酵母の遺伝学・分子生物学では最大規模の国際学会である、International Conference on Yeast Genetics and Molecular Biology (Yeast2013) が、2013年8月29日から5日間、フランクフルト大学で開催されました。
パン酵母は、単細胞の真核微生物であり、変異体の取得が容易で、遺伝学による解析ができます。また、動植物など高等生物の細胞と共通した機能を持つことから、世界中で、パン酵母を用いて細胞の仕組みが研究されています。
パン酵母の研究では、さまざまな重要な発見があり、リーランド・ハートウエル博士や、ポール・ナース博士は、細胞分裂の研究でノーベル生理学賞を受賞しています。今年、ノーベル賞有力候補といわれる東工大の大隅良典先生も、パン酵母の研究者です。真核生物の細胞内には、膜で作られた各種の小器官(オルガネラ)があり、各々異なる酵素反応系が配置されています。大隅先生は、酵母細胞が、環境の変化に応答して酵素反応系を作りかえる際に、不要となったタンパク質やオルガネラを、膜で包んで分解する現象を発見し、オートファジーと名付けました。酵母を用いてその機構を明らかにするとともに、動物細胞の専門家である水島昇先生と共同で、オートファジーが真核生物で普遍的な現象であることも示しました。オートファジーは細胞内のリサイクルに欠かせない機構なので、私たちの健康維持にも、バイオテクノロジーによる物作りにも深く関わっています。このように、生命現象を応用する研究開発には、基礎研究の知見が欠かせません。
今回開催された Yeast2013 では、タンパク質の品質管理や輸送、遺伝子発現制御、ストレス応答、染色体分裂、遺伝子変異や修復といった基礎的な現象が、全員参加の講演で扱われ、応用分野である病気やバイオテクノロジー、醸造等の成果は12のワークショップで取り上げられました。また、17のポスターセッションと、産業用酵母に関する3つのサテライトシンポジウムが開催され、700名以上が出席しました。
タンパク質の輸送分野で講演したランディ・シェックマン博士は、オートファジーとタンパク質輸送について最新の話題を提供しましたが、ここでは、その研究の詳細ではなく、シェックマン博士の「雑談」についてご紹介します。シェックマン博士の問題提起は、中国では、ネーチャーやサイエンスに論文が掲載された著者に、数百万円に相当する報奨金が支払われるというスライドから始まりました。有名雑誌に掲載された論文が、研究成果のインパクトで評価されるのではなく、賃金、研究予算やポジションの尺度として使われるケースは、日本でもよくあることです。しかし、それが投稿論文の審査に悪い影響を与え、研究の本質には必要ない実験まで要求され、受理が遅れるケースが増えているそうです。それを見てきた研究者たちは、現在の審査方法が研究者の情熱を冷まし、科学の進捗(しんちょく)の速度を落とすことを危惧(きぐ)しています。そこで、シェックマン博士らは、透明性が高い査読をめざして、「e-Life」 という雑誌を発刊したそうです。その特徴は、論文審査の速度が非常に早く、ページ数制限が無く、オープンアクセス形式で、さらには、審査の経緯が公開されています。この方法は、論文審査をされる側、する側である私たち研究者にとって、専門に関わらず参考になると思いました。
筆者は、農作業の省力化をめざして、使用済みの生分解性マルチフィルムを酵母由来の酵素で速やかに分解する技術開発に取り組んでいます。Yeast2013 の産業用酵母のサテライトシンポジウムで依頼講演をし、その産業用途の可能性と、酵素の発現制御や酵母の生活上の役割について、討論を深めました。
最後に簡単に、Yeast2013 における著者の研究に関連が深い成果をご紹介します。本会では、遺伝子組換え酵母を用いて、コハク酸やイソクエン酸、油など、化学物質 (バイオマテリアル) を大量に合成する研究例が多く紹介されていました。コハク酸からは、生分解性プラスチックや、さまざまな化成品を有機合成できるため、バイオコハク酸の生産技術の開発が、世界で進められています。今回の学会で、オランダの DSM 社は、組換え酵母によるコハク酸の工業規模での生産を開始することを発表しました。現在市販されている農業用の生分解性マルチフィルムは、石油由来のコハク酸が原料ですが、近々、酵母由来のコハク酸に替わることが期待されます。
本学会への参加は、農環研の女性研究者活動支援事業と生物生態機能研究領域の支援を受けて実現しました。関係者各位に感謝いたします。
論文審査方法の改善を提案するシェックマン博士の講演
フランクフルトのサッカーチームのユニフォームを着たティラノザウルスの像
フランクフルトは金融の街、最新建築とクラシックな建物が混在していました
北本宏子 (生物生態機能研究領域)