人間活動に起因する温暖化が地球環境の変動を引き起こし、さらに、食糧生産に必須の水についても、質的・量的な悪化が顕在化している。とくに、アジア地域における人口増加に伴う食糧の確保は、農耕地の砂漠化や水不足などで難しい局面を迎えている。本書は、農業水利分野の専門家がアジア各国における水の活用状況を調査し、その過程や結果をもとにまとめられたものである。利潤と効率性を追求する従来の農業開発は負の影響を及ぼしていると痛感し、今後、農業技術のみならず水環境を取り巻く各国の風土にかなった政策が必要であるとの認識が基本である。
モンスーンアジアにおける水資源の特徴は、「(1)著しい季節的偏り、(2)大きな変動性あるいは不安定性」であり、欧米の水事情とは異なると筆者は整理している。筆者の調査結果から、稲作農業に必要な水資源は地域の水文(すいもん)・地文(ちもん)的な背景と調和して確保されているが、さらに、人為的な水のコントロールを有効に機能させることが不可欠であると明記している。カンボジア、ラオス、スリランカ、インドネシアにおける潅漑(かんがい)稲作の実態、水・土地環境の経年変化、農作業や日常生活での協力など集落社会の役割にまで各種調査を実施し、「一時的な生産性の追求よりも、より長期的な地域の維持が共同体存続の要諦である」と結論している。
副題にある「水・土・里」は、全国土地改良事業団体連合会による概念を引用しており、「水」は農業用水や地域用水、「土」は土地、農地、土壌など、「里」は農村空間あるいは農家や地域住民が一体となった生活空間を表している。流域一体管理を通した水・土・里の再生によって、流域社会の包括的な森林・水田・水質浄化・生態系・景観保全機能が期待できる。そのため、「上流域(森林) → 中流域(水田を中心とした農地) → 下流域(都市部)から構成される流域空間において、流域の住民が流域資源への『所有者意識』や流域社会への『帰属意識』を共有することが大前提」としている。
全体を通して、アジア各国での調査事例や各種資料が年次的に、また関係する法律・施策も詳細に紹介されていることから、抱えている課題の整理や解決方策が理解しやすく、水資源を中心とした環境問題に関する有益な情報を与えてくれる。持続可能な環境を維持するためには稲作農業が重要な役割を担っており、「アジア的価値観」、「アジアの風土」、「我が国の進むべき道」と示唆に富む内容となっており一読をおすすめする。
目次
はじめに
第1章 途上国に拡がる環境劣化
生産性偏重がもたらしたもの/インダス開発の光と影/アラル海の危機/褐色の円形農地/神の意思としての水/母なる森/ダムと環境/環境にやさしい伝統農法
コラム: アラル海からの声
第2章 アジアの風土と稲作
アジアとモンスーン気候/NPPと農業/稲作と水/マクロスケールの考察/稲作の現状
コラム: アジアは貧しいですか
第3章 アジアの共同体社会
農民意識調査/調査地区の概要/一村一家族/共同体社会の成立/なぜ共同体か?/水利対応の諸相/水利効率の最大化とは
コラム: 不道徳?なぜ光景
第4章 持続性と公平性
農業は加害者か保全者か/「地力」とは/稲作の持続性vs多肥の現状/水利の観点から/Crop per Drop” か “Person per Drop” か/二〇四〇年の食糧と水需要見通し/水と食糧配分における不公平/配分の公平化と稲作の役割
コラム: 稲作小言
第5章 水・土・里の再生に向けて
水・土・里とは? ―七滝用水の事例から/流域社会の資源管理機能/流域一体管理/法令改正の動き/新農業基本法との整合
コラム: 素朴な疑問
第6章 田園コミュニティー構想
社会構造と国民意識の変化/新陳代謝が止まってしまった農業・農村/人が地域をつくり、地域が人をつくる/環流型持続社会を目指して/「田園コミュニティー構想」とは/要点の整理/人口の環流への期待
コラム: 友だち何人できるかな
第7章 「知足」へのパラダイムシフト
開発論の系譜/新たなパラダイムを求めて/「知足」とは/アジアからの発信/我が国の進むべき道
コラム: この一つの惑星に住んで
あとがき
主要参考文献