農業環境技術研究所は、2010年3月に農業環境技術研究所報告 第27号 を刊行しました。
農業環境技術研究所公開ウェブサイト内の 農業環境技術研究所報告のページ (http://www.naro.affrc.go.jp/archive/niaes/sinfo/publish/bulletin.html) から、掲載報文のPDFファイルをダウンロードできます。
ここでは、この号に掲載された次の4つの報文について、表題、摘要、おもな目次などを紹介します。
○ 大気由来の窒素負荷が森林生態系の窒素循環および林床からのN2O放出に与える影響 (大浦典子)
○ 東アジアにおけるダストイベントにともなう放射性セシウム (137Cs) の大気降下(英文)(藤原英司)
○ 近年の日本・都道府県における窒素・リン酸フローと余剰窒素・リン酸の傾向に関する算出方法とデータベースおよび運用例 (三島慎一郎・神山和則)
○ 農業環境技術研究所所蔵日本産タマムシ科 (昆虫綱:コウチュウ目) 標本目録 (栗原 隆・吉武 啓・中谷至伸・吉松慎一)
大気由来の窒素負荷が森林生態系の窒素循環および林床からのN2O放出に与える影響 (学位論文)
大浦典子
摘要
世界で人口増加や経済発展が進む中、食糧増産のための化学肥料の投入や増加する化石燃料の利用にともなう燃焼時のNOx放出などにより、大気圏および生物圏において反応性窒素は急激に増加しており、陸上生態系の窒素循環に及ぼす影響が懸念されている。本研究では、増加する大気由来の窒素負荷が森林の窒素動態に与える影響を明らかにするために、窒素負荷量の異なる関東周辺の6地点で窒素循環量を比較した。
林内降水中のNO3−およびNH4+を生態系への窒素のインプットとし、土壌からのNO3−およびNH4+の流出量を生態系からのアウトプットとして比較 した。2から29 kg N ha−1 yr−1の窒素負荷量レンジに対し、流出量は、1 kg N ha−1 yr−1以下から13 kg N ha−1 yr−1の範囲であった。窒素負荷量が小さい地点では、流出量も小さい傾向にあったが、窒素負荷量が10−15 kg N ha−1 yr−1の範囲では、窒素流出量は大きくばらついた。このことから窒素アウトプット量は窒素インプット量だけでは説明できないことが明らかになった。
窒素負荷量が多い茨城の2地点では、浸透水が有機物層 (A0層) を通過する際、無機態窒素量は林内降水の約2.5倍に増加した。一方、窒素負荷量が少ない奥日光や乗鞍の山岳地点 (乗鞍の針葉樹林を除く) では、A0層浸透水の無機態窒素量は、林内降水と同程度かやや下回った。すなわち、リターフォールなど有機物の分解過程で生 じる無機態窒素量は地点間で変動が大きいことが示された。
更に、2年間にわたって実施した窒素添加 ・除去実験の結果、窒素添加により、A0層浸透水のNO3−およびNH4+フラックスは増加したが、鉱質土壌層の土壌水では有意な差は認められなかった。一方、除去実験では、A0層浸透水のNO3−およびNH4+フラックスが減少する場合 もみられたが、鉱質土壌層での変化は認められなかった。すなわち、窒素負荷量の多い茨城の調査地では、外部から負荷される窒素量の短期的な変化 よりも、微生物による窒素の有機化や無機化など内部循環にともなう無機態窒素の動態の寄与が大きいことが示された。
林床からの亜酸化窒素 (N2O) 放出量を比較した結果、窒素負荷量やリターフォール窒素量が多い地点で多く、窒素流出量と同様の傾向があった。国内の59か所で実施した短期一斉観測では、土壌および渓流水のNO3−濃度は、N2O放出量と共に、各地点の推定窒素負荷量と有意な正の相関を示した。
リターフォール窒素量については、落葉広葉樹林と針葉樹林で窒素負荷量との関係が異なることが知られているが、本調査でも、針葉樹林に比べ落葉広葉樹林でリターフォール窒素量の変動幅が大きかった。
一方、林外降水窒素量に対する林内降水窒素量の比は、針葉樹林で落葉広葉樹林に比べて大きかった。このことから、同じ地点でも、植生タイプの違いにより、林内降水窒素量とリターフォール窒素量のバランスが異なることが示唆された。長期にわたる窒素負荷は、土壌−植物系の内部循環窒素量の変化をともなう場合もあることから、林床への窒素インプットとして、窒素負荷量 (林内降水窒素量) と内部循環窒素量 (リターフォール窒素量) の両方を勘案することが妥当と考えられた。生態系からの窒素アウトプット経路の一つであるN2O放出は、土壌からのNO3−流出と同様に、林内降水窒素量とリターフォール窒素量との合計と高い正の相関を示した。本研究により、森林生態系からの窒素流出は、降水にともなう大気由来の窒素負荷量と系内の循環窒素量とによって支配されていることが明らかになった。
目次
I 序論
II 森林における水移動にともなうイオンの移動
III 窒素添加・除去実験
IV 林床からの亜酸化窒素 (N2O) 放出
V 窒素の内部循環量および植物生長量評価
VI 生態系の窒素循環とN2O放出 (総合考察)
Atmospheric Deposition of Radioactive Cesium (Cs) Associated with Dust Events in East Asia (Thesis)
東アジアにおけるダストイベントにともなう放射性セシウム (137Cs) の大気降下(学位論文)
Hideshi Fujiwara
藤原英司
摘要
137Csは核分裂反応により生成する半減期約30年の人工放射性核種で、その外部放射線による公衆被曝が放射線リスク管理上の問題となる。1950年代から70年代にかけて実施された大気圏内核実験や1986年のチェルノブイリ発電所事故によって、この137Csが大気圏に拡散し汚染は地球全体に及んだ。その後、大気圏内核実験の実施例はなく大規模事故も発生しなかったため大気中137Csは減少傾向を示し、1990年代には人体への影響が想定されるような水準ではなくなった。しかし日本においては現在も137Csの大気降下が継続し、特に春季には降下量の増大が認められる。この現象は黄砂飛来に起因すると考えられたため、137Csを含む砂塵の供給源や供給プロセスの解明を本研究の目的とした。
2002年3月に、北日本や日本海側地域を中心としてチェルノブイリ発電所事故時以後で最大となる顕著な137Cs降下が観測された。2000年代前半に核爆発や原子力関連施設における重大事故等は記録されていないため、137Csを含む砂塵の飛来が、この現象についての唯一可能な説明であると考えられた。そこで本研究では、この事例を取り上げて研究対象とした。まず、地上実況気象通報式 (SYNOP) により報じられた天気観測データから、2002年3月における東アジア大陸部での砂塵発生事象の発生頻度分布を計算した。その結果、砂嵐等が8%以上の高頻度で観測された地点は、中国北部からモンゴルにかけての草原域に局在していることが明らかになった。このことは、同地域が2002年3月における砂塵発生の中心であったことを示す。次に、砂塵の発生が顕著であったとみられる中国内モンゴル自治区中央部の草原で採取された土壌の放射能測定を行い、137Cs濃度および土壌中蓄積量を求めた。その結果、草原表土における137Csの集積が認められ、濃度は 5.5-86 mBq g-1と、中国の核実験場に近いタクラマカン砂漠の土壌の例 ( 5.01-31.5 mBq g-1) や日本の畑地土壌の例 ( 6.3-7.5 mBq g-1) よりも高い水準であった。このことから、大陸の草原が137Csを含む砂塵の供給源であると特定された。また草原土壌への137Cs蓄積量は 176-3710 Bq m-2であり、平均年間降水量との正の相関が認められた (r=0.709、有意水準1%)。このことは、土壌蓄積137Csが特定の場所からの局地的フォールアウトに由来するのではなく、グローバルフォールアウトによる累積的降下によることを強く示唆した。
土壌中137Csの分布は風による土壌侵食(風食)作用による影響を強く受け、また風食の程度は植生による土地の被覆状態と密接に関係している。つまり、植生による被覆状態が悪く風食を受けやすい土壌においては、137Csを含む細粒質が失われ大気へ移行しやすいのに対し、被覆状態が良く安定した草原土壌では、風食の程度は小さく表土の137Cs濃度は高い水準で維持される。問題は、それまで安定が保たれていた草原において、何らかの理由による急激かつ深刻な植生衰退に伴い、137Csを含む土壌粒子の多量放出が起こる場合である。2001年から2002年にかけ中国北部は深刻な干ばつ条件下にあったことが報告されており、2002年3月における137Csを含む砂塵の多量放出は、干ばつのため植生被覆が脆弱化した草原において強風が吹いたことによると結論付けられた。
春季に日本で137Cs降下量が高くなる主要な原因は、以上のような大陸の草原域からの砂塵飛来であると考えられる。しかし、日本国内で発生した局地的な土壌ダストが影響している可能性も指摘されている。従来から広く実施されてきた137Cs月間降下量観測の結果から個々のダスト事象の寄与を解明することは困難であり、137Cs降下を正確に評価するためには、黄砂と局地的ダストの両方の影響を判別できる、時間分解能の高い独自の観測が必要とされる。そこで茨城県つくば市において、2007年の春季に137Cs降下量の週間観測を実施した。その結果、黄砂由来137Csの寄与は、全観測期間における降下量の67%以上を占め、黄砂飛来が137Cs降下の主要な原因であると認められた。また、黄砂由来降下物の単位鉱物量当たりの137Cs放射能は 81.8 mBq g-1と高く、黄砂は高い137Cs濃度を示すことが明らかになった。
従来、137Csを含む砂塵の主要な供給源は核実験場が立地する中国西部の砂漠域であると考えられてきた。しかし本研究の結果から、供給源としての大陸の半乾燥地の重要性が示された。また、草原土壌から大気への新たな137Cs供給プロセスが明らかにされた。これらの成果は大気化学や環境放射能(放射線)研究、黄砂研究など幅広い研究分野への学術的貢献として位置づけられるとともに、公衆被曝線量算定への応用面での貢献としても貴重である。
Contents
I. General introduction
II. Recent atmospheric deposition of 137Cs in Japan and its relation to massive dust events
III. Relative contributions of Asian dust and local dust to atmospheric deposition of 137Cs in Japan
IV. General features of atmospheric deposition of Cs bearing Asian dust
近年の日本・都道府県における窒素・リン酸フローと余剰窒素・リン酸の傾向に関する算出方法とデータベースおよび運用例 (研究資料)
三島慎一郎・神山和則
はじめに
作物生産において、窒素施肥は基本的かつ本質的な位置を占める。世界における窒素肥料消費の伸びと食糧生産の伸びの間には有意な正の相関があり、食料需要を満たすためには重要な役割を果たすことになると考えられる(川島,2000)。一方で過剰な施用は水圏の富栄養化や過度の温室効果ガス(亜酸化窒素)の発生といった問題を引き起こす。
西尾(2003)は、作物ごとに窒素負荷原単位を算定し、市町村面積や降水量から、観測井戸の水質が基準値を超過する割合や地下水中の窒素濃度を推定する手法を開発した。Mishima et al.(2009)は、各都道府県の農業生産で余剰となる窒素が降水量から可能蒸発散量を差し引いて求められる余剰水に全量溶け出した場合の窒素濃度と都道府県での観測井戸のうち水質基準を超過する井戸の割合との間に有意な正の相関関係があることを示した。このことは、他の人為影響も考えられるものの、農業由来の余剰窒素は地下水水質に明らかに影響を与えていることを示す。
日本温室効果ガスインベントリオフィス(2008)は、家畜ふん尿の管理、農地への化学肥料と堆肥の施用量から日本における農業由来の亜酸化窒素発生量を二酸化炭素換算で25Tgと推定しており、人為由来の亜酸化窒素発生量の46%を占めることを示した。この中で家畜ふん尿の管理過程でのアンモニア態窒素の散逸を畜種により10−30%としているが、三島ら(2008)は、家畜ふん尿中のリン酸の量を基準に排泄から堆肥化完了後までにはより多くの窒素が消失していることを述べている。このことは、散逸した窒素の沈着による畜産における間接的な亜酸化窒素発生量が従来より高く、作物生産における堆肥投入に伴う直接的な亜酸化窒素発生量が従来より低いことを示すと考えられる。
リン酸もまた作物生産において重要な位置を占めている。日本に多い黒ボク土ではリン酸の吸着能力が強いためリン酸の多量の投入が行われて来た。かつては可給態リン酸の少ない土壌が多かったが(吉池,1983)、今日では過剰な土壌が特に施設土壌で多く見られるようになっている(小原,2000)。農地からのリン酸の流出は少ないとの見積もりはあるものの(Mishima et al., 2003)、過剰に蓄積した場合急激な地下浸透が発生することを通して(Hechratch et al., 1995)、または台風や梅雨時期、激しい雷雨の場合に多くのリン酸が蓄積した表面流去による表土の侵蝕に伴って環境中に流出した場合に(大橋,1989)、環境の富栄養化を促す危険性を高める(Mishima et al., 2003)。一部の作物に過剰障害が見られることが報告されており(河合ら,1993、吉倉ら,1987、桑名ら,1988、甲斐ら,1989)、また過剰障害が発生しない場合でも可給態リン酸が多く存在する土壌では施肥リン酸の肥料としての効果が低下することから(黒柳ら,1989、1990、1991)、諸外国のリン鉱石資源の戦略資源への転換とコスト高騰の折、適切な施用が望まれる。
本稿では、日本全体で見た場合の耕地面積当たりの作物生産が下降線をたどり始めた1985年以降の農業生産に関る窒素・リン酸フローの都道府県別推計方法と畜種・作目別窒素・リン酸フローの原単位化に関して記載する。また、その原単位の活用例に関しても記載する。
農業環境技術研究所所蔵日本産タマムシ科 (昆虫綱:コウチュウ目) 標本目録 (研究資料)
栗原 隆・吉武 啓・中谷至伸・吉松慎一
はじめに
タマムシ科 Buprestidae は昆虫綱コウチュウ目の一群であり、これまでに世界から 513 属約 14,700 種、日本から 29 属 216 種が記録されている (大桃, 2006; Ohmomo,2006; Jendek, 2007; Bellamy, 2008a, b, c, d, 2009)。タマムシ類は植食性であり、成虫は主として生葉を後食し、幼虫は材に穿孔あるいは潜葉して成長する。科レベルでの寄主範囲は広く、草本から樹木まで多岐にわたる。
その寄主範囲の広さから多くの害虫を含むため、本科は農林学的に重要な分類群である。我が国においては、マスダクロホシタマムシ Ovalisia vivata (Lewis) (スギ・ヒノキ類)、クリタマムシ Toxoscelus auriceps (Saunders) (クリ)、アレスミカンナガタマムシ Agrilus alesi Obenberger (柑橘類)、ミカンナガタマムシ Agrilus auriventris Saunders (柑橘類)など21種が害虫として 「農林有害動物・昆虫名鑑増補改訂版」(日本応用動物昆虫学会編, 2006) に記録されている。
農業環境技術研究所 (以下、農環研)の昆虫標本館には、1900 年代前半から今日にかけて日本各地から収集された多数のタマムシ標本が保管されている。今回、我々は、大部分が未整理であったこれらの日本産タマムシ標本を類別・同定し、農環研日本産タマムシコレクションとして整理するとともに、各種標本情報のデータベース化を完了した。本コレクションは、農林害虫を含む 69 種、1,045 点からなり、ほぼすべてが同定されていることから、種同定の参照標本として極めて有用である。また、国内昆虫相の解明や生物多様性研究に必要な標本情報を提供し、その発展に寄与することが期待できる。そこで、標本目録を作成・公表し、本コレクションの有効利用を図ることとした。
本目録で扱った種名は、秋山・大桃(2001)に基づいており、2001年以降に分類学的変更のあった分類群については大桃 (2006)を参照した。高次分類体系に関しては、Bellamy (2003)および大桃 (2006)に従った。標本情報は、各分類群の学名と和名を記した後、各標本のラベル情報を掲載した上で、データが不明の場合を除き、個体数、採集地、採集年月日、採集者 (コレクション名; 農環研所蔵昆虫標本番号) の順で示した。採集データについては、可能な限りローマ字表記に直し、地名の読みが明らかにならなかった場合に限り日本語表記とした。また、各種について同一採集地で複数回得られたものについては、2回目以降を “ditto” で省略した。繰り返し登場するコレクション名については、以下のように略記した: T. Fujimura Collection (CTF); E. Kawase Collection (CEK); T. Kumazawa Collection (CTK); J. Mitsuhashi Collection (CJM); N. Oho Collection (CNO); S. Sakurai Collection (CSS); T. Yoshihara Collection (CTY)。種レベルでの同定が困難な一部の標本に関しては、属の学名・和名の後にそれぞれ 「sp. (またはspp.)」・「不明種」 と表記した。なお、本目録に含まれる標本情報のデータベース化に際しては、科学技術振興機構 (地球規模生物多様性情報機構(GBIF)の促進における生物多様性データベース作成課題) の補助を受けた。本目録に含まれる全情報は、今後近いうちに GBIF ポータルサイトから検索・閲覧可能になる他、農環研のオンライン昆虫インベントリーシステム上でも、公開する予定である。