(茨城県日立市川尻町2)

蚕養神社

 常磐自動車道を日立北インターでおりて国道6号線を少し北に行くと、川を渡ったあたりで道が少し上りながら大きく曲がるところがありますがその右手にこの神社はあります。国道を隔てて反対側の丘の上には、豊浦中学が、その先には豊良台団地がありますから、この辺りは「豊浦」と呼ばれていたことがわかります。鳥居をくぐると、海の方に向かって長い石段が続きます。

 階段を上ると、丁度上の写真の左手崖の上に本殿があります。

 社務所の案内には次のように書かれています。
「日本最初蠶養神社 祭神:神代の昔稚産霊命の御子神、宇気母智命の御体から蠶が生まれ出たという神話があります。この神社にはその御神命の、稚産霊命、宇気母智命、事代主命の三柱を祀ってあります。 縁起:その昔稚産霊命が、人皇第七代孝霊天皇の御代五年辛巳春二月初午の日に、蠶養浜東沖磯の上に御神影を現わされて、まことに貴いありがたい御神のお告げがありました。そこで当時の里人達は社を神路の森の、上子山に建てて、日本最初蠶養の祖神として敬い奉ってきました。その浦を豊浦の水門といい、尊神の現れなされた所を蠶養浜といいます。第十二代景行天皇の御代四十年に日本武尊が、御東征の折に、上総から陸奥にお入りになられる時、御船を豊浦の港に繋ぎ蠶嶺の社に詣でて勝利を祈られました。三日三晩すぎて船で蝦夷の境に入られたところが、戦わないで蝦夷をことごとく平らげることができました。これは御神の助けによるものと思われます。日高見国より常陸を過ぎて甲斐に至りました。この時日本武尊は今の社地にうつしなされ、神領八十余郷を寄附奉るといいます。元禄五年三月徳川光圀はこの社を当国式外三十五社に列せられました。上にゆかりのある遺跡は経繰浦、穢詰磯、延磯、夫婦岩、舟嶋、蝶嶋、縄嶋など多くの旧名はありますが、今は総へて見分けることができません。
 蠶養浜だけに出る神様の御心をくむ蠶生貝は、悪を除き穢れをはらい鼠を避けるといい伝えられているので、養蠶家はこれを蠶棚にかざると蠶にくせが入ることがないとして珍重しています」

※日立市の蚕養神社は、神栖町の蚕霊神社、つくば市の蚕影神社、とともに「常陸国の三蚕神社」と呼ばれています。蚕養神社の先には、海鵜の飛来地があります。


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