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46.出雲(島根)

神話の里で繰り広げられてきた農林水産業

 <1984年5月8日観測画像>

島根県は東西に長く,中国山地が日本海までせまっているため平野部が少ない。県面積6,628平方キロの8割近くが林野で,耕地率は約7%と全国でも下から4番目である。気候は夏は暑く,6月から7月の梅雨の時期にはしばしば集中豪雨に見舞わる。特に西部の山間部を襲った1983,1988年の7月の集中豪雨はまだ記憶に新しい。

画像は県東部を撮している。山がちな島根半島と中国山地に挟まれた出雲平野は斐伊川,神戸川が運んだ土砂が堆積してできた肥沃な沖積平野で,東西約20キロメートル,面積約100平方キロの広大な耕地をもたらしている。この地方は晩秋から冬の間に日本海から吹き抜ける西寄りの季節風が強く,屋敷の西と北に防風林として築地松をめぐらしている景観がみられる。出雲平野の農業は水田単作が主であったが,最近はブドウを中心とした果樹栽培も盛んに行われている。

神話の里として知られる出雲では,全国八百万の神がみがこの地に集う陰暦の10月(神無月)を神在月と呼ぶ。出雲大社では参拝者目当てに,斐伊川上流の仁多や飯石,三瓶山の麓でとれた新穀のそばを打つ露店のそば屋が並んだ。これが出雲そばの始まりである。

画像右下の横田盆地は標高1,000メートル以上の山々に囲まれ,恵まれた森林資源をもつ。これを利用した炭焼きは,かつての「たたら製鉄」には欠かせないものであった。画像上でも鉄穴跡が認識できる。これは砂鉄採掘のため切り崩した跡の残丘である。全国有数の生産を誇った島根木炭も昭和30年代のエネルギー革命以降衰退し,職を求めた人々の県外流出が続いた。現在では過疎化問題等を抱えながらも,冷涼な気候を生かした野菜づくりに取り組んでいる。また山間部では昔から肉用牛の繁殖が盛んに行われてきた。飼育農家は県全体で8,540戸,1戸あたりの平均頭数は5.1と経営規模が小さいのが特徴である。

斐伊川が流れ込む先が宍道湖(面積80平方キロ:最深6メートル)である。宍道湖の恵みは年間水揚量約1万トンを誇る大和しじみを始めとするあまさぎ(わかさぎ)・すずき等の魚貝類であり,これらは宍道湖七珍として珍重されている。

宍道湖は大橋川,天神川を通じて東の中海に,さらに佐陀川を通して日本海に出る。佐陀川は江戸時代に水害を防ぐために作られが,運河としても使われ,低湿地であった沿岸地域を穀物地帯に変えた。画像では水を張った水田が濃い青で撮し出されている。

1968年に着工された中海干拓・淡水化事業は面積98平方キロの中海の4分の1を干拓し,さらに,中海・宍道湖の水を淡水に変え,農業用水として利用する計画であった。これは水害と塩害に悩まされてきた農家にとって待ち望んだ工事であったが,時代の変化に伴いいくどかの見直しを余儀なくされてきた。1984年には干拓地内の作目を水田から畑へ転換する等の計画変更が行われ,さらに地元の強い要請を受け1988年9月には淡水化延期が,1992年には本庄地区の干拓工事の延期が決まった。この間,これからの農業のあり方が議論され,中海・宍道湖のもたらす自然の恵みが再認識された。現在,すでに干拓の終わった地区では野菜,中でもキャベツの産地化へ向けての取り組みがなされている。

湯畑典子(農業環境技術研究所)

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