2006年のサントリー学芸賞(政治経済部門)を受賞した話題の本である。
読者は、序章のページを開いた途端に、次のような文章にでくわす。「今日、食と農に関する話題が盛り上がっている。・・(途中略)・・食と農に関する行政批判は烈火のごとくである。『もっと消費者の立場にあって、安全・安心の確保を』・・・という類の批判である。・・・・本書の執筆の目的が本の売れ行きであるならば、圧倒的多数派の隊列に加わって、行政批判をするのが“妥当な”選択であろう。しかし、本書の立場は、それとは異なっている。本書では、圧倒的多数派の隊列が見落としている重大な事実に目を向ける。」
さらに、著者は続ける。「近年の食と農をめぐる議論に重大な懐疑を抱いている」。「食と農の問題の本質は市民(農民および消費者)の怠慢と無責任である」。「今日の日本の社会は、この耳の痛い事実に向き合わず、議論をすりかえているのではないかと危惧している。・・・本書を通じて、重大な事実を伝えなければならない。それは、現在、巷で流行っている食と農をめぐる行政批判が、実は、行政と、それに癒着してきた零細農家・土建会社という旧態勢力を利する結果になっているという事実である。」「おそらく、今日の日本では『悪い官僚vs善良な市民』という構図が1種の教条主義になっている」。著者は、そうした教条主義におちいっているのがマスメディアであると糾弾(きゅうだん)する。
そうした視点から、第二章「食の議論の忘れもの」において、昨今の日本における「食の議論」における問題点が次々と指摘される。たとえば、「食の安全・安心への関心と高まり」という常套句(じょうとうく)、さらに「自然志向」「健康志向」「地場産業農産物の再発見」等々のスローガンは、陳腐(ちんぷ)そのもので、30年以上前から少しずつ衣をかえて繰り返し使われてきたものに過ぎないことは、過去の新聞・週刊誌などの報道の調査から明らかであるという。さらに、「地産地消」「グリーンツーリズム」についても辛口の指摘が続く。
それではいったい何が問題なのか、第三章以下において、JAならびに農地について、著者の専門とする農業経済学的な立場から分析がなされる。本稿の紹介者にとって、専門外であるこの部分の理解は十分ではないが、第四〜六章で論じられる農地問題は、担い手育成と担い手への利用農地の集積を目指す21世紀新農政(農林水産省平成17年3月)との関連できわめて興味深かった。とくに、農地の転用規制の緩和による農家への収入が農作物総生産額に対する比率は、80年代に30〜40%であったが、わが国の経済構造が激変した90年代以降60%に達したというデータには驚いた(本書、表4−2)(3大都市圏では100%を超える)。優良農地がどんどん他用途に転用され耕作放棄地が増え続ける現状は、「農地利用が回復困難にまで駄目になってしまってからでは取り返しようがない(本書、p.260)」ことが杞憂(きゆう)でないことを示している。
本書は、著者自身の言葉(*)にあるように、「『私は当事者ではないからよくわからないけれど』という言い訳を読者に赦さない」というスタンスで書かれている。読者にとって「見たくない」「知りたくない」事実をさらけ出されることは、必ずしも心地よくない。しかし、著者・神門(ごうど)氏は続ける「本書の動機は社会批判ではない。真実から目をそむけずにじっと見ていれば、必ず解決策がある。明るい未来への処方箋にこそ、本書の眼目がある。本書では社会保険料の食生活連動制、転用権入札制度、農業労働・農業資本の国際移動自由化など、大胆かつ具体的な改革策を提示した。これらの改革を実行することは、地球環境問題など、幅広い分野の社会問題の解決策を探る糸口にもなる。これこそ、平和的国際貢献である」。
本書の中核部分は、著者の専門とする農業経済的解析(第三章〜六章)であり、技術系の読者にとっては読みやすくはない。しかし、それらの章を読み流し、序章・第2章・結章だけでも一読の価値はある。
* サントリー ニュースリリース No.9630 (2006.11.8)「第28回 サントリー学芸賞の決定」
(http://www.suntory.co.jp/news/2006/9630.html)
目次
序章 日本の食と農
1 食と農を語る意味
2 行政バッシングの時代
3 蟻の目からのアプローチ
4 日本なのか日本人なのか?
第二章 食の議論の忘れもの
1 基礎学力問題と食の問題の類似性
2 食の安全・安心は古くからの話題
3 食生活をみだしたのは消費者自身
4 消費者のエゴ
5 地産地消、グリーン・ツーリズムの誤謬
6 食育の誤謬
7 安全と安心の違い
8 行政の組織防衛策としての「食の安全・安心」
9 食品安全基本法の功罪
10 ほんとうの食の改善とは?
11 社会保険料の食生活連動制の提言
第三章 迷宮のJA
1 農協とJA
2 JAの怪しさ
3 JAの組織と活動
4 JAの独壇
5 零細農家のJA依存度の高まり
6 コメ政策とJA
7 法令違反はJAの日常活動の一部
8 高度経済成長支援システムとしてのJA
9 1990年代以降のJAの変容
10 独立系農協の提言
付論 戦後日本の都市 農村間の所得再分配の教訓
第四章 農地と政治 I (農地問題の構造)
1 梅畑の秘密
2 農地は宝くじ
3 農地転用規制の概要
4 農業委員会の欺瞞
5 農地税制の複雑性・不透明性
6 農地は鎹 (農家 政治家 農水省 土建会社)
7 農地転用の実態
8 農地問題の本質が語られない理由
9 農地法と農業経営基盤強化促進法
第五章 農地と政治 II (農地政策の行き先)
1 農地流動化の現状
2 マスコミによる情報操作
3 農民の嘘
4 悪魔のシナリオ
5 理想のシナリオ
6 転用権入札・課税自己評価の提言
7 農地政策における日本の先導的役割
8 農地問題は日本社会の試金石
付論 都市計画と農地利用計画
第六章 企業の農業参入?
1 流行の議論
2 企業と農業
3 企業による農業の歴史
4 企業参入賛成派の論議
5 企業参入反対派の論議
6 企業の農業参入の是非論が残したもの
結章 明日の食と農を見据えて
1 日本の農を世界に開放しよう
2 食を通じた国際貢献
3 農産貿易の活性化
4 結語
注/謝辞/人名索引/事項索引