私たちの生活をとりまくリスクは多様であり、それらのリスク情報に右往左往したり信憑性(しんぴょうせい)に疑問をいだく場合もある。本書は、「安全・安心社会」の構築をめざすために、リスク情報にどのように対処すべきか、また、妥当なリスクの管理方策(経済性に着目した合理的方策)とはなにかを提示している。
著者の専門領域は、社会心理学、リスク心理学であり、リスク管理責任者への信頼の問題を主要な研究テーマにしている。本書では、全体を通して、ややもすると理解しにくい問題を、日常生活で見聞している多くの具体的事例で分かりやすく説明しており、リスクの概念のとらえ方についても納得できる解説といえる。
メディアから提供されるリスク情報に対し、リスクを過大視する心のしくみを、BSE感染牛の発生、ダイオキシン汚染やSARS感染・発症などで例示しており、「リスク報道は必ずしも全体的様子を俯瞰していないことを理解して読み解いた方がよい」と報道の受け手にも注意を促している。
リスク情報への対処法として、「リスクがあるか・ないかという二値的な判断ではなく、問題とするリスクがどれくらいの大きさなのかを知ろうとする姿勢が重要」で、リスクの定量的視点:本書のタイトルである「リスクのモノサシ」の必要性を示している。すなわち、リスクの評価・管理の場面でよく言われる「リスクゼロはない」であり、「リスク論が描く世界は、たとえていうと、濃淡のある灰色の世界」と表現し、さらに、リスク情報を深く考えずにリスク回避行動をとる消費者に冷静な対応を求めている。
リスク管理は、リスクの大きさで一様に比較したセット(「リスク比較セット」)の中から被害規模の大きい事項を順に実施すべきである。ここでも、鳥インフルエンザの発生、遺伝子組み換え作物によるリスク、環境ホルモン、自殺など身近に存在する多様なリスクを例示しており、たとえば、死亡者数を火事と入浴で比較すると入浴中の水死が高いなど、気が付かない所にも高いリスクが存在していることが分かる。
リスク管理責任機関(者)と一般の人々との間に、リスク情報が共有されていることが大前提である。政府、企業、環境NGOなどの市民団体をリスク管理担当と位置づけており、人々と相互に信頼関係が構築されていることがリスク管理の重要条件としている。そして、「リスクを完全に除去できなくとも、非常に小さなリスクにまで削減することに大きな意義があることを述べて、リスクの大きさをわかりやすく理解するための方法」を提案した本書の考え方を支持したい。
目次
序章 リスク情報が引き起こした社会の動揺
リスク情報の生み出した混乱/ダイオキシン報道がもたらしたリスク情報の影響/環境ホルモンをめぐるリスク情報の影響/SARS(重症急性呼吸器症候群)がもたらした混乱/狂牛病(BSE)情報がもたらした影響/うわさが燃え広がる状況/なぜ、かくも大きなリスク情報影響が生じるのか/リスク情報に対応するためになすべきこと/リスク管理体制をどう作るか/リスク情報への過剰な反応がなぜ問題なのか
第一章 マスメディアの報道スタイル
一見、矛盾するリスクの情報/リスクの大きさが伝えられていない/リスクの確率を受け取る意味/最悪のパターンの強調/マスメディアの宿命
第二章 専門家がもたらすリスク不安
専門家のリスク情報/両論併記によるジレンマ/専門家の曖昧な表現/素朴なリアリズム( Naive Realism)/客観的に “正しい„ はありうるか/専門家は自説を曲げない──コミットメント
第三章 リスクを過大視する心のしくみ
受け手の側の問題/リスク認知の二因子/低確率領域でのリスク認知/明示されないと考慮しない/具体事例のインパクト
第四章 リスクのモノサシを創る
程度に応じた反応/「あるか・ないか」ではなく、程度/リスクの大きさを推定する/統計に基づくリスク評価/実験に基づくリスク計算/損失余命という考え方/評価でなく説得に使われるリスク比較/リスクを把握するためのモノサシ創り/アスベストによる健康被害/新型インフルエンザ/たばこ税増税によるリスク削減/死亡者は少ない食中毒/生活の中のリスク──入浴/環境問題はリスク比較セットにどう位置づけられるか/リスク比較セットのパーソナライズ/さまざまな死因とそれによる死亡者数の大きさ/リスク比較セットは常に改良が必要/リスク情報を受けとめるための心得
第五章 “安全か危険か„ になりがちな判断
静かなパニック/灰色グラデーションとシロ・クロ二分法の世界/二重過程のモデルの応用/周辺的ルート処理が招くパニック/BSE問題と母乳ダイオキシン問題の違い/情緒的アピールと閾値の有無/扇情的アピールが世界を黒く塗りつぶす/豊かさと表現の自由がリスク回避を導く
第六章 信頼は何によって決まるのか
リスク情報社会をどうデザインするか/耐震強度偽装事件/信頼の低下がコストを引き上げる/リスクコミュニケーションを阻害するのは何か/伝統的な信頼のとらえ方/信頼の要件は何か/二要因モデルに沿った信頼改善策/どちらにも説得力がある場合/主要価値類似性(SVS)モデル/SVSモデルと伝統的信頼モデル/伝統的モデルとSVSモデルの直接比較/主要な価値は “周辺„ にあるのではない/人びとの価値への配慮
第七章 信頼の回復には何が必要か
信頼は回復しにくい/監視と制裁/一般市民の目/監視と制裁のシステムの限界/狭義の信頼をも高める方法はないものか/自発的人質供出による信頼の回復/覚悟と自信が必要/市民からの信頼を得られない市民団体
第八章 安全・安心生活はありうるか
なぜ “安全・安心„ 社会?/安全と安心の二次元空間/リスク情報は安全と安心を同時にもたらすか
参考文献
おわりに