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39.滋賀

近畿の水瓶・琵琶湖

 <1986年3月13日観測画像>

画像中央は日本最大の湖・琵琶湖(3,174平方キロ)で,滋賀県の6分の1の面積を占める。琵琶湖は今から数百万年前に断層陥没によってできたと言われる湖で,古来から人々に豊かな恵みをもたらしてきた。湖には,安曇川・姉川・愛知川・野洲川など大小120余りの河川が流入し,約275億トンの水を湛えながら南端の瀬田川から一筋の流れとなって大阪湾に流れ出る。湖の水が全部入れ替わるには約19年かかるといわれ,近畿1,300万人の飲料水源として,また農業用水,工業用水として利用されている。

近江は歴史の変転期に重要な舞台としてしばしば登場する。古くから有力豪族・寺社の荘園として開かれていたこの地は京の都を背にした戦略上の要衝の地であり,源平の争乱,戦国動乱の時代,そして関ヶ原の戦いにとたびたび戦場と化した。また大津は琵琶湖の水運を利用して,北陸や東国からの荷を京都へ運ぶための集積地でもあった。しかし,現在では国道1号線や8号線,名神高速道路,東海道新幹線が湖東平野を貫き,湖南地域は京阪神のベットタウンとして人口増加を続けている。湖上交通華やかな頃,湖賊として名を馳せた堅田海賊の地にも今は都市化の波が押し寄せている。

湖の周囲では弥生時代から農耕文化が栄え,各所に農耕遺跡が残されている 平坦で水の豊かな近江の地では,古くから稲作中心の農業が営まれてきた。耕地面積の91%余りが水田という全国屈指の水田率は,先人のたゆまぬ努力と米への執着を物語っている。

これらの水田では江州米と称し広く寿司米に利用されてきた良食味の米が生産され,その裏作には麦の作付も行われていた。しかし,交通手段の発達と農外就労機会の増大によって兼業化が進展し,水稲の裏作麦は昭和50年にはほとんど作付されなくなった。ところが米の生産調整により水田転作面積が増加するに伴って,昭和53年以降再び作付されるようになった。現在では,集落ぐるみのブロックローテーションによる麦,大豆の集団栽培が県内各所にみられる。

画像では,湖南地域より湖北地域の平野部が緑がかって見える。湖北地域は冬季の積雪のため秋耕を行わない慣行があり,早春の水田は雑草に覆われているのに対し,湖南地域では秋耕を行なうことから裸地が浅黒く撮し出されているためであろう。地域による農法の違いを読み取ることができる。麦の集団栽培地は湖南地域でよりくっきりと見えるが,湖北地域でもやや緑の濃い部分が点在していることがわかる。この集団化の面積は,転作面積の76%を占めている。

琵琶湖の集水域は滋賀県の93%に及ぶため,農業系排水による汚濁物質が琵琶湖の富栄養化や河川の水質に影響を与えることが懸念されている。このため,施肥法の改善や適正な水管理を行うとともに,農業排水を用水として反復利用するなどの施設整備が進められている。

著しい都市化・兼業化により農業の担い手の減少と高齢化が進むなかで,環境に調和した,生産性の高い農業をいかに展開していくか,また先人が守り育てた豊かな恵みの大地をいかに後代に引き継ぐか,我々に残された猶予の時間は少ない。

伊藤久司(滋賀県農業試験場)

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