かつての父の変化に思う
R7年1月 冨田 宗樹
あけましておめでとうございます。今年こそは心穏やかに過ごせる一年となりますことを願ってやみません。
80歳代になる私の父はかつて建設関係の企業で働いていました。最前線で働いていた頃(70~80年代)、建設業はとても危険な職場であり、時折聞く現場の状況は、例えば「『アルコールが少々入った方がハンドルの動きが滑らかになる』という作業者がいる」等々、かなり衝撃的なものでした。父も「ケガと弁当は自分持ち」「腕一本で世の中を渡っていく」と覚悟して仕事をしていたようです。自己責任の世界であり、職場というより個人の集まりであったと思います。
ところで、建設業では作業現場の場所や必要な資材の内容・量が工程により都度変わるので、取引条件の決定過程が非常に複雑だそうです。父はこれらを手帳にびっしり表にして、自分のノウハウとして持っていました。総じて「仕事は自分で取るもの」という考えであったと感じています。
ところが、定年まであと何年という年齢になると、父の言動が変わってきました。50歳を過ぎて覚えたパソコンで、上述のような仕事上の様々なノウハウをデータ化して、職場で共有する仕事に熱心に取り組んでいました。また、新たに入ってきた若い社員の様子も気に掛けていました。職場全体・業界のあり方について、「若い人が来るような職場に変えていかなければ」と思い、「私」から「私達」に視点が変わったのではないかと思います。「服装」や「防具」にも配慮するなど、作業安全についても気を遣うようになっていました。
先日、建設関係の新技術の展示会を訪れた際、AIカメラやVR安全教育等の作業安全関係のブースにも多くの方が集まり、熱気があったことがとても印象的でした。業界として若い人材が来るような現場を作ろうという意気も感じ、「身一つ、腕一本で」という父の時代からの変化を思うと、感慨深いものでした。
「自分が生き残れれば良い」というだけでは現場改善は進まないものです。仲間や地域の「私達」の視点から「皆が末永く農業を続けるために」「職場や地域を残すために」と考えれば、やるべきことがより明確になるのではないでしょうか。皆様に来年もこのコラムのコーナーでお会いできるように、私達皆で安全のための現場改善を進めて参りましょう。