文献
索引