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農業と環境 No.125 (2010年9月1日)
独立行政法人農業環境技術研究所

GMO情報: バイテク小麦のゆくえ 〜生産者連合からの期待と注文〜

今年(2010年)7月7日、モンサント社と BASF プラントサイエンス社は、トウモロコシ、ダイズ、ワタに続いて小麦でも不適環境耐性や高収量の組換え品種を共同で開発すると発表した。背景には昨年5月、米国・カナダ・豪州の小麦生産者団体が共同でバイテクメーカーに対して 「トウモロコシやダイズに負けない組換え(バイテク)小麦の開発」 を要望したことにある。2004年5月、米国とカナダの小麦生産者団体や穀物輸出業界の強い懸念から、除草剤耐性組換え小麦の商業化を断念したモンサント社はその後の組換え小麦の開発には慎重だった。現在も食用の組換え作物に対する消費者意識やヨーロッパ・アジア向け輸出市場の懸念はそれほど好転したわけではない。それを承知でなぜ米・加・豪の生産者団体はバイテク小麦の開発を強く要望したのだろうか。

2004年から2010年7月までの動き

組換え小麦の開発をめぐる2004年5月以降のおもな出来事は以下のとおりだ。

2004年5月 モンサント社、北米での除草剤(グリホサート)耐性小麦の商業化を断念。全米小麦生産者協会 (NAWG)、米国小麦連盟 (UWA)、カナダ小麦協会 (CWB) など多くの団体が輸出市場を失うと懸念を示したため。

2006年2月 NAWG, UWA がシンジェンタ社の耐病性組換え小麦開発支持を表明。シンジェンタ社はまだ研究段階として慎重で、その後商業化を見送る。

2007年8月 豪州連邦科学産業研究機構 (CSIRO)、バイエル社と共同で耐乾燥性小麦の野外試験開始を発表。3年続きの大干ばつにより、耐乾燥性品種の開発を重点強化。

2008年2月 米国連邦議会調査局、「小麦価格高騰の原因」 レポート発表。

2008年10月 フランスを中心とした国際研究チーム、小麦の 3B 染色体のゲノム(全遺伝子情報)を解読。

2009年1月 モンサント・BASF 社、耐乾燥性組換えトウモロコシの商業栽培を2012〜13年に実現と発表。

2009年5月 米国・カナダ・豪州の小麦生産者団体、バイテク種子メーカーに対しダイズ、トウモロコシに対抗できる収益性に優れた組換え小麦の開発を要望。賛同団体は NAWG,UWA(米国)、カナダ穀物生産者協会、豪州穀物協議会など9団体。ヨーロッパやアジア向け市場には分別管理を徹底するなど、組換えと非組換え小麦の両立を図り、輸出市場を混乱させない体制作りを3か国9団体が協力して進めると宣言。

2009年7月 モンサント社、小麦育種大手の West Bred 社を傘下に。8〜10年後に耐乾燥性、肥料吸収効率向上品種の実現をめざす。

2009年9月 NAWG など生産者団体、「遺伝子組換え小麦に関する現状分析」 レポート発表。

2010年4月 シンジェンタ社と国際トウモロコシ・小麦改良センター (CIMMYT)、小麦の共同研究開発を発表。

2010年7月 モンサント社と BASF 社が組換え小麦の共同研究開発を発表。耐乾燥性、高収量性品種を10年後に実用化。

ダイズとトウモロコシに押される北米の小麦

豪州では3年続きの大干ばつや慢性的な農業用水不足による危機感から耐乾燥性小麦の開発を望む声が大きい。コメ(水稲)は有望な輸出作物だが、水を多く必要とするので2005年以降大幅に栽培が制限されるなど、小麦に限らず干ばつ対策、節水農法の開発は国家的課題となっている。一方、北米、とくに米国では、1990年代後半からトウモロコシとダイズの栽培増によって小麦が圧迫され続けてきた。上記の2008年2月と2009年9月のレポートによると、米国の生産者が小麦からダイズとトウモロコシに転換した理由は、おもに3つある。

(1)1996年米国農業法で作物ごとの栽培面積制限が廃止され、生産者は利益の上がる作物を自由に選択して栽培できるようになった。

(2)組換え技術を含め、トウモロコシとダイズでは栽培しやすく高収量、高収益の品種が次々と開発されたが、小麦では近年ほとんど優良品種が開発されていない。生産に要するコストも増加し、バイオ燃料需要の恩恵も受けられないため小麦の相対的価値が年々低下している。

(3)トウモロコシとダイズは栽培期間が短く、春に天候不良でも再播種(種まき)が可能であり、天候によるリスクが少なく栽培しやすい。冬小麦は9〜10月に播種し翌年6〜7月に収穫するため栽培期間が長い。秋に悪天候でダイズ、トウモロコシの収穫が遅れるとその後に小麦を播種できない場合もある(2009年秋には現実問題となった)。

(2)については最近の Crop Science 誌でグレイボッシュら (2010) が、1959年から2008年まで60年間の北米大平原(ロッキー山脈東側の乾燥平原)の冬小麦の収量の伸びを分析している。それによると1980年代までは年々平均収量は伸びていたが、90年代にピークとなり、近年はほとんど増加していない。原因は種子会社がトウモロコシとダイズの品種改良に集中しており、小麦への開発投資が減っているためだ。収量を上げるための短期的な対策は農業用水条件のよい土地で小麦を栽培することだが、このような農地ではトウモロコシとダイズが栽培されており、収益性の低い小麦はなかなか入り込めない。長期的に見て、ダイズやトウモロコシと同等かそれ以上の栽培メリットのある優良品種の開発が必要だと述べている。小麦は栽培面積が減っただけでなく、優良農地もダイズとトウモロコシに奪われているのだ。さらに2009年1月、モンサント・BASF 社が耐乾燥性トウモロコシの2012年商業化を発表した。このような品種ができたら、さらにトウモロコシ栽培地域が広がり、小麦が圧迫されるという危機感の中で、2009年5月の3か国9団体の要望となった。

2010年8月 ロシア、ウクライナの小麦輸出禁止

今年8月上旬、異常気象(高温、干ばつ)による大不作のため、ロシアとウクライナが小麦の輸出禁止を発表し、大きなニュースとなった。日本は米国、カナダ、豪州の3国から輸入しており直接の影響は少ないと見られるが(表1)、主要食糧の輸出国が不作になると世界的にはさまざまな影響が出てくる。ロシアやウクライナが小麦輸出国に転じたのは最近のことで、背景には北米や南米のダイズ、トウモロコシの増産と安定供給がある。

ロシアが干ばつで小麦の生産に黄色信号と初めて報道されたのは7月中旬だが、その2月前の5月17日、米国農務省経済調査局が 「旧ソ連邦(ロシア、ウクライナ、カザフスタン)における小麦増産予測」 と題する小レポートを発表した。詳細な数値データに基づく分析というよりエッセー風の読み物だが、今回の事態を予測しており興味深い。レポートのテーマは 「旧ソ連邦3国が10年後に米国を抜いて世界一の小麦輸出国となるかどうか」 というものだ。

今後10年間で米国小麦の世界全体での輸出シェアは24%から16%に低下するのに対し、旧ソ連邦3国は20%から33%に増加し、順位が逆転すると予測している。米国の減少のおもな理由はトウモロコシやダイズへの移行だが、旧ソ連邦3国の増加は以下の3つの理由による。

(1)社会主義時代の非効率な生産体制が改善された。

(2)良質の種子や潅漑(かんがい)施設の整備で生産性が向上した。

(3)家畜飼料は安いトウモロコシやダイズを海外から輸入し、食用の小麦や大麦を栽培する政策をとっている。

しかし、レポートでは今後10年間でさらに小麦の生産や輸出が伸び続けるかどうかは、以下の3つの理由から不確定要素が大きいとしている。

(1)畜産用飼料に関して各国とも農業政策が定まっていない。

(2)2006〜2008年の穀物価格高騰の際、ロシアは輸出制限しており、安定した供給国として信頼度が低い。

(3)生産量の年次変動が大きく、気象条件、とくに乾燥条件で不作に転ずる可能性がある。

米国農務省レポートは、旧ソ連邦でも遺伝子組換えの耐乾燥性品種を開発して採用すべきだとは一言も書いていないが、干ばつによる不作や輸出制限を予測するともに、「北米や南米から安いダイズやトウモロコシを輸入することによって小麦輸出国になり得た」 ことを示すなど示唆に富むレポートだ。

表1 小麦の輸出国と輸出量(万トン)

データ: FAO-STAT.日本の小麦自給率(2007年)は14%.輸入量(530万トン)は米国(320)、カナダ(110)、豪州(90)の3か国で98%を占める.
2000年 2003年 2005年 2006年 2007年
米国27802540272023403300
カナダ18801200139018501760
豪州1770950139015001470
ロシア4076010309701440
フランス18001640160016601440
アルゼンチン 11006201040970960
カザフスタン500520190420620
ドイツ460450460610460
イギリス350370250210190
ウクライナ2090600470160

バイテク小麦のゆくえ

2009年5月、米・加・豪の小麦生産者団体は共同で組換え(バイテク)小麦の開発を要望したが、ヨーロッパやアジアの輸出市場や消費者意識がきびしいことはよく理解している。「1国、1団体だけ途中で態度を変えたりしない」、「分別管理の徹底や輸出市場対策は共同で進める」、「輸出先の安全性審査にも協力する」とバイテクメーカーへの支援を約束した上での組換え小麦開発リクエストだ。しかし、組換え品種ならなんでもよいというわけでない。「モンサント社が2004年に断念した除草剤耐性品種はいらない。抵抗性雑草出現の心配があるし、除草は他の方法がある」、「もっとも望むのは乾燥条件でも栽培できる品種と窒素(ちっそ)肥料を効率よく吸収できる品種だ」と注文はきびしい。また、3か国のすべての生産者団体が組換え小麦の開発を積極的に支持しているわけではない。カナダ小麦協会 (CWB) は、組換え小麦のメリットは認めるものの、輸出市場の反発を警戒して、現時点で賛同団体に加わっていない。米国の製パン業界からも 「生産者メリットよりも、栄養価や健康増進など消費者メリットが実感できるものを最初に提供する方がよい」という意見が出されている。また、西オーストラリア州の生産者団体は、「もし寒さに強い耐寒性品種ができると、いまより小麦栽培地域が広がり、小麦の値段が下がる。そんな品種は開発するな」 など、意見・要望はさまざまだ。

豪州でも2005〜2007年の大干ばつをきっかけに、耐乾燥性小麦の研究開発に本腰を入れ始めたが、2008年時点で優良系統の選抜には5〜10年必要で、商業化はさらに先になるとしている。豪州も組換え食品に関して消費者の懸念は強く、組換えカノーラ(セイヨウナタネ)の商業栽培開始にあたっても国内で激しい論争があった。しかし、消費者意識が好転してから研究開発を始めるのでは間に合わないという危機感が研究者や生産者団体側には強い。日本ではあまり実感できないが、北米や豪州では農業用水は地下水の汲み上げを含め、お金を出して買うものだ。水の代金を節約できる耐乾燥性品種は確実に生産者のメリットになる。

モンサント社と BASF 社は、どんな特性を持った品種を最初に商品化するか具体的にはまだ発表していない。現在、2012〜13年に商業化をめざして最終段階に来ている耐乾燥性トウモロコシは、土壌細菌 Bacillus subtilis 由来の低温刺激タンパク (Cold shock protein, CSP) 遺伝子を導入した系統で、この改変 CSP 遺伝子によって、乾燥条件下でも植物細胞の機能が正常に保たれる。しかし、小麦はゲノム (全遺伝子情報) の構造が複雑で DNA 含量も多いため、トウモロコシの技術がそのまま小麦に応用できるとは限らない。窒素肥料を効率的に吸収できる組換え作物もまだ具体的なものは発表されていない。研究開発は加速するだろうが、耐乾燥性小麦でもメーカーが言うように商業化は早くても約10年後(2020年ごろ)になるだろう。

現在、遺伝子組換え作物の大半を占めている害虫抵抗性Bt作物と除草剤耐性作物は、生産者にメリットのある品種だが、必ずしも生産者側の要望から出発して開発されたものではなかった。実際に実現可能かどうかは別として、生産者側が要望を出し、「これならできそう。それは10年間では無理」 など意見交換しながら開発が進められるとしたら、たとえ消費者にはメリットが感じにくい品種だとしても組換え作物への理解を深める上ではよいことだろう。

おもな参考情報

Fox J. L. (2009) Whatever happened to GM wheat? Nature Biotechnology 27(11): 974-976. (組換え小麦のゆくえ)

Graybosch R. A. & Peterson C. J. (2010) Genetic improvement in winter wheat yields in the Great Plains of north America, 1959-2008. Crop Science 50(5): 1882-1890. (北米大平原における冬小麦収量への品種改良の貢献度、1959〜2008年データによる解析)
https://www.crops.org/publications/cs/articles/50/5/1882(最新のURLに修正しました。2014年9月)

「小麦価格高騰の原因」 米国連邦議会調査局報告 (2008年2月29日)
http://web.mit.edu/longpd/MacData/afs/sipb/contrib/wikileaks-crs/wikileaks-crs-reports/RS22824.pdf

「遺伝子組換え小麦に関する現状分析」 全米小麦生産者協会ほか (2009年9月17日)
http://www.wheatfoods.org/_FileLibrary/FileImage/FINAL%20The%20Case%20for%20Biotech%20Wheat.pdf(対応するページがみつかりません。2014年9月)

「旧ソ連邦における小麦増産予測」米国農務省経済調査局 (2010年5月17日)
http://www.ers.usda.gov/AmberWaves/June10/Features/FSUWheat.htm (対応するページがみつかりません。2015年6月)

モンサント・BASF社高収量・耐乾燥性小麦の共同開発発表 (2010年7月7日)
http://news.monsanto.com/press-release/basf-plant-science-and-monsanto-expand-their-collaboration-maximizing-crop-yield(最新のURLに修正しました。2014年9月)

白井洋一(生物多様性研究領域)

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