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農業と環境 No.125 (2010年9月1日)
独立行政法人農業環境技術研究所

論文の紹介: 世界の生物多様性は今 −生物多様性の状態を数値化する取り組み−

Global biodiversity: indicators of recent declines
Butchart et al.
Science 328, 1164-1168 (2010)

「世界の生物多様性は危機にある」、そんな言葉が叫ばれるようになってから久しくなります。確かに日本ではトキが絶滅し、メダカやキキョウも今ではあまり見られなくなってしまいました。しかし、本当に世界中で生物多様性は危機にあるのでしょうか。そもそも生物多様性という言葉になじみのない多くの人にとって、そんな思いをもつことは不思議ではないでしょう。

Science 誌に掲載されたこの論文では、全世界の生物多様性が現在どのような状態にあるのかを数値化する取り組みが報告されています。今年2010年は、国連によって定められた生物多様性年であり、10月には名古屋で第10回生物多様性条約締約国会議(COP10)が開かれる、生物多様性にとって節目となる年です。COP10では、「2010年までに生物多様性の損失速度を顕著に減少させる」とした2010年目標の達成程度が検討される予定です。そのため、世界の生物多様性の状態を数値として表すことがまさに今、必要とされているのです。

文字通り多様な構成要素からなっている生物多様性の状態を、数値として表すことは簡単ではありません。著者たちのグループは、生物多様性を「状態」(State)、「脅威」(Pressure)、「対策」(Response)、「恩恵」(Benefits)という4つの要素に分け、それぞれをさらに複数の指標()で表すことで、過去40年における全世界の生物多様性の状態を包括的に評価することを試みました。

32の機関から参画した45人の研究者によって行われたこの評価の結果は、かんばしくないものでした。生物多様性の「状態」を示す10の指標のうち8つは減少傾向にあり、これらの指標をまとめた統合「状態」指数も過去40年間で一貫して減少、その減少速度は回復していませんでした。また、生物多様性に対する「脅威」を示す指標のほとんどが増加傾向にあり、増加率が減少している指標はありませんでした。一方で、生物多様性の保全政策など「対策」を示した指標も増加傾向にあることがわかりました。生物多様性の「恩恵」を示す指標は現状では3つしか開発されていませんが、そのどれもが減少傾向を示していました。

これらの結果を要約すると、過去40年間で全世界の 生物多様性に対する脅威は増加し続けており、その結果、生物多様性の状態が低下を続けている こと、この現状に対して 多くの対策が整えられつつある ものの、生物多様性から受ける恩恵も一貫して減少している ことが明らかになったと言えます。

これらの結果から、著者らは「2010年までに生物多様性の損失速度を顕著に減少させる」とした 2010年目標はほぼ達成されないだろう、と結論付けています。そんな中で唯一の希望と言えるのは、「対策」を表す指標がどれも過去40年間で増加していたこと、また、欧米に生息する水鳥や旧北区(東アジア、中央アジア、ヨーロッパ、アフリカ北部からなる地域)の脊椎動物の個体数が増加していたり、アマゾンにおける森林伐採面積が減少していたりと、「状態」や「脅威」を表す指標にも部分的には改善の傾向が見られたことでした。著者らは、政府による強い意志と適切な対策次第で生物多様性は実際に回復させることができる、と結んでいます。

複雑な生物多様性の状態を数値化する取り組みには、今回紹介したような指標が適切に生物多様性全体を表現できているのかという問題があります。たとえば、生物の個体数変化を表す「生きている地球指数」の対象は、比較的大きな動物種に偏っており、地球上のほとんどの種は考慮されていないのが現状です。そもそも多くの生物種が世界中でまだ認知すらされていないという問題もあります。それでもなお、このような取り組みが重要視されるのは、生物多様性の損失という問題を多くの人にとって共通認識とする必要性が高まっているためであると考えられます。現在、気候変動に対する認識や対策が世界中で広まっている背景には、政策決定者や一般の人に対して問題の深刻さを伝えるために、気温や二酸化炭素濃度の上昇を表したグラフが果たした役割を無視することはできません。一般に、「わかりにくい」ととらえられがちな生物多様性の問題にも同じことが当てはまります。この論文で報告されている研究は、生物多様性の損失という問題を、専門知識がない人にいかに明確に伝えるかという、ともすると軽視されがちな重要な課題に取り組んだものと言えます。

農業環境技術研究所でも、鳥類や植物群集を対象として全国規模の長期間にわたる生物多様性の状態変化を数値化する取り組みを行っており、成果の一部は日本で初めて試みられた「生物多様性総合評価 (リンク先のURLを変更しました。2013年12月)」(環境省 2010年5月10日公表)に採用されました。しかしながら、生物多様性の状態を評価する取り組みは、日本国内では、またアジア全体でも、まだ始められたばかりです。10月に名古屋で開催される COP10 を契機として、国内外の研究者・機関がこれまで以上に連携を深め、生物多様性の損失という地球規模の問題を解決する取り組みを進めていくことが強く望まれます。

表 生物多様性の状態を評価するために利用された指標の例

状態 (State) 脅威(Pressure) 対策(Response) 恩恵(Benefits)
  • 生きている地球指数(せき椎動物の個体数変化)
  • 鳥類個体数指数(欧米に生息する鳥類の個体数変化)
  • レッドリスト指数(生物の絶滅リスク)
  • 森林、マングローブ、サンゴ礁面積
  • 水質指数
  • エコロジカルフットプリント(人類による資源消費)
  • 窒素堆積率
  • 欧州での外来種数
  • 魚類資源の消費
  • 気候変動が鳥類の個体数変化に与える影響
  • 保護区面積
  • 持続可能な管理を行っている森林面積
  • 侵略的外来種対策(対策に関わる協定の数)
  • 生物多様性保全に関わる補助金
  • 人類に利用される種の個体数変化
  • 食物及び薬品として利用される種の絶滅リスク
  • 国際的に取引される鳥類の絶滅リスク

天野達也 (生物多様性研究領域)

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