U.農商務省農務局蚕病試験場(明治17年)・蚕業試験場(明治19年)

1.農商務省の設立(明治14年)
 明治13(1880)年11月、大隈重信・伊藤博文両参議は、「経費を節減し、しかも政府を能率的にするには各省管掌事務の分画の確定を要するが、今最も急務となっているのは工部関係事務に劣らず重要な農商務事務を一省に集合することである。現況では農商務事務は一定の規則に基づく公平不偏の保護奨励を欠き、その『区域ヲ踰越シテ』一部の庇護に傾いており、しかも内務・大蔵両省の分掌に係るその事務は重複し従って失費も多い。農商務の関連する事務を一省に集合すればこの欠点が是正できる。欧州諸国の制度をみても農商務の一省を置いている」として、農商務省設置を要望する建議を提出した。この結果、内務省の勧農、駅逓、山林博物、大蔵省の商務を統合して、明治14年農商務省が設立され、書記、農務、商務、工務、山林、駅逓、博物、会計の8局および農商工上等会議が置かれた。この時の農商務省の所掌を巡って、農商務省と文部省との間で次のようなやりとりのあったことが、『日本農業発達史別篇−農業教育の成立−』(東畑精一・盛永俊太郎監修)に記されている。農商務省における“教育”を巡る問題は、後述するように大正2年に(研究・普及・教育の関係として、それが正しい方向であったかは別として)一応の解決を見るまで、ずっと尾を引くことになる。

明治十四年農商務省が設立されて、同年四月、官省院使廰府県に対する太政官達第二十五号をもつて定められた農商務省職制中には、「第二官設の農商工の諸学校(工部省所管の工部学校を除く)農工業模範の建造物及び博物館(従前内務省所管の分に限る)を管理し、民立農商工の諸学校を監督す」と規定した。
 これに対して文部省は、同規定が明治十二年の教育令の精神と矛盾するとして、四回にわたつて太政官に上禀を呈出してその撤回を要請した。そこで太政官ではようやくこの問題の解決を急ぎ、これを参事院に討議したところ、参事院では次の決議をして上申した。
「・・・・農商工の諸学校をして該(農商務)省の監督に附せられたるの意は、将来農商工の事業を拡張し従来の陋習を洗除するの方法順序に於て尤も直接の関係を有し且つ其実際に於ても便利あるをもつて之を該省の監督に定められたるものと思考す。然らば単に教育令の明文のみに拠て論すへからさる処ありと雖も要するに教育は固より一途に出てさるへからさるものなるか故に従前文部卿に之を統摂せしめ他に分担せしめさる所以なり、若し事実上の便利のみに着目し処分するか如きことあるは一般教育上の権衡を失い其弊や却て教育全体の進歩を妨くるの患なしとせす・・・・」
 こうして十五年四月、次のような太政官達第二十号が発せられて、この問題は折哀案で解決を見たのである。
「農商務省職制」
第二 農学校博物館(以上従前内務省所管の分に限る)及び商船学校を管理す

2.農務局蚕病試験場・蚕業試験場
 一方、明治の初め頃に欧州の養蚕地帯において猖獗を極めた微粒子病が我が国にも存在すること、その被害が拡大する兆候が見受けられたことから、農商務省農務局長岩山敬義は蚕茶課長半井栄の建議を容れ、練木喜三を招いて蚕病試験研究を委託し、明治17年(1884)4月農務局の一分課として蚕病試験場を東京府麹町区内山下町農務局出張所内に設置し、微粒子病に関する各種の試験研究をさせることとした。明治19年農商務省に蚕茶課が設置されると共に、「蚕種検査規則」が制定され、そのための検査員を養成することが急務とされた。また蚕病試験場としても、蚕病に関する試験研究だけではなく、広く蚕業上の学理や試験研究を行う必要が生じてきたが内山下町の出張所内では手狭なので、同19(1886)年10月24日西ヶ原に移転し、名前を農務局蚕業試験場と改めると共に、蚕種検査の実務に従事する検査員を養成するため、明治20(1887)年より生徒(伝習生)を募集して講習を行うこととした。このことによって、政府による蚕糸業保護政策が再発足したといえる。
 この間のいきさつについて、大正6(1917)年5月8日発行の『東京高等蠶絲學校創立三十年記念祝賀展覽會 特別参考品目録(乙號)』(発行:東京高等蠶絲學校創立三十年記念祝賀協賛會)の中に次のような記述がある。

○蠶絲學校の前身たりし内山下蠶病試驗所の動機
  西ヶ原なる東京高等蠶絲學校の前身は内山下蠶病試驗所に胚胎せし事は人或は之を知れども其動機の何に在りし歟を審にせぬもの極めて稀なり。殊に當時の關係者練木善三松永伍作等諸氏既に凋謝し去りたる今日文獻の徴すべきものなければ高橋信貞氏等一二を除く外恐らくは其眞相を解せるものあらざるべし。抑々蠶病の試驗研究は明治七年内藤新宿農事試驗場内に於て佐々木長淳氏率先之に從事せられしを以て嚆矢とす。然るに明治十二年の頃改革と共に氏も試驗場を去られしかば此事久しく中絶せしこと數年明治十六年十月に至り偶然の事よりして再び蠶病試驗の必要を生じぬ。そは余が友人小山正武君大藏省書記官在職中にて專ら海外報告通信の事に鞅掌せられしが一日支那上海發行の新聞申報及び循環日報を閲讀し佛人ブリユナ氏が支那蠶病根治蠶業刷新更張の政策を草して李鴻章に呈出せし記事を發見せられ余に警告を與へられしに由る事君が記述に詳くあり。余之を蠶業掛員に承けたるを以て時の農務局長岩山敬義氏に禀議する所あり。而して局長の明敏果斷なる一言の下に鄙見を容れ練木喜三氏を召ひ托するに蠶病試驗研究の事を以てせらる。練木氏曰く謹で命を拜す。維れ事重大獨力のよく當る所にあらず。願くは實驗篤志の人を獲て共に之に從事せんと。是に於てか松永氏來り參するに至る。爾來試驗の成績は農事報告及び農商工公報等に掲載せられ十九年に至り今の西ヶ原に移轉し更に規模を擴張し蠶業試驗場となりしなり。當時余亦蠶茶課長として練木氏等と共に繩張して山林局より受取りぬ。小山氏の記述或は余に及び過獎敢て當らず。余は唯上官の命令の下に聊か職務を奉ぜしのみ。小山君が警告に至りては實に偉大得て測る可からざるものあり。余は君の美を沒するに忍びざるなり。嚮に君のよせられし文書今座右にありて余が譯出せし支那新聞即ブリユナ氏の建議も別に稿を存せず。余之を遺憾とせしこと久し。然るに本年九月の初偶然一葉の回議案を故紙堆より發見せり。之を一讀するに未文を闕けども事實は得て徴すべし。是本校の起源に關しては必要材料ならん。歟もし此草案なかりせば農商務省の文書中にも恐らくは何等根據なかるべし。但し時の農商務卿西郷侯及び農商務大輔品川子爵の遺篋中には或は存在したらんも知るべからず。今本校記念展覽會の盛擧に際し此を出陳するは余の光榮とする所なり。因て聊か其事實を説明すると云
   大正五年丙辰十月        前農商務省蠶茶課長  半井 榮識

3.蚕病試験場における試験
 当時の蚕病試験場の活動は、先述の「大日本蠶絲會報第117号」によると次のようであった。

明治十七年:此年其施行せる試驗は專ら微粒子病の遺傳傳染の状況及豫防法等にして傍ら蠶種の保護飼育法製種改良法等の研究をなし遂に框製法を新案するに至れり。而して其成蹟は農商工公報號外蠶病試驗成蹟第一報として公刊し當業者に頒布せり。
明治十八年:此年は前年の試驗を継續し且更に新項目を設け微粒子病毒被害の状況及豫防驅除の方法を研究せり。而して試驗の成蹟は農商工公報號外蠶病試驗成蹟第二報として公刊し各府縣當業者に頒布せり。
明治十九年:前年來の試驗を継續し尚白?蠶及軟化病の傳染及豫防法に關する試驗を加へ又佛國産黄金種及朝鮮國産白繭種の試育をなせり。其成蹟は農商工公報號外蠶病試驗成蹟第三報として公刊し各府縣當業者に頒布すること前年に同じ。
 以上三ケ年間の試験成蹟に依り本邦産繭の微粒子病の為に収獲を減殺さるゝこと頗る夥多なるを知れる結果此年九月を以て蠶種検査規則の發布を見るに至れり。而して地方有志者の來て蠶病豫防法の傳習を請ふ者陸続踵を接するに至れるを以て力めて其請を容れ蠶種検査法及之に關する學術を傳習し試驗の上合格者三十二名に習得證を付與せり。又曩きに新案せる改良製種法(框製)に依り試驗せる蠶種百八十四枚(此蛾數四千六百)を二府三十四縣の當業者に配付して試育せしめたり。以後毎年地方篤志者の請願に應じ配附せること數百枚乃至千數百枚なり

 ※ちなみに、農商工公報號外『蠶病試驗成蹟第一報』の目次には、@黒痣病の試驗、A製種法改良の試驗(竝圖表)、B黒痣病豫防法、C蠶種検査法(附顕微鏡用法竝圖解)、D蠶質及ひ飼育法、E護種法、F儲桑法、G収蠶法、H養蠶法、附録蠶卵紙検査成蹟、といった項目が、『蠶病試驗成蹟第二報』の目次には、@蠶種の検査、A蠶兒発生の景況、B蠶兒成長の景況、C微粒子病傳染の試驗、D蠶蛹検査及蠶種製造法、E蠶蛾及蠶種の検査、といった項目が見られる。

4.農務局蚕業試験場における試験
 その後、蚕業試験場から習得証を授与された伝習生(生徒)の数は、明治20年は275名、21年は261名、22年は196名に及んでいる。その中には、今井五介(明治19年卒業、元貴族院議員、片倉製糸(株)社長、西ヶ原同窓会会長)、御法川直三郎(明治20年卒業、御法川式多条繰糸機はじめ多くの発明をなした)等の名が見られる。また、蚕種検査規則制定後の検査員不足の情況から、伝習科習得者の中から検定試験によって選抜したり、明治23年からは、地方の養蚕伝習所教師若しくは巡回教師となるべき者を養成できるよう科目を増加すると共にその質を高めた、とある。
 この間の報告書によると、蚕業試験場では、次のような試験を行っている。
『農商工広報號外蠶病試験成蹟第四報』(明治21年3月刊行)  蠶種保護竝強弱及重量試驗 桑質試驗 蠶卵孵化早晩試驗 小笠原島産桑葉試驗  給桑過不足試驗 蠶種得失試驗 蠶病試驗 微粒子試驗 白?蠶豫防試驗 費用試驗
『農商工広報號外蠶病試験成蹟第五報』(明治21年11月刊行)  儲桑室試驗 藁圍蠶室試驗 蠶種得失試驗 給桑過不足試驗 桑質試驗 蠶卵孵化早晩 試驗 蠶體撰別試驗 土耳其産バグダ種試驗 支那種試驗 微粒子病試驗 難化病試驗  蠶種保護及浸水試驗
『蠶病試験成蹟第六報』(明治22年11月刊行)  摘桑試驗 藁圍蠶室試驗 桑質試驗 蠶卵孵化早中晩試驗 五齢中の温度高低試驗  蠶座乾温濕試驗 蠶座廣狭試驗 給桑囘數試驗 蠶兒動静試驗 餉食試驗 外國蠶種試 驗 微粒子病試驗 白?蠶試驗 蠶卵孵化延期試驗 蠶卵色澤試驗 蠶兒の體温試驗  蠶兒絶食試驗 養蠶標準表


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