原題は、A Life Decoded: My Genome - My Life (解読された生命: 私のゲノム − 私の人生)。
20世紀も終わり間際の2000年6月、ヒトゲノムの解読のニュースが世界を駆け巡った。この事業をめぐっては、米国の民間グループが、国が支援する公のグループと激烈な競争を繰り広げ、その様子はマスコミでもしばしば取り上げられた。本書は、ベンチャー企業を率い、国際ヒトゲノム計画に孤軍切り込み、世界中の科学者を敵に回してヒトゲノム解読競争を繰り広げた、J・クレイグ・ベンター (J. Craig Venter) の自伝である。ベンターはけた外れの情熱と行動力で突き進み、最終的には国際チームを追い越してしまう。しかしその過程で生物学界の大御所ともすさまじいばかりの競争と論戦を繰り広げ、生物学界の悪童、悪たれ、さらには悪魔とさえ呼ばれてきた。しかし、もしベンターがいなかったら、ヒトゲノムの解読が数年は遅れたことは間違いなさそうである。そしてその後、ベンターは環境プロジェクトを立ち上げ、ゲノミクスの方向から進んで環境問題の独自の解決策を見いだそうとしている。
ベンターは1946年ソルトレイクシティー生まれの現在62歳。高校まではむしろ劣等生で、不注意、過剰な活動性、衝動性、注意散漫を特徴とする典型的な注意欠陥・多動性障害(ADHD)であったが、幼いころから示した 「あえて危険に挑むという気質」 と 「物を組み立てることへのあくなき衝動」 とともに、成功をおさめた大きな要因といえよう。そんなベンターに、徴兵通知が届く。衛生兵となり、医療訓練を受け、人間の病気のあらましを知ったのち、ベンターが死の大学と呼ぶベトナムへ送られる。そこで多くの悲惨な死と遭遇し、地獄の体験をする。この悲惨な経験こそが、その後のベンターの原動力のほとんどすべてと言っていいであろう。同時にまたベンターは、人間の精神と純粋な意志の力は、どんな薬よりも効果があるという生命の不思議についても教えられる。やがてそれらは生命をとらえ理解したいという強い思いに発展し、生命について知るために一からすべて学びなおす決意を固める。
はじめ医者をめざしていたが、神経伝達物質受容体に関する研究で成果を上げる中で、自分の天職は研究者ではないかと思い始め、ベトナム帰還兵として帰国してから7年余ののち、カリフォルニア大学で博士号を取得する。業績が認められニューヨーク州立大学医学部で職を得たのち、さらにオファーを受けて世界の生命科学研究のメッカであるNIH(国立衛生研究所)に移る。NIHについてベンターは、「科学の天国、官僚組織の地獄」 と呼び、優れた研究環境を認める一方で、官僚的で非効率な体制を痛烈に批判する。生化学者として歩んでいたベンターは、NIHでアドレナリン受容体遺伝子のクローニングを試みる中で、新しく誕生した分子生物学の威力を痛感する。そして開発されたばかりの最初のDNAシークエンサーを使いこなし、ヒトゲノム解読という当時は夢物語の議論に興味を抱き、次第にゲノミクスという新しい分野へ移っていく。ゲノム解読こそ、生命解明の近道と考えたのである。その当時NIHに設立されたゲノムセンターの所長となったのがジェームス・ワトソンであり、その後二人の間で痛烈な駆け引き、政治活動、策略が繰り広げられることになる。
ゲノム解読の初期、ヒトの遺伝子を効率よく見つけるためにはcDNAライブラリーの解読こそ近道と考える、ワトソンをはじめ多くの者から批判を受けながらその有効性を実際に証明する。しかし、官製の組織の中で自分のアイデアを実現することに苦労していたベンターは、投資家からのオファーを受け、ベンチャー企業を設立、民間の立場でヒトゲノム解読を推進する。パトロンは遺伝子情報の独占を要求するが、ベンターは多額の資金を引き出しながら彼らとも対峙(たいじ)し、配列情報の公開を進めようとする。ベンターが関心があったのは、あくまでも科学の進歩と真実の解明であった。2000年6月26日、クリントン大統領の仲介により、ホワイトハウスでのゲノム解読の共同発表という形で競争者と一応の妥協を見るが、その後もベンターへの批判は続いた。
その後、ベンターは、自らが率いてヒトゲノム解読を進めていたセレラ社から解雇され、新たな研究所を立ち上げ、ヒトゲノムから離れて全く新しい取り組みを開始した。それは、環境ゲノミクスである。地球上の物質循環に携わっている微生物の働きを理解することで、気候変動をはじめとした環境問題の新たな解決策が見つかるかもしれないと考え、多数の微生物のゲノム解読と海洋のメタゲノム解析を進めるとともに、真の人工生命体の作出をめざしている。
ベンターの強さの秘密の一つは、何と言ってもその先見性であろう。DNAシークエンサーの将来性を見抜き第1号機を購入、使いこなしていく中で完成度を高めるのに貢献する。その後シークエンサーは飛躍的に性能を高めていく。インフォマティクスの重要性にも早くから気づき、ハードとソフトの開発に尽力する。大量解析のためにロボットを開発し、導入する。遺伝子を解明するためのcDNA解析、YACやBACではなくショットガンクローニングによる全ゲノム配列の決定等々、人が考える先を常に考え、不可能と思われることを可能としてきた。「科学を支えるのは、新しい技術、新しい発見、新しいアイデアであり、その度合いもおそらくはこの順である」 という、シドニー・ブレンナー(2002年ノーベル生理学医学賞受賞)の言葉も、なるほどとうなずける。
批判(しばしば中傷?)を受けても妥協しない、強い意志と姿勢も、驚くべきものがある。ベンター自身も認めているが、ストレスに対する強さも相当なものである。ベンターは海とヨットが大好きで、航海で何度か危ない目に合っている冒険好きだが、科学の世界での経験を、「最も偉大で最も刺激的で、そしておそらく最も有益な科学的冒険」 と称している。しかしベンターは、批判する人々に対しては、深い敬意を抱いており、イデオロギーや道徳観、倫理観をめぐって戦ってきたが、敵ながらその戦いぶりはあっぱれだったという。スポーツ競技で全力で戦った後に通じるものがあるのであろうか。先端の研究は、まさに競争であり、戦いである。
そして今や、次世代シークエンサーの開発により、ヒトゲノムの解析は1000ドル(10万円)台に突入し、一人ひとりのゲノムの解析が現実のものとなりつつある。ベンターは、自分自身のゲノムを解読の対象に選んでおり、その結果の一部を含めてコラム記事で紹介している。注意欠陥・多動性障害、夜型、薬物中毒、腫瘍(しゅよう)のできやすさ等々が遺伝子でどこまで説明できるのか、わかりやすく解説している。
さて、ベンターがいま興味を持っているのは、環境である。その理由について、ベンターは以下のように記している。「これまでの研究を通じて発見した最も深遠な真実は、人間であれほかのいかなる生物であれ、その生命をDNAだけで理解することはできないということだ。細胞や種が生きている環境を理解することなしに、生命を理解することはできない。ある生命体をとりまく環境は、結局のところ遺伝暗号と等しく独自のものなのだ。」
DNAに加え、その生物が生きている環境について理解することで生命の理解がどのように進むのか、ベンターの研究から環境と生命の理解に関して近い将来どのような飛躍があるのか、目が離せない。
目次
第1章 わたしのコード
第2章 ベトナム:死の大学
第3章 アドレナリンに夢中
第4章 バッファローでの再出発
第5章 科学の天国、官僚組織の地獄
第6章 ビッグバイオロジー
第7章 TIGR誕生
第8章 ジーンウォーズ
第9章 ショットガン法
第10章 研究所の離婚
第11章 ヒトを解読する
第12章 『マッドマガジン』と悪徳ビジネスマン
第13章 ショウジョウバエの飛翔
第14章 初めてのヒトゲノム
第15章 二〇〇〇年六月二六日、ホワイトハウス
第16章 発表、そして解雇
第17章 青い惑星と新しい生命