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情報:農業と環境 No.101 (2008年9月1日)
独立行政法人農業環境技術研究所

本の紹介 258: 疑似科学入門(岩波新書 新赤版1131)、 池内 了 著、 岩波書店 (2008年4月) ISBN 978-4-00-431131-7

科学の時代と言われている現代、科学は様々なところに顔を出す。国や地方の施策や国際的取り決めの多くは、決定に科学的根拠が大きな役割を演じる。巷(ちまた)にあふれている商品の多くは、科学的にメリットを説明して売り込みを図る。人々を説得するには、何をおいても科学的根拠が有効であるかのように。しかしその一方で、一見科学を装いながらその実科学的方法を満たしていない 「疑似科学」 も横行し、科学を装った非合理は数多い。むろん非合理は世の常であるが、科学を装った非合理により損害を被る人も出てくる。さらに疑似科学のもたらす害として、「非合理を安易に許容することで人間の考える力を失わせている」 危険性を指摘する。著者は、疑似科学のからくりを少しは見抜ける科学者として、世の中に警告を発する役割があるという。

著者は「疑似科学」を、第1種から第3種まで3種類に分類する。

第1種疑似科学は、御神籤(おみくじ)、血液型、占星術などの占い系、テレパシー、オーラなど超能力・超科学系、それに 「疑似」 宗教など。人間の心理は、こうしたものを求めるところがある。第1種疑似科学はそこに付け込んで、科学的用語等を使いながら説明し、人に暗示を与える。これらはある意味心の問題であり、「科学」と言えるかどうかは疑わしいであろう。占いの素朴な気持ちは、個人的なものである限りは否定できないが、個人を飛び出して一般的に人間に適用できるかのように見せかけ始めると弊害(へいがい)が出てくる、ということになる。日本人が好きな血液型による性格占いも、度が過ぎると一方的な決め付けとなる。

第2種疑似科学は、科学的に見せながらその根拠がないもので、科学の活用・緩用・乱用・剽窃(ひょうせつ)・誤用・悪用・盗用がこれに当たるという。また、科学的知識は進歩するたびに真理に近づくのではなくその時の社会に適した形をとる (科学も社会の構成物にすぎない)とする相対主義も、これに含まれる。永久機関やゲーム脳は、科学的に確立した法則に反しているが、アメリカではいまだに永久機関に類した機械作りに熱中している人がいるという。マイナスイオンや健康食品、○○水と銘打った水ビジネスや磁気を利用する商品の多くは、効用に関しては科学的根拠が不明なものが多い。第2種疑似科学は、科学用語の乱用が特徴であり、統計や確率をたくみに利用して正しく思わせる手法、○○博士推奨と言った権威付けも頻繁につかわれる。

第3種疑似科学は、環境問題や人間のように複雑系を対象とした場合に生じやすい。複雑であるがゆえに科学的な証明が困難な問題について、真の原因の所在をあいまいにする言説で、科学的に結論がくだせない段階で一方的に結論を決めつけてしまうと疑似科学に転落すると言う。気象や気候変動、環境問題や生態系などの複雑系は、現代科学が不得意とする分野であり、それゆえ直ちに明確な判断を下すことは困難である。そこでは現代科学の常套(じょうとう)手段である要素還元主義や分析的手法には限界があり、全体を総合的に見る観点が必要とされる。こうした複雑系にかかわる問題を無理に要素還元主義の考えで理解しようとするのが第3種疑似科学で、そこから誤用・誤認・悪用などが生まれる。具体的には、複雑な系では原因と結果が必ずしも1対1で対応せず、要素還元主義的な発想では説明できないことから、「科学的根拠なし」 とする。あるいは、ある要素がプラスにもマイナスにも働くことから、複雑で解析不可能とし、「不可知論」 に持ち込む手口など。

複雑系はやっかいである。気候変動という複雑系を前に立ち止まってしまうと、不可知論に陥(おちい)ってしまう。そこで、このまま何も手を打たずにCO の排出を続けるか、それとも深刻で不可逆的な結果の恐れがある場合には、科学的不確実性がある段階でも、それをもって対策を回避するための口実とはしないとする予防 (措置) 原則をとるか、の選択となる。

疑似科学は廃(すた)れないと著者は言う。人間という生き物は、どんなに怪しげであっても、癒(いや)しの気分で疑似科学に近づきたくなるというのだ。

第2種疑似科学には、一般に情報通なのだがかえって情報に振り回されやすい人が陥りやすいという。それに対して第3種疑似科学は、体制や世間の趨勢(すうせい)に反発したくなる人が陥りやすい傾向にある。皆の言うことに迎合せず批判的精神を持っているが、それが行き過ぎるとそのような批判自体が主目的になってしまい、本来あるべき姿を自分で探そうとしない限界があるというのだ。

疑似科学への処方箋 (せん) としては、懐疑する精神を育て、保つこと。そのために、学校で疑似科学を題材にするのも有効であるという。最後に、疑似科学であるかどうかを知るめやすとして、それをどんな人間が言っているかを見て判断する方法があるという。一般に、研究者はうたぐり深いことから直ちに結論を出すことを避け、研究をきわめるほど謙虚になる。謙虚であることが、科学者にとっての必須条件であると説く。逆に口が先行する科学者の発言は、全面的には信用すべきではない。

現代はあらゆる場面で科学が重要になってきているだけに、誤って使われたり、悪用されたりした場合の影響は大きい。疑似科学を振りまいているのも、意図的、非意図的を問わず、多くの場合 「科学者」 である。科学者は疑似科学に陥ることのないよう、市民は疑似科学に翻弄(ほんろう)されることのないよう、ここでも科学者と市民の対話は重要である。

現代社会と科学の関係を考え直す上で、参考になる。一読をお勧めしたい。

目次

はじめに  

第1章 科学の時代の非合理主義 ― 第一種疑似科学

1 占い、超能力、疑似宗教

2 第一種疑似科学の特徴

3 超常現象の心理学―なぜ信じてしまうのか

第2章 科学の悪用・誤用 ― 第二種疑似科学

1 科学を装う手口

2 第二種疑似科学の内幕

第3章 疑似科学はなぜはびこるか

1 科学へのさまざまな視線

2 自己流科学

3 科学と非合理主義

第4章 科学が不得手とする問題 ― 第三種疑似科学

1 複雑系とは何か

2 地球環境問題の諸相

3 複雑系との付き合い方

4 予防措置原則の応用

終章  疑似科学の処方箋

1 疑似科学は廃れない

2 正しく疑う心

3 疑似科学を教える

4 予防措置原則の重要さ

5 科学者の見分け方

参考文献  

あとがき  

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