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情報:農業と環境 No.106 (2009年2月1日)
独立行政法人農業環境技術研究所

論文の紹介: 地球温暖化と湿潤熱帯地域の生物多様性

Global warming, elevational range shifts, and lowland biotic attrition in the wet Tropics.
Robert K. Colwell et al., Science, 322, 258-261 (2008)

地球温暖化が生物多様性にどのような影響をもたらすかの研究が盛んに行われるようになってきたが、ここでは、多数の種が生息している熱帯地域で、温暖化によって生物種が減少するのではないかという興味深い論文を紹介する。

温帯や亜熱帯では、地球温暖化によって多くの生物の分布域が、より高い緯度や高い標高に移動していることが報告されている。熱帯の生物については緯度方向の生息地移動の報告例がなく、高い標高への移動についての報告も少ない。熱帯での標高による気温低下は 1,000 mあたり 5.2〜6.5 ℃で、温帯での高緯度への移動による気温低下(1,000 kmあたり 6.9 ℃)と比べて約 1,000 倍、熱帯での緯度によるわずかな気温低下と比べるとさらに大きい。そのため、温暖化に対処するための熱帯の生物種の生息地移動は、高い標高への方向に起きやすいと考えられる。

温帯では、より高い緯度や高い標高に移動した生物種のあとに、もっと低い緯度や低い標高から移動した生物種が入り込むことができる。また、熱帯の山地でも、高い標高に移動した種のあとに、低い場所に生息していた生物種や高温耐性を維持してきた生物が生息できる。しかし、熱帯低地では、置き換わるべき、高温に適した生物群が存在しないかもしれない。そのため、地球温暖化が進むと、熱帯では「低地での生物の減少」(lowland biotic attrition)がおきる可能性がある。その可能性を確かめるには、熱帯低地の生物種にとって現在の温度が最適条件なのかどうかを知る必要がある。

生物地理学の父とされるウォレスは、熱帯ではすべての植物が快適な暑さと十分な湿度に適応しており、その環境は地質時代を通じてあまり変化していないと書いているが、「熱帯の生物の多くは今より高い温度でもやっていけるだろう」という思いこみは捨て去るべきであると、著者らは述べている。第三紀中期に、現在の熱帯雨林に似た、多くの種からなる森林で占められて以来、熱帯低地の気候は絶え間なく大きく変化してきたことが知られている。熱帯低地における1975年からの10年あたり 0.25 ℃の気温上昇は、9千〜5千年前の高温期をすでに上回り、過去数百万年の最高に近づいている。熱帯の現在の気候は少なくとも過去200万年のどの時期よりも暑い。これらの事実を進化学的にみると、熱帯低地の多くの種は、これから数十年の間に高い標高や涼しくて湿った生息場所へ移動しないと絶滅する危険があること、あるいは一部の種ではすでに危険が迫っていることが考えられる。熱帯の変温動物がすでに最適温度近くで生活しており温暖化によってすぐに適応度の低下が予想されること、コスタリカの低地の熱帯樹木の生長が温暖化とともに遅くなっていることなどが報告されている。

気温の上昇に伴い熱帯低地では種数の減少と、暑さに耐性を持つ新たな種が加わることになるだろう。高い土壌温度で発芽できる種が繁栄し、涼しい生息場所を必要とする種は生育できないかもしれない。人間活動による生息地の改変や土地利用パターンの移動、外来生物や侵入生物が、これらの影響の多くをさらに悪化させるだろう。

現在の生息範囲と温暖化時に予想される生息範囲とに重なりがないことを、著者らは「生息地移動ギャップ」(range-shift gap)と呼んでいる。一般に言われているように、熱帯の種が温帯の種に比べて狭い生息地しかもたないなら、熱帯の種は生息地移動ギャップがより生じやすい。また、すでに山頂近くに生息している種は、もっと標高の高い山や、より涼しい高緯度に分離した個体群をもっていなければ、「山頂での絶滅」(mountaintop extinction)に直面することになる。

著者らは、湿潤熱帯地域における「低地での生物の減少」、「生息地移動ギャップ」、「山頂での絶滅」の可能性を調べるため、標高30mから 2,900 mに及ぶバルバ火山の調査区において、着生植物、下層植生であるアカネ科植物、シャクガ科のガ(蛾)、アリの4グループの生物、合計 1,902 種を調査した。得られた生息情報から温暖化に対応するための生息地移動を推定するために、単純なグラフモデルを利用した。

これからの100年間に見込まれる 3.2 ℃の気温上昇にほぼ対応する、等温線の600mの上昇を仮定して解析したところ、1,902 種のうち53%が「低地での生物の減少」の候補とされた。また、51%が「生息地移動ギャップ」に直面すると考えられた。「山頂での絶滅」の可能性は、600mの移動ではほとんどなく、1,000 mの生息地移動で現れ始める。この調査では、熱帯の生物の大部分が、まず、低地での絶滅あるいは生息地移動ギャップによる空間的な不連続性に脅かされるという結果になった。

気温に基づくこの単純な予測には、熱帯の生物が直面する問題を悪化させるさまざまな要因が考慮されていない。たとえば、低地においては降水量の減少と森林火災の増加が温暖化の影響を増大させるかもしれない。人間活動による生息地の分割と標高方向の森林回廊の分断は、限られた分散能力しかもたない森林依存種の生息地移動を間違いなく妨げる。現在の局所的な生態系はそれぞれの生物種の生息地移動によってかき乱され、キー生物種間の相互作用は崩壊するかもしれない。生息地移動ギャップに直面した狭い生息地に分布する種は、現在の生息地より高い標高を占有している広い生息地を持つ種に対する競争に勝たなければならない。標高が高くなると土地面積が減り、適当な生息地が少なく個体数も減少することの長期影響も無視している。

著者らは、生息域の狭い種は生息地移動ギャップがすぐに現われることから、高い緯度への生息地の移動は考えられないし、高い標高に追いやられた生物種に代わる高温に適応した生物種がいないため、熱帯低地の生物種は減少すると結論している。

(農業環境インベントリーセンター 吉松慎一)

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