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情報:農業と環境 No.100 (2008年8月1日)
独立行政法人農業環境技術研究所

GMO情報:カルタヘナ議定書の宿題「責任と救済」 ―結論は2010年名古屋へ持ち越し

今年(2008年)5月12日〜16日、ドイツのボンで第4回カルタヘナ議定書締約国会議 (Meeting of parties) (MOP4) が開催された。カルタヘナ議定書は 「遺伝子組換え生物の開放系(野外)での利用が、生物多様性の保全と持続可能な利用に悪影響とならないよう、適切な予防手段を講じること」 を目的として批准された国際規約で、輸出国・輸入国間で組換え生物に関する情報を共有する。輸入国は輸出国側から事前に提供された情報に基づき、組換え生物が自国の生物多様性に対して悪影響を与えないかどうかを判断した上で、輸入の可否を決定する仕組みとなっている。今回の会議の焦点は、議定書策定時から紛糾し、条文の中味が未定のままだった第27条 「責任と救済」 (Liability and Redress) であった (「情報:農業と環境」92号GMO情報:カルタヘナ議定書の宿題)。

「法的拘束力のある文書化」 で合意

争点は 「組換え生物の国境を越えた移動の結果生じた生物多様性の保全と持続的利用に対する損害」 の責任と救済措置に関して、法的拘束力のある文書とするか、拘束力のないガイドライン(指針)とするかであったが、最終日の5月16日にようやく、「法的拘束力のある文書とする方向で今後作業を進める」 ことで全体の合意が得られた。文書の詳細の検討はこれからで、(1)2010年10月に名古屋で開催される第5回締約国会議(MOP5)で決定する、(2)それまでに2回、特別作業部会(2009年マレーシアと2010年メキシコ)を開いて中味を詰める、(3)2回の作業部会に要する経費は日本が負担することが決まった。

「責任と救済」 が各国間で紛糾してきた理由の一つは、組換え生物の国境を越えた移動によって生じた生物多様性に対する損害(ダメージ)の具体例が示されないまま、議論されてきたためである。会議に参加した環境NGO(非政府組織)は企業の開発した組換えトウモロコシやイネの未承認系統が微量に市場ルートに混入した例を 「取り返しのつかない遺伝子汚染」 と主張しているが、これらの組換え作物が野生のトウモロコシやイネの分布地帯に広がって交雑し、その地域の生物多様性にダメージを与えたわけでない。未承認系統の混入は市場流通ルートでの問題であり、未承認系統を流失させた企業は各国の法律によって経済的責任を問われており、現行の法令で対処可能である。

今回公表されたMOP4の報告書では、原案(たたき台)として、「国境を越えた移動の結果生じた生物多様性に対する損害」 は 「生物多様性の保全と持続的利用に対しての損害」 であり、その損害は 「科学的に確立された基準で判定される測定可能なもの」 であると記されており、損害が回復不可能な損害であるか、長期間あるいは永続的に続くものであるかなどを基準にして判定するとされている。MOP4の前に開催された特別作業部会では、原油タンカーの座礁による複数の国に及ぶ海洋汚染事故に対する賠償責任なども参考事例として検討された。カルタヘナ議定書では植物(作物)だけでなく、微生物や動物(昆虫、魚類も含む)などすべての組換え生物を対象としているので、組換え動物が非意図的に国境を越えて侵入し、侵入国の生物多様性に損害を与えるケースも考えられる。もし、そのような事例も想定しているなら、植物、微生物、動物などに分けて、生物多様性に対する損害を想定し、それぞれについて責任や救済措置を考えたほうが合理的で、前向きの議論ができると思うが、公表された報告書や会議録から、このようなアプローチを取っているとは読みとれない。

他の主要な論点である損害賠償基金の拠出や、損害があったことの立証方法・立証責任、訴えられた側の反論手段(調停・仲裁機関の設置)についても、いくつかの選択肢を含む原案が示されているが、全体の合意を得るのは難しそうである。2009年の作業部会だけでなく、まとまらなければ2010年にも作業部会を開催すると最初から決めているように、今後も「責任と救済」の成文化へ向けた作業が難航するのは確実だろう。

「遺伝資源の利用と利益配分」 も名古屋の主要議題に

MOP4に引き続き、5月19〜30日まで第9回生物多様性条約締約国会議(COP9)が開催された。遺伝子組換え生物に関連する事項としては以下の2つがあげられる。

(1)遺伝資源の利用と利益配分 (ABS: Access and Benefit Sharing)

(2)森林の生物多様性の評価

(1)は遺伝子組換え生物に限った問題ではないが、生物多様性条約成立の背景には、遺伝資源の公正な利用と配分、特に途上国や南半球諸国の保護があることから、避けて通れない問題である。生物多様性というと、日本では遺伝子組換え作物や外来種(侵入生物)問題、国内の里山保全などが話題になることが多いが、途上国にとっては、自国の遺伝資源が先進国や企業に利用されるだけで、十分な利益を得ていないとする不満が大きいのは事実である。2010年の名古屋会議では「遺伝資源の利用と利益配分」について国際的な枠組み作りが計画されており、「名古屋議定書」の採択も検討されている。(2)の中で、遺伝子組換え樹木はカルタヘナ議定書でも扱われているが、実際に商業栽培された場合、樹木は作物と比べて栽培期間が長く、栽培面積も大きいため、環境に及ぼす影響評価手法そのものについて、国際的な合意がまだできていない。2006年ブラジルのMOP3では、組換え樹木の野外栽培前には、慎重なリスク評価を行うべきと決議されており、MOP4でもこの考え方を継続することが確認された。

ドイツ国内で頻発する過激行動

4月上旬、ドイツの2つの大学(Justus Liebig 大と Nurtingen-Geislingen 大)で、活動家グループによって組換え作物の試験栽培予定地が不法占拠される事件が起こった。ドイツに限らず、フランス、イギリスなどヨーロッパでは組換え作物の試験栽培地が環境団体に属する活動家によって破壊される事件が頻発しているが、混乱を懸念した大学当局が、研究担当者に試験栽培の中止を求めたのは異例である。2つの大学で予定されていたのは、害虫抵抗性トウモロコシと耐病性オオムギの小規模な栽培試験で、いずれも栽培計画はドイツ連邦政府の承認を得ていた。大学当局は 「地元メディアや住民の一部が活動家の違法行動を支援し、称賛さえしている。今後も圧力が強まることを制御しきれない状況のため、やむを得ない措置」 と弁明した。研究担当者は大学の要請に従ったが、研究者側からは、国によって認可された試験栽培が不法行為によって中止されたことを非難し、ドイツの組換え作物研究の将来を悲観する声が相次いでいる。ドイツでは5月19日にも、農業協会主催の展示会場のBtトウモロコシが活動家によって破壊される事件が起きている。ヨーロッパでは研究機関の行う組換え作物の野外栽培試験の場所や期間が情報公開されており、ほ場破壊行為が後を絶たない。違法行為や活動家の圧力によって、大学など公的研究機関の小規模な試験栽培さえも中止せざるを得ない状況は異常である。このような状態が今後も続くならば、研究開発や教育面に与える「損害」はきわめて大きなものになるだろう。

ボンで開催されたMOP4では、世界各地から5000人以上のNGOの活動家が参加し、「組換え作物は食糧不足や途上国の農業問題の解決にはならない」 として、遺伝子組換え技術そのものを否定する示威行動も見られた (ロイター通信 2008/5/12)。2010年10月に名古屋で開催される第10回生物多様性条約締約国会議 (COP10) ・ 第5回カルタヘナ議定書締約国会議 (MOP5) にも、環境保護を掲げる多数のNGOの参加が予想される。カルタヘナ議定書はその前文で 「環境や人の健康に対して十分な安全措置が取られた上で開発・利用されるならば、人類の福祉にとって大きな可能性があることを認識し・・・」 と述べているように、遺伝子組換え生物やバイオテクノロジー (生物工学技術) を否定したり、一方的に抑制したりすることを目的とはしていない。遺伝子組換え生物 (作物) による環境や生物多様性へのリスクについて、環境NGOの主張は科学的事実に基づいた部分もあるが、全体として論理に一貫性がないと筆者は考えている。主義主張を表現するのは自由であるが、違法な行為は許されるものではないし、NGOと言えども発言と行動には 「責任」 が伴うだろう。組換え作物の商業栽培は1995年に始まり、現在までに25ヵ国で商業栽培の歴史がある (数年間で栽培を中止したインドネシア、ブルガリアを含む)。この間、商業栽培された作物系統で、人の健康や生物多様性に対して有害な影響を与えた例は報告されていない。しかし、適切な栽培管理がなされない場合、組換え作物のメリットを十分に活かすことができない例も報告されている (たとえば、抵抗性雑草の発生や対象外害虫の多発など)。2010年の名古屋会議では、過去15年間 (1995〜2009年) の知見と実証データに基づいて、遺伝子組換え生物のメリットとデメリットを科学的に分析し、生産的な議論の場になることを期待したい。

おもな参考情報

第4回カルタヘナ議定書締約国会議(MOP4)事務局
http://www.cbd.int/mop4/

2008年6月25日事務局発表(MOP4報告書)
http://www.cbd.int/doc/meetings/bs/mop-04/official/mop-04-18-en.pdf

2008年5月26日環境省発表(MOP4の結果概要)
http://www.env.go.jp/press/press.php?serial=9750

2008年6月3日環境省発表(COP9の結果概要)
http://www.env.go.jp/press/press.php?serial=9798

カルタヘナ議定書(和文テキスト、外務省作成)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/treaty156_6.html

Schiermeier (2008) German university bow to public pressure over GM crops. Nature 453: 263.
(ドイツの大学が組換え作物に対する活動家の圧力に屈する、Nature誌 2008/5/15号)

(生物多様性研究領域 白井洋一)

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