植物が動物と大きく違う点は、言うまでもなく、動物のようには移動せず同じ場所で生活すること、そして、太陽光のエネルギーにより空気中の二酸化炭素と水から合成 (「光合成」) する糖をエネルギー源としていることである。この 「植物の優れた知恵」 に秘められた謎を解き明かしていく植物科学の進展が、今後の人類生存に大きく貢献するものと期待されている。
本書は、「植物の形作りの仕組みを、植物の 「軸」 とその軸の形成を支える 「情報」 の観点から解くこと」 を目的とする文部科学省科学研究費補助金 「特定領域研究班」 (平成13〜18年度) で実施された研究成果を社会に発信するため出版されたものである。ここでの植物の 「軸」 とは、植物体の茎や根を貫く軸、葉の裏表や左右の軸を示し、「情報」 とは軸を形成するために必要となる植物ホルモンなどを指すものである。「動かない植物」 の生存戦略が紹介された。
植物の形、葉の形、花の誘導、受精、根の形と微生物との共生、維管束、植物ホルモン、穀物生産向上に向けた作物の改良など、馴染みのテーマを取り上げ、分かりやすく解説している。一例として、シロイヌナズナでの葉の形作りに関係する4パターンの遺伝子に関する成果から、葉形の多様性が環境に支配されること、花を咲かせる物質「フロリゲン」の発見とともに、花を咲かせるために複数の仕組みが必要であること、花の形作りに係わっている3グループの遺伝子とそれぞれの役割などを明らかにしている。
1968年のイネ品種 「IR8」 の誕生は、世界人口の急激な増加を解決し 「緑の革命」 と言われた。さらに、2025年の世界人口は約80億人と予測されており、これまで以上の食糧増産が必須になっている。本書では、植物科学者として、生産性向上に関係する有用遺伝子を探索し、従来の品種に導入していく遺伝子組み換え技術の必要性を説いている。
本書は、植物科学の第一線の研究者によって達成された成果を取りまとめたものである。近年、研究成果を分かりやすく国民に還元することが強く求められており、本書の 「あと書き」 でも 「成果は、専門家の科学者に対してだけでなく、納税者である一般の方々にもできるだけわかりやすく、すみやかに伝えていく義務がある」 と明示している。
難解な科学の内容を一般の人にも理解してもらうには、どのような工夫をしたらよいか。読者の興味を引きつける 「サイエンス・コミュニケーション」 の重要性を痛感する。本書は、植物科学の研究成果が一般の生活に密接につながったもので身近な関係にあり、また、研究のおもしろさが紹介されるなど、植物科学研究と 「植物の神秘」 を知る上での良書として推薦したい。
目次
1章 植物と動物 どこが違うのか
どちらも成功した植物と動物の「生存戦略」 / 植物の体を構成する3つの器官 / 植物は細胞を積み重ねる / 一生つづく植物の発生 / 体細胞の変異が子孫に引き継がれる / 生きることは新しい器官をつくりだすこと
2章 葉の形を決めるもの
環境が決める葉の形 / シロイヌナズナを使った研究 / 葉の形をつくる4つの遺伝子 / 細胞の数が減ると細胞が大きくなる / エボ・デボ研究が明らかにする進化の仕組み
3章 花を咲かせる仕組み 「花成ホルモン」フロリゲンの探索
フロリゲン探索の歴史 / 遺伝子がわかっても生命はわからない / フロリゲンを見つけた!? / フロリゲンはシステムの一部である
4章 遺伝子の働きによる花の形づくり
花の形づくりの研究 / 花の発生のABCモデル / ABCモデルにかかわる遺伝子 / イネの花のつくり / イネの雄しべと雌しべの発生の仕組み / ホメオティックな変化の起きる理由 / イネのCクラス遺伝子の働き / 花の進化発生研究への期待
5章 受精のメカニズムをとらえた!
重複受精の仕組み / トレニアという植物 / 花粉管ガイダンスをとらえた / 受精の瞬間に起こること / 花粉管ガイダンスの仕組み / 誘引物質の由来と正体 / 「愛の神」をつかまえる
6章 根 植物の隠れた半分
いろいろな根 / 根の構造 / 根は重力を感じている! / 「寂しい根」
7章 根における共生のいとなみ
古くから知られてきたマメ科植物と根粒菌の共生 / シグナル物質を介した相互作用 / 根粒菌の数を制御する仕組み / 植物の全身で情報伝達する遺伝子 / 多くの植物と共生する菌根菌 / 菌根菌がつくる地下ネットワーク
8章 4億年の歴史をもつ維管束
維管束の形 / 植物の「血管」と「心臓」 / 細胞が管になるまで / 2つで一人前の師管細胞 / バラバラにした細胞が道管細胞に変わる / 1つの遺伝子がさまざまな細胞を道管細胞に変える / 互いにコミュニケーションを取る細胞たち / ペプチド研究の発展
9章 成長を続けるためのしたたかな戦略
実は身近な植物ホルモン / 植物の一生のさまざまな場面に登場 / 研究の先駆者の功罪 / 新たな研究手法を手にして / 「本当に起こっていること」をまず確認 / ストーリーをつなぐ役者がみつかった! / 植物の周到な準備に脱帽 / 魅力的な研究対象
10章 「第2の緑の革命」に向けて
「結果優先」だった「緑の革命」 / イネの遺伝子を研究する理由 / イネの背丈を決める「ジベレリン」 / イネの背丈にかかわる遺伝子をとらえた! / 「戻し交配」でつくった「ほとんどコシヒカリ」 / 交配技術と遺伝子組み換え技術