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農業と環境 No.139 (2011年11月1日)
独立行政法人農業環境技術研究所

ナンシー大学(フランス)での在外研究

筆者(加茂)は、2010年9月から1年間、フランスの北東部にあるナンシー大学にて在外研究に従事しました。フランスの高等教育機関は構成がやや複雑で、一口にナンシー大学とまとめて称されているものも、実際には3つの教育機関 −理系の総合大学であるナンシー第一大学 (正式にはアンリ・ポアンカレ大学)、文系のナンシー第二大学、そして8つのエコールで構成されるロレーヌ国立工科高等大学 (INPL)− より成り立っています。筆者は、INPL のグランゼコールのひとつである Ecole Nationale Superieure d'Agronomie et des Industries Alimentaires (ENSAIA) に、客員研究員として滞在しました(写真1)。ラボには、INPL とフランス国立農学研究所(INRA)の両方のスタッフが混在しています。博士課程の大学院生を指導する立場の教授や准教授がいる一方で、INRA の研究者たちも彼らの直接的な指導をしながら研究を進めています。さらには、教授も出資しているベンチャー企業もラボに隣接して存在しており、産学官が一体となった研究環境でした。

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写真1 ヴァンドーヴルの丘の上にある ENSAIA の建物

筆者が参加した研究テーマは、植物の二次代謝成分の生合成経路に関する課題のひとつです。セリ科などに属するいくつかの植物は、有毒成分であるフラノクマリンを体内に蓄積することで昆虫の摂食から身を守っています。しかし、進化の過程においてその化学的防御を突破する能力を身につけた昆虫も生じたと考えられています。そこである種の植物は、フラノクマリンの化学構造をリニア(直線)型からアンギュラー(折れ曲がり)型に大きく変化させることで、昆虫が獲得した抵抗性に対抗してきたという共進化のストーリーが描かれています。筆者が滞在したラボでは、セリ科植物に含まれるフラノクマリン生合成酵素がいくつか解明されており、それらはいずれも生合成経路上の重要な酸化反応を担っていることがわかっています。フラノクマリンに関するこれらの研究は、化学生態学の分野における学問的興味だけでなく、生理活性物質の利用を指向した産業的見地からも価値の高いものです。

このラボではすでに、セリ科植物の一種から調製された cDNA ライブラリーより、フラノクマリン生合成に関与すると推定される遺伝子がいくつもピックアップされています。筆者は、その中のひとつを酵母細胞に導入して形質転換し、酵素活性の発現を試みるという課題を担当しました。この機会に植物の分子生物学的手法をいろいろ経験し、今後の研究に役立てたいという筆者の希望もあり、シンプルな方法ではこれまで発現に成功していない遺伝子を研究対象に選びました。目的とする酵素の活性が酵母細胞内で発現しやすいように、末端のアミノ酸配列を少し変更するなどの工夫をしましたが、活性を評価する段階で再現性の低さがネックとなり、さらなる技術的改善が必要となりました。現在、博士課程の大学院生がこの研究を継続しています。

ラボのメンバーたち10数名が大きなテーブルを囲んで昼食中(写真)

写真2 ラボでの昼食
大学のカフェテリアが休みだったので、みんなでトリュフのクリームパスタを食べています。

滞在したラボのメンバーは、パキスタン人の大学院生1人、イタリア人のポスドク1人、それと日本人の筆者を除けば、残りは全員フランス人でした(写真2)。毎週1回の全体ミーティングは、当初は私のために英語で進めてくれました。大部分のメンバーは英語でも問題ないのですが、テクニシャンなど一部のスタッフは英語があまり得意ではなく、それが少し負担になっている雰囲気がありました。そこで、数か月たった時点で、すべてフランス語で進めて、私は理解できる範囲だけ聞くというスタイルに変更してもらいました。もちろん話題によってはほとんどわからないこともあるのですが、各自の週間スケジュールなどが中心なので、客員研究員の立場からするとそれほど困ったことにはなりません。リスニングとスピーキングの練習だと割り切って参加するようにしました。それとは別に、研究テーマの近い人たちだけが集まって開催する専門的なミーティングも週1回ありましたが、これは細部まで理解できないと研究上差し支えがあるので、一年間通して英語で行われました。

このように、フランスでの快適な研究生活とフランス語の必要性は強く結びついています。ラボに設置された機器の注意事項はフランス語で書かれており、全員に配信されるメールも当然フランス語です。この国に来た留学生や客員研究員がいつまでたっても英語しか理解できない場合、周囲にかける負担が大きくなり、やがて双方にとってマイナスになるでしょう。それを避けるため、外国人研究者がフランス語を勉強できるよう、大学ではいろいろな機会が提供されています。たとえば INPL は、これから大学や大学院に入学しようとする外国人向けのフランス語コースを開講しており、筆者のような外国人研究者もその夜間コースなどを履修できます。そういう機会を利用して、各国の若い留学生たちと一緒にフランス語を勉強するのはとても楽しい経験でした。欧州言語圏出身者とは上達のスピードが大きく異なる上に、仕事のために出席数も少ないという二重のハンデがありましたが、クラスメートの協力もあって最後まで通うことができました。この語学コースのおかげで、ラボのほかにも自分の精神的な居場所を持つことができましたし、ラボでの仕事や街での日常生活における不自由さも少しずつ解消されていきました。

(写真)

写真3 ナンシーの中心部
夏場は夜遅くまでにぎわっている

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写真4 スタニスラス広場
市庁舎とロレーヌ公スタニスラス像

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写真5 トリュフ犬(中央)とともにトリュフ狩り
 

筆者の住んでいたナンシーは、アールヌーヴォーの発祥した美しい地方都市です(写真3)。1766年まで独立していたロレーヌ公国の中心都市であり、最後の国王であったスタニスラスの像を中心にすえたスタニスラス広場はユネスコの世界遺産に登録されています(写真4)。この街は学生が多いこともあって治安が良く、安心して一年間を過ごすことができました。また、ラボの仲間とも良好な関係を築くことができ、公私ともにいろいろと親切にしてもらいました。真冬にラボ全員でトリュフ狩りに行ったこと(写真5)、ラボの友人の実家で催されたクリスマスパーティーに招待されたこと、仕事が終わった後に同僚たちとバスケットボールをして楽しんだことなど、思い出は数え切れません。滞在中は、研究に関して学ぶことが多かった反面、何か月も期待通りに進捗せず焦りを感じていた時期もありました。そんな中でも暗くならずにコンスタントに仕事を継続できたのは、このように周囲の人々に恵まれていたからであり、それは本当に幸運だったと感じています。

ラボのメンバーと滞在中にお世話になったナンシーの方々、そして今回の在外研究を日本から支えてくださった多くの方々に、心からお礼を申し上げます。

(生物多様性研究領域 加茂綱嗣)

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