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農業と環境 No.166 (2014年2月1日)
独立行政法人農業環境技術研究所

農業環境技術研究所の30年 (1)大気環境研究の系譜

1.概要

「大気環境研究領域」は2006年4月以降に使用されている組織名称である。その母体は1983年12月の農業環境技術研究所発足時に設置された気象管理科であり、さらに溯れば農業技術研究所物理統計部気象科に至る。学問分野としての「農業気象」という名称は、現在では大気環境研究領域の英語名(Agro-Meteorology Division)に残されている。この和文と英文の組織名からわかるように、農業環境技術研究所における大気環境研究とは、農業気象研究と同義と考えてよい。

農業環境技術研究所としての30年間の大気環境研究を概観すると、大気中の二酸化炭素( CO2 )などの温室効果ガスの増加や、それにともなう気候変動、オゾン層破壊にともなうB領域紫外線(UV-B)の増加、大気汚染などによる地域スケールでの大気質の変化など、地球規模あるいは地域規模での大気環境の変化への対応に重点を置いて、研究が行われてきたといえる。特に、30年間の後半は気候変動関連の研究への重点化が進んだ。気象庁が「近年における世界の異常気象の実態調査とその長期見通しについて」(1974年)を発表した1970年代には、1972年の世界的な異常気象を契機として、冷害をはじめとする異常気象対応技術の開発が精力的に行われた。これに対して、農業環境技術研究所発足後の30年間には、世界の年平均 CO2 濃度が約50ppm増加し、世界の年平均気温は上昇傾向に転じて、特に1990年代以降は高温の出現する頻度が高まった。地球温暖化の影響が徐々に顕在化して、気候変動に対する関心が科学的にも社会的にも高まった時期である。

すでに、1970年代後半から1980年代前半には、大気中の CO2 濃度の増加と、それにともなう温暖化をはじめとする気候変動に対応すべく、農業気象分野での研究の必要性が強調されていた(内嶋, 1984)。気象庁が「温室効果気体の増加に伴う気候変化」(1989、1990年)を発表し、1990年代に入ると、農林水産省のプロジェクト研究「農林水産生態系を利用した地球環境変動要因の制御技術の開発」(1990〜1996年)をはじめとする、気候変動に関連した各省庁のプロジェクト研究が開始された。農業気象分野では、気温上昇や CO2 濃度増加が作物生産に及ぼす影響について、気候学的、生態学的な手法を用いて基礎的な研究を実施するとともに、微気象学的な手法を用いた農業生態系の CO2 収支の研究を開始した。一方、1980年代後半から1990年代前半にかけては、環境庁(当時)のプロジェクト研究として、地表オゾン、UV-B、酸性雨などの大気質の作物影響に関する研究を実施し、1993年の大冷害の緊急調査や、それを受けて開始された農林水産省プロジェクト研究にも参画した。

2000年代に入ると、地球温暖化の国内農業への影響が顕在化し、国際的には「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」による第3次報告書(2001年)、同第4次報告書(2007年)の公表や、「気候変動に関する国際連合枠組条約締約国会議(COP)」における温室効果ガス削減に向けた動き、なかでも京都議定書の採択(1997年)を受けて、気候変動に関わる研究が本格化した。農林水産省は「近年の気候変動の状況と気候変動が農作物の生育等に及ぼす影響に関する資料集」(2002年)で温暖化を中心とする気候変動影響の研究の現状をとりまとめ、環境省、文部科学省によるプロジェクト研究も含めて、農業分野への影響評価、適応技術、緩和技術の開発に関する研究が活発に展開され、現在に至っている。

以上は社会情勢への対応という視点で30年間の大気環境研究を概観したが、これを農業気象分野としての研究の系譜として捉えるには、農業環境技術研究所発足時に気象管理科に設置された気候資源、気象特性、気象生態、大気保全という4つの研究室からの研究の流れを眺めるのがよいだろう。すなわち、気候資源研究室が担った農業気候資源を計量する複合指標の開発、地域資源量の解明、地球規模の気候変化の影響評価などの農業気候学的研究は、現在の中心課題である気候変動にともなう食料生産変動予測の研究へとつながった。気象特性研究室が担った微気象成立機構の解明や気象環境改良法の開発は、ガスのフラックスの観測研究と、高 CO2 濃度下での群落微気象特性や作物の高温障害の解明を目的とした群落微気象モデルの高度化へと展開した。気象生態研究室が担った作物の気象生態反応の実験的解明、作物成長モデルの開発と成長・収量予測に関わる研究は、開放系大気 CO2 増加(FACE)実験を中心とした高 CO2 濃度、高温環境での作物生産と作物群落の応答の解明、さらには気候変動に対する適応技術の開発へと発展した。大気保全研究室が担った大気汚染物質による作物被害の解明と影響評価法の開発、作物の乾物生産過程に対する影響解明などの大気質の農業影響に関する研究は、遺伝子組換え作物の花粉の飛散による交雑という新たな課題への対応と、農業生態系における微量ガスの放出・吸収機構の解明へと移行し、現在に至っている。以下では、この4本の研究の軌跡をたどることにする。

2.農業気候資源の評価と気候変動にともなう食料生産変動の予測

農業気候資源に関わる研究は、農林水産省によるグリーンエナジー計画やバイオマス変換計画の成果を利用した、農業気候資源の評価法の研究から始まった。気候要素から自然植生の純一次生産力(NPP)を評価する筑後モデルを開発し、国土数値情報3次メッシュ(1km×1km)単位の気候値から、わが国の自然植生の純一次生産力の分布を、また世界の1100地点を越える観測点の気候値から、世界の陸上植生のNPPの分布を明らかにした(Uchijima and Seino, 1985;清野・内嶋, 1985)。さらに、大気大循環モデル(GCM)による CO2 濃度倍増時の予想値にもとづく局地気候変化シナリオを用いて、将来の気温上昇にともなうわが国の自然植生のNPPの変化を論じた(Uchijima and Seino, 1988)。一方、国土数値情報とメッシュ気候値を用いて、気象庁による地域気象観測システム(アメダス)の観測点のデータを3次メッシュ単位で内挿する手法を開発し、多くの研究利用に供した(清野, 1993)。水資源については、局地気候変化シナリオを用いて、わが国の降雪量への影響を予測した(井上・横山, 1998)。また、ユーラシア大陸東部の潅漑要水量と農耕地に供給可能な水資源量の地理的分布を評価し、地域的な水需給を論じた(Ishigooka et al., 2008)。

CO2 濃度増加の直接影響を組み込んだモデルを用いて将来のわが国の水稲収量を予測する研究は、1990年代に開始された。まず、特定地点を対象に、GCMが予想する CO2 濃度倍増時(560ppm)の気候シナリオを用いて、気温上昇と CO2 濃度増加による単独および複合影響を評価した(清野, 1995)。つぎに、実験で得られた高 CO2 濃度条件での光・乾物変換係数を生育収量予測モデルに組み込み、気温をメッシュ気候値から一様に変化させ、あるいは局地気候変化シナリオが予想する条件下で、水稲収量の変化やその地理的分布、作期移動の効果を論じた(米村ら, 1998;鳥谷ら, 1999)。一方、1960年代に提唱された気候登熟量指数を、わが国の水稲の潜在収量の簡易推定法として再評価し、登熟期間の気温と日射量のみで再定義した気候登熟量指数を用いて、温暖化の影響や作期移動の効果を論ずる研究も行われた(林ら, 2001)。

2000年代に入ると、圃場スケールを対象とした、品種や栽培管理などの詳細な情報を必要とする生育収量予測モデルから、過去の生育・収量データに基づいて作物の環境応答を統計的に反映させる広域モデルへと展開した。そして、モデルに内在する不確実性や、気候変化シナリオに内在する不確実の評価を含めた、広域収量変動予測が行われた。ベイズ推定によりモデルパラメータを最適化する広域収量モデルPRYSBI(Iizumi et al., 2009)を用いて、わが国の都道府県別の水稲収量を、年々変動を含めて推計した結果によれば、温度上昇にともなう登熟障害により、特に東海・中部・近畿地域で収量の年々変動が増加することや、適応策の導入は北・東日本では移植日の移動,西・南日本では高温耐性品種の導入が効果的であることが示唆された(横沢ら,2009)。コメの品質については、過去33年間の3次メッシュ気象データと農林水産省の作物統計データを解析し、出穂後20日間の高温環境(有効積算気温)がコメ品質の低下と密接に関係していることを明らかにした(Ishigooka et al., 2011)。国内だけではなく、海外のコメの主要産地(中国、メコンデルタ、東北タイ)を対象にして、それぞれの地域の特徴を考慮した水稲の生育・収量予測モデルを開発し、将来の収量予測を行った。世界規模での気候変動と作物生産に関する研究としては、ダイズおよびトウモロコシの主要生産国の過去27年間の作物収量データと、グリッド化された気象データの統計的解析から、収量の気温・降水量に対する感度の地域性や、年代による変化を明らかにした(Sakurai et al., 2011)。短期的な収量変動予測の研究も行われ、重回帰式を用いた統計的な手法により、季節予報(収穫の3か月前に予測した生育後期の気象予測値)を利用して、世界規模でのコムギとコメの豊凶を推定する可能性が示された(Iizumi et al., 2013)。一方、気候変動の影響評価で必要となる気候シナリオを作成するため、気候モデルによる出力値の時間・空間解像度を上げ、系統誤差を補正する、統計的ダウンスケーリングの研究を進め(飯泉ら,2010)、わが国の空間解像度10kmの気候変化メッシュデータや、地点・日別気候データセットを作成し、影響評価研究での利用に供した(Yokozawa et al., 2003;Iizumi et al., 2012)。

温暖化の進行にともない、アメダスデータやメッシュ気象データを利用した気候変動の農業影響の実態を解明する研究も進められた。わが国の気象官署・アメダス観測地点の気温変化の傾向を解析し、都市化の影響の少ない観測地点や、各県の農耕地を代表する観測地点を選定した(西森ら, 2009)。また、アメダスの観測値から水田水温やイネの出穂・開花期における穂の温度(穂温)、主要品種の生育ステージや葉面積指数などを推定する「モデル結合型作物気象データベース」を開発、公表した(Kuwagata et al., 2012)。

3.耕地微気象の観測・モデル研究の発展とガスフラックスのモニタリング

微気象および局地気象に関わる観測・データ解析や気象改良については、農業技術研究所時代から継続した研究も含めて、1980年代から1990年代にかけて、多様な研究が行われた。主な研究としては、街路樹の気候緩和機能、散水が耕地微気象に与える効果、べたがけ資材による微気象改良、温室や牛舎内の微気象とその制御、過放牧による砂漠化過程の微気象学的研究、防風施設による微気象改良とその数値シミュレーション、人工衛星データによる冬季夜間の気温推定などがあげられる。2000年代に入ると、この分野における研究の多様性は低下したが、気候変動に関連して、チベット高原の広域的な気温上昇と食肉生産量の変動との間に正の相関を認め、過放牧による温暖化に対する正のフィードバックの可能性を指摘した(Du et al., 2004)。最近では、水田内の気温と湿度を測定できる簡易な気象観測装置を開発し、海外の研究機関と連携して、世界各地の水田で、高温ストレスの実態解明のための微気象観測を実施している(Fukuoka et al., 2012)。

群落微気象モデルの研究では、1980年代前半までの植被層内の乱流特性、葉面上の各種抵抗のモデル化などの成果を統合して、水田微気象システムモデルを開発し、冷害時の微気象学的要因や冷害対策としての深水潅漑の効果の解析に有効であることを示した(井上, 1985)。この研究成果は、その後、東北地方の冷害防止対策として実用化された。また、非定常群落微気象モデル(2次元NEO-SPAM)をダイズ群落用に改良し、光合成速度の分布やその制限因子を明らかにするとともに、光合成の生化学モデルを組み込んだ数値計算により、高温、高 CO2 濃度環境が群落の CO2 収支と水利用効率に及ぼす影響を論じた(吉本ら, 2000)。温暖化の進行にともなって深刻化が予想されるイネの高温ストレスの影響解明のため、一般気象要素から穂温を推定する水田微気象モデルを開発し、2007年夏季に観測された関東・東海地域の異常高温時には、穂温と気温の違いの地域間差を明らかにした(Yoshimoto et al., 2011)。また、水稲群落の二層モデルと渦相関法による測定から求めた総光合成量を用いて、群落スケールでの気孔コンダクタンスをモデル化し、その季節変化を明らかにした(Ono et al., 2013)。

1950年代に農業技術研究所の井上栄一博士らが開始した微気象学的手法による農耕地の熱、水蒸気、二酸化炭素の交換量(フラックス)の観測研究は、陸域生態系の炭素・熱・水循環の解明のための世界観測ネットワークFLUXNETの構築を背景に、1990年代から2000年代にかけて新たな展開をみせた。まず、微気象学的手法を用いた農業生態系での炭素収支とメタンのフラックスの計測手法を開発した(原薗ら, 1996; Miyata et al., 2000)。地球温暖化に対して脆弱な北極域ツンドラでの観測により、熱、水、CO2 収支の実態を解明し(Harazono et al.,2003)、茨城県つくば市真瀬でのフラックスの長期モニタリングにより、イネ単作田の CO2 フラックスの季節変化や炭素収支を明らかにした(Saito et al., 2005; 宮田ら, 2012).真瀬観測点は、国内の分野間連携研究拠点としての役割を果たす一方、その観測データは,独自に開発したインターネット公開型データベース(原薗ら,1999)や,AsiaFlux、FLUXNETなどの国際研究ネットワークのデータベースに登録され,サイト間比較,モデル構築,リモートセンシングの地上検証等に活用されている。一方、国内4地点の牧草地でのモニタリングでは、堆肥投入による生態系炭素収支への影響を定量化した(Hirata et al., 2013)。渦相関法によるフラックスのモニタリングが世界的に展開されるなかで、新たに表面化した問題の解決にも取り組み、フラックスの計算値に含まれる異常値の効率的な判別手法の開発や、オープンパス型とクローズドパス型という二種類の渦相関法による CO2 フラックスの観測値の系統差の解明を行った(間野ら, 2007;小野ら, 2007)。

4.環境操作実験による作物の気象生態反応の解明と気候変動に対する適応

この30年間の作物の気象生態反応に関する研究は、そのほとんどが水稲を対象に展開された。まず、気候−作物成長モデルによる作物成長と収量予測の研究が行われ、1990年代中頃からは自然光型人工気象室(クライマトロン)やFACE実験施設を用いて、 CO2 濃度増加や温暖化による水稲の成長・収量への影響、水収支、物質循環などの生態系への影響の解明やそのモデル化、地球温暖化に対する適応策の研究が展開された。また、2007年夏季に関東・東海地域で観測された異常高温の影響解明のため、圃場での水稲のサンプリング調査を広範囲で実施し、わが国の水田での高温不稔の実態をはじめて確認した(Hasegawa et al., 2011)。

水稲の生育ステージのモデル化の研究では、ノンパラメトリック法による発育ステージの推定法(竹澤ら, 1989)や日長を考慮した出穂予測モデル(Kawakata and Yajima, 1995)が開発され、その後の作物成長モデルに利用された。1993年の大冷害では、内島の冷却指数に基づく障害不稔歩合推定法を水稲の生育収量予測モデルに組み込み、障害不稔発生程度と収量の広域推定を行った(矢島, 1994)。高 CO2 濃度の作物生育への影響については、1990年代中頃に人工気象室を用いて、CO2 濃度と温度を制御したイネの栽培試験が始まり、葉面積、乾物重、玄米収量への影響や体内の炭素・窒素の動態の研究が開始された(諸隈ら, 1996)。高 CO2 濃度処理による光合成の促進率は生育初期に高く、生育につれてしだいに低下するが、呼吸速度は生育期間中促進されることを、群落レベルで初めて実証した(Sakai et al., 2001)。また、高 CO2 濃度による群落光合成の促進率は葉窒素濃度に依存し、高 CO2 濃度条件では生育にともなう葉窒素濃度の低下が大きく、CO2 濃度増加による施肥効果を高めるためには窒素管理が重要であることがわかった(Sakai et al., 2006)。さらに、CO2 濃度増加による増収に対して、温暖化(夜温の上昇)は減収させる方向に作用し、両者には相互作用がないことを明らかにした(Cheng et al., 2009)。

人工気象室などの室内実験で得られた作物応答を野外条件で実証するため、1998年からは、野外で CO2 濃度を大気濃度より200ppm高めて作物の応答を研究するFACE実験が、農林水産省東北農業試験場(当時)と共同で、岩手県雫石町の水田で開始された(雫石FACE)。これは、イネを対象とするものとしては世界初のFACE実験である。その結果、高 CO2 濃度下では水稲の乾物生長が促進され,幼穂形成期までの窒素吸収量が増え、面積当たりのモミ数が増加することにより増収したが、窒素が不足する条件では増収効果は減少した。また,高 CO2 濃度下では,どの窒素施肥量でも白米のタンパク含量が低下した。このように,従来のチャンバー実験で見られた高 CO2 濃度のイネに対する影響が,実際の水田でも起こることがFACE実験で実証された(Kim et al., 2003;Kobayashi et al., 2006)。イネのFACE実験は、2010年以降は茨城県つくばみらい市に場所を移して継続された。品種「あきたこまち」を用いた実験では、高 CO2 濃度による増収効果は、冷害年を除いて、生育期間の平均気温が高いほど低下し、温暖化条件では高 CO2 濃度による増収が従来の予測ほど大きくはならないことがわかった。また、高 CO2 濃度による増収効果には大きな品種間差がみられ、新品種開発を通じて増収効果を高められる可能性が示された(Hasegawa et al., 2013)。

FACE実験は、イネへの影響だけでなく、水田生態系の水利用効率、メタン発生や窒素循環などの、高 CO2 濃度が水田生態系に及ぼす影響をさまざまな観点から研究する総合的研究プラットフォームとして活用されている。たとえば、雫石FACEの結果では、高 CO2 濃度環境での蒸散抑制と乾物重増加により、生育期間の総蒸散量に対する総乾物重の比で計算した水利用効率は19%増加した(Yoshimoto et al., 2005)。また、FACE実験の加温区(水・地温を2℃上昇させた処理区)では、現在の環境と比べてメタン発生量が約80%増加し、水田からのメタン発生が気候変化に対して正のフィードバック効果をもたらすことを指摘した(Tokida et al., 2010)。現在、世界の作物FACEネットワークによるサイト横断的データ解析が進行中であり、農業分野のモデルの相互比較・改良プロジェクト(AgMIP)にも、高 CO2 条件での水稲の標準データとして、雫石FACE実験のデータを提供し、研究の国際連携を強めている。

5.大気質の変化による農業影響と農業生態系が大気質に及ぼす影響

大気質に関しては、30年間の前半にはUV-Bや地表オゾン、酸性雨などの大気質が作物に及ぼす影響の研究が展開された。後半は遺伝子組換え作物の交雑に関わる花粉の拡散や、黄砂などの大気生物学的な研究が中心となり、農地での温室効果ガスやその他の大気微量成分の放出・吸収機構の解明も含めて、農業生態系が大気質に及ぼす影響の研究に移行した。

UV-Bの増加による作物影響の研究では、人工気象室内での可視光の減少にともなう保護作用(可視光がUV-Bの悪影響を軽減する作用)の低下を避けるため、野外で太陽紫外線に対し一定の割合でUV-Bを増加させる装置を開発し、水稲に対する照射実験を行った。その結果、UV-Bの強度が2倍程度に増加しても葉面積や乾物重には影響が認められず、玄米収量をわずかに減少させる場合はあったが、他の報告と総合的にみて、生育や収量への影響はほとんどないと結論づけた(野内, 2001)。大気汚染の農業影響については、光化学オキシダント(主にオゾン)を対象に、植物への生理的生化学的影響やオゾンストレスに対する水稲の適応戦略を明らかにした(野内, 2001)。オープントップチャンバー実験で求めたオゾン濃度とコメの減収率との関係(ドース・レスポンス関係)は、オゾン濃度の季節変化とイネへの影響の時期的な違いによって変動すると考えられた。そこで、オゾンの光―乾物変換率への影響を取り入れた成長モデルを構築し、気象条件(気温と日射量)とオゾン濃度を用いて数値シミュレーションを行い、関東地方における減収率の分布を推定した(小林, 1999)。酸性雨については、水稲などの農作物に対する人工酸性雨暴露実験を行い、pHが3.0以上の酸性度では収量の低下はみられず、わが国の平均的な酸性度の降雨では農作物被害は発生しないことを明らかにした(細野・野内, 1994)。

花粉の拡散については、スギ花粉症が社会問題化した1990年代に、スギ花粉の放出と拡散に関わる一連の研究が実施された(川島・高橋, 2002)。一方、1990年代の終わりから、農作物への遺伝子組換え技術の導入を背景として、遺伝子組換え作物と周辺の非組換え農作物や野生種等との交雑が問題となった。そこで、代表的な風媒花植物であり,花粉による交雑が問題となっているトウモロコシの花粉飛散量の連続モニター装置を開発し、花粉飛散の日変動を計測するとともに、野外実験により、気温、風速などの気象条件が、開花の継続時間や花粉の飛散を通して、交雑率の空間分布に影響することを指摘した(川島ら, 2004)。また、プリューム型拡散モデルに地理情報(圃場の分布)、気象データや開花データを導入して、地域スケールで交雑率を推定するモデルを開発した(Yonemura et al., 2011)。黄砂、すなわちアジア大陸の乾燥・半乾燥地域から風によって大気中に舞い上がる風送ダストに関する日中共同プロジェクト研究では、オアシス農地での現地調査により、春季の耕耘はダスト発生の臨界風速を低下させるとともに,同じ風速でもダストの発生量を増加させることを明らかにした(Du et al., 2005)。

メタンの水田からの放出機構については、水田土壌中で生成されたメタンの大部分は水稲を介して放出されるが、メタン放出口は葉身ではなく、葉鞘(茎)表面の気孔とは異なる微小な孔と葉鞘付け根の節板付近の孔隙であることや、稲体を介した土壌から大気へのメタンの放出コンダクタンスが根圏の温度と移植後日数に依存することを、実験的に明らかにした(Nouchi et al., 1990;Hosono and Nouchi, 1997)。一方、畑地における土壌によるメタンと、温室効果関連ガスである一酸化炭素の吸収速度は、土壌水分の低下や耕起により増加し、土壌中のガス拡散係数によって強く制御されることを野外実験で明らかにした(Yonemura et al., 2000)。また、二毛作畑でのチャンバー法を用いたモニタリングにより、不耕起栽培は土壌の炭素蓄積を増加させ、亜酸化窒素の発生を抑制し、湿潤温暖なわが国でも温室効果ガス排出削減技術として有効であることを示した(Yonemura et al.,2013)。

宮田 明 (大気環境研究領域長)

引用文献リスト

農業環境技術研究所が1983年(昭和58年)12月に設置されてから2013年(平成25年)12月で30年を迎えました。そこで、この30年間のさまざまな研究の経過や成果をふりかえり、これからを展望する記事 「農業環境技術研究所の30年」 を各研究領域長等が執筆しました。今号から順次、掲載していきます。

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