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農業と環境 No.174 (2014年10月1日)
独立行政法人農業環境技術研究所

第20回世界土壌科学会議 日本巡検 参加報告

巡検の概要

第20回世界土壌科学会議 (WCSS、韓国済州島) のプレ企画として、日本巡検が6月3日から8日まで開催されました。WCSS では、ホスト国の近隣諸国において、本会議に先だって巡検を開催することが慣行となっています。今回の会議では、日本、中国、台湾がそれぞれの企画を提案し、大会ホームページで告知されましたが、最少催行人数の要件を満たして、実施できたのは日本巡検のみでした。

日本巡検のテーマは 「黒ボク土再訪(Andosols Revisiting)」 で、関東地方の火山灰土壌の観察に主眼を置いて、富士山、浅間山、榛名山、男体山といった関東平野外縁部に位置する火山の山麓(さんろく)をめぐり、この地域の黒ボク土の母材となっている火山灰の堆積状況や土壌生成のようすを見学することをおもな目的としました。

海外からの参加者はオーストラリア、ベルギー、ブルガリア、フランス、ドイツ、イラン、イタリア、ニュージーランド、ポーランド、ポルトガル、スイス、英国、米国から24名、日本人参加者を含めると総勢38名による大きな巡検となりました。

土壌の層が観察できる崖の前で、巡検参加者38名の集合写真;一番高いところにいるのが報告者
群馬県昭和村の露頭で榛名山二ツ岳軽石による埋没腐植層の生成を観察(写真をクリックすると大きな写真を見られます)

黒ボク土再訪の意義

黒ボク土の国際的な認知は、第二次世界大戦後、日本に駐留した連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による日本の天然資源調査の一環として実施された土壌調査が起点でした。日本各地の土壌調査を実施した合衆国の研究者にとって、火山灰から形成された黒っぽく柔らかな土壌は非常に珍しく、当時の合衆国の土壌分類体系には存在しなかったため、新たな土壌名として Ando(暗土、音読みでアンド) soils と命名されました。その後、世界各地での土壌調査の進展に伴って、日本だけでなく火山地帯の土壌として、環太平洋造山帯の火山活動の活発な地域やアフリカの大地溝帯など、世界各地で類似の土壌が確認されました。国際土壌学連合が採用している土壌分類名の国際公用体系においては、Andosols と命名され、日本語を語源に持つ唯一の土壌として定義され現在に至っています。これは、戦後の日本の黒ボク土研究が世界に認められたことが背景にあり、先達(せんだつ)が対面した土壌断面を見つめることで、温故知新を実践してみようという実行委員会の考え方が感じられました。

林の中の空き地に掘られた穴に入って、真っ黒で柔らかそうな土を観察
神奈川県藤沢市の林床の試掘断面で富士山由来の火山灰から生成した厚い腐植層を観察

一日目(6月3日)は、前夜に集合した成田を出発し、藤沢市の断面を観察した後、島津製作所秦野研究所を訪問してX線回折装置や蛍光X線分析装置の説明を受けました。土壌の分析ではポピュラーな機器の一つであり、多くの質問がでました。その後、秦野市内の農地の露頭で、1707年の富士山の噴火による宝永火山灰の堆積のようすを観察し、河口湖畔まで移動しました。夕食会場では、小崎 隆 日本土壌肥料学会会長(首都大学東京)による歓迎あいさつがあり、巡検の成功を祈念しました。

夕食の会場で、小崎教授が歓迎の挨拶(写真)
初日の歓迎挨拶(小崎教授)

二日目(6月4日)は、山中湖近傍の露頭で10mを超える露頭を観察しました。この露頭では、約8千〜6千年前の縄文時代の温暖期に生成したとされる富士黒土層という埋没腐植層や、奈良・平安時代の富士山の噴火によって放出されたスコリアの堆積のようすが観察できました。数千年前に埋もれた土壌が、現在でも10%以上の炭素含量を示すことについて、多くの質問がありました。当時の植生や人為の影響などが藤沢の断面と比較しながら議論されました。山中湖から山梨県に入り、笛吹市ではワイナリーを見学、八ヶ岳山麓を経由して長野県軽井沢まで移動しました。

崖の斜面で土を観察:茶色の土の間に黒い層がある(写真)
山中湖近傍の露頭で厚い埋没腐植層(富士黒土層)を観察

三日目(6月5日)は、軽井沢から浅間山麓の鬼押出しを見学した後、嬬恋村のキャベツ畑が広がる地域の露頭で、約1万3千年前に浅間山から噴出した草津黄色軽石が厚く堆積し、その上部に厚い腐植層が発達するようすを観察しました。火山灰の給源となった火山が異なっても、粗粒な火山放出物の堆積と腐植が集積した埋没腐植層の組合せが共通の現象であり、これは、広域の土壌生成環境を反映しているという説明がされました。あいにくの天候で、富士山も浅間山もその姿を見ることができなかったのは海外からの参加者にとって残念でしたが、嬬恋村から昭和村の露頭に向かう途上では、榛名山の姿をかいま見ることができ、参加者たちはしきりにカメラのシャッターを押していました。昭和村の露頭を経て、栃木県宇都宮市まで移動しました。

四日目(6月6日)は、日光市の農地に隣接した林床の試掘断面を観察し、東照宮を訪問しました。降雨が激しくなってきましたが、茨城県つくば市の農環研まで移動して、土壌生成ほ場内の近接した2断面を観察しました。微地形による水分条件と堆積速度の大小によって層の腐植含量や厚みが異なるというダイナミックな推移に参加者の関心が集まっていました。また、インベントリー展示館を見学し、農環研が収集した土壌モノリスや明治時代からの土壌調査の歴史について、海外からの参加者が大変興味を持って、質問していました。1885年に発行されたわが国で最初の土性図が、模式断面柱状図が描かれているという点で、現存する土壌図の中で世界最古ではないかと、ドイツと米国の研究者が指摘していたことが注目されます。

五日目(6月7日)は、農業と環境 No.172 で報告された、MARCO 国際ワークショップ に参加しました。多様な断面形態の黒ボク土やその類縁土壌を観察したことで、講演者の発表内容の理解に役立ったと感じられました。

以上、巡検の旅程をかいつまんで報告しましたが、わが国の代表的な土壌の一つである黒ボク土について、関東地方という地域限定ではありましたが、その多様性と生成のユニークさを海外からの参加者に認識してもらう良い機会であったと思われます。また、国内の参加者に土壌肥料学会から支援を受けて参加した若手がいたことは、温故知新を実践していく上で非常に有効な方策であったと感じました。巡検の構想段階から支援いただいた、日本土壌肥料学会および日本ペドロジー学会の歴代会長、事務局、理事会の方々、資料や試掘断面の作成に関わっていただいた方々、観察の許可を与えていただいた生産者や自治体の方々、そして、MARCO の枠組みで支援していただいた農環研に感謝します。

次回の世界土壌科学会議(WCSS)は2018年にブラジルで開催される予定です。近隣諸国の協力によって南米大陸の土壌の姿を世界に発信できるような巡検が企画されることを期待したいと思います。

大倉 利明 (農業環境インベントリーセンター)

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